第16話 ヨハネの誕生

「マリア、久しぶり!」

「ザカ爺!、エリ婆!」

「マリア、ヨセフさんと結婚してから幸せなのかしら、とっても楽しそうね。」 

「とっても幸せ!」

「サロメは元気に育ってる?」

「元気、ていうか元気過ぎ!!」


 マリアはラミエルに連れられてエン・カレムのザカリヤの家に赴いた。

 マリアはエリザベツのお腹が膨れているのを見て、嬉しそうに頬と掌でエリザベツのお腹を撫でた。

 するとエリザベツのお腹の中の胎児が踊り踊って喜んだ。

「まあ、なんて素晴らしいのでしょう、このお腹の子はマリアとマリアのお腹の子のことを知っているみたい。」


 マリアは立ち上がりザカリヤの方を向いて畏まった。

「おじさま、しぱらくお世話になるのでよろしくお願いします。」

「・・・・」

「おじさま?」

「・・・・」 


 ザカリヤが反応しないのでマリアは困惑したが、ラミエルとエリザベツはニヤニヤした。エリザベツはザカリヤが喋れない理由をマリアに説明した。

「この人は祭司なのに天使ガブリエルのお告げを信じなかったのでお仕置きを受けたのよ。」

「あらザカ爺、祭司なのに駄目じゃない?」

「・・・・」

「それにしても天使ガブリエルはザカ爺にも現れたのね。私やヨセフさんにも現れたのよ。」


 エリザベツが反応した。

「そうなの??誠に誠にすごい奇跡だわ!」

「本当にすごい!」


ラミエルは皆の幸せそうな会話をにこやかに見ていた。


 マリアは気を取り直してエリザベツと抱き合った。

「叔母様、私のお腹の子イエスは大いなる者となり、いと高き者の子となると天使ガブリエルに言われました。そして、神である主はこの子にその父ダビデの王位をお与えになり、この子はとこしえにイスラエルを治め、その国は終わることがありません、とも言われたの!」


 エリザベツは感激のあまり泣き崩れた。

「マリア、あなたのお腹の子は主よ。あなたは主の母になるのね。」

二人は抱き合って自分の身に起きたことを喜んだ。


 マリアの話を聞いたザカリヤが身振り手振りで皆の注目を集めようとしたので、エリザベツとマリアとラミエルはザカリヤが地面に書いた文章に着目した。


(ヨハネは大勢のイスラエル民族を主に立ち返らせる。エリヤ (注82)と聖霊の力で主の前触れとなり整えられた民を主のために用意する。)


 エリザベツは言った。

「これはあなたがガブリエルから告げられた言葉ですね?」

ザカリヤはうなづいた。ラミエルは質問した。

「エリヤって誰ですか?」

 エリザベツが答えた。

「昔々の大預言者で、生きたまま主に取られて天に上った方なの。」

「エノク様みたいですね!」

「あら、ラミエル、エノクを知っているの?」

「は、はい、天使のエノク様・・・・」

「天使?エノクは天使ではなくノアの洪水前の人で、エリヤと同じように生きたまま主に取られて天に登った人よ。」


 ラミエルは焦った。洪水前に天使エノクがノアに大きな船を造らせたという話をベリアルから聞いていたし、ナザレでは羽が生えたエノクに教育を施されたので、ついつい「天使」と口に出してしまったが、人間側にはその話は伝わってないようだった。ラミエルは顔を真赤にして発言を訂正した。

「て、て、天使じゃないです、エノク、間違えました!・・・・・エリヤの話をしましょう、エリヤの!」


 マリアはエノクを天使と言って、それを下手に誤魔化しているラミエルを不思議そうに眺めた。


 エリザベツはエリヤの話を続けた。

「タナハにはこう書いてあるわ。」

「タナハって何ですか?」

「モーセの律法や歴史書や詩篇や預言書をまとめたものをタナハっていうの。神殿や各地のシナゴーグにあるわ。その中のマラキ書に『見よ、わたしは主の大いなる恐ろしい日が来る前に預言書エリヤをあなたがたに遣わす。エリヤは神と人間を和解させる。呪いでこの地が討ち滅ぼされないためだ。』って書いてあるの。私のお腹の子はエリヤと何か関係があるのかしらね。」


 これを聞いてマリアは美しいメロディで歌いだした。


「♪ 我が魂は主を崇め、我が霊は救い主なる神を喜び称えます


 主は私のような卑しいはしために目を留めてくださいました。


 これからの後、どの時代の人も私を幸せ者と思うでしょう。


 力ある方が私に大きなことをしてくださいました。そのお名前は聖く、その憐れみは主を恐れ畏む者に代々に渡って及びます。


 主は其の腕で力強いわざをなし、高慢なものを追い散らし、権力者を王位から引き下ろします。


 低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。


 主はその憐れみをいつまでも忘れないでその下僕イスラエルをお助けになりました。


 それは、私達の父祖、アブラハムとその子孫に語られたとおりです♪。」


 マリアが今美しいメロディに乗せて語った言葉はマリアの言葉ではなく神から与えられた言葉、つまり預言ではないかと、エリザベツとザカリヤは思った。


 その後マリアはザカリヤの家に滞在し、エリザベツやラミエルと楽しいひと時を過ごした。

 そしてエリザベツは臨月を迎え、男の子を産んだ。


 エリザベツの超高齢出産は親族や近所の人々も心配していたので、母子共に安泰なことを喜んだ。


 誕生から八日目にはイスラエルのしきたり通り男の幼子には割礼(注83)を施し、名前をつけることになった。

 集まった親族や近所の人々はどんな名前になるのか思案した。

「まあ、普通にお父さんの『ザカリヤ』でしょ?」

「大祖先の『アロン』も格好いいよね?」


 ザカリヤはまだ喋ることができなかったので、エリザベツがこれらの声を遮った。

「私達のために祈り心配してくださり、心より感謝申し上げます。しかし、この子の名前は『ヨハネ』にします。」


 親戚達は騒ぎ出した。

「なんじゃ、ヨハネってえのは?どっから出て来たんだ?」

「うちらの親戚にはヨハネはいないよなあ。」

祭司は父親か祖父か何代か前の名前を引き継ぐのが普通のことで、そのほうが世間的にもわかりやすいので、それがしきたりのようになっていた。

「ザカリヤ、お前はどうなんだ?」


 矛先が喋れないザカリヤに向けられた。ラミエルは命名するときに使う板と筆をザカリヤに持っていった。


 ザカリヤはその板に『彼の名はヨハネ』と書き記した。

 親戚や近所の人々は驚いた。

「いや、いや、いや!」

「ヨハネはないだろう?」


 それらの苦情の声をザカリヤが遮った。その言葉には美しいメロディが乗せられた。

「♪ 褒め称えよ!イスラエルの神、主を!♪」


 喋れなかった人が歌い出したので親戚や近所の人やエリザベツやマリアさん、そして、ラミエルも腰を抜かして尻もちをついた。

「しゃ、喋ってる・・・・ていうか歌ってる・・・・」


ザカリヤに後光が差し込み、賛美は続いた。


「♪ 主は我々を顧みて贖いをなし、救いの御業を下僕ダビデの家に立てられました。


 いにしえから聖なる預言書達の口を通して主が語られた通りです。


 幼子よ、あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれましょう。


 主の御前に先立って進み、その道を備え、神の民に、罪の赦しによる救いの契約を知らせるためなのです。


 神の憐れみにより日の出がいと高いところから訪れ、闇黒と死の陰にすわる者達を照らし、我らの足を平和の道に導きます。♪」


 その場にいた人は全員神を恐れた。

 ザカリヤの言葉は威厳に満ちていたので、『これはザカリヤの言葉ではない』『「神の預言だ』と言い合い、その子の名はヨハネが良いということになった。


 ザカリヤは預言者となった。

 この話はユダヤの山地に語り伝えられた。

 そして口々に言った。

「一体ヨハネという子は何者になるのでしょう。」


 波乱の割礼と命名式が終わり、マリアとラミエルはヨセフが待つナザレに戻った。



(注82)エリヤ 紀元前九世紀頃北イスラエル王国初期の大預言者で当時の悪王アハブとその悪妻イゼベルの悲惨な死に方を預言し的中させた。エノクと同じく生きているうちに天に引き上げられた。タナハの最後の書の最後の文章であるマラキ書四章五節-六節「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」とあり、ダビデの子孫がメシヤとしてこの世を救いイスラエルを統治する前にエリヤが再臨すると信じている。

(注83)割礼 神と民の契約の一つ。創世記一七章九節「ついで、神はアブラハムに仰せられた。『(略)あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。』」

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