第2話 スペース・ランデブー

「あの、店員さん。ピ、ピル、置いてませんか?」


 半月に一度グローヴナー恒星の周回軌道上を訪れる、民営の巨大な移動販売艦。その中で営業しているドラッグストアのカウンターで、ナナミは人生で最大と言ってもよい勇気を振り絞っていた。彼にとって最悪なことに、店員はナース服を身にまとった若い女性だった。


「ピルですね、確か奥に在庫があったような。少々お待ちを」


 復唱する女性店員の無表情がナナミにはかえって痛い。声が大きいよお嬢さん、と後ろめたい思いで周囲を見回しながら、何の罰ゲームだよこれ、と彼は深いため息をついた。


 クラビマリン・リアクターなど聞いたこともない動力炉だが、それはどうやらクレア自身が開発したものらしい。しかもスサノオを含めた同型艦四機の設計も、すべて彼女自身が行ったのだという。科学者であり設計者でありパイロットであるなどとはにわかには信じがたい話だが、もしそれが本当であるならば、クレアの階級が上級中佐であることにも納得がいく。


 まったく軍とは恐ろしい組織だ、あんな子がごろごろいるのだろうか、とぼんやりと考えていたナナミに、扉の奥から出てきた店員が声をかけた。


「お待たせしました、ご注文は三十錠でよろしいでしょうか?」


 店員がわずかに笑ったような気がして、ナナミは顔を赤くした。違うんだわかってくれ、これから三十回もするわけじゃないんだ。くそう、帰ったらスサノーの外壁を三十回殴ってやる。もっともそれを全力でやったら、砕けるのは自分の拳の骨の方だろうが。


 そそくさと逃げるように店を出たナナミは、ブレスレット型の端末でクレアを呼び出した。わずかツーコールでホログラムが起動し、彼女の半身が映し出される。ナナミは袋の中から一箱取り出して、通信の向こうのクレアに向けて軽く振ってみせた。


「中佐さん、死ぬ思いをして手に入れましたよ。それじゃ、今からコミューターでそちらに帰り……」


 画面の中のクレアから、切羽詰まった声が放たれた。


「いけませんナナミさん、そちらの船団に海賊が接近しています! 後七分で接触予定とスサノーは予想しています」


「なんだって!? こっちでは警報なんて全然出ていないけど」


「かなり高性能の海賊艦です、ステルス機能レベルツーメジャーを保持しています。スサノーの早期警戒システムでも〇・〇三パーセクの距離に接近されるまで感知できませんでした、難敵です」


 そう会話している間にも、ホログラムの向こうのクレアの両指は高速で動き続けている。彼女はどうやらすでにスサノオのコックピットに乗り込んでいるらしい、とナナミは気付いた。さすがは軍のパイロット、緊急事態への対応が実に素早い。


「私がスサノーで向かいます、それまでは絶対にその艦を離れないでください。海賊の狙いはそちらに積載されている物資です、外に出なければ撃沈されることはありません」


 でも、と言いかけたナナミに重ねるように、スサノオの電子音が割って入る。


「クレア様。クラビマリンの残量から逆算して、エコノミードライブで二時間、通常巡航速度だと四十五分、戦闘機動では十二分しか動けません。クラビマリンをすべて消費すると計算した場合、ナナミ様の艦に到着するのは最短で八分ですが、それでは戦闘機動は不可能になります。最善の選択として、グローヴナー辺境防衛軍集団に応援を要請することを提案します」


「そんなの間に合わない。スサノー、とにかく発艦!」


「私が建造された際に軍との間で定められたプロトコルとして、自殺的行為には拒否する権限が与えられています。それに、私にはあなたを守る義務と責任があります。クレア様」


 唇を噛んで黙り込むクレア。

 少しの沈黙の後で、ナナミが陽気に言った。


「大丈夫ですよ、中佐さん。俺がコミューターでこのクラビマリンを届けられれば、それで万事オーケーなんでしょう?」


 クレアは驚きに顔を上げたが、慌てて首を横に振った。


「危険です、ナナミさん。海賊は商船から逃げ出そうとする得物を逃がすことはありません、ホーミングミサイルで狙われます。それに、民間人は巻き込めません」


「すでに巻き込まれちまってますよ。だからどうせなら、俺だけじゃなくてこの船にいるみんなを守ってやってください。頼りにしてます、軍人さん」


「だから船を出たら、あなたの生命が……」


 ナナミは天井に向かってウィンクした。スサノオはとっくにこの商船のコンピューターにも侵入していることだろう、カメラ越しに俺の姿も見えているに違いない。


「危なくなったらその時は、お前が守ってくれるんだろ。なあ、スサノー?」


 返事も聞かずにナナミはホログラムをオフにすると、ピルの入った紙袋を大切そうに小脇に抱えながら、コミューターの格納庫へと駆け出して行った。




 暗いコクピットの中でうつむいていたクレアの身体に、クラビマリン・リアクターの内圧が上昇していく振動が伝わってきた。はっと顔を上げた彼女の耳に、抑えられたスサノオの声が聞こえてくる。


「クレア様、発艦します。最大戦速で航路をセット。ツイン・ディメンション・チャージャーの使用許可を申請します」


 スサノオの制御で、消えていたディスプレイが次々に点灯していく。


 そうだ。

 スサノオはナナミさんの信頼に賭けた。それなのに、私が二人を信頼しなくてどうするのか。何を迷っていたんだ、私は。


 はあっと息を吐いたクレアは小さくうなずくと、操縦桿を一度強く握った。彼女なりの感謝のつもりだったが、それがはたしてスサノオに伝わったのかどうか。


「許可するわ。行こう、スサノー!」


了解ラジャー


 双発のエンジンノズルからアフターバーナーの輝きを噴き上げながら、SSC-AX04星間巡行戦闘艦スサノオは、漆黒の宇宙空間に矢のように飛び出していった。




 ナナミの操縦するコミューターのなレーダー画面にも、もはやステルスの意味もないのだろう、海賊艦を示す赤い三角印がはっきりと表示されていた。海賊からは音声とデータで、商船からの脱出を試みる者には発砲する、という警告が届いている。

 額の汗も流れるままに、ナナミは舌打ちした。スサノオにこちらの位置を知らせるためにビーコンを起動させれば、撃ってくださいと海賊にサインを送るようなものだ。それに加えて、ナナミの側ではどの方角からスサノオがやって来るのか見当もつかない。恐らくはスサノオにも電子的なステルスは完備されているのであろうし、なんなら光学的なステルスすら備えていても驚かない。

 どうする、このまま漂流するしかないのか、と焦るナナミの耳に、コミューターのスピーカーから甲高い警告音が聞こえてきた。


「見つかった!? まずい、直撃……!」


 ナナミは直感で脱出レバーを引いた。小さな火薬の爆発とともにキャノピーが吹き飛び、彼の身体はシートと共に真空の宇宙空間に投げ出された。直後、彼の操縦してきたコミューターに小型のミサイルが突き刺さり、火球が現出する。思わず目を覆ったナナミは爆発の衝撃で、救難ビーコンが内臓されたシートと離れ離れとなった。

 やがて静かになった虚空の中で、ナナミは心静かに浮いていた。状況は絶望的だった。スーツに残された酸素は一時間程度の緊急的なものだし、それこそ無限に広がる宇宙空間の中から彼一人を探し出すことなど、砂漠の中から砂の一粒を見つけ出すよりもはるかに困難だった。


 ナナミには心残りが一つあった。結局俺が、あの可愛い中佐さんと気取り屋の戦闘機の二人を巻き込むことになってしまったな。彼女たち、ここへ来ないで逃げてくれるといいんだが。爆発の中でもしっかり握っていたピルの入った紙袋を見て、ナナミは苦笑した。結局こいつを使うことはなかったってわけだ。寂しかったなあ、俺の人生。


 思わずついた深いため息に呼応したように、ナナミの視界をプラチナの光沢が埋め尽くした。目の前を流れていたそれが動きを止めると、ヘルメットの無線機から懐かしい声が響いてくる。


「遅くなってすいません、ナナミさん!」


 頭上を見上げたナナミは、ほんの少しの位置まで接近していたスサノオの開いたキャノピーから、クレアが右手を伸ばしているのを見た。操縦桿を握ったままの彼女の左手は、その先端に山のように付属しているスイッチやらジョイスティックやらトラックボールやらを忙しく操作し続けて、巨大な機体をナナミに寄せようとしている。


 伸ばした二人の指先がグローブ越しに触れ合い、そしてお互いの手がしっかりと相手を握りしめた。


「ナナミ、さん! 絶対に、はなさないでくださいよ!」


 よいしょ、とクレアはナナミの身体を思い切り引っ張ると、操縦席の後ろにあるコ・パイロットのシートにナナミをさかさまに押し込んだ。すぐさまキャノピーが閉じられ、その裏面が全周型のモニターとして周囲の宇宙空間を映し出す。


「よし、回収完了。スサノー、操縦をこっちにちょうだい!」


了解ラジャー。すべての指揮系統をマニュアルに切り替えます」


 クレアは両腕で操縦桿を握り直すと、モニターのあちこちに目を配りながら宣言した。


「オーケイ・スサノー、アイ・ハブ・コントロール。ナナミさん、少し揺れます!」


 天地を戻してようやくシートに座りかけたナナミは、爆発的な加速に身体を押しつぶされる。


「後一分でエネルギーが切れます。ナナミさん、お買い物は出来ましたか?」


 一瞬何の話か理解できなかったナナミだったが、すぐに自分に与えられていたミッションを思い出す。


「ピルのこと? あ、ああ。ちゃんと買ってきたよ」


「じゃあそれを、ナナミさんのシートの横にある成分分析機に投入してください。スサノー、スリットを開けてあげて」


 クレアの声に合わせて、ナナミの横にある円筒状の容器の表面がスライドする。そこにぽっかりと空いた空間に、ナナミは慌てて箱と包装フィルムを破ると、経口避妊薬の錠剤をすべてその中にぶちまけた。音もなくスリットが閉まると、間もなくしてスサノオの声が聞こえた。


「クレア様、クラビマリンの抽出及び充填完了しました。残量百パーセント、余剰のクラビマリンは予備タンクにストック」


 燃料計がブルーに輝いたことを確認したクレアは、挑むように眼前の宇宙空間を見上げた。


「勝ったわね。スサノー、海賊からの攻撃は?」


「すでに八基のミサイルが接近中。専属のガンナーによる目視ホーミングなので、オートでの回避は不可能。全て直撃します」


「回避が間に合わなければ、叩き落すしかないよね。スサノー、ヤタノカガミ!」


「すでにアイドリングは完了しています。ヤタノカガミ、両側展開します」


 キャノピーの外が赤く燃え始めたことにナナミは仰天した。首を曲げて見ると、スサノオの後退翼が変形して前進翼となり、その翼自体も赤熱して表面にプラズマをまとい始めたのがちらりと目に入る。形状変形属性を持った特殊金属、スサノオの翼は防御兵器だったのか。


 クレアは舌で唇を湿すと、ディスプレイに満面の笑みを向けた。


「ぎりぎりまで引き付けてっと……よし、放射バースト!」


 ばりばり、という衝撃と共にスサノオの周囲に八つの火球が出現した。目を細めながらクレアの肩越しにディスプレイを眺めたナナミは、自機を示す中心点とほぼ重なっていた海賊のミサイルを示す光点が全て消失していることに、驚きを禁じ得ない。翼から放射状にプラズマを放出してミサイルを蒸散させたのか、アクティブ・バリヤーとでもいうべき攻防一体の兵装。


「スサノー、敵艦の位置は?」


「レーダー及び光学共に補足済みです。ですがクレア様、海賊艦の内部からディメンション・チャージャーの反応が検出されました。あと一分少々でジャンプされます」


「冗談、ここまでされて逃がさないわよ。スサノー、リミッター解除」


「リミッター解除、レディ。タイミングはそちらで」


 機体の振動が急激に高まり、両翼が極端に後退して機体全体が流線形になる。


「よし、行くわよ。フルスロットル!」


 シートに押し付けられる圧に負けてナナミはうめき声を上げた。だがクレアは涼しい顔で、スサノオに指示を与え続ける。


「スサノー、敵艦の分析終わってる?」


「七年前に退役して民間に払い下げられた、統合航宙軍籍のバトラー級三番艦『マンハッタン』を改装したものと考えられます。現在の船籍は不明」


「二世代前の軍艦か、どうりでステルス機能なんか備えてるわけだ。奴の反応炉の位置は?」


「ディスプレイに転送します」


 キャノピーの左側に敵艦の立体画像が表示され、その一部が赤く明滅しているのを見て取ったクレアは、さらにスロットルを開けた。


「迎撃、来ます。ミサイル十二基」


「突っ込む!」


 高速でバレルロールしたスサノオのコクピットの中で、ナナミは無数の星々が視界を回転しながら流れ、遅れて機体の後方で花火のようにミサイルが爆散するのを見た。なんて速さだ、ミサイルの電子信管の検知感度をはるかに越えた相対速度を叩き出している。


 機体の姿勢を戻したクレアは、もはや肉眼で目視できる距離にまで迫った敵艦に、スコープを呼び出して照準を重ねた。


「スサノー、動力炉を狙う。クサナギを装填して」


了解ラジャー。クレア様、弾頭を選択してください」


「一式徹甲弾。貫通させて爆発は最小限にとどめる」


「装填完了。ミサイルハッチ開放します」


 ごおお、という推進機の轟音とともに、敵艦の姿がみるみる拡大されて迫ってくる。スサノオの鏡面状の装甲に数条の線が入ったかと思うと、外板がスライドして開口し、太い誘導弾がせりあがった。


「来い来い……オーケイ。クサナギ、発射ファイア!」


 スサノオから放たれたミサイルは狂暴な加速を見せつけると、一直線に敵艦に吸い込まれていく。やや遅れて、真空空間にも関わらず、がん、という音が聞こえたような気がナナミはした。海賊艦は一瞬大きく震えると、わずかに火花を散らしながらその動きを止めた。


「ディメンション・チャージャーの反応消失。敵艦沈黙しました」


「よし、彼らの拘束は地元の方面軍に任せるとしようか。マガタマ、敵艦に指向。電子頭脳は生命維持に必要なもの以外、すべて破壊」


「よろしいので、クレア様?」


 クレアの表情は、冷徹な軍人から年齢相応の女性のそれに戻っていた。


「海賊は生かしたまま引き渡す。裁くのは私たちの役目じゃないわ」


了解ラジャー。……マガタマ、攻撃完了。敵艦の電子頭脳の九十八パーセントを破壊しました」


 海賊艦の表面にある無数のランプが次々に消えていくのを見ながら、クレアはヘルメットを脱いで大きく息をついた。揺れる金髪が後ろまで流れてきて、ナナミの顔をくすぐる。


「あの、中佐殿。ヘルメットを脱ぐのって、あぶなくないですか」


 クレアは後部座席を振り向くと、照れたように笑った。


「助けてくれた人にお礼を述べるのにヘルメットをかぶったままなんて、私はそんないい加減な教育は受けてませんよ」


 そう言ってクレアはナナミに頭を下げた。


「あなたのおかげで民間人を守ることが出来ました。感謝いたします、ナナミ様」


「俺も民間人ですよ、中佐殿」


 クレアが、むっと上目遣いにナナミを睨む。


「クレア、です。私の名前、お嫌いですか?」


 大真面目にふくれっ面を向けるクレアに、ナナミは言葉を忘れて見惚れていた。

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