ウシロ。
みかんねこ
しらない。
「ねえおじさん、どうかこの手をはなさないで」
僅かに震えさえ感じるほっそりとした指で、俺の手を掴みながら少女が懇願する。
その瞳は涙で潤んでおり、リビングの灯りを反射してきらきらと光が煌めいていた。
かすかに唇は震えており、それが寒さによるものだけではないのは、明白であった。
その媚態には彼女と同世代の男ならばコロリといくだろうが、一回り以上年上である俺にとっては全く効果はない。
本当である。
マジのガチである。
「……お前な」
溜息を吐いてその手を振り払う。
決して名残惜しいとか思ってはいない。
本当である。
「あッ!」
彼女が短く声を上げるが気にしない。
「そんなに怖いか、これ?」
そう言ってテーブルに置いてあったDVDのパッケージを持ち上げた。
パッケージには花の冠を被った、涙を流す女性の顔が映っている。
それは巷で「怖い」と評判のホラー映画であった。
「うひィ!?」
それを見て彼女は慌てて身をよじって目を逸らす。
いささか過剰反応にも思えるが、恐怖と言うものは人それぞれ感じ方が違うものである事も知っている。
俺は再び小さく溜息を吐き、DVDをプレイヤーから取り出して仕舞い込む。
俺のコレクションではあったが何度も観る物でもないし、彼女が嫌がるならばこっそり処分したほうが良いだろう。
「観たいって言ったのお前だろ」
「言ったけどさぁ……! ここまで怖いとはおじさん言わなかったじゃん!」
彼女は俺の手の代わりにクッションを抱きながら、涙目で抗議の声を上げる。
「無茶苦茶言うなよ……!」
そもそも休憩している時に暇だから何か観たいと言って、書斎から件の映画を持ってきたのはコイツである。
確かに俺のコレクションにはホラーの類が多いが、それでも選んだのはコイツだ。
俺の意思は一切介在していない。
「止めてくれてもいいじゃん! てか、おじさんは怖くないの?」
「まぁ、映画だし……。結局はそういう『お話』であってだな」
俺はどっちかと言うと現実世界の人間関係の方が怖い。
「つまんない! 私だけ怖がってるなんて納得できない!」
そう言ってぶー垂れて足をバタバタさせる。
こういう所を見るとやはり年相応だと感じるな。
あとスカート履いてるんだから、脚をそんなに動かすのは止めなさい。
何かとは言わんが見えとる。
「納得なんかせんでもよろしい。それに、俺はもっと怖い目に遭ったことあるから、この程度……───」
あ、余計な事言った気がする。
「え、何々!? おじさん、何が怖かったの!?」
彼女は怯えていたのが嘘のように、目を輝かせて身を乗り出した。
ものすごい食いつきっぷりである。
「……別に大したことじゃねェよ」
と言うか、あんまり思い出したくない。
折角忘れていたのに。
「おじさん? ズルくない? そこまで言って教えないのは、さすがにダメでしょ?」
俺の顔色が変わったことに気付いた彼女が、ニヤニヤ笑いを浮かべながら追及してくる。
めんどくせえ……!
「……分かったよ、話すよ。でも、後悔すんなよ?」
「っしゃァ!」
ガッツポーズを取る彼女。
何がそんなに嬉しいのか。
俺の弱みを握れるとか思ってんのか?
「いや、マジで大した話じゃないんだよ。ガッカリしても知らんぞ?」
「いいから早く!」
ワクワクした表情の彼女を見てため息を吐く。
まぁ、こいつの気がまぎれるならいいか。
多分、碌な事にならないけど。
そう思いながら、話し始めた。
「俺が若い頃、S県の田舎に住んでたんだ。電車の終点になるような田舎さ」
田舎ではあったが、俺は嫌いではなかった。
まぁ、自転車が盗まれたりと微妙に治安は悪かったが。
「ある夏の夜の事だ。仕事が終わった後、歩いて家に帰っていたんだがその帰り道に大きな橋があったんだ」
「……橋! 自殺の名所とか?」
なにがそんなに面白いのか、活き活きとしておられる。
「そもそもお前怖い話苦手なんじゃねぇのか?」
なかなかの食いつきっぷりである。
「苦手だけど好き」
真顔で答える彼女。
言いたい事は分からんことも無い。
「橋に関しては別にそういった謂れは無かったと思う。ただ、橋ってのは境目なわけでな……オカルト的な意味ではまぁ、出やすいところではあるんだよ。水場だしな」
そういった恐怖体験談では定番の場所である。
「まぁ、その日もなんかちょっと嫌だなあとか思いながら渡ってて、橋の真ん中に差し掛かった時によせばいいのに振り返っちまったんだよ」
別に視線を感じたとかそういう訳でもないんだけど、なにかが引っ掛かったんだろうなあ。
「無意識だったんだけど、つい気になって振り向いたらさ……」
「振り向いたら……?」
クッションをぎゅっと抱きしめ、真剣な表情でこちらを見ている。
真剣に話に聞き入ってくれると話す方としてもやり易い。
「俺が来た方の橋の入口に、白い何かが見えたんだよ。人の形をした白い何かが」
「え゛ッ」
何とも言い難い声を上げる少女。
思い出したくはないけど、話していると脳裏にあの時の映像がはっきりと浮かぶ。
「アレはヒトの形はしていたが、人ではなかったと思う」
「…………」
聞くの止めとけばよかったみたいな顔をしている。
でも、ここまで話したら喋らねばならない。
「いや、ヒトだとは思いたくない。何故ならソレは、上下に伸びたり縮んだりしていたからだ」
無表情を保ち、感情を込めず続ける。
あー、思い出しちゃったよ。
「ひィ!?」
小さな悲鳴。
「怖くなって進んで、また振り返ったらそれは居なくなってた」
「……はぅ」
安堵の息を吐く少女。
まだだ、まだ終わりじゃないんだ。
すまない。
「俺も安心して前を向いたら、いたんだ」
「は?」
「ソレは目の前で俺を見て、音も無く嗤ってた」
「そう、あんな風に」
そう言って窓から見えるあぜ道を指さす。
白い何かが伸び縮みを繰り返し、こちらを見ている。
どことなくユーモラスだが、心が騒めく動きを繰り返している。
つられてその方向を見た彼女がそれを見て動きを止め、くたりと気を失いソファに倒れ込む。
「……この話をすると、必ず出てくるよな。お前は一体、何なんだろうね?」
毎回そのことを忘れるんだけど、アレが何かしているのだろうか。
思い出すと喋らずにいられないのも気持ち悪い。
きっと明日にはまた忘れているはずだ。
俺は立ち上がり、静かにカーテンを閉じた。
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S県のY町です。
ウシロ。 みかんねこ @kuromacmugimikan
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