第7話 ありきたりな医学の徒のよくある異変
「大丈夫だから」
そう言う彼女はさらに熱を帯びて、肩で息をしだした。あっ。これが彼女の「後遺症」なのか!?
透けるような白い肌が今はりんごのように火照って、焦点を失った双眸が愁いを帯びている。おお‥‥この子まつ毛長いな‥‥じゃなくて!
「愛依。しっかり! ナースコールを!」
愛依は、力なく首を振った。首から下が動かない僕の、その鎖骨の上で。
唇に、彼女の形の良い眉の端が二回触れて、そのままくずれ落ちていく。
「愛依? 愛依!?」
ナースコール! 壁際にある!
無理やり手を延ばそうとすると少しだけ腕が反応した。嚙みしめた歯を軋ませながら動けと念じる。
「ぐぐ‥‥ぐぐぐう」
あともう少しで。
「だめよ? ムリに動かしたら」
半分だけ持ち上がった手を、優しくつかまれた。
「回復が遅れるよ?」
愛依だった。
彼女は僕を見つめると、目を細めて笑った。
「うふふ」
「え? ‥‥具合は?」
「大丈夫」
「熱は?」
「もう下がると思う」
いや、まだだ。倒れる直前に言ってたじゃんか? 「法力を使い切った」って。
「後遺症なんでしょ? 僕と同じ」
「うん」
「でも動けてる?」
「うん。わたしの後遺症は、暖斗くんとは違うタイプなの」
「さっきの発熱か」
「ううん違うよ。発熱は後遺症状全般に見られる所見なの。暖斗くんもよくひっくり返るでしょう? あれは動けなくなる直前に、毎回発熱してるから。で、病院に着く前に治ってるから」
そうなのか?
「じゃあ、愛依の後遺症は?」
確か、脳機能の一部が弱るとか何とか。僕の場合は運動中枢。
「うふふ。それは秘密」
「ひ、秘密って‥‥」
そう言われてしまうと、追及しちゃダメな空気になる。
「秘薬は?」
「要らないよ。静養すればわたし自身の癒しの法力が戻るから、それで快癒するの」
そっか。つまり身体が動かなくて「ほ乳瓶プレイ」を強要された僕は、びっくりするくらいカッコ悪い後遺症を引き当てていた、と‥‥!
「あ、暖斗くん。自分ばっかりくじ運悪い、って病んでない?」
「う!?」
「担当医だもん。患者様の心模様だって、わかるんだから」
さっきから愛依が先読みしてくる? 何か変だ。うまく言えないけど、何かが。
「じゃ、わたしの熱も下がったし、経過観察していこうね?」
彼女はけだるそうに、身体を持ち上げて僕から離れた。
「え? 愛依の?」
「ううん。暖斗くんのよ」
***
経過観察とは?
秘薬を摂取してからその回復度合いを見るための、医学的なアレコレだ。
たぶんこの説明だと愛依に「雑だよ」って怒られるけど、間違ってはいない。後遺症を医学的に解明するために、なるべくデータを集めたいらしい。さすが癒しの、そして医者の一族。
「さっきわたしのために、無理して腕を動かそうとしてくれてたでしょ? うれしい。まずは腕からいこうね?」
秘薬を口にしてから一定の時間に、身体のどこがどれだけ動かせるか? 回復したか? 調べるんだよ。
愛依が、僕の正面に座る。力の入らない両手首をそれぞれ手に取ると、交互に上下させだした。
「う~ん。さっきは自分で持ち上げてたけど、今はぶらぶらね~。あはははは」
なぜ笑う?
「ね? まだぶらぶらだよ? 暖斗くんの両手」
「やめろって。人の身体を」
「検査よ~。ほら。ぜんぜん抵抗しないよ。えい、えい。えい」
まるでぬいぐるみで遊ぶように、リズミカルに手を上下。
「愛依? 何かちょっと、さっきから様子が変だけど?」
「そんなことないよ? 逢初愛依は平常運転で~す」
「いや、なんか陽気というか、なんというか」
「うふふふ。だって楽しいほうがいいじゃない? うふふふふ」
僕の疑惑が、確信に変わりつつある。愛依の後遺症、脳のどの部位がどうなったかはわからないけど!
「ぶらぶらおてて。赤ちゃんみた~い」
キャラ変してるよね!? これ!!
「じゃ、リハビリ体操しよ? はい、いっちに~さんし♪ いっちに~さんし♪」
みなさん。紳士淑女のみなさん。
想像して欲しい。美少女に囃されて、両手を交互に上げ下げされる僕の姿を。
「はい! よくできまちた~。さすが暖斗くん」
全然うれしくね~よ! あ、待てよ?
愛依、なんかリアクションが子供っぽいよな? まるでおままごとを始めた幼稚園児みたいだ。
これって、そういうことか? つまり愛依の後遺症は「精神の幼児化」とか?
「だめよ。勝手に動いちゃ。あぶないでちょ? わたしが支えるから、ゆっくり。ね? ゆっ・く・り」
逃げようとして傾いた僕は、愛依に支えられ、抱き起こされる。身体が密着したまま、視線の角度だけが水平の位置に。
「はい。おっきして。いい子ね?」
見つめられた瞳の向こうに病室の、花を生けた花瓶が見えた。
愛依の様子。これって? まさか?
首から下が動けない後遺症。「体が赤ちゃん」な僕と。
精神が幼児退行する後遺症。「心が赤ちゃん」な愛依。
その
どうしよう? この状態の愛依に、動かせないこの身体を任せてもいいのか? 心配しだした時分に、その単語は、唐突に僕に浴びせられた。
「暖斗くんって、ホント、赤ちゃんみた~い。ふふ。もうこう呼んじゃおうかな?」
「‥‥‥‥は? 何?」
「べびたん」
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