第4話:女の子の内なる声が聞こえる


『愛しているわ。カスミ。これだけは本当で永遠』


「う……あー」


 最悪の目覚めで俺は意識を取り戻した。


 過去に起きたことをなぞるような悪夢に、意識がごっそりリソースを持っていく。別にそれで救われたりはしないのに、何度も夢は俺を苛む。


 というか学校だ。月曜日。イマジンライターの開発で休日を潰したが、本来は俺は学生をやっている。我が家の冷蔵庫を開けてエナジードリンクを取り出して飲む。カロリーブロックを食べつつ、タオルを手に取る。シャワーを浴びて寝汗を流すと、学校制服を着る。登校の支度をすると、学生カバンを持って家を出た。


「お……おはよー」


 我が家の玄関の鍵をかけて、道に出ると、毎度の如く風間春奈がそこにいた。昔からの馴染みだ。だいたいコイツと一緒に登校している。とはいえ互いに思うことはない。別に付き合いが長いとはいえ、恋愛関係になんて……、


「いい天気ね! ミソッカス!」『キター! 今日も眩しいですカスミきゅん!』


 …………えーと、恋愛関係なんて…………。


「ほらほら行くよ! 今日も元気に学業! 蛍雪の功!」『一緒に登校できるだけで美味しいです! 隣で歩いてたら周りが恋人認定ワンチャンあったり!?』


 チーンと御鈴が鳴る音が聞こえる。


 落ち着け。まだ人類が敗北したわけではない。


「えーと……いい天気だな?」


「それあたしがもう言ったじゃん! 変なミソッカス!」『挨拶キター! これはもう恋愛的大勝利では!?』


「…………」


 胃液がせり上がる。俺にとってこういうことはトラウマを刺激される。別に春奈が悪いわけではないが、俺にとってそういうことは胃液を吐きかねない心的外傷だった。


「大丈夫? 調子悪い?」『なんならあたしが付きっきりで介護するニャー』


 聞こえる六識聴勁の感覚が俺を苛んでいた。さすがに隣同士で歩いていれば、視覚で目視しているわけではないので情報があまり入ってこないが、六識聴勁はその名の通りに六識で情報を保管するので、声とか距離とかで嫌な情報も入ってくる。


 嫌……というか困るというか。


 う。吐き気が。


 さすがにここでゲロを吐くのは人間としてどうかと思うので、必死に食道を封じてせり上がる津波……見つめあったら素直にお話が出来なくなったりするアレを押し留める。


 それでも戻しかねない胃の調子をどうにかこうにか。


「大丈夫? 調子悪いなら休んでいいよ? あたしから先生に言っておくから」


 隣を歩く春奈の問いにはとりあえず答えず。一応隣で歩いているので、視界に入らない限り六識聴勁は極端に働かないらしい。


 しかし困った。休みの日は家に籠っていたので他人と付き合いが無かったのが致命的だ。週末の水越さんとストーカーの心の声が聞こえた時点でこうなることは想定しておくべきだった。いや、考えなかったわけではない。だが春奈の本音が俺を好きだという結論に参っている。俺にはそういう感情に耐性がない。好意を向けられると気分が悪くなってしまうのだ。


「そうだ。ミソッカス。週末のアニメ見た?」


「見てないがネタバレはオールカモンだぞ」


 できるだけ春奈を見ないように、前を向いて歩く。六識聴勁の効果が薄れて内なる声が引いていけば、気持ち悪さも引いていく。


「でさぁ。聖痕のガングリオンだよ。主人公の聖痕が光り輝いたらさー」


 アニメについて嬉々と語る春奈は、多分だがこっちを気遣っている。それは俺の調子が悪いこととは関係がない。正確にはあるが、それとは話が別で。


「なぁマケイン」


「マケイン言うな。言霊が本当になりそうで怖いのよ」


「お前、牛丼特盛についてどう思う?」


「お姉様をその名で呼ぶのも止めてよ」


 もちろん牛丼特盛は土御門先輩のことだ。


「好き……だよな?」


「愛していると言ってもいいわね」


 今まで俺はそれを真実だと思っていたのだが、春奈の声には偽装が張り付いていた。表情や挙動を目で見てないので六識の一つである聴覚に頼るしかないが、なんとなくわかってしまう。


「ちなみにだが……俺のことは?」


「まぁいいお友達よ」


 ああ、そ。


 そんな濡れた声で言われても説得力が無いのだが。とはいえ好意を向けられるとマジで吐きそうになる。声だけでも好意を語られてこれだ。朝の玄関でのやり取りみたいに、間近で本音を悟ってしまうとマジで吐く。


 うっぷ。


 そんな感じで歩いて、学校へ。そこそこ歩いている同校生と流れを作りつつ、学生の一人として校舎へ吸い込まれていく。危惧していたことは起こらなかった。つまり周囲の人間の感情を読み取ってしまうという危惧だ。どうやら六識聴勁には集中が必要なようで、視界の端に映ったその他大勢を認識で悟ることはできないらしい。


 考えてみれば当たり前だ。武術における技術なので目の前の相手の挙動を読むというスキルで完結しているのだろう。正確には本音を予測しているだけで、その声が正しいわけでもない。つまり、俺の感じている内なる声は勘違いの可能性も!


「ねえ見て! お姉様だよ! 今日も超華麗! エモい!」『こうやってカスミに惚れてないよアピールするのもキッツいなぁ』


 いや、俺の方がキツいから。


 チーン。とまた御鈴が鳴いた。保健室に行くことも考えたが、何と言って休んだものか。マケインの好意がバブみ過ぎて気持ち悪くなりました?


 言い訳にしては自意識過剰だ。つまり今の俺は自意識過剰だ。相手の挙動から意識を読むというのは言ってしまえば自己防衛の究極だろうから。


「はー」


「大丈夫? 無理したらダメだよ?」


「だいじょーぶ」


 俺の隣の席にいる春奈の方は見ず、俺は机に突っ伏して逆方向を眺めていた。そうすると今度は別に奴が視界に入る。パツキンで制服を着崩した黒ギャル。こっちを見てニヤリと笑う彼女はウキウキ気分で俺に手を振る。


「お疲れじゃーん。何々? ナニしたのー?」


「してございません」


 このまま突っ伏していたいが、それも難しく。


「週末はどうだったん? 楽しめたんか?」


「まぁそこそこなー」


 なので気だるげに返す。教室に入ってきた黒ギャルはニヤニヤと笑って俺を揶揄う。


 ビッチこと火野夏海は今日も絶好調らしい。


「どうせ暇してるんならあーしとデートすりゃよかったのに。惜しいことしたねー?」『美空っちてぇてぇ! 本当に尊い! 神!』


 ブルータス。お前もか。


「せっかく予定空いたんだからキープくんと遊んでも良かったのに」『ついでにアレでコレなムフフに雪崩れ込んで』


「彼氏とデートしてりゃいいんだよ。キープなら他に作れ」


「やーん。恋多き女だからさー。青春無駄にしたくないじゃん? やっぱり恋は乙女を大人に変えるっていうかー」『ウソでーす! てぇてぇ美空っちが大好きなんだから気付いてよー! 彼氏なんていないんだから美空っちが貰ってあげてよー』


「…………」


 俺は眉間を摘まんだ。


 夏の幻想か? これ……。


 この鬼ギャルに彼氏無し? 俺をキープくん扱いするための言い訳?


「うっぷ」


「大丈夫? ミソッカス?」


 俺の視界の外で春奈があわあわと慌てる。春奈だけは知っている。俺が人から好意を受けるとトラウマで胃が逆流することを。だから春奈はビッチが俺に近づくのを快く思っていない。好意というほど明確ではないが、キープ扱いする待遇に俺が吐き気を覚えると危惧しているのだ。


 もちろん俺がここで感じたことは黙秘なのだが。


 左を見ても右を見ても俺に好意を寄せる女子二人。


 風間春奈と火野夏海。


 俺は瞳を閉じて、冷静に胃の調子を整える。


「マジお疲れじゃーん。何かあった?」


「いやー。特に何も。つつがない週末でした」


 目を閉じれば六識聴勁も幾分鳴りを潜める。さすがに登校するときは公道を歩いているので目を閉じるわけにもいかないが、教室でなら幾らでも出来るだろう。授業中なら授業に集中すれば、ソレ以上ではない。


「あらら。本当にお疲れ」


「いいから離れてよ火野さん。ミソッカス調子悪いんだから」


「あーしのせいだって言うの?」


「原因の一端ではあるよね」


「何それー。不本意の二乗ー」


 俺を挟んで対称的に立って言葉を交わす二人。これが学内の三大女子グレートスリーってんだから世の中うまくいかないものだ。俺としてはソッとしていてほしい。


 グダグダと応酬している二人とは別に、ザワリと教室が沸騰した。


 ああ。もうそれだけでわかる。


「水越さん! おはよう」「おはようございます!」「三日ぶり!」


 俺と同じクソオタたちがテンションを上げている。


「おっはよー。ねえねえいきなりかっ飛ばすけど、俺の嫁が世界で二番目に可愛い……見た?」


「見ました!」「一番じゃねーのかよ!」「でも嫁じゃない一番ヒロイン可愛かったですね!」


「だよね? 尊いよね? 神だよね? アレだったらウチでも浮気するぞ」


 興奮冷めやらぬ……という風に水越さんはフルスイング。


「あの巨乳がたまらん! 挟んで欲しいくらい!」


「わかるわー」「エロいよねー」「むしろ尊さまである」


 セクハラ発言を自分から積極的に行っているその様は、まぁ控えめに見てもオタサーの姫で。オタサーには所属していないだろうが。


「水越さん。書籍同好会に入らない? 歓迎するよ?」「ていうか趣味的にそっちの方が」「わかるー。水越さんのオタク度合いは天元突破」


 オタク男子はオタサーにいそいそと勧誘する。気持ちはわかる。あそこまでフルオープンアタックかまされたら、オタ女の行く末などオタサーしかないだろう。


「あー。入りたいのは山々なんだけど、ちょっと事情があって無理だぞ」


 で、オズオズとお断りする水越さんは、嘘をついている風ではなかった。俺は目を閉じて仮眠の準備に入っている。


「ミソッカス。お姉様が」


「キープくん。あーしの彼氏がさー」


 で、その両隣でなんやかんや言ってくる女子二人については考えない方向で。内なる声は聞こえなくなったが、それでも六識が悟れる程度には本音が聞こえてくる。ソレは俺にとって歓迎すべき事柄ではなかった。


 もちろん春奈も夏海も突き抜けて可愛い女子だ。言い寄る男子は多いし、そういう感情を持つ人間というのは枚挙に暇がない。ビッチの方はサラリーマンの彼氏がいるから他の男子とは付き合えないという言い訳で袖にしているが、それが虚構であることを俺は知ってしまった。春奈の方は、土御門先輩を「お姉様てぇてぇ」と鼻息荒く信奉しており、おそらく百合女子かと疑念を向けられている。もちろんこっちも虚構だが。俺はその二人と仲のいい危険な男子として危機感を覚えられているが、案外思ったより世の中というのは単純に出来ているらしい。


「ミソッカス。お姉様への懸想文を」


「キープくん。あーしといいところにさぁ」


 困惑する俺を他所に、百合思考(虚偽)と彼氏持ち(虚偽)が俺を挟んで苛んでくる。


 さて、どうしたものか。悩んでいると。


「美空氏!」


 転校生特有の後ろの席でオタク男子と週末アニメについて議論していた水越さんが俺を見つけて話しかけてくる。二次元趣味の憧憬を渾身で特攻するような容姿の水越さんは、背が低いのに胸だけ大きく、まさにロリ巨乳を地で行く愛らしさ。俺も男なので何も思わないわけもないが、彼女の声を聴くだけで吐き気が催してしまう。


「やっはー。週末アニメ見た?」『デュフフ。先日はありがとうございました! アレで濡れない乙女はいないんだお!』


「…………ッッッ!」


 ロリ巨乳の眼鏡越しに見つめられた御好意を悟った瞬間、俺の胃が乗るしかねえこのビッグウェーブにってなって、俺はそのままトイレに駆け込んだ。

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