#6 月夜の刺客

 時は少し進み、その日の夜。

 他に誰も居ない、静まり返った闇の中で、私は不意に目を覚ました。


「ここ、は……? ――いえ、そうだったわ。私は……」


 目覚めたその場所が、暮らし慣れた独房ではない事に一瞬戸惑い、しかし思い出し、改めて自分の身に起きた事を振り返る。


 豪勢な天蓋付きのベッドから出て、大きなガラスに隔てられた窓の向こうを仰ぎ見る。

 空高くに浮かぶは、真円を描く月。


 この世界に召喚される直前にも鉄格子の窓から満月を眺めたが、あの時の月と今見える月は同じなのだろうか、それとも違うのだろうか、という疑問がふと浮かんだ。


 あの魔力鑑定の後、私――明智輝夜あけちカグヤは聖宮殿内のこの客室に案内され、現在に至る。


 大災害『邪神の息吹』を鎮める『聖女』を求めて、栄耀教会が『招聖の儀』を行った結果、私とテルサが召喚された。

 しかし、期待された『聖女』の力を持っていたのはテルサだけで、自分が意図せず付いてきた無価値なオマケでしかなかったと知った時は、戸惑いつつも少しばかり落胆した。


 ラモン教皇からは、例え『聖女』ではなくともこちらの都合で召喚したからには責任は持つ、当面は客人としてこの部屋で世話するので安心して欲しい、と言われた。


 豪勢な部屋に食事、衣服をあてがわれて、現在に至る。

 今の所、私への待遇は悪くないが、それでも不安は消えない。


 この先、私はどうなるのだろうか、と月を眺めながら自問する。


 考えられるパターンは三つ。

 第一のパターンは、元の世界に帰されるというもの。

 実現可能なのかは一切教えて貰えず、私を案内した侍女達も何も聞かされていないようだったが、私としてはお世辞にも良いパターンとは言えない。


 あの世界に私の居場所など、最初からどこにも無かったのだから。


 拘置所では今頃きっと、私が独房から忽然と消えた事で大騒ぎになっているはずで、帰ったとしても脱走したという事で尋問を受け、裁判でより重い刑が下されるであろう事は想像に難くない。

 不可抗力だったとは言え、犯してしまった罪に対する罰を受ける事無く去ってしまった事に多少の後ろめたさが芽生えるが、それでも良い思い出も親しい者も皆無のあの世界への未練などあるはずも無く、戻りたいとは死んでも思わない。


 第二のパターンは、この世界で生きていくというもの。

 私としては、これが最も理想的なパターンだ。

 全く見知らぬ、魔法や魔物が実在するファンタジー世界に来てしまった事には戸惑ったが、どこにも居場所の無かった苦しい人生を送ってきた私にとっては、これは望外のチャンスでもある。


 例え魔力が皆無で役に立てないとしても、普通に暮らしていく術はあるはず。

 ずっと夢見ていた、穏やかな人生を送れるかも知れない。

 明日にでも教皇か枢機卿にでも頼んでみようと思う。


「どうかこの世界では、心穏やかに暮らせますように……」


 夜空に輝く満月に祈りを捧げたその時、ガタッ、と後ろの方で物音がした。

 ビクンと反射的に振り向くが、部屋には自分一人。


 気のせいか、或いはネズミか何かでも居たのだろうと思ったが、直後にまたガタゴトと物音がした。

 やはり気のせいではなく、ネズミにしては音が大きい。


 音の発生源はクローゼットの方だ。


「誰か、居るのですか……?」


 恐る恐る声を掛けると、それに応じるようにクローゼットの扉が開き、


「はぁ~い、こんばんは。お邪魔しまぁ~す」


 小馬鹿にしたような、おどけた声で返事して、男が一人出て来た。


「あなたは……」


 その顔には覚えがあった。

 あの応接室にも居た若い聖騎士――確か名前は、ザッキス、だったか。


 どうやらあのクローゼットには隠し通路の出入口が隠されていたらしく、更にゾロゾロと聖騎士達が室内に入って来る。


 その中には、ザッキスと同じくあの場に居たゼルレーク聖騎士団長と、ザッキスと並んでいたラウルという名の若い騎士の顔もあった。


「な、何でしょうか……?」


 用があるのなら、堂々と扉をノックして来ればいいはず。

 こんな夜更けに、女性一人だけの部屋に、完全武装の騎士が十人、わざわざ隠し通路を使ってやって来たのだから、どんな馬鹿でも只事ではないと分かる。


 真っ先に頭に浮かんだのは、今後の私が辿ると思われる第三のパターン――


「大逆の罪人カグヤ・アケチ、お命頂戴仕る」


 ――粛清される、というもの。


 彼らが一斉に抜剣、月明かりを浴びた刃が美しくも冷酷に輝く。


「……ッ!」


 人間は銃口を突き付けられるよりも、刀剣の輝きを見せられる方が恐怖を感じる、とどこかで聞いた事がある。


 扉までは遠過ぎるし、隠し通路から入って来たという事は、外からも鍵が掛かっているのは間違い無い。

 ならばと椅子を引っ掴み、力一杯窓に叩き付けてみたが、


「フハッ、無駄無駄。既に窓も扉も外から施錠してあるし、特別製だから椅子で叩いたくらいでは破れない。魔力皆無の無能者じゃ、どう足掻いても脱出は不可能なのさ」


 ザッキスが嘲笑する通り、叩いた窓ガラスにはヒビ一つ入らず、逆に椅子の方が脆くも砕けてしまった。


 残された出口はクローゼットの隠し通路だが、彼らとてその程度の事は想定しており、聖騎士が二人、甲冑の体でがっちりと塞いでいた。

 万が一にも討ち漏らすまいという、彼らの本気度が窺える。

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