第15話 ヨセフの苦悩

 マリアの婚約者ヨセフはユダ族でマリアと同じくダビデの子孫だった。ダビデの子でありダビデの次のイスラエル王国の王であるソロモンの家系であり、先祖はダビデ王朝の歴代の王族だがバビロン捕囚から帰還したあとゼルバベルなどの活躍はあったがその後何代目かで没落し、平民に成り下がった。


 ヨセフの職業は大工で裕福ではなかったが、新居を建てたり家具を製作したりする ことはお手の物だった。

 そして、真面目な性格で信仰に篤かった。


 マリアは、事の次第を婚約者のヨセフに知らせた。

「神様のお力でおなかの中に赤ちゃんが宿りました。」

「え??????」

「天使ガブリエルが私のところに来たのです。」

「はい??????」


 マリアは事の経緯を説明したが、ヨセフは困惑した。お腹はまだ全然目立ってないが、まだ結婚していない婚約相手が妊娠していると言うのだから当たり前である。


 マリアが言っている天使の御告げが事実ではないと仮定すると妊娠したマリアは神を裏切り、ヨセフのことも裏切ったことになる。


 マリアの言っている天使の御告げが事実であると仮定すると、妊娠したマリアは神に祝福されていることになるが、いくら説明しても世間は理解してくれないだろう。


 イスラエル社会では婚外交渉は罪である(注81)。

 婚約イコール結婚ではなく、まだ未婚の状態である。

故に未婚の者の妊娠はナザレみたいな小さな町ではスキャンダラスな出来事だった。


 マリアが嘘を言っているとは思えない。

 マリアのことを信じたい。

 信じたいが、ナザレという寒村で丸く収まる展開をヨセフは描くことができなかった。


 ヨセフは律法をよく知っていたので、このまま婚約関係を続けることはお互いに良くないことになると思い、この結婚話は無かったことにしようと決心した。

「マリアとは別れよう。」

ただし婚約式をしてしまっていて、親戚一同に周知しているので別れるのも難しい状況だった。

「マリアさんは妊娠しているのに結婚しないとなるともうナザレには住めない・・・・どこか遠い場所に逃がし、そこで人知れず母子二人で暮らしてもらうしかない・・・・」


 この様子を見ていた天使たちは慌てて打ち合わせを始めた。

「おかしいな、ヨセフはマリアのことを深く愛しているという情報だったぞ。苦悩しているじゃないか。」

「いやあ、いくら愛していたって信仰がなければ乗り切れない状況だろ?」

「だから、その信仰が揺らいでいるのがおかしいんだって!」

「サタンか!!」


 ガブリエルが急遽出動した。


 ヨセフにも天使ガブリエルが現れた。

 ヨセフの場合は寝ているときで、夢の中だった。


「我は三大天使のひとり、ガブリエールであーる!」


 夢の中だったのでヨセフは素直に天使の登場を受け入れた。

「ダビデの子ヨセーフよ、心配しないでマリーヤを妻として迎えるがよーい。」


 ヨセフはこの夢が現在の一番の悩み事と関係があることを悟り、勇気を出して目の前の天使に質問してみた。

「マリアさんはどうして妊娠したのですか?」


 ガブリエルは答えた。

「その胎内に宿っているものは聖霊によるのであーる。彼女は男の子を産むであろーう。その名をイエースと名づけなさーい!」


 お告げは続いた。

「信心深いお前なら知っているだろう。


『見よ、処女が身籠っている。男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』

 このイザヤ書の預言が成就するのだ!」


 ヨセフは眠りからバサッと目が覚めた。

「マリアの不思議な出来事は預言の成就だったのか!」


 ヨセフは全てのことに感謝して、マリアのところに行って言った。

「すぐに結婚しよう!」

 マリアは顔が真っ赤になった。


 事の成り行きを見ていたラミエルは目を曇らせてガブリエルに訴えた。

「預言者イザヤは『メシヤはインマヌエルと呼ばれる』って書いたのに・・・・ガブリエル様はマリアさんにイエスと名付けなさいと仰ってました。ヨセフさんにもイエスと名付けなさいって言いました。訳が分からないです・・・・」


 落ち込むラミエルにガブリエルが言った。

「インマヌエルは親から名付けられた具体的な人名ではなくて、人々から呼ばれる尊称だよ。インマヌエルは『神はわれらとともにおられる』という意味なんだ。イエスは三十年後に必ず『インマヌエル』と多くの人から呼ばれるのさ。」

「三十年後???」

「ああ、イエスは祭司になれる三十歳になってから動き出す。」

「そうなんですね!三十年後にインマヌエルと呼ばれるのですね、じゃあマリアさんのお腹の子がメシヤです!間違いないです!堕天使の情報ですが間違いないです!」

「堕天使情報ってどういうの?」


ラミエルは敬礼して言った。

「『インマヌエルがパンの家で生まれる。』です!」

ガブリエルはラファエルと同じくプッと笑い出した。

「『インマヌエルがパンの家で生まれる。』かあ、そりゃあいいねえ!パンの家かあ!」


ガブリエルがからかうとラミエルは突然わーわーと泣きわめき出した。

「パンの家で生まれるインマヌエルという男の子を探せと言われてて・・・・ザカリヤさんと、エリザベツさんにであって高齢なのに妊娠したって言われて、奇跡だからこの子がメシヤかなと思ったら、その子どもはヨハネで、そんで、マリアさんの子どもはイエスだったので、メシヤじゃないのかな?などと思ってたら、今ガブリエル様がヨセフさんに『男の子はインマヌエル』だと告げて、訳が分からなくなって、途方に暮れてしまって、でも、今ガブリエル様から三〇年後にマリア様の子がインマヌエルと呼ばれるようになるって聞いて、やっぱマリアさんの子どもがメシヤなんだって、やっとはっきりして、なんか、僕、うれしくてうれしくて・・・・」

「そ、そうか、よかったね。でもまだメシヤがベツレヘムで生まれるかどうかはっきりしてないよね?」

「何なんですかベツレヘムって!!メシヤはパンの家で生まれるんじゃないのですか??」

「ははは、パンの家、パンの家!」

ラミエルはメシヤが生まれる場所について『パンの家』だけが頭に残り、『ベツレヘム』のことは残ってなかった。


 ガブリエルはラミエルの頭をナデナデしてラミエルに言った。

「インマヌエルがパンの家でダビデの子孫の処女から生まれたら最高だよね?」

 ラミエルは頷くしかなかった。

「はい・・・・おっしゃる通りです・・・・」

 ラミエルは気になることがあったのでガブリエルに尋ねた。

「ところで、ミカエル様、メシヤを産む女の人がマリアさんっていうのは誰がいつ決めたんですか?」

「いい質問だね!あ、でもごめん、次の予定があるからもう行かなきゃ。」

「そ、そうですか、お忙しいんですね・・・・」

こうしてガブリエルは立ち去った。天使たちはその後しばらくラミエル達の前には現れなかった。


 次の日ラミエルはマリアのところに行って、ザカリヤとエリザベツの話をした。

「ザカリヤさんとエリザベツさんがマリアさんに会いたがっています。」

「まあ、ザカ爺とエリ婆!随分会っていないし、すごく会いたい!」


 マリアはエリザベツに呼ばれていることを喜び、少しでも早くエン・カレムに行きたいとラミエルに願った。


 ヨセフとマリアは両親を説得して予定よりもかなり早く結婚式を挙げた。


 マリアにはサロメという十歳年下の妹がいて子育てを手伝っていたが、気性が激しく手間がかかったので、その分愛着も湧き、マリアは幼い妹との別れを惜しんだ。


 新婚が住む家や家具の用意などはまだ途中なので親戚の多くは結婚を急ぐことに反対したが、ヨセフとマリアの両親は寛大だった。

「よっぽど好かれ合ってるのね♡」

「ぴったりの相手でよかった、よかった。」


 結婚式を終えるとマリアはラミエルとともにザカリヤとエリザベツが住むエルサレムに近いエン・カレムに向かった。


 ヨセフはマリアと一緒に生活することを夢見てナザレで新居と家具製作に勤しんだ。



(注81)婚約中の不貞 申命記二二章二三節-二四節「 ある人と婚約中の処女の女がおり、他の男が町で彼女を見かけて、これといっしょに寝た場合は、あなたがたは、そのふたりをその町の門のところに連れ出し、石で彼らを打たなければならない。彼らは死ななければならない。これはその女が町の中におりながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」

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