#8 暗黒の墓所

 苦痛を覚悟して、歯を食い縛った。

 せめて苦痛無く終わらせてくれと祈りながら、その時を迎えようとする。


 しかし――


 二秒、三秒と経っても、斬られる感触と激痛は一向にやって来ない。

 そう言えば、逃げられないようにと踏まれていたはずだが、気付けばその圧迫も無くなっていた。


 一体どうしたのかと不思議に思って、恐る恐る眼を開けると、


「えっ……?」


 ――誰も居なかった。


 真っ暗闇の中に居たのは、私一人。

 私を殺しに来たあの聖騎士達は、影も形も、気配さえも無くなっていた。


「ここは、どこ……?」


 そして気が付いたが、ここは先程まで居たはずのあの客室ではない。


 何も無い、暗黒の空間だ。

 当然ながら見覚えなど無く、そもそも薄明かりさえ無い純度百パーセントの真っ暗闇なので、ペタペタと触れてみても一面が硬質な壁という以外に様子が全く分からない。


 一体何が起きたのか。


 考えられるとすれば、余りの恐怖で自分でも気付かないまま意識を失い、その間に牢獄にでも移されたか。

 訳も分からずこの世界に召喚されたように、いつの間にか元の世界に帰ったか、或いはこれが死後の世界とやらなのかと思ったが、いずれも違うような気がする。


 ひとまず、あの聖騎士達に殺されずに済んだという事だけは確かなようで、ほっと安堵の息が出た。


 だが、安心してもいられない。

 ここがどこで、誰が何の為に、どうやって私をここまで運んだにせよ、あの場で私を討てなかった以上、栄耀教会も聖騎士団も今度こそ私を殺そうと捜しに来る。


 ともかくここを出なくては。


 真っ暗闇では出口の場所も分からないので、まずは手の感触だけを頼りに、せめて灯りのスイッチでもないか探して回る。

 あの客室では、点灯スイッチは壁に設置されていた。


「これは……」


 案の定、壁に手を合わせていると、妙な感触があった。

 カチリと押すと、ガスコンロを捻った時のようにボッボッと点火音がして、壁面に設置されていた台に炎が灯り、部屋の全容が浮かび上がる。


 あの『儀式』が行われた部屋よりも更に広く、そして都心の高層ビルのように高い空間だった。

 壁一面には、駅のコインロッカーよりもやや大き目の金属扉が等間隔でズラリと並んでいた。


 暗い上に多過ぎて正確な数は知れないが、軽く数千はあると思われ、それぞれの扉の下には何か書かれたプレートが貼られている。

 あの『儀式』の効力なのか、異世界人達と会話は問題無く行えるが、文字に関しては異世界独自のもので解読不能、これらのプレートに何が書かれているのか私には全く分からない。


「ここは、何かの保管場……? いえ、まさか……ここに収められているのは……」


 最初は金庫か何かかと思ったが、その扉の縦横の幅を見て考えを改めた。

 丁度、寝かせた大人を差し込むのに適したサイズだったのだ。


 それにこの、人気も窓も微塵も無い、静まり返った無機質な空間。

 答は一つしか無い。


「遺体を安置する場所……墓所なの……?」


 だとすれば、扉に添えられたプレートは墓碑で、遺体の身元や生没年などが刻まれているのだろう。


 何故こんな場所に自分は居るのだろう。

 やはり悪意ある何者が、お前はもう死んだも同然、手を下す価値も無い、という意味を込めて、私をこの場所へ放り込んだのだろうか。


 出入口はあったが、石で出来た恐ろしく頑丈な扉で、破壊するのはどう考えても不可能だった。

 叩いたり叫んでも、この扉の厚さでは恐らく外には届かない。


 つまり、私はこの墓所から出られない。


「私は、どうすれば……」


 壁に寄り掛かってへたり込む。


 こんな薄気味悪い場所でじわじわと餓死を待つくらいなら、あの場で聖騎士達に一思いに殺されていた方がまだマシだったかも知れない。


 結局自由は訪れない、暗黒の墓所が人生の終着点なのかと途方に暮れていると、


 ゴォン、という轟音。


 鉄板に何かがぶつかったような、そんな金属音が鼓膜を打った。


「だ、誰……!?」


 立ち上がって見回してみたが、周囲に人影は見えない。


 更に、今のと同じ打撃音が二回、三回と続け様に鳴る。

 どうやらここに無数にある内の、どこかの扉から発されているようだ。


 先程の事が思い出される。


 考えられるのは、先程の聖騎士達だ。

 私がこの墓所に居る事に気付いて、また隠し通路を通ってやって来たのかも知れない。


 やがて向こう側にある、私の背丈より少し高い位置にある扉の一つが、奇妙に歪み始めた。


 あそこから音は鳴っている。

 本音を言えば逃げ出したいが、出入口が封じられている以上、どう動いても無駄だ。


 そうして眺めている間にも扉の歪みは更に増し、そして遂に鍵が壊れて吹き飛んだ。


「きゃあ……ッ!?」


 歪んで壊れた金属扉が、私のすぐ近くに落下した。

 扉が外れたその奥の暗闇から手が伸び、ズルズルと何かが――否、何者かが這い出て来る。


 ドサリ、と床に落ちたその人物が、生まれたばかりの動物のようにノロノロと起き上がる。

 細身だが見事に鍛えられた筋肉の持ち主で、あの高さから落ちたというのに大した怪我もしていないようだった。


 刀剣や矢、他にも猛獣の爪牙の跡と思しき古傷が幾つもある所を見ると、恐らくは聖騎士達のような軍人、でなくとも戦いを生業とする男性。


「かわ、く……」


 野獣のように四肢を地面に付けたまま、彼が顔を上げてこちらを見た。


「牙……!」


 常人よりも長く鋭い上顎の犬歯が、炎の光を浴びてギラリと光った。


 次の瞬間、男が動いた。

 ネコ科の猛獣の如き俊敏かつしなやかな動きで、彼が飛び掛かって来た。


 人間離れした瞬発力の前に逃げる暇など与えられず、地面に押し倒されてしまった。


「渇く……!」


 首筋にガブリと咬み付かれ、鋭い痛みが走る。


「うう……ッ」


 体内を流れる血液が吸い取られているのが、皮膚の感覚で分かる。

 遺体が安置されている扉の中から出て来た、牙を生やし、人の生き血を吸う男性。


 ラモン教皇達が語った、この世界で起きている『邪神の息吹』の内容を思い出す。

 瘴気によって、死者が不死魔物アンデッドとして蘇り、生者を襲う。


 そしてそのアンデッドの中でも、上級に数えられる種の一つが『吸血鬼ヴァンパイア』だと。

 今蘇ったこの男は、そのヴァンパイアと考えて間違い無さそうだ。


「や、めて……ッ」


 このままでは全身の血を吸い尽くされて死んでしまう。


 ヴァンパイアの胸筋を、軽く痺れる手で叩いて抵抗する。

 すると、ハッと我に返ったようにヴァンパイアが急に吸血を止め、私から飛び退いた。


 すぐに首の具合を確かめたが、幸いにして咬み傷は浅かったようで、血はほとんど出ていなかった。


「お、れは……まさ、か……」


 彼自身、自分が何をしていたのかよく分かっていなかったようだ。


 口元を拭い、手に付いた真っ赤な血を信じられないと言わんばかりに凝視している。

 ひょっとしたらヴァンパイアになったという自覚が無く、本能のままに血を吸っていた自分に気付き、驚き、怖くなって離れたのかも知れない。


「だれ、だ……きみ、は……?」


 長い間死んでいたが故に口が思うように動かないのか、ぎこちない声でヴァンパイアが訊ねた。


「わ、私、は……カグヤ、です……」

「カ、グヤ…………こ、こは、どこ、だ……?」


 キョロキョロと辺りを見回しながら、彼が再び問う。


「わ、分かりません。さっきまで聖宮殿に居ましたが、気が付いたらここに来ていました……」

「聖宮殿……きみは、栄耀、教会の、シスター、か……?」

「いえ、違います……聖騎士から命を狙われました……」


 どう答えた方が安全に繋がるか分からない為、正直に答える以外に思い付かなかった。


「そう、か……」


 今襲って来たのは単に血を吸い取る為で、命まで奪おうという気は無いらしく、彼から敵意は全く漂ってこない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る