第2話:舞い降りる剣


「どもー。今日からお世話になりまーす」


 教室に入ってきた転校生を見た瞬間、教室の温度が体感で五度ほど上がった。


 なんというか。イメージ的にかなりアレ。


 教師がカツカツと黒板に名前を書いた。俺が読むにソレは水越冬馬みずこしとうまと読めた。


「どもー。水越でーす。よろしくだぞ」


 ルンと弾むような声で社交辞令を述べる水越さん。だが俺は頭がバグりそうだった。おそらく教室にいる誰もがそう思っただろう。なんというかアニメ声なのだ。それも声優になれば需要の多そうな美少女声。


 で、イメージ的にアレって言ったのは、声と同質のイメージを外見にも感じたためだ。低い身長とアンバランスな頭部。瞳が大きくまつ毛が長い。要所要所のパーツの配置が精巧すぎて、何というか二次元キャラのようなイメージ。もちろん人間なんだから三次元には依存しているが、愛嬌のある春奈や彫刻のような土御門先輩に比べると、フィギュアにすれば売れそうだなという食玩みたいなイメージ。我ながら何言ってんだって話だが、初見のイメージは二次元フィギュアというかなりアレだ。尚のこと頭がバグりそうなアニメ声を発しているので、オタク少年にとってはほぼ特攻だろう。


「ちなみにガチオタでーす。キモオタと言ってもいいくらい」


 はあ、と教室全体が生返事。アニメ声で、フィギュア顔で、その上ガチオタ?


 眼鏡をかけている文学少女……にしてはオーラというか造詣がちょっとエッチい。


「いや。種(笑)とかの風潮マジアンチなんで。ミスノスキー粒子の代わりにニュートンジャマーを背景ギミックに入れることで今までのガンドムがはいはいミスノスキーミスノスキーって言ってる舞台装置を一新したんだよ? もちろんウチの推しはフリンダムガンドム。こっちにもいるよねー。フリンダム(笑)みたい風潮。ふざけんなっつーの! あの高機動ウイングの蒼と本体の白。少しだけアクセントに赤を選んだ神配色。過去のガンドムの配色をリスペクトしながらカラー配置には妥協していない。ていうかアンチはちゃんと種スタッフについてはしっかりと見てくださーい。デザイナーはファーストを担当した鬼河原先生だよ? カッコ悪いわけないじゃん。フリンダム(笑)とか言っている自称評論家は鬼河原先生の進化した現代デザインを否定するんだー? ふーん? まぁ別にそこまで意識高いならあえてツッコむのも馬鹿らしいから反論しないけどさ。フリンダムのエンジン核分裂だよ? ファーストのザコですら核融合エンジン積んでいたのに、種の主人公機核分裂エンジンだよ? 萌えない? シコいよね? あんなに強くてカッコいいフリンダムが雑魚より低出力! なに? スペック低いの悪なわけ? だったらファーストガンドムにおっぱいでも付けてろっての! 低スペックで頑張っているフリンダムがボロボロになって戦うからドラマが生まれるんだっつーの!」


 鮮やかに弁論した彼女は、もうそのオーラだけで教室を呑み込み、そうしてニヒヒ、と笑った。


「ま、ドン引きさせるのが目的なんだけどさ」


 ヒラヒラと手を振って、若干引いている俺たちを見た後、教師に席を指定されて、そこに落ち着いた。ホームルーム終了後。


「水越さん!」「水越さん!」「水越さん!」


 一部の特級男子が彼女に声をかけていた。


「なんだぞ? 今期の嫁の話?」


 ガチオタだというのは嘘ではないらしく、今期アニメの美少女キャラの誰が最も可愛いかというキモオタ談議で教室を飽和していた。


「ミソッカス。気になりますかー?」


 俺の隣。最前列の窓側にいる春奈が水越さんを指差した。気にならないと言えばウソになるが、あの音響兵器に俺はなんという感情を抱いているのだろう?


「まぁだから何だって話ではあるが」


「オタ活する女子って増えてるらしいけど、水越さんもそうなのかな?」


「少なくとも人気取りではなかろうよ」


 初っ端のアレがハッタリというのはかなり無理がある。オタク男子が顔を赤らめながら水越さんに話しかけ、そうして今期アニメの嫁について語っている。あのまま事態が推移すればオタサーの姫にでもなるのだろうか?


 お宅に嫌悪を見せず、むしろ美少女キャラであれ語れる彼女はクソオタにとっては太陽だろう。


 キーンコーンカーンコーン。


 ウェストミンスターチャイムが鳴るのは昔から変わっていないらしい。授業にタブレットを使うというのは教師の世代ではありえなかったらしいが、我らニュータイプは授業内容からして未来に生きている、とはアネキサンダー大王の愚痴だった。


「じゃ」


 俺は図書委員としての業務があるので、教室で春奈と別れた。


「やっほーミソッカス。今帰り? ネットでバズってる喫茶店がさー」


「彼氏と行けビッチ」


「だから予定崩れたんだって。キープくんなんだからあーしとデートしてもよくない?」


「残念ながら予定がある」


「なにそれ! 浮気?」


 どの口が言ってんだテメェ。


「委員会の仕事だ。学内活動に浮気があるか」


「待ってようか?」


「是非止めて」


「あーあ。今ならアレでナニなことできたのになー。あーしと一緒にいれば童貞卒業できるのになー」


 すみませんが口を閉じろ。風紀委員に睨まれたらどうすんだよ。


「じゃあな」


 と手を振って図書室に向かう。と言ってもすることはあまりない。今時本の貸し借りなど自動でやってくれるし、学生であれば利用カードを持っている。というか、今時図書室を利用する学生はそんなにいない。電子書籍最強という結論でフィニッシュだ。


「……?」


 で、ここで本を読んでいるのは例外も例外。土御門先輩だ。


 静謐な空気で何かの本を読んでいる姿は俺には眩しく映っているが、そもそも先輩がどういうジャンルを好むのかを俺は知らない。というか話しかけても意味が無いだろうから、あえて距離を取っている。


「……ずず」


 教員部屋にはコーヒーメーカーがあるので、俺はカウンターについてコーヒーを飲む。さすがに印刷空間である図書室では飲食禁止だが、カウンターはギリギリありだったりする。タダでコーヒーが飲めるので、俺はこの空間を気に入っていた。ちなみにブラックだ。別に意識が高いわけではなく、中二病を罹患してブラックコーヒーを飲んでいたら何時の間にか普通に飲めるようになったという残念なエピソードがある。


 他に誰もいない空間。俺がカウンターでコーヒーを飲み、土御門先輩が本を読む。あとは勉強モードの生徒がチラホラ。


 そんなところに、


「はーい! クソオタ一丁おまちどー!」


 よく言えば元気な声が響いた。朝から変わらず頭のバグる声だ。


「すみません水越さん。図書室ではお静かに」


 俺は図書委員として注意喚起をする。


「あー。どもども。失礼しましたぞ。図書委員?」


「さいです」


「オススメのラノベある? そもそもラノベ置いてる?」


「置いていますが、図書委員のオススメというのはしておりません」


 読む人は様々。そこに意見する権利は俺には無い。ずずーとコーヒーを飲んでいると、マジマジと水越さんが俺を見ていた。何か意外なもので見るような目付きだ。俺が何かしましたか?


「いや。ちょっと。不意を突かれただけ……」


 不意を突くようなこともしてござらんのだが。


「いつも図書委員やってんの?」


「さすがに俺一人では回してない。火曜と木曜が俺の仕事」


「ふーん。そうなんだ。じゃあ火、木は会えるね」


 あー、さいですねー。


「まぁウチも忙しいから、あんまりは来れないんだけど」


「オタクなんだろ?」


「キモオタだよー。今期の一押しは聖痕のガングリオン。もう紅タンがエモくてエモくて」


「あーそ」


「ラノベあるじゃん。なんだかんだで市民権を得るとウチは思っていたぞ」


 ランランルンルンとラノベコーナーを流し見しつつ、水越さんは御機嫌だ。それから何冊か借りてカウンターの自動貸出機に通す。彼女がポツリと呟いた。


「好きなオヴァンゲリオン」


「量産機」


 は。反射的に応えてしまった。キラリと光るオタ魂。水越さんの瞳は獲物を狙う水鳥のように煌めいた。


「ほうほう。つまり旧劇を見たことがあると?」


「色々ございまして」


 もちろん俺らの世代では新劇オンリーだが、皮肉なことにサブスクには旧劇も上がっているのだ。オタクとしては基礎教養だろう。


「ちなみに理由は?」


「オヴァがロボットかは議論しないとして、空間的に広がる羽が付いたロボットが好きだ」


「空間的?」


「ゼロカスとかフリンダムとか。逆に運命とかの横にだけ広がる羽があんまり好きじゃない」


「フリンダム好きなんだぞ? もー。それなら早く言ってよー。劇場版神ってたよねー」


「俺は初代派」


「そこは譲らないんだ」


 特にオタ知識で水越さんの興味を引く気もないしな。


「背中の背後の空間でグリグリ動くのが好きなんだ。正面から見た時に横にだけ広がる翼って取って付けたような印象受けちゃって」


「難儀な性癖だなー」


 性癖か?


「ちなみにお名前は?」


「黙秘」


「ウチは水越冬馬だぞ。ほれ。こっちも個人情報開示したんだから呪術の縛りでそっちも名乗れ」


「美空カスミ」


「みそらかすみ……」


「ミソッカスとでも呼んでくれ」


「オッケー。ミソッカスね。憶えやすさ満点だぞ」


 そりゃようござんして。


「じゃ、シクヨロミソッカス。またロボアニメについて語ろうねー」


 ブンブンと残像が見えるような手の振り方で水越さんは去っていった。俺はそのまま図書委員を続けて、時間になると生徒を追い出す。


「はいはい。土御門先輩。お時間です」


「……誰?」


 知っているが、まぁ先輩は平常運転だった。


「出ろ。牛丼特盛」


「……はあ」


 そうしてどうにか下校時間だと察したのか。先輩は図書室を去っていく。ちなみに俺は先輩に顔も覚えられていない。というか先輩はあまりに他者に興味が無さすぎて、人を覚えるということをしない。それこそ脳機能の再認がバグっているんじゃないかと思うくらい他人の顔も名前も覚えない。


「さて、帰りますか」


 水場でコーヒーカップを洗って、水気を拭って干す。そうして図書室を施錠して司書教諭に鍵を渡す。そうして仕事を終えると、俺は帰路に就いた。


「春はあけぼのかぁ」


 家に帰っても一人というのは、あるいは寂しいことなのかもしれないが、俺にとっては都合がいい。特にアレのナニがどうのってわけでもないのだが。


 家に帰るとやることもある。イマジンライターの調整は俺にとっても仕事の一つであるし、そもそも俺のやることは他にない。


「さて、何をインストールするのか……」


 先進教育機器イマジンライター。その破格性は知っていながら、デメリットに関して俺は何も思っていなかった。

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