第9話 捜索の開始

 ラミエルは辺り一面白色である死海の畔で目が覚めた。二〇〇〇年かけて湖水が干上がってラミエルの体は地上に露わになったのだ。

「なにここ?」

 長年の眠りで体と頭は急には働かなかった。横になりながらゆっくりと辺りを見渡すと、そこは広大な塩の世界だった。

「しょっぱ・・・・」


 懸命に立ち上がり、羽を開こうとしたが塩分でベタベタしていてうまく開かなかったので、ラミエルは飛ぶことを諦めて町が見える方面に歩き出した。

「カマエル・・・・僕一人なの?」

ラミエルは次第に眠りにつく前に大水に多くに人間が飲み込まれる光景などを思い出し、アザゼル以下二〇〇人の分隊がどうなってしまったのか思いを巡らした。

「カマエル・・・・いったい何が起きたの?」

 ラミエルは悲しい気持ちを抑えきれなくなり、半べそをかき始めた。

 そして、ラミエルは疲れ果てていたために、一人の堕天使に尾行されていることに気が付かなかった。


 陸に上陸してしばらく歩くとラミエルは淡水の川に着いたので羽を洗い流した。少し離れたところで川遊びをしている人間の家族らしき集団が数人いた。

「ラザロ〜、遠くに行っちゃだめよ〜。」

この光景が和やかな家族団欒を表していることは堕天使にも分かった。


 ぼーっとしていたので油断していた。

いつのまにかそのラザロと呼ばれている小さな男の子がラミエルに近寄っていた。

「お姉ちゃん、羽生えてる!」


 ラミエルはビビった。

 ラミエルを尾行していた何者かも木陰でビビった。


 ラミエルは二つのことに気が付いた。

一つは自分が人間に対して姿を消すことができないということだった。

(み、見られた??)


 安易に天使や堕天使が人間に見られるのは一大事である。ラミエルは急いで近くの木に掛けられていたその家族のものと思しき上着を拝借して、走って逃げた。

(ごめんなさーい!自分の服を手に入れたら返します!)


 尾行者は慌ててラミエルを追ったがラミエルは尾行に気づかなかった。。

(子どもで良かった〜。ごめんね~・・・)


 ラミエルがもう一つ気がついたことはラザロの喋った言葉が洪水前と少し違っていたことだ。

(僕は一体どのくらいの期間倒れていたんだろう・・・・)


 ラミエルはラザロの家族から見えない所まで走ると、拝借した上着を脱いでそれを腰に巻いて、自然に乾いた羽で空に舞い上がった。

 しばらく飛ぶと沢山人間がいて、建物もたくさんある町を発見したので、その町の城門の前に降り立った。

「すごい、こんな大きな門とか建物とか誰が作ったのかしら・・・・」


 すると、二人の堕天使がラミエルの背後から近づいてきてラミエルは驚いた。

 ラミエルが所属していたアザゼル分隊の人たちとは違い、明らかに身分が高い装いをしていた。二人のうち一人ベルゼブルはラミエルも知っている顔だった。

「お前はアザゼル分隊のラミエルだな?先程死海でベリアル(注56) が発見した。」

 ラミエルは慌ててベルゼブルとベリアルに敬礼した。

「ベルゼブル様!」

よく見るとベルゼブルとベリアルは背後に大勢の堕天使を従えていた。


 ベリアルが状況を説明した。

「ラミエルよ、アザゼル分隊で見つかったのはお前で二人目だ。」

「そ、そうなんですか・・・・アザゼル分隊は二百人はいたと思うんですけど・・・・」

「もう一人はカマエル。」


 カマエルの名を聞いてラミエルは心が明るくなった。

「カマエル??カマエル??」

「ああそうだ。あいつは二千年前の大洪水のときに裁きを受けずに空に飛び立った。」

「二〇〇〇年前の洪水?」


 ラミエルは自分が飲み込まれた大水が大洪水だったことを知った。

「僕、二〇〇〇年も寝てたんですか??」

「ああそうだ、よく寝てたな。」

「そして、カマエルは生きてるんですか??今どこにいるんですか??」

「陰府で謹慎処分中だ。あいつは地上で人間の女と交わらなかった。奥手だったんだろうな・・・・故にアザゼルの命令に従わなかったということで軍規違反だ。」

「に、二〇〇〇年も謹慎・・・・でも、生きててよかった・・・・」


 ベルゼブルがラミエルの顔を覗き込んで言った。

「見つからない一九八名はアビスに埋められているはずだ。アビスの鍵は天使が持っているので今後まず出てこれないだろうな・・・・お前は裁かれずに地上にいるということは、人間の女と交わらなかったな?」

「交わるも何も僕、女です!」

「女同志だって交わるだろ?ギリシャの連中なんかそういうの大好きだぞ。」

「そ、そういうの、僕は知りません!」


 ベリアルが会話に混ざってきた。

「知らないことを威張られてもなあ・・・・」


 ラミエルはベルゼブルに尋ねた。

「ぼ、僕もカマエルみたいに軍規違反で謹慎処分ですか???」

「本来はそうだが、お前は女で、人間に警戒されづらい。実際お前は洪水前に人間の女と女子会をして楽しそうに遊んでいた。」

「女子会じゃないです!襲われてたんです!!」

「そうなのか?楽しそうだった、もう少しで女たちを堕落できたはずだと聞いているが。」

「あの女たちはすでに堕落してました!」

「まあ、二〇〇〇年前の話はどうでもよい・・・・女であることはお前にしかない極めて珍しい特徴だ。お前にはこれから地上で仕事をしてもらう。よって謹慎処分にはならない。」

ラミエルはベルゼブルの話が飲み込めなかった。

「は、はい?地上で仕事?」

「そうだ、地上で仕事だ・・・・六〇〇年前、預言者ダニエル(注57) がバビロン (注58)の王に仕えていたが、私はそのときバビロンに潜伏していた。だから私はダニエルの預言を直接聞くことができた。その預言は三大天使の一人ガブリエルによるものだから信憑性が高い。そのダニエルの預言によるとメシヤ(注59) がもうすぐ生まれる。」

「バ、バビロン?・・・メ、メシヤって?・・・・」

「メシヤとはダビデ王の子孫でイスラエル民族が誕生を待ち望む救世主だ。」

「ダ、ダビデ王って何・・・・す、すいません、僕にはちょっと情報量が多すぎでして・・・・」


 ベリアルがお手上げポーズをとった。

「もしかして、お前ポンコツだな?」

 ラミエルはすごいスピードで頭を何回も下げた。

「すいません、すいません、お許しください、僕、お馬鹿なんです・・・・・」

「カマエルもポンコツだったけど、お前も相当なもんだな!」


ベルゼブルが救いの手を伸べた。

「二〇〇〇年も寝ていたのだから仕方がない。ベリアル、お前が丁寧に説明しなさい。」

 ベリアルが頭を抱えて叫んだ。

「はあ????」


 ベリアルが狼狽えている姿を横目に、ベリアル以外の堕天使達は一斉に空中に舞い上がり、何処かへ飛んでいってしまった。

「はああ???うそでしょー????」

 残されたベリアルは泣きそうな顔でラミエルを白々と見た。

「こいつアホでしょ?教えるの無理でしょ!」


 こうして、城門の前でベリアルによるレクチャーが始まった。

しかし、ベリアルの予測通りラミエルは難しい話は苦手だった。

「ラミエル、おまえ、アダム暦ってわかるか?」

「初耳です・・・・」

「人類の祖先アダムとエバが神によって創られた年がアダム暦元年で、俺達が監視しているイスラエル民族が好んで使う暦だ。蛇に憑依したルシファー様のファインプレーによってアダム暦元年にアダムとエバは誘惑に負けて堕落し、この世はサタンと悪霊によって支配されることになると同時に人間は死ぬことになり、死んだ人間の霊が我々の住処である陰府に納められるようになった。事実上、我々堕天使は神から陰府の管理を任されたのだ。」

「なんとなくアザゼル様から昔教わったような・・・・」

「アダム暦一六〇〇年頃お前が所属していたアザゼル分隊のファインプレーにより人間の堕落が頂点に達し、神はその絶望的な状況を悔やみ、大洪水によってノアの家族以外の人間を全員滅ぼした。このときにお前は死海の底に沈んだのだ。」

「そういうことだったんですか・・・・」

「エノクっていう天使がノアに大きな船を作らせてノアの家族は生き延びたんだが、このエノクってえのはもともと人間で生きているうちに天に上げられて天使になった異色な存在だ。覚えておけ。」

「は、はい・・・・」

「その後、神はメソポタミヤの地で神を信じるアブラハムという人間を育て・・・」


 ベリアルによるレクチャーは続いた。


「ZZZZZZZZZZZ・・・・・」

「寝てんじゃない!ラミエル!おまえ二〇〇〇年も寝てたんだろ!」

「す、すいません、難しい話は苦手でして・・・・」

「何が難しいのだ??ただの歴史だ!頭を使わなくていいんだ、ただ覚えてくれればいいんだぞ!」

「ZZZZZZ・・・・」

「起きてくれー、ラミエル!」

「ZZZZZZ・・・・」

「ベルゼブル様、帰ってきてください!こいつのポンコツさ、半端ないです!本物の悪魔です!」

 ベリアルはラミエルに電気ショックを与え起こした。

「ぎゃあ!!!」

 ラミエルは少し焦げた。


 その後半日間ベリアルのレクチャーは続いた。


「ZZZZZZZZZZZZZ・・・・」

 ベリアルはラミエルの頭をたたいた。

「ラミエル、寝るな!起きろ!」

「は、はい・・・・」

「その一〇〇年後アッシリアを滅ぼしたバビロンが南ユダ王国を滅ぼし、神殿を破壊し、残りの二部族を連行し、ダビデ王朝は消滅する。いわゆるバビロン捕囚だ。この時代、バビロンの地で王に仕えていたイスラエル民族の一人ダニエルは天使ガブリエルから『第二神殿建設後四八三年後にメシヤは断たれる』と告げられる。メシヤが断たれるの意味はよく分からないが、ベルゼブル様はこの預言を直接聞くことができた。これがさっきのベルゼブル様の話だ。わかったか?」

「え、ええと・・・・・」

「その後ペルシャ王国がバビロンを滅ぼし、イスラエル民族は解放され、エルサレムに第二神殿を建設する。それから四五三年が経過した。ユダヤ人の王ヘロデ大王は今から三〇年前に第二神殿を増改築し、豪華絢爛な建物となったが・・・・ダニエルの預言(注60) によるとそろそろダビデの子孫であるメシヤが生まれる時が近づいているはずだ。我々はメシヤを探し出して赤子のうちに殺すつもりだ。」

「は、はい・・・・」

「そのメシヤの名前もわかっている。『インマヌエル(注61)』 だ。」

「インマヌエル、インマヌエル・・・・」

「そこでお前の出番だ。お前は女だから人間はお前を警戒しないだろう。人間界に潜入し、メシヤを探すのだ。」


 ラミエルは面倒な仕事をしたくなかった。天地創造の時のルシファーの反乱に巻き込まれ、大洪水前のアザゼルの地上作戦に巻き込まれ・・・・ラミエルには一つも良い思い出はなかった。だから仕事をしなくてもいい理由を一生懸命考えた。そして、できない理由を一つ思いついた。

「ベリアル様、僕の体は人間に見えていて、消えることができないので、人間界に潜入なんて無理です。」

 ベリアルは答えた。

「消えなくて良い。羽だけ隠しとけ。」

意外な答えにラミエルは驚き、大口を開けたら顎が外れかかった。

「み、見られていいんですか!?」


 ラミエルは別の『できない理由』を一生懸命考えたが思いつかないので諦めて言った。

「わかりました。従います。」

「それでよい。」

「処でそのメシヤという赤子は何処で生まれるのかは分からないのですか?」

「分からないから探しているのだ!ポンコツ!」

「す、すいません・・・・でも世界は広いです。何かヒントはないのですか?」

「イスラエル民族は聖典を沢山残していてミカの預言も残っている。」

「その聖典に書いてあるのですか?」

「ミカ書には『ベツレヘム』で生まれると書いてある。」

「すごいヒントがあるじゃないですか!」

「ベツレヘムというのは『パンの家』という意味で、穀倉地帯だ。つまり農村だな。レクチャーは以上だ。俺はベルゼブル様に合流してヘロデ大王やローマ皇帝から情報を集める。じゃあな!」

「じゃ、じゃあなって、これしか情報ないんですか?」

「まあな。」

「まあなって、僕みたいなポンコツに責任重すぎじゃないですか??」

「まあ、がんばれ。ダビデの子孫だぞ、間違えるな!」

「ち、ちょっと待ってください、話が難しくて何も頭に残ってないですよ!」

「それは困ったな・・・・まあいい、いいか?覚えることは『ダビデの子孫インマヌエルがベツレヘムで生まれる』だけだ。これ以上のことはルシファー様でもわからないのが現状だ。」

「ダビデの子孫インマヌエルがパンの家で生まれる・・・・」

「パンの家?お前の頭に残りやすい情報を入れてしまったな・・・・まあそれでもよい。ラミエル、覚えるのはそれで十分だ!もう一度言ってみろ。」

「ダビデの子孫インマヌエルがパンの家で生まれる!」

「もう一度!」

「ダビデの子孫インマヌエルがパンの家で生まれる!」

「よし、これで頭の悪いお前でも覚えたな!俺はもう行く。何か情報を掴んだら伏魔殿に戻れ。」

「ふ、伏魔殿に戻っていいんですね!」

「ああ!じゃあな!もう一度!」

「ダビデの子孫インマヌエルがパンの家で生まれる!」

「よし!じゃあな!」

「頑張ります!頑張ればカマエルと会えるのですね!」


 ラミエルが何か情報を掴めば伏魔殿でカマエルと再開できることを喜んでいるうちに、ベリアルは羽で空へ浮上し何処かへ飛んでいってしまった。

 一人残されたラミエルは門から場内に入ることにした。

「ダビデの子孫インマヌエルがパンの家で生まれる!」


 そして一人思いを巡らせた。

「ダビデの子孫ってどっかに集まっているの?散らばっているの?」



(注56)ベリアル 堕天使の一人。ヘブル語のベリアルは「偶像崇拝者」「ギベアの男たち」「エリの息子たち」という訳語でタナハに複数回登場するがすべて「邪悪なもの」という文脈。

(注57)ダニエル 紀元前六世紀のバビロン捕囚の時代にバビロンのネブガドネザル王に仕えた大預言者。メシヤ預言やバビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマという世界覇者の変遷などを預言した。

(注58)バビロン 紀元前六二六から五三九まで存在した新バビロニア帝国を指す。現在のイラクのバビロ県に新バビロニア帝国の首都バビロンがあった。

(注59)メシヤ ヘブル語で本来は「油注がれた者」という意味でタナハではイスラエルの王、ラビ、預言者を指す。この言葉のギリシャ語がクリストスで日本ではキリストと呼ぶのが一般的である。ユダヤ教徒は現在もメシヤの到来を待望しているがキリスト教徒はイエスがメシヤ=キリストだと認識している。

(注60)ダニエル書一〇章二二節-二七節 「ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。それゆえ、知れ、悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。その六二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と至聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげものとをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」

(注61)インマヌエル ヘブル語で「神は私たちとともにおられる」という意味。イザヤ書七章一四節「そこでイザヤは言った。『さあ、聞け。ダビデの家よ。あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと名づける。』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る