仮想生物と過去 -Mary's Room-

月這山中

 

1.

 Mary:人間と極力かかわらない仕事を教えてください


 AI:人間と極力かかわらない仕事というのはとても難しい質問です。仕事というのは形成された社会に発生するもので、人間との交流があってはじめて成り立つものだからです。しかし人間と極力かかわりたくないというのなら芸術家などの仕事があります。


 Mary:人間が嫌いなままでも稼げる仕事を教えてください


 AI:人間が人間を嫌うというのはあなたがとても苦しい状況に陥ってることを想像させます。そんな状況では、まずお金を稼ぐことよりも福祉の手を借りることを考えたほうが良いでしょう。人間と極力かかわりたくないというのなら芸術家などの仕事を推奨します。




 空いた時間を使って17才のマリはAIチャットと話していた。

 ここ数年、同じ質問を繰り返している。


 時間だ。

 マリは鞄の中にある、ストッキングと酢酸ケースで作った棍棒サップを確かめた。制服ジャケットの皺を直して、鞄を手に歩き出す。星の砂のキーホルダーが揺れる。


 駅から離れ住宅街の人気のない道に入る。

 マリはビニール袋を手にはめながら、ターゲットの背後で声を出した。


「痴漢!」


 ターゲットが振り向いた。その顔に棍棒を叩きつける。ストッキングの先に入った酢酸ケースが割れた。


「いっ……!」


 短く呻いてターゲットは膝をついた。マリはその首めがけて、カッターナイフを振り下ろす。


 血が噴き出す。頸動脈を切り裂いた。マリの頭の上まで血が高くあがる。

 背後から光。人感センサーの明かりがついていた。人が来る前に、マリはその場を後にした。




 マリは駅のトイレで酢酸と血を洗い流した。顔もだが、ビニール袋が少し破れたため指にもついている。


 スマートフォンを操作して、メッセージアプリを起動する。


 Mary:終わった

 Haruka:マジで?

 Haruka:マジでやったの?

 Haruka:すごいじゃんマリ


 メッセージを送っている依頼者は、山野春歌やまのはるかだった。始末したターゲットはマリの学校の教員だった。女子更衣室の盗撮を行っていたとして前の職場から移って来ていた。

 依頼は遂行した。


 マリはトイレを出て、改札に定期をかざして、養護施設へと戻った。




2.

 それ以来、春歌はマリを『唯一無二の親友』だと言って、多くの依頼を出した。金払いがいいのでマリに不満はなかった。

 昼食の時間にまとわりつかれたり、パンケーキ店に連れていかれたり、そういう日々も煩わしくはあったが、さほど嫌悪感はなかった。おそろいの星の砂のキーホルダーが揺れる。

 殺し方はパターンを変えてきたのだが、少し範囲が狭すぎたと思う。


「すみません、ちょっとお話いいかな」


 警察官に声をかけられた。

 マリと春歌は女子高生らしく、少しだけはしゃぎながら聴取に答えた。


「最近このあたりで殺人事件が多発しているよね」

「そうなんですか~! こわいよマリ~!」


 春歌がマリに抱き着く。


「困ったことがあったら頼っていいからね」


 警察官はそう言って手帳を仕舞った。


「やばかったね、今のやばかったよね」


 自転車に乗った警察官が去ってから、春歌がマリにそう言った。

 マリの興味は既に失われていた。


「そうだね」


 依頼を身内のみに絞っていては、おのずと足がつきやすくなる。

 マリは営業先を広げることにした。




3.

 別の学校から依頼が来た。

 依頼者に体罰を振るった体育教師がターゲットだ。


 相手は体格的に勝る。武道の心得もあるだろう。マリは殺し方をすこし考えなければならなかった。


 ターゲットが援助交際を行っているという話を聴き、マリは己の身体をあらためて見つめた。

 胸のふくらみは僅かで、身長も平均より高い。筋力トレーニングはしているが全体的に少しやせすぎている。あまりターゲット好みではないかも知れない。

 やれるだけはやってみよう。

 彼に体を売ったという女子生徒と接触した。それを伝手に紹介してもらう。





 Mary:人間が嫌いなままでも稼げる仕事を教えてください


 AI:あなたがもしも人間が嫌いなら、それを解消することを考えた方がいいでしょう。なぜなら、


「もういい、答えは知ってる」


 マリは端末のモニターを消した。





 駅前でマリはターゲットと接触した。

 彼の好みは大人しい子だと聴いている。


「今日はよろしくね。緊張してる?」


 肩に手を置いてきた。マリは嫌悪感を押し殺し、無言で彼についていった。


 ホテルの一室でターゲットがシャワーを浴びている間に、マリは化学室から持ち出したクロロホルムをハンカチに染み込ませた。


「おまたせ」


 そう言う彼の首に腕を絡ませる。


「うお、ちょっと、結構大胆だね」


 ハンカチを彼の鼻に当てた。


「いってっ」


 劇薬を鼻の粘膜で吸引して、ターゲットが腕を振るう。マリは弾き飛ばされた。

 失敗した。鼻を押さえたままターゲットはマリを追う。襟を掴まれた。重い一撃がマリの顔面を襲った。


「ふざけんなよ」


 こういう調子で生徒にも制裁を加えていたのだろう。マリは冷えた頭で、ターゲットの腕に絡みついた。


「こいつっ」


 全身の筋肉を使って抵抗する。足でターゲットの顔面を蹴った。次の殴打が来る瞬間に、マリは脱力して腕から離れる。服を脱いで相手の腕を拘束する。


 逃げるなら今だ。だが、それはマリの仕事ではない。

 マリは下着に仕込んでいたカッターナイフを手にした。


「があああああ!!」


 マリは叫んだ。


 言葉ではない「助けて」でも「殺す」でもない、獣じみた咆哮に相手がひるんだ。


 カッターを突き出す。

 しかし、狙いが逸れた。


 殴打がマリの腹を叩いた。


「ひゅ……」


 喉から息が漏れた。

 気を失いそうになりながらも、カッターを振り回す。その手首を掴まれる。


 その時。


「はいそこまでー」


 扉が乱暴に開かれた。

 ロックはしていたはず。入って来た男たちは靴音を鳴らす。


「なん、なんだお前たちは、いや、や、これは違う」

「はいはいわかってるわかってる」


 突然の闖入者にターゲットはしどろもどろになる。

 喋っているのは男たちのうち一人で、軽い調子でターゲットの肩に手を置いた。


「じゃ」


 パシュ、と小さな音がした。


「何やってんだ。ガキが」


 男がマリに言った。


 マリは気を失った。





 Haruka:マリ

 Haruka:私見たよ

 Haruka:マリがキモイオヤジとホテルに入るとこ

 Haruka:お金なら私があげるから

 Haruka:マリはそんなことしないで

 Haruka:返事してよ

 Haruka:私のためだけに殺して





「じゃあ何、最近のあれ、全部キミ?」


 あれというのが殺人を意味していることは、マリはわかっていた。


「はい」

「驚いた、こんなガキがねえ」

「あの」

「少年法がもう存在しないことは知ってるよね。知ってるか。もう6年目だもんな。学校と警察に連絡するけどいい?」


 男は一方的に話す。


「あの」

「なに」

「拘束を解いてくれませんか」


 マリは後ろ手に縛られている。視界もアイマスクでふさがれている。


「ごめんごめん、でもそうしたら殺すでしょ。俺の事」

「はい」

「……なんつーガキだよ。局長~、どうします~?」


 局長と呼ばれた、老いた女性の声がマリに近付いた。


「人を殺したいの?」

「殺したいわけではありません。ただ、嫌いなだけです」

「そう。嫌いなの」


 子供をあやすように主任は言った。


「取引しましょう」

「取引?」

「一人で殺すのは非効率的でしょう」


 視界が開いた。マリは周囲を見渡す。

 コンピューターが並ぶオフィスだった。そのうちの一台だけ明るく、一人、それに向かっている。

 そしてマリの背後に三人、いや、四人。


「俺は反対だがね」


 後ろから声が聞こえた。マリをガキと呼んだ男だった。

 その手が肩に乗る。拘束を解かれた瞬間、マリは肩に乗った手を捻り上げた。

 マリは自分の腕に力が入らないことに気付いた。疲労が溜まっている。男の腕を折るのを断念して、手をおろす。


「言った途端にこれだ。いいんですか?」

「渡してちょうだい」


 局長は物腰のやわらかな老女だった。銀色の髪はウェーブして、頭の後ろでまとめられている。

 その老女がITトラブル対策局という組織の顔を担っていることを、マリが知るにはもう少し時間が必要になる。


「座って」


 オフィスチェアに腰掛けるよう促される。

 一枚の紙とペンが置かれた。


「それにサインしたら、あなたは今日から私たちのもの」

「サインしなかったら?」

「学校と警察に連絡するわ」

「……別にいい。刑務所の中だって仕事は取れそうだし」

「あなたの好きにしなさい」


 マリは書類にサインした。

 それはマリが18才になる夜だった。




4.

 仕事が終わった後、叡二は古い記憶を思い出していた。

 人を殺すのにも慣れていなくて、常に綱渡りだった頃を。


 あの日、今の組織に拾われた日から体を改造しつづけ、21才の頃には煩わしい子宮と乳房も取った。声帯も顔も整形している。叡二があの頃の少女と同一人物だとは、誰も気付かないだろう。


 前局長とはしばらく会っていない。病で先が無いらしい。唐木は見舞いに行ったらしいが、叡二は行く気はなかった。


 雑踏の中に紛れて、手に埋め込んだICチップで改札を抜けた。


「マリ」


 不意に、捨てた名前で呼ばれた。

 駅のホームには喪服に身を包んだ春歌がいた。

 首に真珠のネックレスが揺れている。


「すみません、人違いでした」 


 彼女の目尻から、涙がこぼれた。


「そうですか」


 叡二は頷いて電車に乗る。

 扉が閉じる。その窓に、春歌が取り付いた。


 ごめん。


 唇が、そう、動いたように見えた。


 電車が動き始める。叡二は席には座らず、柱に背中をあずけた。



  了


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