第2話 船橋戦争――アバン

 筆者がかなり若い頃、千葉県船橋市の旧市街を歩いたことがある。当時はまだ京成線の線路が高架になっておらず、駅前の再開発もまだで、ところどころに漁港の色と昭和の香りが残っている街だった。


 駅前の横町にある、コの字型のカウンターの居酒屋で瓶ビールを呑み、やきとんともつの煮込みで腹も満たし、酔い覚ましにぶらりと歩くと寺社が点々とあることに気づき、驚いたことを覚えている。ところどころに庚申塔もあった。アルコールがまわった頭でも、なにやら古い街だと分かった。


 しかし改めて明るい時間に歩くとまた違った印象を覚えた。JR船橋駅から千葉方面に歩いて行くと船橋大神宮へ参道であったであろう大通りに出る。そこは古い商店が幾つも残っていた。まだ高架でなかったから京成線大神宮駅の脇に踏切があったのあだが、その辺りには明治から昭和の初め頃に建てられた商家が並んで残っていた。今も、幾つか残っているのでお近くで興味のある方は、今の内に見ておいた方がいいと思う。また、コの字型カウンターの店もまだ残っているので、お好きな方は是非。煮込み豆腐とフライ類をビールでかき込んでください。幸せ。


 さて、その辺りの商店でなくて申し訳ないのだが、そこから少し離れたところにさらに古い江戸時代の建物で今も商売をしている店がある。筆者はてぬぐいを買ったのだが、調べてみると別にてぬぐいだけ売っているわけではなく、祭礼用品なども扱っているようだった。


 そのお店の方と軽く話をさせていただいたのだが、こんな話を聞き、驚いたのを覚えている。


「この辺は先の戦争の時に燃えちゃってさ――なんてじいさんばあさんが言うんだ」


「ああ、この辺も空襲に遭ったんですね?」


 当然、筆者は太平洋戦争で爆撃に遭ったものと考えた。だが、違った。


「いや、それが戊辰戦争の話だってんだね。そのじいさんばあさんだって生まれてもいなかっただろうに、おかしいね」


 笑い話だが、本当に聞いた話である。どうやら船橋という街も相当に古い伝統を守る街らしい。船橋大神宮――延喜式にも記載がある葛餝郡意富比神社のお膝元であり、宿場町であり、漁村でもあった街である。今も1日10万人の乗降がある船橋駅と8万人の乗降がある京成船橋駅がある、千葉の交通の大動脈である船橋が、かつて焼け野原になったという話が今も地元の昔話として伝わっているのである。


 旧幕府軍と新政府軍の、今で言う特殊軍事作戦は、市川の戦いを皮切りに、船橋に移り、戊辰戦争へと繋がる。大きな火種になっただけ合って、調べてみるとなかなかに面白い。


 そんな幕末の戦争の第2ラウンドとなった船橋戦争で、こんな物語があっても決して不思議ではないのではないか、という思いを込めつつ、第2話のアバンを終える。


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