65 アタイも特別なら嬉しい
7月21日。夏休みの初日から勇太は濃い1日を過ごしている。
◇カオル◇
柔道の練習中、勇太に変な体勢から技をかけて自爆しそうになった。だけど、勇太が自分の左手を犠牲にしてアタイの怪我を防いでくれた。
1時間近く練習から離れ、ギャラリー女子と交流して勇太が戻ってきた。
最後の30分だけど、勇太は普通に練習に参加した。
その後は茶薔薇学園の食堂スペースに一緒に来て、みんなと歓談して解散する。
最近はネットで良く見る、あーんしてクッキーもセットを部員にもやってあげてた。
勇太はアタイとルナが座るテーブルに来た。
「勇太、大丈夫だったよな。すまんかった」
勇太は左の手のひらを開いて前に出した。
「ほら、カオルも右手を前に出して、俺の手のひらに合わせろよ」
「ん?こうか」
ピタッと手のひら同士がくっついた。
部長の桜塚先輩だけじゃなく、みんながこっち見た。何人か鬼のような顔になった。
アタイが差し出した右手の指に、勇太が指を絡めた。そして力を少し込めた。
柔道の組み手争いで誰かと指が絡むことは日常茶飯事。なのにドキッとした。
「カオルも力込めてみろ。ダメージが残ってるかどうか分かるから」
「え、あ、うん」
平気な顔をしようと頑張ってる。だけど、間違いなく顔が熱い。
ドキドキする。怪我した勇太の手首が悪くなったら、どうしようという不安。そして、みんなの前でこんなことをする勇太のせいで・・
勇太の優しい目を正面から見ちまった。
なんで勇太は、自分なんか見て嬉しそうなんだろう。子供の頃に遊んだ記憶は確かにある。だけど、勇太は当時も愛想が良かった。
小6から高1までは本人曰く、最低だったらしい。だけどその時期を知らないアタイには、勇太はいい人間だ。
ただ、昔の勇太は女の子によく話かけられてた。本人はモテた記憶がないらしいけど・・。
自分はその他大勢だったことも、すでに思い出している。
だから、再会のときの勇太の喜びようが何故なのか分からなくなっている。
そこまで親しかった記憶がない。
ルナ、梓とも違う目が向けられている。それが何なのか恋愛経験ゼロだった自分には察知できない。
ただ、優しい。どうやって手首の怪我を治したのか分からないけど、アタイが気に病まないように動いてくれている。
勇太の中で、ルナと梓は『特別』。アタイは何枠?って考えてた。
アタイも勇太の何かで『特別』なんだって、今初めて思うようになった。
「ほら、しっかり力入ってるだろ。軽傷だったんだよ」
言われて、現実に戻ってきた。喉がカラカラで声が上ずりそうだ。
「ま、まあな・・」
「ほっぺも赤いぞ~」
「い、いやこれは・・」
「?」
誰のせいで、顔が赤いと思ってるんだ。6歳離れた1番上の姉ちゃんが言ってた。
「カオルも恋をひとつ知れば、後の事は分かるよ」って。
あん時はふんって笑ったけど、真剣に聞けば良かった。
アタイは梓が好きだ。初めて付き合いたいと思った。
だけど、勇太も好きになった。と、思う。アタイの横で勇太とのやり取りを笑ってくれてるルナも、どんどん良く見えてくる。
2番目の姉ちゃんには、『恋って木にはね、枝に1個実がなると、次々と果実が実るのよ』って何度も言ってる。
イカン、アタイにはいきなりすぎる・・
3番目の姉ちゃんは「勇太君に、お姉ちゃんもハグしてもらいたい」って、これは関係ねえ。
今はインターハイに集中。個人戦で優勝できたら、3人に祝ってもらお。
うしっ。力が沸いてきた。ありがと勇太。
◇◇◇
恋愛初心者のカオルにも、多重の愛の感覚は備わっている。
今まで経験がなかったとはいえ、カオルは母4人、姉妹も6人いる11人家族。
自分が色恋の入り口に立ってみると、すんなり受け入れられる。そんな世界なのだ。
後日、勇太は梓、ルナ、カオルにそれを言われて不思議だった。
3人は当然、勇太にもその感覚が備わっていると思って話すから、不思議そうにしている勇太が不思議になる。
◆◆◆
普通なら体を壊すペースで夏休みが始まり、3日が過ぎた。
あと1週間で梓と勇太の母親の墓前に入籍の報告をして役所に行く。そのあとに、勇太が生まれた海辺の街でデートしたいと言われた。
梓と2人でデートするのは2度目だなと思ったときだ。
ルナのことで、大事なことを忘れていると気付いた。
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