第10話 ザカリヤとエリザベツ in エン・カレム

 一人残されたラミエルが城門から中に入ろうとした丁度そのとき一人の年老いた男が城内から走って出てきてラミエルとぶつかった。

「わっ!」


 その年老いた男はぶつかった衝撃で体が倒れ、腰を痛めた様子だった。

「・・・・」

「ご、ごめんなさい!ぼっとしていて!」

「・・・・」


 老人は明らかにぶつけた腰を痛がっていて涙目になっていたが、何故か一言も喋らなかったので、ラミエルは一方的にその老人に声をかけるしかなかった。

「おじいさん、大丈夫ですか?歩けないですか?」


 近くを歩いていた人々数人がラミエルに話しかけてきた。

「その人はザカリヤ先生と言って祭司だよ。家はエン・カレム さ!」

「さっき神殿で騒ぎになっていた人だよ!」

「神殿で祈祷中しばらく出てこないと思っていたら、真っ赤な顔をしてでてきたんだって!」

「それからずっと喋らないんだって!」


 ラミエルは神殿でザカリヤと呼ばれる祭司の老人に何があったのか気にはなったが、自分が原因で怪我をさせてしまったことに責任を感じたので、ザカリヤをひょいと背中に乗せて言った。

「ザカリヤ先生、エン・カレムですね?」

「!!!!!!!」

 生まれてから三六〇〇年経っているが見た目が若い娘におんぶされ、ザカリヤの顔は真っ赤になった。

「みなさん、エン・カレムはどっちのほうですか?」

 数人が西の方を指さした。

「あっちさ!」

「ありがとうございます!」


 ラミエルはザカリヤを数キロおぶってザカリヤが指さす方向を目指し、数分でエン・カレムのその老人の家についた。

 その家にはザカリヤの妻と思われる老女がいた。

「あら、あなた、若い娘さんにおんぶされてどうしたの?」


 顔が真っ赤なザカリヤはラミエルの背中から降りると地面に石で字を書いた。

(ありがとう。)


 ラミエルは両掌を振ってザカリヤの謝意を断った。

「いえいえ、ぶつかったのは僕の方ですから。」


 ザカリヤは字を書き続けた。

(天使ガブリエルが神殿の聖所に現れて私を話せないようにした。)

 ラミエルは聞いたことがある天使の名前がザカリヤが書いた字から読み取れたので驚いた。

「ガ、ガブリエル???」


 ラミエルはその名前を先ほど聞いたばかりだった。

(さっきのベリアルの話だと預言者ダニエルにメシヤ誕生の時期を知らせたのはガブリエルだった・・・・)


「もう少し詳しく教えて下さい!」


ザカリヤは頷いて字を書き続けた。

(妻エリザベツが男の子を生むと言われた。そして名前はヨハネとつけなさいと。)


 ラミエルは妻エリザベツと思われる老女を見た。


 筋金入りの老婆だった!


 明らかに妊娠できる年齢ではなかった。

(ま、まさか・・・・)


 するとエリザベツは急に吐き気を催し、木陰に走ってゲーゲー吐き出した。


「つわり?」

「・・・・」


 ラミエルとザカリヤはつわりで嘔吐したエリザベツを見て、驚きのあまり大口を開いたまま、大量の汗を吹き出した。


 その夜、ラミエルはザカリヤの家で夕食をご馳走になり、歓談しながらベルゼブルとベリアルから下された命令を思い出していた。

(このエリザベツさんのお腹の子がメシヤってこと?ダニエルに預言したガブリエルからお告げがあったって言うし・・・・でも名前はヨハネとつけなさいと言われたって言ってた?インマヌエルじゃないのかな?)


 しかしながら、二〇〇〇年ぶりの食卓はアットホームな雰囲気で、悪意に満ちている伏魔殿では味わえない和やかなひと時だった。

「す、すごく美味しいです!エリザベツさん!パンもたくさん種類があって幸せです!え?パン???」


 ラミエルはメシヤが生まれる場所を思い出した。

(パ、パンの家!!やっぱメシヤなのかな??)


「御口に合ってよかったわ。ラミエルさん。あなたどこの町の方なの?エルサレム?」

「あ、いや、僕は、その・・・・あ、あの大きな町はエルサレムって言うんですね?」

「あらあなた、エルサレムを知らないなんて、どこの国の人?言葉は同じみたいだけど。」

「あ、えーと、まあ、その・・・・」

「まあ、それはいいわ。今晩はゆっくりしていってね。私はね、アロンって知っている?私はアロンの子孫で私の家系は代々祭司なの。それでね、主人が婿養子として祭司を仰せつかっているの。」

「アロン?」

「モーセのお兄さんよ。」

「モーセ!僕が知っているってことは相当有名人です!すごいですね!」

「私達には子どもが与えられなかったのでその祭司の家系を終わらせないために養子をもらうしかないと思っていたのよ。周囲の人達の目線も辛かったわ、あのアロンの血筋が途絶えるってね。だから神には必死に祈っていたわ。」

「祈りが聞かれてよかったです。」

「もう歳だし四〇年くらいは祈ってないけどね!しかし、与えられたら与えられたで、これからが大変、超高齢出産よ!一体どうなるんだか・・・・極力人とは会わない方がいいかしら・・・・」

「僕、応援します。」

「ありがとう。もう一つ自慢しちゃうね、私の親戚にはダビデの子孫もいるのよ!今適齢期の一四歳で今度結婚するの。」

「ダビデの子孫!あの最重要キーワードのダビデ!」


(もしかしてメシヤを見つけた?こんな早々と?)

 ラミエルは少し興奮してきた。

(しばらく、この家に潜入してメシヤ誕生の確信を得よう・・・・)

 ラミエルはザカリヤとエリザべツに提案した。

「あ、あの、これからエリザベツさんが妊娠して、家事とか大変でしょうから、僕が女中としてお手伝いいたします。お給金は要りません。」


 ザカリヤとエリザベツは顔を見合わせた。ザカリヤは喋れないので、アイコンタクトで合意しエリザベツが答えた。

「それは助かるわ、でもその前にさっき言った可愛い可愛い一四歳の親戚の子をここに連れてきてほしいのよ。家が遠いし、結婚すると会えなくなるからその前にたくさんお話がしたいの。ここから北に一七〇キロくらい行くとナザレ(注63) という小さな町があって、そこに住んでるの。」

「わかりました。でもまず、僕、世の中のことがよくわからないので暫くここで働いてから、その後マリアさんを迎えに行きます。」

「ラミエルったら、世の中のことが分からないなんて面白いことを言うわね。それでいいわ。マリアの結婚は少し先の話だからそれまで家のことを頼むわ。」


 ラミエルは本当はさっさとマリアの家に移動したほうが効率が良いと思ったが、まずはエリザベツの願いを聞いて恩を売って信頼を得たほうが良いと判断した。

ポンコツにしては上出来な判断だった。


 それからしばらくラミエルは女中をしながら人間の生活について学んだ。ノアの洪水前より調理器具や農機具などの技術は発展していたので人間の生活は便利になっていた。


 エリザベツは妊娠5ヶ月となるとお腹が目立ち始めた。


 ラミエルはメシヤの誕生を調査しているつもりだったが、ともに暮らしているうちにエリザベツやザカリヤが本当の祖父母のように思えてきて、伏魔殿では経験したことのない穏やかな心やさしい日々を送ることができた。



(注63) ナザレ ガリラヤ地方にある小さな町でイエスの家族が居住していた町として有名。イザヤ書一一章一節「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」の若枝はネーツェルといいナザレの語源である。エッサイはダビデの父、根株は切り倒された後の木の根っこという意味だが、このタナハの箇所はイスラエルが滅亡した後ダビデの子孫が再びナザレから起こされ実を結ぶという預言と見做されている。

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