スターシップ・クルーザー スサノオ

諏訪野 滋

第1話 ビジターズ

「……イーデン恒星系から七パーセク離れた宙域で起きた今回の海賊事件。詳細は発表されていませんが、緊急発進した統合航宙軍の戦闘攻撃機ただ一機により、事件発生後わずか二時間で鎮圧されたとのことです。いかがですか、解説のパイロンさん?」


 スーツ姿の若い女性アナウンサーに、黒縁眼鏡をかけた神経質そうな中年男が答える。


「そりゃあ、これぐらいのことはしてもらいませんと。軍の戦闘機ただ一機とはいいますが、それには小さな衛星が丸ごと一つ買えるほど高額の税金がつぎ込まれているんですから。むしろ事前に海賊行為を防止できない軍の怠慢こそが、大いに非難されるべき対象であり……」


 肘掛椅子をリクライニングさせて両足をテーブルの上に投げ出した行儀の悪い姿勢で、天井近くに浮かび上がったホログラムのニュースを見ていたナナミ・ニイミ準二等人工衛星管理官は、大きなあくびを一つすると、コーヒーをいれ直すためにゆっくりと起き上がった。


 独楽こまのような形状のこの宇宙ステージョンの芯の部分に位置する管制塔、その円柱状の部屋の壁には一面に複合ガラスがはめ込まれており、その向こうには調光され可視化されたグローヴナー恒星が青白い光を発している。だが、星の表面に時々ちかちかと光るプロミネンスの放電も、この辺境のステーションに赴任して二年になるナナミにとっては、すでに興味の対象にはならなかった。端的に言って、ひまなのである。


 グローヴナー恒星系は三個の惑星と一個の準惑星、それに付随する衛星群からなる小さな恒星系である。だが、銀河共和国の首星すなわち地球の周囲の恒星系において、その資源のことごとくが採掘されつくした現在、人類はさらなる開拓地を求めてこのような半径十パーセク以内には人類が居住していないような辺縁の星域にまで手を伸ばさざるを得なくなっている。

 そしてナナミは、グローヴナー恒星の遷移層内に浮遊している希少金属レアメタルを採取するために公社から派遣され、採掘型ロボットによって収集された資源を貯蔵するために建設されたこの宇宙ステーションに、たった一人の管理者として駐在しているのだった。


「……それにしても、軍の機体がどこの基地からスクランブルしてどこへ帰還していくのか、機密事項として我々は知ることを許されていないわけですが。このような秘密主義については、パイロンさんはどうお考えでしょうか」


「そこですよ、私が今の偽りの民主主義をうれいている点は。軍事に対する政治の優位性、いわゆるシビリアン・コントロールですね、これが今の議会では全く機能しておらず……」


 アナウンサーの女性と解説の男性のやり取りにうんざりしたナナミは、手を振ってニュースを消すと、映画のアーカイブのリストを表示させる。


「ふむ。どいつもこいつも、すべての台詞をそらで言えるほど繰り返し見たわけだが。三回以上見ていない映画はまだあったかな、と……」


 すっかり独り言が板についたナナミがディスプレイに指を触れようとした瞬間、エマージェンシーを告げる警報が部屋中に響き渡った。今までそれを一度も聞いたことがなかったナナミは一瞬何事が起きたのかと目を白黒させたが、すぐにメインディスプレイを起動させると、赤く明滅している文字列に目を走らせた。


「……なんだって。軍の戦闘機がここに着陸したいって?」




 美しい機体だった。プラチナの様な輝きを放つその表面は鏡面仕上げに近く、軍用機が一般的に持つ機能重視の無骨さは全く感じられない。メンテナンスハッチも極力巧みに隠されており、どこにどんな武装が施されているのか、門外漢のナナミには全く見当がつかなかった。いや、ナナミも人工衛星管理官の試験に際して、一般的な軍用機の知識については一通り勉強してきたはずだが、その彼も見たことも聞いたこともない機体だった。

 何よりも異様なのは、その機体は細い胴体に付随して、左右一対の後退翼を持っていることだった。大気圏内専用のごく一部の機体しか翼による揚力の恩恵など受けられないはずなのに、この航宙機は宇宙空間では全く役に立たない翼というものを備えている。大気圏内外両用の機体なのだろうか、それにしてもまるで飛翔する鶴のようだ、とナナミが見惚れていると、鶴の頭の部分に当たるキャノピーがゆっくりと上がった。


「お兄さん、ありがとー!」


 二日酔いの頭に響くような能天気な声と共に、ラダーも下ろさず一人の人物が頭上高いコクピットから飛び降りてきた。おいおい床まで軽く五メートルはあるぞ、と慌てたナナミだったが、格納庫内は重力を落としてあることを思い出してほっとする。ナナミの前に見事な着地で降り立った耐圧服姿のその人は、ヘルメットを最初から装着していなかった。

 ふわり、と遅れて肩に落ちる長い金髪。すっと通った鼻梁に、控えめな桜色の唇。パイロットスーツを完璧に着こなした女性軍人であるのに冷たい印象を与えないのは、人懐っこそうなやや垂れた目のせいか。

 そのくるくるとよく回る瞳で周囲を興味深そうに見まわしていた彼女に、ナナミは恐る恐る声をかけた。


「あの、うちのステーションに何か?」


 あら、と女性は少し照れると、指をぴんと伸ばして一分の隙も無い見事な敬礼を返した。


「共和国統合航宙軍、太陽系総軍司令部付き。特務実験集団所属、クレア・アグライア上級中佐です。よろしく!」


 クレアと名乗ったパイロットは何が嬉しいのか、満面の笑顔である。

 何気なくその肩書きを聞いていたナナミは、驚きに目をむいた。


「え。首星の正規軍のパイロット様が、なんでこんな田舎に……」


 しかも上級中佐といえば、通常は艦隊の指揮官か総司令部の参謀といった役どころの高級将校である。通常のパイロットなら、どんなに頑張っても尉官止まりがせいぜいのはずだ。

 さらに、目の前の女性は若い。自分よりも年下の印象だが、そうであれば二十台半ばといったたところか。どう考えてもからかわれているとしか思えない、と目の前のクレアを胡散臭げに見るナナミに、彼女は申し訳なさそうに言った。


「急にお邪魔してごめんなさい、実はガス欠でして…」


「ガス欠!?」


 クレアは苦笑しながら頭をかいた。


「えっとですね、この近くで海賊退治をしていたらちょっと深追いしちゃって。気付いた時には基地まで帰還する燃料が残っていなくて」


「それって、プロの人としては致命的なミスなのでは!?」


 ぽやんとした女学生風なクレアの話し方にナナミはほっとしたものの、危うく漂流しかけた戦闘機乗りにそのゆるふわ感は、正直ふさわしくないと言わざるを得ない。


 ナナミがさらに突っ込もうとした時、今までほとんど使用されたことがなかった格納庫内のスピーカーから合成音が発せられた。落ち着いた男性の声だ。


「クレア様、だからご忠告したではないですか。ディメンション・ジャンプした海賊を追ったりしたら、こちらのエネルギーも大量消費してしまうと」


 自分が降りてきた機体を振り返ったクレアが、唇を尖らせて不平を漏らす。


「だってえ。海賊一匹でも逃がしちゃったら、ボーナスの査定に響くもん。それだけならいいけれど、実績上げられなくて来年度の改修予算削られたら、困るのはスサノーのほうだよ?」


 ナナミは天井をきょろきょろと見まわしながら、声の主を探した。


「あの、クレア中佐殿。今しゃべっているのは、どちらの方で?」


 クレアはナナミの方を振り返ると、笑いながら後ろの機体に手を伸ばした。


「ああ、紹介がまだでしたね。私の乗機、軍用試作SSC四番艦『スサノー』です!」


「すさのー?」


 先ほど声がしたものとは別のスピーカーから、再び電子的に修飾された声が聞こえてくる。


「クレア様。自分でつけた名前くらい、いい加減に正確に発音されてください。ナナミ、と言いましたね。初めまして、私はスサノオ。以後お見知りおきを」


 ナナミはクレアの頭越しに、虹色の輝きを反射させる人工の翼竜を見上げた。


「この声。もしかして、その戦闘機がしゃべっているんですか」


 そのナナミの質問に答えるスサノオの声に、どこか自慢げな調子が含まれているように、彼には感じられた。


「ナナミ、あなたの発言は人間的ですが的を得た表現です。正確にはこのステーションのメインコンピュータをジャックして、収音機と発声器を強制作動させてあなたと会話をしています。こちらの電子セキュリティは対策されていないも同然のレベルファイブマイナーでしたので、私の電子攻撃システム『マガタマ』を使用するまでもなく侵入は容易でした」


 当たり前だ、とナナミはむくれた。こんな辺境の資源採掘ステーションが軍の電子戦闘機に対抗できるような電子防壁を構築しているはずがないし、その必要があるとも思えない。


 それにしても、とナナミは改めてスマートなスサノオの機体を見上げた。今までの会話から想像するに、この戦闘機はどうやら先ほどニュースで流れていた海賊退治の主役であるらしい。軍の作戦行動についてはすべて極秘事項だから自分が質問しても答えは返ってこないであろうが、単機で海賊を鎮圧することが出来る機体なのだ、その能力は推して知るべしである。


「SSC。スターシップ・クルーザー、クルーザー級星間戦闘機ですか。ミリタリー誌に噂話くらいは小さく出てたけれど、本当に開発されていたんですね」


 腰に両手を当てたクレアが、えっへんと胸を張る。


「そりゃあ知らないはずですよ。最重要軍事機密ですから」


「そんなの話されても困るんですが」


 またしてもスピーカーからスサノオの声。


「クレア様。民間人に軍事機密をお話しするのは、国家安全秘密保護法第三条の第一及び第二項に抵触しています。情報の漏洩ろうえいを防ぐために、接触者ナナミの消去を提案します」


 ぎょっとしたナナミは怒りに顔を赤くすると、手近なスピーカーに人差し指を突き付けた。


「ちょっと、なに言ってくれてるんだよ。それにさっきからナナミって呼び捨てされるのも、何だか気に食わん。ステーションの管理者として、退去を要求する!」


 それは困る、とクレアは慌ててスサノオの方を振り返った。


「スサノー、あなたが悪いわよ。スサノーが優秀なのは事実だけれど、能力で人を差別しちゃだめだってことくらい、そのあなただったらわかるでしょ。ほら、ごめんなさいして」


 一瞬の沈黙の後、しぶしぶといったスサノオの声が返ってきた。


「……そうですね。クレア様のおっしゃる通り、私は差別主義者ではありません。ナナミ様、改めて謝罪させていただきます。まことに申し訳ありませんでした」


「これはこれで、何だか馬鹿にされているような気がするが……」


 苦い顔をしていたナナミは、気を取り直したようにクレアに向き直った。


「それで、上級中佐殿。ガス欠ってことは、一般に出回っている純化ヘリウムでいいんですよね? 幸いこのステーションには金属採掘ロボット用のヘリウムが大量に備蓄されていますから、この機体のタンクくらいなら満タンに出来ると思いますよ」


 クレアは何故かもじもじすると、ナナミを上目づかいに見た。


「あの、ナナミさん。ピル、持ってますか?」


 いきなり話をぶった切られたことに戸惑いながらも、ナナミが答える。


錠剤ピル? ある程度の医薬品なら常備していますが、どこか体調がお悪いので?」


「違いますよ。ピルって言ったら、経口避妊薬のことですよ。ご存じありませんか?」


「え!?」


 いや、俗にピルと言えばそうだのだが。クレアの口から出た思いもよらぬ単語を触媒にして、ナナミの頭脳は高速で回転を始める。軍のパイロットと言えば不規則な勤務で外出制限も多いと聞く、ストレスの蓄積も半端ではないのだろう。それに生命の危機に瀕した生物は、種の保存という本能的な動機から生殖行動に走る傾向にあるともいうではないか。戦場で命を危険にさらしてきた反動と、このような辺境に来たことによる解放感が、彼女の性的な高揚感を高めてしまっているのだろうか。

 しかも自分とて、もう一年以上も女性と接触していない。いや、なんなら生物全般と接触していない。たまに訪れるものといっては、自動制御された物資運搬船のみである。彼女のストレス発散と自分の人恋しさを同時に埋めることが出来るのならば、これはウィンウィンの関係と言えるのではないだろうか。なんといっても彼女は可愛いし。


 しかし経口避妊薬ときたか。残念ながら、そのようなものが男一人しか駐留していないこのステーションに置いてあるはずがない。しかしそこは独身男の浅はかさ、いざという時のためにコンドームが備蓄品の在庫にあったことをナナミは思い出した。自意識過剰の浅はかな考えだと笑いたければ笑え、男はいつだってチャンスを求めているんだ、とナナミは一瞬情けない思いにとらわれたが、頭を振ってその自虐的な考えを振り払った。据え膳食わぬはなんとやら、だ。


 ナナミは馬鹿正直な表情を作ると、ためらいがちにクレアに言った。


「あの、実はゴムならあるんですが。それでよければ……」


 クレアはきょとんとすると、首をかしげた。


「まあ。天然だろうと合成だろうと、ゴムなんかじゃスサノーは動きませんよ」


「え」


「スサノーの反応炉リアクターのエネルギー源は、クラビマリンなんです。この物質を微量でも含んでいて一般に手に入る民生品といえば、経口避妊薬くらいなものなんです」


 自分の勘違いのあまりの恥ずかしさに口をぱくぱくさせているナナミに、クレアは形の良い顎に指を当てて考え込むような仕草をした。


「どこか購入できるところがあれば良いのですが。ナナミさん、お心当たりはありませんか?」


 何か言おうとしたナナミを、スサノオの合成音がさえぎった。


「クレア様、ナナミ様の体温と心拍数が急上昇しています。敵意を持っている可能性があります、彼を拘束することを提案します」


「うるせースサノー、てめー!」

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