第17話 勅令とメシヤの誕生と羊飼いin ベツレヘム

 マリアが臨月のころ、全世界の人口調査をせよとの勅令がローマ皇帝アウグストゥスから出た。

 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査だった。

人々はみな登録をするために、それぞれ自分の出身の町へ帰って行った(注84)。


 この一報を受けてルシファーやベルゼブル以下サタンの上層部は集まった。

「なんだ、この人口調査は?」

「ローマ帝国は世界の民から正確にもれなく税金を集めるために定期的に実施しているようだ。」

「自分の出身の町ってなんだ?」

「自分の祖先の出身の町らしい。」

「イスラエルの国内の民族大移動だな。」


 ベルゼブルはルシファーに言った。

「ルシファー様、そういえばアウグストゥスのところにミカエルがいたが、これが目的かもしれない。」

「うむ・・・・」

 ルシファーは腕を組んで黙り込んだ。

 ラミエルがマリアやエリザベツのことを報告していないので、サタン陣営はメシヤ情報を把握できておらず、ミカ書の預言を頼りにユダヤ地方のベツレヘムをマークしていた。

 しかし実際にはマリアのお腹の中にいるメシヤはガリラヤ地方のナザレという町にいた。

 そして、もしミカエルの暗躍によりローマ皇帝によるイスラエル全土の人口調査が行われるようになったと仮定するならば、メシヤはミカ書の預言を成就するためにダビデの出身地ベツレヘムに向かうだろうとルシファーとベルゼブルは確信した。


 ルシファーが指示を出した。

「ベルゼブル、ベツレヘムに総動員をかけろ。」

「はい。」


 ルシファーは心のなかで呟いた。

(遅かった・・・・)


 無数の堕天使がベツレヘムに集結した。

 ベルゼブルが堕天使や集められた悪霊に指示を出した。

「この町にインマヌエルという男子を産む母親がいるはずだ。まだ産んでない場合は母親を殺せ。産んでしまった場合は子どもを殺せ。」

「はい!」

 神もそうだが天使や堕天使は人間の傲慢さや誘惑心を刺激することにより人間に行動を起こさせるのであって、天使や堕天使が直接手を下す訳では無い。「殺せ」というのは人間に殺させたり、精神的に病ませて自殺に追い込むという意味である。


 ベツレヘムは小さな町だったので堕天使達はあっという間に隅々まで監視体制を作った。



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 イスラエル民族は自分の家系が十二部族のうちのどの部族で、先祖がどの町の出身なのか知っていた。

 ヨセフもマリアもダビデの家系なのでダビデの出身地ユダヤのベツレヘムで住民登録するためガリラヤの町ナザレを旅立った。ラミエルも同行した。


 ラミエルは『メシヤはパンの家で生まれる』という意味がわからないでいた。

「マリアさん、メシヤはパンの家で生まれるって聞いたことがあるのですが、どうしてベツレヘムって所に行くのですか?」


 マリアが答えた。

「パンの家?・・・・そういえば、ベツレヘムってパンの家って意味よ、たしか。」

「えー!!」


 ラミエルは堕天使ベリアルからメシヤ誕生の地はベツレヘムであることを教わったことを思い出した。

(ヤダ、僕、大事なことを忘れていた!パンの家はベツレヘムだった!)


 ラミエルは興奮してきた。

(インマヌエルがパンの家で生まれる!インマヌエルがパンの家で生まれる!すべてそろった!やっぱマリアさんのお腹の子がインマヌエル!)


 ラミエルは確信が持てたのは嬉しかったが、一つの事実に気が付いた。

(ガブリエル様!それ、先に教えてよ!!!僕のいたいけな心を持て遊ぶなんて許せない!ちくしょう!)

「ガブリエルめ!!!!!」

 ラミエルはついつい心の中の感情が体外に漏れてしまった。


 マリアはラミエルの口からガブリエルの名が出てきたので怪訝そうな顔をした。

「ガブリエル様をご存じなの?」

「あいや、まあ、その・・・・」

 ラミエルは言葉を濁した。

(そういえばエノク様のことを天使と言ってしまったり、軽率だ・・・・僕、ちょっと人間との懸け橋とか向いてないかも・・・・)


 ヨセフとしては臨月のマリアを連れて徒歩で片道一七〇キロで往復一か月を要する旅行は大変なので気が重かったが勅令だから従うしかなかった。


 またダビデの王座を引き継ぐ方の誕生であるから、もしかしたら豪華絢爛な王宮に招かれ、そこで分娩することになるかもしれない・・・・国民総出で新しい王の誕生の祝賀会を開催してくれるかもしれない・・・・などと妄想が広がっていた。

 予定日からすると人口調査を終えてナザレに戻ってから出産できるスケジュールだが、様々なイベントが催されて滞在期間が伸びても何とかなると考えた。


 だが妄想はただの妄想だった。


 彼らがベツレヘムに到着した日にマリアの卵膜は破水した。ある程度想定していたが想定よりかなり早かった。

ヨセフの妄想は神の思いではなく、神の思いはベツレヘムでのメシヤ誕生だった。


「宿が見つかりません!」

 マリアを木陰に休ませてヨセフとラミエルがほうぼう探したが宿屋は見つからなかった。


 ダビデの子孫を誇る人は多いので、普段は寒村であるベツレヘムのキャパを超える人が集まってしまったのだ。


 疲れ果てたラミエルが愚痴を言い始めた。

「アウグストゥス!どうすればいいんですか??夫婦揃ってのダビデの末裔が困っていますよ!」

 マリアがラミエルを窘めた。

「ローマ皇帝はそんな細かいこと考えてくれませんよ・・・・あと、私たちガリラヤ出身って言葉でわかるので、軽く見られてるのかも・・・・」


 宿屋は絶望的なので民泊先を必死に探し、ようやく洞穴式の住居の家畜スペースならあいているよ、というお宅が見つかった。


 家畜や家畜の糞尿の香りに満ちている場所だったが、これ以上分娩する場所を探す時間はなかった。


 ラミエルは嘆いた。

「ミカエルさまあ、ガブリエルさまあ、助けてえ、ここ臭いですう。なんで最近現れないんですか??」


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 ベルゼブルとレビアタンはベツレヘムの夜空を飛んでいた。

 そして堕天使の急襲作戦はうまくいく可能性が高いと睨んでいた。

 集めた情報によるとヨセフとマリアは今は結婚しているが、マリアは結婚前に妊娠していて、これは石打の刑に処されるほどの重罪だから、これを知ったベツレヘムの人間はマリアを殺さなければならなくなるだろうと目論み、そのフェイクニュースを村中に広めた。


 その時、眩い栄光とともに三大天使とエノクが空中に現れ、ミカエルが剣を抜いてベルゼブルに大声で怒鳴った。

「久しぶりだなあ、ベルゼブル!」


 ベルゼブルも剣を抜いてミカエルを見た。


 しばしの沈黙の時が流れた。


 ベルゼブルはミカエルに言った。

「こんなところで何をしている。メシヤの護衛が手薄ではないか?」

 天使たちは口々に「おー」とおどけた。

 ベルゼブルは胸を張って言った。

「配下の者がメシヤを見つけて、任務を完了しているはずだ。婚前交渉により妊娠したマリアは石打の刑になってるはずだ。」

 天使たちは再び「おー」とおどけた。


 レビアタンがイライラして怒鳴った。

「お前らなんなんだ、何が言いたいんだ!」


 ミカエルとガブリエルが堕天使たちに説明した。

「過越しって知ってるかな?メシヤとメシヤの母は子羊の血で守られているので、災いは通り過ぎるんだよ。」

「邪悪な堕天使たちには見つけられないってことさ!」

ベルゼブルが反論した。

「メシヤには罪はないが母マリアの罪は消せない。今頃母子ともに殺されているだろう。」

 エノクが答えた。

「マリアには罪がない。処女だからな。(注85)」

「処女?」


 ベルゼブルは怪訝な顔をして言った。

「処女がどうして身籠るのだ?」


 エノクが説明した。

「神の力さ!」

 ミカエルは言った。

「マリアは婚前交渉はしていない。そして悪霊たちはメシヤとマリアを見つけることはできない。」


 ラファエルが最後の言葉でその場をキメた。

「下がれサタン!」


 堕天使たちは一瞬で消え去り、陰府に送り返された。


 天使たちが議論を始めた。

「ベルゼベルはなんで処女から生まれるって知らなかったんだ?」

「それは多分最近の学者はイザヤ書に書いてある『乙女』を『若い女』という意味に捉えるからそれを信じたんじゃないの?」

「本当の意味は『若い女』ってことはないの?」

「いやいや、ギリシャ語に翻訳した当時の精鋭のユダヤ人学者の解釈が『処女』だったんだよ、その言葉は。だから『処女』が正しい解釈だ。サタンは聖霊によって神の言葉を読めないからそこが分かってない!」

「YEAH!」


 ガブリエルが他の天使に告げた。

「さて、そろそろ荒野に行かなくちゃ。忙しいなあ。」

 ミカエルはガブリエルに窘めるために言った。

「一応言っておく。この世がルシファーに支配されて以来人類救済計画においてメシヤ誕生は究極的に大事な局面だ。神が愛する人間にとって重要この上ない転換期だ。忙しいとか言うな。」

 ガブリエルは小さく頷いて言った。

「ふーい。」


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 マリアはその夜にその家畜小屋で赤ちゃんを産んだ。


 布にくるんで、石造りの飼葉桶の中に寝かせた。

 赤ちゃんはオギャアオギャアと泣いた。


 赤ちゃんの寝床は普通もっと柔らかいものなのだろうが、これしかないので仕方がなかった。

 肌着もなかったので荷物の中にあった布をくるんだ。

 石造りの桶と布の組み合わせは、赤ちゃんの寝床というより死人の墓場のようだった。

 しかし三人にとって赤ちゃんは光り輝く存在だった。


 ひとまず落ち着いた三人は疲れ果てて、その家畜スペースで寝ることにした。 


メシヤの誕生はダビデの王位を継ぐ者の誕生とは思えないほど貧相だった。


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 さてベツレヘムから少し離れた荒野で名もない羊飼いたちが野宿しながら羊の群れの番をしていた。

 羊飼いは身分が低く人口調査の対象外だった。羊飼いはシナゴーグに献金を納めていなかったので遊女や取税人と同じように民衆から『罪人』という烙印を押されていた。


 そんな羊飼いたちの前に天使ガブリエルが突然現れた。

「我は三大天使のひとり、ガブリエールであーる!」 


 主の栄光が彼を巡り照したので、彼らは非常に恐れ尻もちをついた。

 ガブリエルは羊飼い達に告げた。

「恐れることはなーい。見よ、すべーての民に与えられる大ーきな喜びを、あなーたがたに伝える!


 きょうダビデの町に、あなーたがたのためーに、救い主がお生れになったのだ!この方こそ主なるキリーストであーる!


 あなーたがたは、家畜小屋で幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見ることになーる。それが、あなたがたに与えられるしるしであーる!」


 ガブリエルは少し前にミカエルからメシヤ誕生の重要性について説教されたので、演出に力が入り若干派手になった。

(もう忙しいなんて言いません!力いっぱい賛美させていただきます!)



 すると夜空におびただしい天の軍勢が現れ、ガブリエルと一緒になって神を賛美し始めた。羊飼いたちは天使たちのエレクトリカルパレードがやんやと目の前で繰り広げられたので立ち上がって歓喜した。


「♪いと高きところに神に栄光があるように!地の上では御心にかなう人々に平安があるように!♪」

「♪いと高きところに神に栄光があるように!地の上では御心にかなう人々に平安があるように!♪」

 賛美が終わると天使たちは彼らを離れて天に帰っていった。


 羊飼いたちは天使たちが去ってもしばらく肩を組んで天使たちとともに賛美の歌を捧げた。

 そして「さあ、ベツレヘムへ行って、天使が知らせてくれた出来事、つまり救い主の誕生を見てこようではないか!」と話し合った。


 そして急いでベツレヘムに行って、玄関越しから疲れて寝ていたマリアとヨセフ、また飼葉桶に寝かしてある赤ちゃんを見つけた。堕天使たちは過ぎ越されたが、羊飼いたちは大丈夫だった。


 天使の言うとおりだったので羊飼いたちは歓喜した。

 ヨセフは起きて来客に喜んでマリアとラミエルに言った。

「子どもが生まれることを誰にも言ってないのに来客があったぞ!やっぱりこの子はすごい子だ!」


 ヨセフは客人に尋ねた。

「よく、ダビデの子孫が生まれたことをお分かりで・・・・王宮の皆様ですか?」

 ボロボロの服を身に纏った羊飼い達は答えた。

「我らは名も無い羊飼いだす!」

 ヨセフは答えた。

「そ、そうだすか・・・・」

 羊飼いたちはヨセフに言った。

「しかも、お祝いに来たのに手ぶらだす!」

 ヨセフは答えた。

「そ、そうだすか・・・・でも、お祝いに来てくれてありがとう。気にしないでお上がりください。」

「へい!」


 そして、羊飼いたちは生まれた赤ちゃんを囲みながら天使ガブリエルから聞いたことをヨセフご夫妻やその家の他の人たちに伝えた。

「ガブリエル樣が??」

「あの、ガブリエル様が羊飼いの皆さんをここにお連れしてくださったのか、ありがたいな。」


 ラミエルは小声で愚痴った。

「ガブリエル樣、ベツレヘムにいるんだったらもう少しマシな宿を・・・・」


 その家の方々はラミエルの愚痴は聞こえなかったが、羊飼いたちの話については「そんなことあるかい?」って感じで首を傾げた。


 羊飼たちはベツレヘムのとあるお宅の家畜スペースで見聞きしたことが何もかも自分たちに語られた通りであったので、神を崇め、賛美しながら帰って行った。


 マリアはエリザベツの家で神から与えられるままに歌ったフレーズを思い出した。

 『低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ・・・・』

 神のなさることが時に適って美しいことを改めて思わされていた。



(注84)ルカの福音書二章一節-三節

(注85)人類史上初めて処女から生まれたイエスはアダム以来の原罪を引き継いでいない。

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