第3話:陰陽極まって太極と為す


「プログラムに欠陥無し……と。疑似的な俺のブレインマップとも齟齬は無し。あとはコンパイルエラーの人為的カウンター処理の項目が」


 エナジードリンクを飲みつつワークステーションをインタフェースで操作する。バイト代わりにやっていることだが、こういうのって実際のところどうなんだろう。


 イマジンライター。


 言ってしまえばVR機器の兄弟みたいなものだが、もうちょっと趣旨が違う。脳をスキャンしてイメージを投射するという技術から発展して、脳のニューロンマップに干渉して何も知らない素人に専門技術を植え付けようという実験だ。まぁ言ってしまえば、脳のプログラムを改ざんして新しいスキルソフトをインストールする試み。その機器の商品名がイマジンライターで、今のところとある技術会社が販売に際して根回ししている最中。


「はろはろー。カスミ。ご機嫌いかがー?」


「機嫌はいいぞ。それで何用で?」


 唐突にかかってきた電話に出ると、親戚のお姉さんの声が聞こえた。俺のバイト先の仲介潤滑油で、言ってしまえばお得意さん。俺がシステム構築して、それをハードに起こすことを目的とした技術屋とも言える。


「イマジンライターの方はどう? 使えそう?」


「今実験中」


「ほぼ人体実験ですよね?」


「ああ、だから安全マージンはとるつもり」


 そこら辺は余念がない。


「ちなみに誰を犠牲にするので?」


「俺」


 ていうか他にない。ブレインマップを改ざんするのだ。相応のリスクは承知しているし、それを他者に委ねる気は毛頭ない。


「いや。カスミがバグったらどうするの?」


「墓の前で泣かないでくれ」


「ジョークよね?」


 真っ当に本気のつもりですが?


「せめて大金払ってアルバイトの人体実験雇うとかさー」


 治験みたいなものだろうか? けどなー。


「ま、なんとかしますよ」


 送られてきたイマジンライターに、構築したプログラムをダウンロード。そうして俺はイマジンライターを被ってベッドで横になった。イマジンライターの全体的な印象はバイクのヘルメットに似ている。単純にVR機器として開発するだけならもうちょっと軽くハイセンスな設計が出来るのだが、イマジンライターは人脳にソフトをインストールすることを目的としているため、相応のスペックを必要とするのだ。


「ダイビングリンクオン」


 そして俺の意識は脳内へと沈んだ。眠気も近い脱力感が俺を襲い、そうして気付くと仮想現実世界に放り込まれている。意識としては脳内であるのだが、VRの演出によって自己世界に完結していないという。そうして一応最後のチェックを済ませると、俺は自分で組んだソフトをインストールせしめる。


「太極拳……と」


 動画で見た中国武術を理論化して、その動きの理想形を自分にインストールする。太極拳を選んだのは単なる趣味だ。身体は鍛えているのだが、それを活用する技術が俺には無い。だからイマジンライターで武術をインストールできれば、もうちょっと何か出来るのではないか。そんな感じで太極拳のソフトを作ってみた。


 インストールにも時間はかかる。自分の脳を改ざんしているので、たしかに恐怖が無いかと言われると、あるにはあるのだが。


「ふむ」


 そうやってリンクを終えて、現実世界に戻ってくると、自分の意識の中に何か確信に似た技術が根ざしているのがわかる。とはいえ。


「太極拳を極めた……と言えるのか」


 武術としての理論化は多分成功している。自分の意識にも問題は今のところ問題は無い。


 インストールした武術の理論通りに身体を動かしてみる。緩やかに円を描いて、両手両足が動き、緩やかながら流麗に肉体が運用される。


「成功……なのか?」


 とはいえ、ここで一人いても意味はない。誰かに喧嘩を売る……のは俺の道徳に反するからやらないとして。


「週明けにでも柔道部にでも顔を出すか」


 ちょっとだけ俺にインストールされた技術をそこで確認してみる。それでいいだろう。


「さて、じゃあ実験も終わったし、飯でも買うか」


 近くにコンビニがあるのだ。そこに向かう。特に何を予感したわけでもなかった。


 夜の空気。春の夜はまだ肌寒く、ちょっとパーカーを着て街灯の明かりを頼りにコンビニへと向かう。適当にカロリーブロックをレジに持っていくと、店員さんの挙動が読めた。


「はい。全部で六百五十二円でーす」『はー。ダル』


 少なくとも相手にはこっちを攻撃する意識はない。相手の体の動き、声の質、視線の先などでそれが読み取れる。


 六識聴勁。


 相手の情報から次なる手を読む発勁の一種。それこそ相対こそすれば未来予知にも似た感覚を覚えることさえ可能だ。そして、その意識を読み取ることで相手が何を考え、どういう攻撃をするのかさえ読み取れる。


「ありがとうございましたー」『あんまり多数を買うなよ。レジが面倒だろ』


 なるほど。六識聴勁を覚えると、相手の意識したことが底まで読めるわけだ。六識で相手の勁を読むので、意識をしなければ何も問題は無いが、逆に言えば意識してしまえば相手の挙動から手を読める。


「つまり将棋とか強くなりそうだな」


 我ながらチート能力を手にした気分だが、そもそも太極拳が一般的にどれだけ強いのかも俺は知らないのだ。


「アーレアヤクタエスト~。賽は投げられた~」


 とりあえず適当なアニソンを歌いつつ、夜道を歩く。その途上で、


「?」


 水越さんを見つけた。キョロキョロと周りを見て、次なる曲がり角を曲がっていく。


 不審だった。六識聴勁で見るに、何か深刻な問題を抱えていそうな。そんなことを思っていると、今度は成年男性がその道を通り過ぎていく。そのギラリと光る目線に、悪寒を覚えてしまう。つまりアレのコレはソレで。


「ストーカー?」


 とはいえ、勘違いだったらかなり問題だ。冤罪の可能性もあることを考えると、どうにも足が止まる。しかしもし水越さんが困っているのなら、ここで見ぬフリもできないだろう。


「さて、どうしたものか」


 悩みつつ、俺は二番目に見た成年男性を追った。彼が水越さんのストーカーであるならば問題は此処で起きる……はずだ。


「臼石泡瀬たん。可愛いよ。可愛いよ。さすが某の嫁」


 聞こえた声は、あまりに悪徳が過ぎて。


「いや……止めて……」


「可愛いよ。臼石泡瀬たん。某は君を幸せにして差し上げる」


 臼石泡瀬……というのが何を指すのかは分からないではないが、今は関係ない。追い詰めるように水越さんに迫る成年男性をどうすべきかがミッションだ。


「あー、止めない?」


 なので俺はスマホを動画撮影モードにして、一部始終を撮影しつつ相手に引き際を提示した。穏便に済ませるつもりだ。相手が引いてくれればそれでよし……のはずだったが。


「なんだ君は! 某たちの愛色空間に入ってくるな!」『面倒ごとかよ』


 愛色空間とくる。それはお前の強さが三倍になるとかそういうアレか。


「ストーカー。セクハラ。強姦未遂。ツモ上がり。役符の計算で懲役三年は固いぞ?」


「愛は全てを超える!」『彼女は某の物だ! 犯罪じゃないぞ!』


 でも翼が無いと鳥も飛べないわけで。


「そっちの女子も同じ意見で?」


 俺は動画撮影をしながら意見を水越さんに聞いた。名前を出さなかったのはとりあえずの個人情報の観点から。怪しいお兄さんが水越さんを臼石泡瀬と呼んでいるので、ここで本名を呼ぶことが躊躇われた。


「…………」『助けて! お願い!』


 悲痛の表情でこっちを見る水越さん。そして俺の確認にかぶりを振って否定する。つまりロンだ。婦女暴行事件の成立。


「とのことらしいですが?」


 動画のついでに会話も記録しつつ、いいから逃げろと念を押す。


「そもそもお前は何だ! 臼石泡瀬たんのストーカーじゃないだろうな! だったら某が成敗してくれる!」『臼石泡瀬たんは某だけが愛していればそれでいいのだ!』


 完全にイっている目で俺を睨む愛の人は、呆れた考えでナイフを取り出した。


「……ひ!」『怖い恐い畏い怖い恐い畏い怖い恐い畏い怖い恐い畏い怖い恐い畏い』


「あー……」


 その過程で、俺は大体のことが読めた。つまり俺は心を読んでいるわけではない。あくまで六識聴勁で、相手の意図を汲んで、それを言語思考に翻訳しているだけだ。怯えるような水越さんの瞳や挙動を見て、その恐怖を汲み取る。ストーカーの狂気による自己肯定を、こっちも言語化して悟る。まぁ言ってしまえば高度なウソ発見器のようなもので、六識によって得た情報から、相手の意思と行動を予測しているに過ぎない。


「なんだ? お前? 臼石泡瀬たんの悪い虫か? だったらだったらだったら某がぶっ殺してやる」『殺す。殺す。殺す。これは正義だ』


 とまぁ、ここまで場が極まれば、六識聴勁を用いなくても事情の把握は簡単ではあろうが。


「じゃあかかってこい」


 インストールした太極拳を用いる。腰を落とし、地を支えとし、体は捻って正面からの面積を狭くする。牽制のために曲げた腕を前面に、その指は揃えて伸ばす。


「じゃ、じゃ、じゃ、殺すぞ。見ててね臼石泡瀬たん。某が君の王子様になってあげる」『ひは。正当防衛で人を殺せる。そしたら臼石泡瀬たんは某を好きになってくれる』


 さっきからストーカーの邪念がハンパない。もしかして俺はかなりアレな能力を持ったんじゃないか? とはいえ今更脳内からアンインストールしようにも、今度は消去プログラムを一から組む必要がある。


 街灯の光だけでストーカーを睨み、そうして相手の動きを予測する。安直な踏み込み。整頓されていない体捌き。俺しか見えてない視野狭窄に、表情から察する計画性の無さ。


「逃げて!」


 俺は今ストーカーに集中しているので水越さんの声までは六識聴勁では読めない。おそらくだが俺が集中して観察しないと言語化の翻訳はされないのだろう。


『死ねやぁぁぁ!』


 呼気一つ。真っ直ぐ突き出されたナイフに俺の指先が触れた瞬間。肉体にトレースされたシステムが動いた。


 人間の能力は「フェノメノン」と「フィロソフィ」の二つに分類される。


 一般的に身体能力に依存したものをフェノメノンと呼び、感性に依存したものをフィロソフィと呼ぶのだが、ここにおいてフィロソフィはつまり理論上誰にでもできる技術だ。


 極論で想定してみよう。


 例えば七歳児の子どもにオリンピック選手並みの短距離走記録を打ち立てろと……と言った場合それは可能だろうか? もちろん可能かもしれない。あるいは火事場の馬鹿力に類する人体のリミッターを振り切ったシステムなら絶対とは言わないが可能……なのか。ただそれでも筋肉の量や肉体の動かし方の問題になり……まぁ不可能とは言える。ではダヴィンチのモナリザを描け……と言ってみる。こっちも難題ではある。つまり世界的芸術を七歳児に再現しろというのだ。だが求められる能力がフィジカルではないということが、ここでの議論の本懐だ。つまり筆を握って絵の具を操れる手段がある以上、七歳児でもモナリザを再現する結果はワンチャンある。


 言いたいことは分かる。不可能だろう。すっごくよくわかる。


 ただこれにおける不可能の度合いが、フェノメノンとは乖離しているのだ。スポーツに代表されるフィジカルの不可能は、例えるならサメより速く泳げる人間がいるかという無謀に近い。だが楽器の演奏や小説の執筆などはやろうと思えば誰でもできる。それこそ弦を爪弾くだけなら素人にもできるので、ヴェートーヴェンの第九を演奏する可能性だって無いではない。この「極論として不可能ではない」という能力を、俺が開発しているイマジンライターは可能にする。


 つまり感性に由来するフィロソフィ能力に関して言えば、イマジンライターでインストールすることが可能なのだ。脳を弄ったところでオリンピック選手のように動くことはできないが、芸術家のように絵を描くことはできるようになる。


 俺はそれを今回太極拳に用いた。まぁ鍛えていない人間の中では筋肉は在る方だし、後は武術による体の運動……つまりカンフーの術理さえインストールしてしまえば、俺はその日から免許皆伝と相成るわけだ。


 武術はスポーツと同じようにフェノメノンとフィロソフィの境界があいまいだ。どちらもを極めないと上手く機能しない。なので俺は俺の筋肉に最適化した武術を脳に設定していた。


 ヒュン。


 指先に触れたナイフに、手首の返しでヘビのように纏わりつけると、回転と発勁による行動で無刀取りを行っていた。正確には無刀取りじゃない。あれは陰流の奥義だからな。だが似たような技術は中国武術にもあるらしく、片手の手首の返しだけで俺はストーカーのナイフを奪っていた。


「へ?」『へ?』


 ポカンとするストーカー。


「てい」


 俺は発勁を用いて、相手の身体に遠心力を加えると、そのまま流れに沿って地面に叩き伏せた。


「えーと」


 さて、どうしたものか。スマホはさすがに武術と並行できない。壊されても面倒だしポケットに入れている。だが序盤のやり取りは撮影しているし、水越さんの証言もあるだろう。


「警察に通報」


 俺は地面に叩き伏せられたストーカーの腕を極めて無力化すると、後のことを国家権力に任せた。

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