第3話 船橋戦争――人斬りの戦争 新制軍隊

 江戸屋敷の周辺で待機していた新政府軍・佐土原藩の一兵卒である宮山徳之介は、部隊が鎌ケ谷宿に移動すると聞き、心の奥底で燃えていた黒い炎が、強い風を受けて燃え上がるのを感じた。その強い風とは、後に幕末・明治維新と呼ばれる時代に吹いた風そのものだった。


 江戸城の無血開城から2週間ほど後のことである。


 佐土原藩は薩摩藩の支藩になる。徳之介は郷士の出で、武士でもなく農民でもなく、その狭間で貧しさに負けずに生きてきた。薩摩藩が新制軍隊を編成すると聞き、徳之介は貧しさから抜け出そうと、志願した。洋式の新制軍のことなど何一つ知らなかったが、それでもよかった。郷士の3男坊など、人として認められないような存在だったからだ。


 そしてもう1つの理由が、心の中にあることを自覚しつつあった黒い炎である。


 徳之介は物心つかないうちから剣を握っていた。流派は示現流である。薩摩の御留流おとめりゅうであった示現流が、佐土原藩でも主流であった。薩摩藩の支藩故、伝授が許されていたのである。


 家の近くの立木に毎朝打ち込み、気合いとともに左右を打ち分ける。硬い樫の木刀を毎朝、それこそ何十、何百回と打ち込まれると、生木である立木は数ヶ月で折れ、倒れる。徳之介の近所にはそんな木が無数にあった。村の郷士の誰もが、そうやって剣を磨いたからである。


 いわゆる武士階級である城下士と、町の剣術道場で相対することもあった。


 郷士である徳之介が、城下士を圧倒することは多々あったが、最後には城下士に1本取らせなければならなかった。それみたことか。これが俺の実力だ。郷士ごときがしゃしゃり出るのではないぞ、ということを周囲に示さなければならなかった。


 それが城下士と郷士の差であり、それは全てにおいて言え、その差が生じないことは、彼の人生の中にはなかった。


 しかし新制軍隊を指導したイギリスの軍人は、武士も郷士も関係がなく、むしろその内部の差別を是非としなかった。ただひたすら組織として、兵として動けと指導した。これが徳之介に心地よかった。城下士とは地力が違うため、徳之介は新制軍隊の中で頭1つ抜きん出た。


 しかし上役の家老与格の隊長は、徳之介を昇進させることはなかった。隊長はイギリス風の軍隊の考え方を、よく理解しようと勤めている人間だった。だから、その理由も酒を酌み交わしながら教えてくれた。家老を出す家柄の隊長と郷士である徳之介が一緒に酒を呑むことなど、あり得ないことだった。つまり、そのことをもって、隊長は身分で差別しているのではないことを示したのである。隊長は言った。


「お前は人に指図する人間ではない。それは己がよく分かっているだろう? だが、お前には秀でているものがある。いつかきっと、今ため込んでいるその力を吐き出すときが来たら、俺が言う。好きに戦え、と。それが俺の、お前への評価だ」


 嬉しかった。だが、それは同時に徳之介の中にある黒い炎に気がついているということも意味していた。


「ええ――そのときは、殺して、殺して、殺しますとも。それが戦争の時の兵士の正義ですから」


 そうだった。そう言葉にするとしっくりきた。幼いときから鍛錬を重ねた示現流は、徳之介にとって憤怒を晴らす剣ではなく、人殺しのための剣だった。


 日本が長きに亘って享受してきた260年余の太平は終わる。


 そして戦争の世が来る。新制軍の編成はそのためなのだから。


 


 部隊が鎌ケ谷宿に移り、月が明け、閏4月の3日、ついに新政府軍と旧幕府軍の戦闘が始まった。世に言う市川・船橋戦争の開戦である。


 旧幕府軍の洋式軍隊である撒兵さっぺい隊が、八幡にいた新政府軍に攻撃を仕掛けたのである。市川の戦闘は一進一退となったあと、増援がかけつけた新政府軍有利に推移した。


 戦闘が始まった報を受け、徳之介が所属する佐土原藩の部隊は南下を開始、船橋の手前である馬込沢・夏見の近辺で撒兵隊と交戦することになった。


 徳之介が所属していた小隊は、馬込沢から金杉へ回り込み、撒兵隊を側面から突こうとしたが、撒兵隊は別働隊を金杉に置いており、朝の6時頃、戦闘となった。新暦でいえば5月である。もう明るい時間帯だった。


 小隊が本隊から離れるとき、双方の砲撃音が散発的に鳴り響く中、隊長は徳之介の目の前で小隊長に言った。


「こいつとは約束があってな。戦さが始まったらこいつを好きにさせてくれ。必ず、役に立つはずだ」


 隊長がどういう意味で言ったのかは徳之介には分からなかった。陽動になればいいくらいに小隊長が受け止めた可能性もある。しかし、徳之介の黒い炎をつなぎ止める鎖は断たれ、彼の心は黒い炎に支配された。


 鍛えあげた示現流を、戦さ場で示すときがついに来たのだ、と。


 撒兵隊とは、薄暗い雑木林の中で会敵した。洋式の歩兵が、数名、藪の中で散開していた。


 小銃がうまく使えないような、下藪が刈られていないような雑木林の中だ。佐土原藩の部隊は高価でほとんど実戦では使われることがなかったと後世言われているスペンサー銃を装備していた。西部劇で連発して鉄道強盗やインディアン(当時はそう言っていた)を攻撃するのに使っていたあれである。主力装備の単発前装のエンフィールド銃と比べて遙かに戦闘力が高いが、ここではその力はフルに発揮できない。数に劣る徳之介が所属する小隊は圧された。


 徳之介は意を決し、銃撃戦が始まっているにも関わらず、抜刀した。


 平常心を保ったまま、周囲の全てが震えるような大声で叫び、突撃し、飛んでくる銃弾を意に介さず、ただ剣を振り下ろした。毎朝の打ち込みと全く同じように。


 二の太刀要らずと言われる示現流である。徳之介の剣は雑木の下枝を切り落としてなお威力を保ち、一間は離れていた撒兵隊の兵士の頭巾を切り裂き、頭蓋を割り、脳漿を吹き上げさせた。


 撒兵隊の兵士は藪の中に倒れた。


 発砲音がした。徳之介のすぐ側を、弾丸が抜けていったのが分かった。


 発砲したのが敵か味方かわからない。だが、そんなことはもうどうでもいい。


 剣の切っ先から伝わってきた、人の命が消えゆく感覚が、徳之介の中の黒い炎をよりはっきりと、くっきりと、激しく燃え上がらせた。


 俺は人斬りだ。それが俺の本質なのだ。


 そう、自覚した瞬間だった。


 徳之介は藪の中、動くものを見定めると、再び奇声を上げた。




 この後、徳之介の小隊は無事、撒兵隊を退け、本隊が向かっている船橋宿へと歩を進める。


 そこを戦場として、もう1人の人斬りと彼は出会うのである。

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