第5話:スキル習得も好き好き


「う……げ……」


 まさに厄介な自分のストレス障害については、長い付き合いではあるけれども、何度思い知っても業が深い。


「大丈夫? 美空くん? 帰るならタクシー呼ぶけど」『大丈夫じゃないからこうしているのよねー』


 あの後。教室で行われたホームルームについては俺の知る由もない。水越さんに笑顔満点で話しかけられた瞬間、俺のストレスは限界値を突破してトイレに直行。胃液が出なくなるまで吐いて、それから俺は保健室に突撃していた。別に水越さんに非があるわけではないが、俺にとってはちょっとアレ。


「大丈夫? じゃないよね? 何があったの?」『カスミに何かあったらあたし死んじゃうよ?』


 さすがにトイレに駆けだして昼休みまで教室に戻らなかったら春奈の不審も買うらしい。保健室でダウンしている俺を、心配げに見つめる春奈の心砕きもわからんじゃないが、今回に限れば悪手。


「あー、なんというべきか……」


 たしかにこのまま黙秘を貫いても意味は無いだろう。春奈の心配そうな瞳を見ると、余計な思想が流れ込んできてまた胃が暴れ出す。コイツは俺の事情を分かっている。だからきっと土御門先輩を「お姉様」と慕って「美空カスミに興味ないですよ」ムーブをしていたのだから。


 で、何と説明する?


「あー。六識聴勁がアレでコレで」


 俺は俺が好きな人が苦手だ。とはいえそれは相手の好意を蔑ろにする思想ではない。相手が俺のことを好きでいてくれることは有難いのだ。感謝の念に堪えない。ただ蕎麦アレルギーの人が蕎麦に恨みが無いように、これは本質的に悪意の所在を問うような問題ではない。


「ちょっと調子が悪いだけだ」


「風邪かな? ミソッカスちゃんと寝てる?」『ちょっと項垂れてるカスミキター! こんなん抱いてって言ってるようなもんじゃん! あたしが看病しゅるぅぅぅぅ!』


 ああ、疲れる。


「大丈夫だから。お前は教室に戻れ」


「まぁそうだけど。お姉様も御拝謁する必要があるし。でも無理はしないでね」『はぁはぁ。弱みを見せる男子大好物です。これは濡れる』


「いいから。お前がここにいると俺は休めない」


 少しだけ強い言葉を使った。何それー、とか不満を言いつつ春奈は教室に戻っていった。


「ふう」


「ホントに顔色が良くなるのね」


 で、養護教諭……つまり保健の先生が俺を見て納得していた。


「彼女グレートスリーよね? お知り合いで?」


 未だにグレートスリーとかいうカテゴリー分けに俺は違和感を覚えるのだが。だってマケインとビッチと牛丼特盛だぞ?


 多分だが、水越さんは台風の目になる。あの愛らしさは春奈にも負けていない。ていうか一番キャラ立ってないの春奈じゃね?


「ああ、まぁ。色々と」


「苦手……とか?」『たまにそういう子、いるのよねー』


 心配する養護教諭の心遣いは嬉しいのだが。


「いえ、こっちが勝手に目に見えている穴に落ちているようなものです」


「それもそれで心配になるけど」『どういう意味よ?』


 言えない。学校側にも俺のストレス障害については話していない。話せば親身になってくれるだろうが、それが逆に困らせる。相手からプラスの意識を向けられるだけでも俺には致命的だ。だったら何で六識聴勁を身に着けたかって? こんなことになるとは思わなかったんだよ。


「はー」


「コーヒー飲む?」


「有難く頂きます」


 元々生徒に優しくするために生きている養護教諭に俺のトラウマを刺激されるのはもうしょうがないとして、胃に何も入れていないのでコーヒーくらいは飲める。まぁこれで吐いたら黒い液体が流れてくるのだろうが、それは未来の俺に任せよう。












「仰げば尊し我が死の怨」









 で、ちょっと漢字変換を間違っているような仰げば尊しを謳いつつ(実は著作権は切れているので素で歌っても問題ない)俺は下駄箱に向かっていた。授業には結局出なかった。内臓不全……というと意味合いは違うが、あのまま教室にいても醜態をさらすだけだろう。ていうか今後春奈やビッチとはどのように付き合っていくべきか。放課後も少し遅い時間。簡素に開けた廊下を歩き、下駄箱のドアを開いて靴を取ろうとすると、


「ん?」


 中に入っている封筒一枚。無機質な白い封筒だったが、封をしているシールが桃色の花を形成して、まぁ単純に言って愛らしい。こうなると無機質な白さも純潔を思わせる意識の高い清楚さに脳内変換するクソ童貞の妄念。それは俺にとって敵じゃない。


「えーと」


 恋文。違ったら校門前で投身自殺してもいい。


「ジー……」


 で、俺がその封筒を手に持って思索していると、こっちを見る女子一人。ちょっと日本人にしては色素の薄い……だが決定的とは言えない黒髪の少女は、目からビームでも出す気なのか。極度の集中で視線に熱を入れ俺を見ていた。


「えーと?」


 ガランと靴を地面に落として、学生カバンを持っていない方の手。つまり封筒を持っている方の手で俺はその女子に手を振ってみる。


「はわわ!」『デュフフ。目があったお』


 なんなんだ一体。


「えーと。えへへ」


 はにかむ笑みで俺に笑いかけ、そして跳ねるように歩み寄ってきた。その小さな身長を裏切る巨乳がタユンと揺れる。歩くだけで戦略兵器をぶっ放すのは止めて欲しいのだが。クソナード少年の目には毒だ。


「あー。ども」


「今お帰りですぞ?」『やっぱり胸見るんだ……』


「申し訳ないながら男ならしょうがないというか……」


「帰るのが?」


「そうだな。男には帰る場所がある」


 百を超えるバスト値については俺が言っていい話ではなく、目線を逸らして「それじゃ」と距離を取ろうとする。まぁいきなりセクハラをかましたのだから相手も承諾するだろう。


「一緒に帰りませんか?」


 しなかった。承諾。


「何故?」


「理由が必要だぞ?」『デュフフ。一緒に帰りたいお』


「俺は別にいいが。女子としてそれはどうなんだ?」


「例えばですが。冤罪で性暴行を働かれたと証言されたくなければ一緒に帰れ……という脅しは有効でしょうか?」『そんな気はないのだけどだお』


「たしかに説得力はあるな」


「でしたらウチと一緒に下校するぞ」『デュフ。一緒に下校』


「…………」


 俺は口元を抑えた。さすがに跳ねる仕草のたびにタユンタユン揺れるパイオツに目を向けるわけにもいかず。視線を逸らすことで六識聴勁を抑えていたが、相手の声から聞こえる感情は好意以外の何物でもない。


「ではでは帰りましょう。ついでに話したいこともありますぞ」


 このまま此処に突っ立っていても進展しないのは確かであるが。ていうか校門を抜けた時点で反対方向の可能性も。


「ああ、大丈夫。住所近いから」


「……なんで俺の住所知ってんの?」


「教えてくれたじゃないですかだぞ」


 お前は何を言っているんだ、みたいな感情だった。ちなみに教えたつもりはない。朝に彼女の顔を見た瞬間トイレに駆け込んでリバースしただけだ。


「でも警察官に向かって話していましたぞ?」


 ああ。週末のアレか。さすがにストーカーから水越さんを助けたのは記憶に新しい。


「夜のあの時間にあそこに居たんだから、住所近いなーとは思っていたんだぞ。で、実際に聞いたらご近所さんだったんだぞ」


 俺は道すがらを真っ直ぐ見据えて歩いていた。さすがに彼女の顔を見る勇気はない。相手がこっちに悪意を持っていないのは声で悟れる。だから逆に怖い。俺にとって好意とは毒だ。


「で、お礼でも言いたいと?」


「まぁそんなところ。でも学校でそんなことするわけにもいかないぞ?」


 いや。お礼くらいなら受け止めるが。


「美空氏は……エッチだぞ」


「どこを聞いてそんな結論に至った?」


「だって学校でそんなこと」


「お礼を言うだけでしょうぞ?」


「それで済むとでもお思いで?」


「残念ながら俺はそっちは素人だぞ」


「なら尚のこと都合がいいぞ」


「同人誌の寝取られキャラくらいアレが小さい」


「別に気にしないかなー。ウチのアレがそんなガバガバってわけでもないし」


「え? 女の子って大きい方が好きじゃないの?」


「ウチは別に。気にしないというか。そもそも知識が同人なのはどういう」


「まぁ無理矢理とか憧れがあるから」


「あはぁ」


 それはどういう悲鳴だ。


「じゃあちょっと挑発してみたり」


 スッとこっちに寄って、スルリと水越さんは腕に抱き着いてきた。百オーバーのパイオツは俺の不肖の息子を埋没させるにたる大きさだが、俺の二の腕も許容範囲らしい。どれだけ大きいんだよ。


「大きくなった?」


「水越さんが思っている以上に」


「えへー」


 だからそれはどういう悲鳴だ。


「楽しみだぞ」


「何が?」


「ナニが」


「えーと。本気でいいので? これで冗談でーすぷっぷくぷーとか言われたら刺すぞ」


「イチモツで?」


 その可能性を否定できるほど思春期に余裕はないのだが。


「いいぞ。エッチな目で見ても。むしろ美空氏になら嬉しいかも」


 フニュンポヨンと俺の腕を擦りつけて揺れるパイオツ。もうこれってアレじゃねーの。


「くノ一忍法! 乳時雨!」


「え? 出るので?」


「出ないけど」


 さすがにそこまでファンタジーではないらしい。いや、すでに俺の相手を所望している時点で童貞少年にとってはファンタジーだが。


「いや。勘違いしちゃうから止めて。お礼ならケーキでも奢ってくれればいいから」


「女体ケーキ?」


 お前は本当にさぁ。どれだけ俺の性癖と合致するのだ。


「まぁまぁ。据え膳食わぬは男の恥って言うじゃん? 食べるのはウチだけど」


 本気にするぞ? もうどうにも止まらないからな。


「ウチはマンション暮らしだから。誰もいないぞ」


「ああ、そ」


 ま、言ってしまえば、俺にそういうことは出来ないのだが。


「男の子ってパイオツ好きなんでしょ? ウチは大きいぞ?」


「スカウターがここにあれば……」


 場を和ませる……というより俺の性欲を拡散するために冗談を言ったら、俺の腕に抱き着いている水越さんが囁くように言った。


「百五」


 甘い息が耳をくすぐる。


 百五?


 牛丼特盛以上の戦闘力だとでもいうのか。だが俺の腕を挟み込んでいるヒンノムの谷の深さから逆算するに、それくらいないと説明がつかない。


「ちちち、ちなみにそれはおでんの出汁にしてもいいのか?」


「ブラジャーでも煮込む?」


「汗が染み込んでいるのなら」


「うーん。上級者だなぁ」


 え? 引かないので?

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