第12話 ヘロデとアンナスとアウグストゥス

 ルシファーは聖典の中のミカ書の預言でメシヤが生まれる場所とされているユダ地方のベツレヘムに堕天使を多数配置し、メシヤ誕生の情報収集に努めたが、ダビデの子孫を誇るものが多く特定できないでいた。


 更にルシファーはイスラエルの王であるヘロデ大王の動きを注視するために、エルサレムにある豪華絢爛な王宮にベルゼブルとベリアルを潜伏させた。

メシヤが生まれるとなると現在の為政者が黙っているはずがないと考えたからだ。


 ヘロデ大王は約四〇年前にローマ帝国のアウグストゥスから「ユダヤ人の王」を任命されて以来、イスラエル全土を統一した唯一無二の実力者だが、ヘロデ本人はイスラエル民族でもローマ人でもなく、エドム人であることにコンプレックスがあり、ローマに滅ぼされたハスモン王朝の末裔と結婚したり、イスラエルの民が信仰するユダヤ教に入信したりして体裁を保っていた。


 ローマ皇帝のお墨付きをバックに強権政治を敢行したが、イスラエル民族からみるとエドム人はヤコブの兄エサウを始祖とする兄弟的民族であるにもかかわらず常に敵対関係にあり、また、偶像を礼拝する異教徒であり、イスラエル国内にはヘロデを認めない反乱分子もいた。


 ダビデ・ソロモンの時代にイスラエルがエドム人を配下に治めたことはあったが、エドム人がイスラエルを配下に治めたことは一度もなかったので、これを神の裁きとみる向きも散見された。


 ただ、イスラエルの民はローマを背後に据えたヘロデの恐怖政治に対抗する術はなく表向きは従順に従えていた。


 そのような状況で七〇歳で裸の王様のヘロデは猜疑心が強くなり、少しでも歯向かうものは容赦なく粛清し、その対象は政敵だけではなく家族や家臣にまで及んだが民衆に関係はなかった。


 ローマの税金は高かったが、ヘロデ大王による親ローマ政策や強権政治は外敵から自国を守り、イスラエル民族はソロモン王以来一〇〇〇年ぶりの平和を享受できていた。

 また、ヘロデが増改築した豪華な第二神殿は大観光地化して外貨を獲得することができ、イスラエルの支配層は経済的に潤っていた。


 メシヤの誕生やメシヤ支配による王国についての預言が聖典にはたくさん書いてあるが、イスラエル民族はそのようなものを渇望する程困窮している状況になく、忘れ去られていた。


 ベルゼブルはヘロデに見切りをつけるために、ベリアルと話し合った。

「こいつはもう老いぼれだな。」

「はい、聖典に書いてある内容に気がつけば、政治家達はこんなのんびりしていられるはずはないのですが。」

「民衆はどうなんだ?」

「のんびりしています。」

「パリサイ派を育てたがだめなのか?こいつらはホントに神の民なのか?」

「はい、原理主義なんですが、魂が入ってないというか・・・・」

「サドカイ派の雄、アンナスのところにも行こう。」


 二人は大祭司ではないが事実上の宗教指導者の首領、アンナスの邸宅に移動した。


 玄関口で門番と帰り際と思われる一人の男とが立ち話をしている姿が見えた。

「お邪魔いたしました。今後ともよろしくお願いします。」

「ゼベダイ、良かったな、たくさん魚が売れて。」

「ありがとうございます!アンナス様にはいつもお世話になっております!」

「また、活きの良いガリラヤの魚を頼むぞ。」

「お安い御用です!」


 二人の会話を横目にベルゼブルとベリアルはアンナス邸の中に潜入した。

 執務室でアンナスは取り巻きと話し合っていた。

「ヘロデは老いぼれてきた。もう終わりだな。」

「ヘロデが死んだあとはどうなるんだ?」

「息子の誰かが引き継ぐんだろ?」

「馬鹿ばっかだけどな!」

「ハハハ!」


 そこにアンナスの甥の若人カヤパが執務室に入ってきた。

「叔父様、いい魚がガリラヤから届きました。」

「ゼベダイの所のやつだな、いーねー、今日は宴会だ。神殿のみかじめ料もウハウハだし、ほんとヘロデさまさまだな!」

「叔父様、少し行動を自重したほうが・・・・神殿の広場が最近『アンナス広場』と呼ばれてます。」

「アンナス広場?」

「はい。みかじめ料が高いと業者達が不満を持っていて、『アンナス広場』とか言って揶揄しているようです。」

「ハッハッハ、言わせておけ!奴らは奴らで潤っているのだ。ウィンウィンの関係だ!」

「は、はい・・・・」


 ベルゼブルとベリアルはアンナス達の会話を聞いて閉口した。


 二人は伏魔殿のルシファーのところに戻り報告した、

「政界にも宗教界にもメシヤ誕生の話題は上りません。」


 二人の報告を受けてルシファーは次の指示を出した。

「宗教指導者の中から反ローマ政党 を作り出すのだ。ヘロデが死んで王座が息子に引き継がれたら国力は衰退する。それに対してローマの力が強まり、国民の不満は募るはずだ。(注77)」

「わかりました。」

「そして二人はローマ皇帝とシリア総督のクレニオを見張るのだ。」

「わかりました。」


 ベルゼブルとベリアルはローマ皇帝アウグストゥスの邸宅に潜入するために二階のバルコニーに降り立った。


 ベリアルは邸宅に違和感を感じベルゼブルに尋ねた。

「地中海世界を牛耳っているローマ皇帝の邸宅の地味さに驚きました。なんでヘロデの大邸宅より質素なんですか?」

 ベルゼブルは答えた。

「アウグストゥスには大帝国を治める度量が備わっている。ヘロデにイスラエルを統治させ、一見独立させているように見せかけて、ローマ軍を常駐させ、国防の名のもとに税金はしっかり取る。反感を買わないように暮らしぶりは質素だ。」

「アメとムチの使い方が上手ってことですか。」

「もしかしたら、ローマ帝国は一〇〇〇年位続くかもしれない。」

「そんなすごいのですか・・・・」

「アウグストゥスは自分を神格化し自分を礼拝させる一〇〇〇年に一人の逸材だ。まさにサタンだ。」

「俺らよりサタンっぽいってことですか?受ける〜。」

「ただしイスラエルにメシヤが生まれると風向きが変わる可能性があるので厄介だ。」

「そうですね。」


 二人は邸宅の中に入ると、先に別の天使がアウグストゥスの様子を探っていることに気が付き、身を隠した。


 ベルゼブルはその天使を見てベリアルに小声で言った。

「ミカエルだ。」

「な、なんでこんなとこに?」

「ここはまずい。引き上げる。」


 二人はアウグストゥスの邸宅を去り、アンテオケ(注78) にあるクレニオの邸宅に向かった。



(注77)のちの熱心党(カナイズム) イエス時代のユダヤ教四教派の一つ。ギリシャ語で書かれた新約聖書では「ゼロテ党」と訳された。バビロン捕囚以後イエスの時代までイスラエル民族が政治的に独立できていないことを恥じ、暴力を使用してでもローマ帝国からの独立を目指す宗教集団。熱心党はイエスの死後ローマに反逆し紀元後七〇年にユダヤ戦争を引き起こし、国を滅亡させてしまう。

(注78)アンテオケ ヘレニズム時代のセレウコス朝シリア王国の首都、ローマ時代のシリア属州の州都として栄え、現在はトルコ共和国にあるアンタキアという町。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る