ある人斬りの話 短編オムニバス

八幡ヒビキ

第1話 よく似た男

 酒田賀喜左衛門さかた かきざえもんがその男と知り合ったのは、おでんの屋台だった。賀喜左衛門がお猪口を倒して酒がこぼれ、隣に座っていた右衛門の方に流れていったのがそのきっかけだ。


「や、失礼」


「いやいや、それがしは何の迷惑も被っていない。失礼には当たらない」


 読者諸氏に分かるよう翻訳するならこんな会話だった。賀喜左衛門は羽前国の小藩、村山藩、右衛門は羽後国の小藩、大崎藩の出身で、同じ奥羽の出身でも内陸と日本海側では言葉が違う。その会話は半分くらいしかお互いに通じなかった。だが、それでもなんとなく雰囲気で相手の言わんとすることは分かった。


 おでんの屋台のおやじが酒を拭いてくれ、右衛門が笑った。


甲板カウンターが酒が飲ませて貰えたと喜んでおるよ」


「かもしれぬ。熱々のおでんを載せられてばかりだからな」


「皿越しだ。温かくて甲板にはちょうどいいかもしれん」


 そのとき右衛門と賀喜左衛門はそのような会話をかわした。


 下級武士の賀喜左衛門が使える金は限られている。おでんだねを数個、とっくりを1本空け、その日は帰った。


 次に右衛門と会ったのは翌週のことである。


「おや」


 右衛門の顔を覚えていた賀喜左衛門は先に座っていた彼に声をかけた。


「久しぶりですな」


 右衛門の顔はまだ赤くなっていない。おそらく来たばかりなのだろう。


「うむ。おでんを食べて身体が温められても、懐は寒くなる一方だ。月にそう何回も来られるわけではないのでな」


「ああ、それはそれがしも同じだ。ということは偶然一緒になったということですな」


 頻繁に来ている客であればともかく、たまたまが重なったと言うことだ。


 右衛門は苦笑し、賀喜左衛門は彼の隣に腰掛けた。


 賀喜左衛門は屋台のおやじに大根とハンペンを頼み、熱燗になっているとっくりを自分で湯の中から取り出した。


「あちち」


「それは熱いでござろう」


 右衛門が賀喜左衛門のおちょこに酒を注いだ。


「まずは、いい頃合いの酒を口の中に消してはどうかな」


「ごちそうになろう」


「まあ、こんなこともあるのだろうな。江戸では」


 江戸には人が多いが、江戸住まいの人の行動範囲はそれほど広くはない。同じような収入なら同じような屋台に行き着くのは至極当然と言える。


 おやじが大根とハンペンを取りだし、小皿に載せ、賀喜左衛門の前に置いた。


 こうして少しずつ、2人は話をするようになった。そうすると自然、互いの名前も知るようになる。男の名前が柿崎右衛門であるということ、同じ奥羽の出身であること。そして右衛門が、なまえだけでなく賀喜左衛門ととてもよく似た境遇にあることを知った。ともに江戸に単身赴任、藩の江戸屋敷で雑務をこなし、上役に毎日のように理不尽な叱責を受ける、そんな毎日を送っていることも分かった。


「しかしよく似ていますなあ。名前も似ていれば、職場の人間関係も似ている」


「それがしが右で貴殿が左。これも面白いですなあ」


「座っているのも偶然、拙者が左。貴殿が右」


 あっはっはと、大して面白くないのに並んで座る2人は大笑いした。おでん屋のおやじも笑ったので、もしかしたら面白い光景なのかもしれない。


 そんな偶然の邂逅が3度ほど続き、そして偶然相席した戌の日になると、もしかしたら右のが来ているかも、左のが来ているかもと考えるようになり、戌の日になると行くようになった。こうしておでん屋の屋台だけでの付き合いが始まった。


 回数を重ねるとお互いの話を更にするようになる。まずは故郷に残してきた妻子のこと。賀喜左衛門は小うるさい妻に子が2人。男子と女子1人ずつ。男子は5歳で女子が3歳。便りに寄れば元気でやっているようすだった。


 右衛門の方は妻1人、子1人で、入り婿。子は女子で、また入り婿を貰うことになるのかな、と言っていた。意外と子は大きく歳は11になるという。


「それは会いたいでしょうな」


「女の子は大きくなると父親を毛嫌いするもののようで」


「それは考えとうないですなあ」


 賀喜左衛門がため息をつくが、右衛門は微笑む。


「そうでもない。重荷が下りたと思えば良い」


 そうかもしれない、そう思えるにはまだまだ賀喜左衛門の娘は小さかった。幼い娘に早く再会したかった。


「江戸での仕事は慣れぬことが多くて、怒られてばかりで……」


 賀喜左衛門がぼやくと右衛門も応じた。


「それがしも同じよ。早く帰りたいものだよ」


 共感するところの多い2人であった。


「ところで、右の……」


 賀喜左衛門は右衛門に聞きたいことがあった。


「どうした左の」


「いや、右のは――そうとう剣の腕がたつとみた」


「どうしてそう思われる?」


 右衛門は訝しげに眉をひそめた。


「いやなに。また貴殿と我が似ているところを見つけたのでな」


 そして賀喜左衛門は自分の左の手のひらを右衛門に見せた。中指から小指にかけて、旧く、そして分厚いタコができていた。右衛門も左手を出し、賀喜左衛門に見せた。同じような手のひらだった。


「拙者は若い頃、剣だけは一生懸命に打ち込んできた。剣術師範を目指してもみた。だが、腕だけではどうにもならなかった。そのうち怪我もして、諦めた。だが、まだ剣は捨てられない。未だ修行の途中なのですよ」


「同じ手のひら――それがしの方は下手の横好きですぞ。ただ、まだ諦め切れていないというところは同じですかな」


 右衛門は下手の横好きと自嘲したが、賀喜左衛門はそうは見なかった。そのたたずまいといい、立ち上がるときの所作といい、その一つ一つに確かなものがあった。それほどまでに動きに気を配れる右衛門の腕が、並の剣士ではないことを賀喜左衛門に教えていた。


 だが、逆に考えてみれば、右衛門も賀喜左衛門のことを手練れだと見抜いていたのかもしれない。だから、もしかしたら、そんなことはないとは思いながらも、自嘲したのだと思う。人間の人生に偶然はない。すべてが縁なのだから。


 ひと月ほどが経ち、年が明け、新しい年がやってきた。春は近いとは言え、まだまだ寒く、おでんの屋台は毎日のように道ばたに出ていた。お互いが来る戌の日ではなくても、偶然仕事の帰りに近くまで来ると、もしかしたら来ているかもとのぞき込むこともあった。しかし賀喜左衛門がのぞき込んでも、いつも会う戌の日でなければ、見かけることはなかった。


 年が明けてからの賀喜左衛門は、多忙を極めていた。賀喜左衛門が勤める村山藩が関わりが深い大店に盗人が入ったのだ。だが、大店は公儀には知らせていない。盗まれたのは村山藩が幕府に知られてはならない内密に進めている事業に関わるものだったからだ。


 盗んだ者の見当はついていた。それは1年前から大店に勤めていた手代で、出納をする番頭の補佐をしていた男だ。盗まれた翌日に、姿を消していた。その手代を大店に推薦したのが大崎藩の江戸屋敷を仕切る家老だったから、行き先の見当がついていたこともあり、村山藩は手分けをしてその手代の行方を追っていたのである。


 賀喜左衛門にとって大崎藩といえば右衛門である。イヤな予感しかしなかった。賀喜左衛門の人生は間の悪いことが連続していた。仕事も、剣の修行も、怪我をした頃合いも、賀喜左衛門の意思と関わりのないところで悪いことが起き、それが人生の転機に関わっていた。今、こうして盗人を追っていることもそうだ。右衛門と知り合いになったこともそうだ。全ては間が悪いことと言えてしまいそうだった。


 そして彼は自分とよく似た右衛門もまた、間の悪い男だということを、おでん屋で酒を飲みつつ語らい、知っていた。


 夜は更けていた。月がある夜だ。走ることすらできる、道に影ができる夜だ。そんな夜中に走るのは、盗人の手代らしき男を見かけたという情報が飛び込んできたからだ。


 それはいつもならおでん屋が出ている辺りだった。


 軽く息を切らしながら走っていると、遠くにおでん屋の提灯が見えた。

 

 その手前を歩いている3人の男が見えた。


 2人は武士だ。もう1人は、手代だという似せ絵と印象がよく重なる男だった。


 3人も息を切らしている。


 後ろから、誰かが追ってきている気配がした。足音が近づいてきていた。


「右の!」


 武士の1人が右衛門だと気づき、賀喜左衛門は声を上げた。分かっていた。分かっていたのだ。この巡り合わせの不幸さを。


「左の!」


 後ろから村山藩の同僚が来ているのを月明かりの下、認めた。


 右衛門は賀喜左衛門から顔をそらし、追ってくる賀喜左衛門の同僚に立ち向かっていった。残ったもう1人の武士が刀を抜いた。


 抜く様は、堂に入っていた。かなりの使い手だと分かった。


 賀喜左衛門はゆっくりと抜き、刀身を相手に見せつけるようにして月光にかざした。


「憤!」


 声にならぬ声で斬りかかってきて、賀喜左衛門は一旦、それを受け、二の太刀で勝負を決めた。


 脇を締め、最小の動作で切り返し、斬りかかってきた相手に対し、賀喜左衛門はその切っ先を刀身の背で反らし、間合いを詰めて、斬った。後の先である。


 賀喜左衛門が人を斬るのは初めてではない。これが彼の江戸での仕事だった。


「左の――どこまでも似ているな。それがしと貴殿は」


 同じように刀を抜いた右衛門がいつものように自嘲した。彼の足下には賀喜左衛門の同僚が転がっていた。


「同じ人斬り、か」


 右衛門は血糊がついた刀を振り、血糊を払った。


 まだ間合いには遠い。


 賀喜左衛門も血糊を払う。


 盗人の手代は凍ったように固まり、動けずにいた。


 彼が何を盗んだのか、藩の機密がいったいなんなのか、賀喜左衛門はそれを知らされる立場にいない。ただ、このようなときに、刀をふるい、人を殺めることだけが仕事の、ただの人斬りだ。


 剣の修行の先には、こんなことしか待っていなかった。それを知っていたら若い自分は剣に人生を捧げなかっただろうかと自問自答する日もある。しかしその答えはいつも否だった。たとえそうであろうと決して剣の修行を止めることはなかっただろうと思う。今がそうであるように。


 ひょう。


 右衛門が息を深く吐いた。精神統一を果たしたのだ。


 こおおおう。


 同じように賀喜左衛門も深く息を吐いた。


 その直後、視界が数倍に拓けたかのような意識の広がりが発生する。極限まで集中し、脳の活動が活性化し、感覚時間の鈍磨が始まる。


 右衛門が上段に構え、速度と威力を兼ね備えた一撃を柿右衛門にふるおうとする。


 同じような時空に、彼もいるのだ。


 右衛門は賀喜左衛門の刀の長さを見切り、最小最速の一撃を振り下ろした。


 頭蓋を一寸もえぐれば人は簡単に死ぬ。右衛門は最遠の間合いで、最速の攻撃で、最も効率的な攻撃を放ってきた。異次元の腕を持つ人殺しだ。


 だが、賀喜左衛門も同じ領域にいる人殺しだった。


 賀喜左衛門は上段から最速の攻撃を放つ右衛門に対し、中段から刀を突き入れる。


 しかし右衛門の刀の方が長く、また、早く振り下ろしている。勝負は既についていたはずだった。


 しかし、剣戟の威力で一尺ほどの後方に飛び、地面に倒れたのは右衛門の方だった。


 賀喜左衛門の刀は、右衛門の同僚に対して振ったときよりも2寸ほども伸びていた。右衛門は間合いを見誤るよう誘導されていたのだ。それでは勝ちはない。


 右衛門は地面にばったりと大の字に倒れていた。だが、ゴボゴボと血を吐きながら言った。賀喜左衛門は喉元に一寸ほども突き入れている。出血は多い。じき、出血多量で意識がなくなり、死に至るだろう。


「切っ先が、文字通り、伸びるとはな」


「初めて相違点を見いだしたというのに、その、貴殿と拙者が違うところが勝敗を分けるとは皮肉としか言い様がない」


 そして右衛門に見せるように束から2寸ほど飛び出ているヤスリ目の部分を掲げた。


「仕掛け……だと」


 賀喜左衛門は鞘の中にヤスリ目まで戻し、半分ほど出ていた目釘を戻し、刀身を留めた。目釘を自由に動かせるよう二重にして、バネを仕掛け、バネの頭を押せば目釘が跳ね飛んで、刀身が束から出る細工だ。


「拙者は邪道に走った。貴殿は剣の道に邁進した」


「――邪道なものか。生きている者がいつだって、正しい」


 そして右衛門は息絶えた。


 賀喜左衛門は月光の下に眠るもう1人の自分を見つめ、言った。


「まあ、また一緒に呑む日もそんな遠くもないだろう。地獄で待っていてくれ」


 そして右衛門の瞼を閉じた。


 盗人の手代は失禁し、その場にへたり込んだ。


 江戸屋敷の同僚が何人か走ってきた。死体の始末もしてくれるだろう。今夜は戌の日だが、もうおでん屋に行く理由はない。もっとも返り血を浴びてしまっているので、行けるような格好もしていないのだが。


 しばらくは――少なくともこの冬はもう、おでんを食べることはないだろうな、と賀喜左衛門は思った。




 さて、ここから先は蛇足である。


 村上藩が進めていた内密の新規事業、そして手代が盗んだものでもあるのだが、それは岩塩であった。山形県に日本で採掘できないとされている岩塩が採掘されたという伝承がある。村山藩は海がなく、塩を買うしかないはずの内陸の藩だったが、その鉱床を発見、専売とすることで大きな利益を得ていた。しかし天領では塩を専売としている幕府がその事実を知れば、興味を抱かないはずがない。どのような場所でどのようにして取れるのか、可能であれば岩塩の鉱山を入手したいと考えるのが自然である。だから、幕府に知られたくはない。しかし外貨を稼ぐためには外に持ち出す必要がある――岩塩と海水から作る塩とではかなり差異がある。それが売り出すための支障となるのか、逆に美点となるのか、見極める必要があった。それを大消費地である江戸で実験するのは自然の成り行きであったといえる。


 一方、それを狙った大崎藩はより北にあり、海に面していても日照時間が少ないため、塩を作れない土地だった。そのためやむなく瀬戸内海付近から塩を入手していたのだが、それは大きな財政負担になっていた。しかし海がない村山藩が塩を産出しているらしいという噂を聞きつけ、今回の事件となったのである。大崎藩でも岩塩を発見できれば、藩の財政は豊かになることは間違いなかった。だが、村山藩がどのようなところで岩塩を産出しているか漏らすことなどありえない。それ故に、盗み出す以外の手がなかった、ということなのだろう。


 この事件で3人が死んだが、3人の死は、公儀に知られることなく――いや、知られたのかもしれないが、様々な事情が関与したのだろう――世に知られることはなかった。


 その後、村山藩の塩がどうなったのか歴史は語らない。どうもあのあたりから塩が取れたらしいという伝承は残っている。伝承として残っていても、資料としてはないというのは、輸出を断念し、藩の内部だけで岩塩を消費し、財政の助けにしたからだと筆者は想像するのだ。

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