第28話 口づけ
そうだ。僕が世界を救うためにやらなくちゃいけないことはただ一つ、楓さんに向き合って今を生きることだけだ。
僕は身をかがめ、仰向けになっている楓さんに顔を近づけると、そっと唇を重ねた。
こういう時はやっぱり目は閉じた方がいいのだろう。そんな気がしたので目はつぶっておく。
どれくらいそうしていただろうか。ほんの一瞬だったのかもしれない。でも、僕にはその瞬間がとても長く感じられた。
「あれ? 陽ちゃん。なんで私、屋上で寝てたんだろ。カミサマ大先生に呼び出されたところまでは覚えてるんだけど」
起き上がろうとする楓さんに僕は手を貸す。
「楓さん、僕はまずあなたに謝らないといけないんです」
「え、どうしたの急に。なにかしたっけ」
僕は先ほどのカミサマ大先生とのやり取りを余すことなく楓さんに打ち明ける。
「ほんと僕ってダメなやつですよね。楓さんから直接言われても逃げ続けて、こんな事態になって、大先生から叱られてようやく気付くことができたんですから」
「あー、そういえばそうだった。さすがの私も腹立ったから、一発シバいていい?」
「え?ちょっ」
「目、つぶりなさい」
言われるがままに僕は目をつぶる。逃げてばかりだったから、シバかれて当然だ。シバかれでもしないと僕の気持ちが済まない。
舌を噛まないように歯を食いしばり、耐えなければならない痛みを今か今かと待つ。
だが、僕の頬に痛みが走ることがなかった。
では代わりに他の場所をシバかれたのかというと、そうでもない。
突然、柔らかくて温かいなにかが唇に優しく重なった。
ふんわりと甘い香りが漂う。
目を開けると至近距離に楓さんの顔があった。
「どう、驚いた?」
一瞬ののち、唇を離した楓さんが問いかける。
「いい意味で期待を裏切られたと言いますか、なんというか」
「逃げ続けた陽ちゃんへの私からのお仕置きよ」
「それ、どっちかというとご褒美では?」
僕が指摘すると、楓さんの頬の赤みが増した。
「なに? お仕置きらしいお仕置きが欲しいの? Mなの?」
恥ずかしさを胡麻化すかのように早口で言ってくる。かわいい。
それはさておき、突然の口づけでうやむやになってしまったが、これだけは伝えておかないといけない。
「楓さん。僕はずっと、未来に帰ることばかり考えていて、目の前にいるあなたから逃げ続けてきました。それを謝らせてください」
「いいよ、謝らなくたって。そんなことされると余計に恥ずかしいし。それよりもさ、もし陽ちゃんが私に向き合わなかったことを悪いと思っているのなら、謝るよりも行動で償ってほしいな」
「行動で償う?」
「これまでちゃんと向き合ってくれなかった分を、これから私のラブコメ青春計画に積極的に参加することで取り返してほしいの。まず手始めに、そうだな、またキスしてもらおっか」
楓さんが一歩、また一歩と足を進めて僕との間合いを詰めてくる。
「え、キスですか?」
「キスだけでなにを今さら戸惑うことがあるの?私たち、恋人同士でしょ?なんなら
キス以上のことをしたって問題ないでしょ」
「それはそうですけど!今の僕たちは高校生なんですから、やっぱりそれに見合った清い交際が必要というか」
「高校生でもそれくらいヤってる子はいっぱいいるでしょ。そうだ、屋上でヤるのもありだとは…… 」
楓さんが変なことを言いかけたので、僕は楓さんの身体を強引に引き寄せると、唇を重ねた。
楓さんは一瞬、驚いたような表情をしたが、すぐにニヤリと笑った。
「うまく引っかかったわね」
しまった! もしや、僕の方からキスさせるためにわざと変なこと言いかけたのか?
「いやー、さっきの陽ちゃん、かっこよかったな。普段は何に関しても受け身な陽ちゃんが、私の口をキスで強引に塞いでくれるなんて!」
「起こした時とさっきので、僕からのキスは二回ですよ。もうこれで満足ですか?」
「えー、足りないなー。起こされた時は寝てたからよく覚えてないし。てか、大先生も策士よね。私を超能力で眠らせるにしても、起こすにはキスが必要にするなんて!あんないかつい顔してるのに、やってることは恋のキューピッドだなんて、推せるわ~。ギャップ萌えってやつ?」
「知りませんよそんなの」
「陽ちゃんもさ、もっと自分に正直になろう? ほんとは私とキス、いやもっとすごいことをしたくてたまらないくせに。私、知ってるんだよ。高校時代の陽ちゃんがツイッターで『年上のきれいなお姉さんに逆レされたい』ってつぶやいてたの。そうだよね、
「なんでアカウント教えてないのにそんなことを知ってるんですか」
「ごめんね、隠してたけど、私ツイッターの『江藤デカ子』の中身なの」
「え? 江藤デカ子? 会ったことないけどあの人男では?」
江藤デカ子。かれこれ9年、いや10年近くツイッターで繋がっている古参フォロワーだ。僕と同じように中高一貫の男子校に通っているオタクで、年齢は一つ上。
「出会い厨対策で性別偽ってたの。女性名だけどギャグマンガみたいだし、下ネタもガンガンつぶやいてたから、凸されたことはなかったな」
なんということだ。僕と楓さんはリアルで出会うはるか前にSNSで繋がっていたらしい。お互い顔も本名も知らなかったし、会ったこともなかったけど。
「まだ理解が追いついてないんですけど、楓さんが江藤デカ子なら、僕の黒歴史もいっぱい知ってるってことですよね?」
「うん、そうだね。二次元キャラの好みが、黒髪セミロングの貧乳で背が高いキャラなのも知ってる。魚崎高校の文化祭を見に行って『ミスコンがある男子校羨ましい』ってつぶやいてたのも知ってる。でも、それだけじゃないよ。穴太さん―― 陽ちゃんは私の悩みを受け止めてくれたし、生きる支えになってくれた。リアルでは自分を偽ってた私が、陽ちゃんの前でだけでは自然に振る舞うことができたの!」
「いつ、僕が穴太だと気付いたんですか?」
「最初に会った日だね。スマホの画面が見えちゃって。別に覗こうとしたつもりはなかったんだけど。ごめんね。お詫びと言ってはなんだけど」
楓さんは僕の身体をぎゅっと抱きしめると、ちゅっちゅっちゅと何回も唇を重ねてきた。
「ちょ、楓さん、やめてください、息ができないです!」
「私としては女慣れしてない年下彼氏くんにもっとリードしてもらいたいところだけど、やっぱり私たちにはこうしているのがお似合いのようね」
楓さんはそう言うと、また僕の口を柔らかい唇で塞いだ。
落ち着いた途端、ふと視線を感じた。辺りを見回してみて気が付く。高校校舎の屋上と中学校舎の四階が同じ高さだったことに。
中庭を挟んで向かい合う、中学校舎の教室の窓からは、大勢の生徒がこちらを見ている。
中には身を乗り出している生徒も。こちらを見物するため他の場所から集まってきた生徒も混じっているに違いない。
カミサマ大先生との対決から、僕らのキスや抱擁まですべては特等席から見られていたことになる。中庭を挟んでいるので、よっぽど大声でもない限り、会話の内容を聞かれていないのが不幸中の幸いか。
それにしても衆人環視の中、校舎の屋上でキスを繰り返すなんて、青春モノみたいだ。
あれやこれやを全部見られていたかと思うと、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
「あの、ここだと目立つから、とりあえず屋上から下りませんか」
「そうだね」
僕は階段へのドアのノブをひねる。ところがうんとすんとも言わない。どうやら、鍵がかかっているみたいだ。
「え?どういうこと?私たち屋上に閉じ込められたの?」
「どうやらそうみたいですね。おそらくカミサマ大先生はいつもの癖で鍵をオートロックしてしまったんでしょう」
屋上の出入口はここ一つではないが、おそらく他も施錠されていることだろう。
「そうだ、スマホで助けを呼ぶのはどうかな?」
「楓さん、持ってますか?僕は大先生に見つかって没収されちゃったんですけど」
「それが、鞄に入れたまま教室に置いてきちゃったみたいなのよね」
万事休す。
クソッ、恥ずかしいけど、こうするしかないか。
僕は中学校舎の方に身体を向けると、息を大きく吸いこみ、観衆にもはっきりと聞こえるよう、大声で叫んだ。
「助けてください‼ 屋上への鍵を閉められて出られないんですー!」
もう僕の評判がどうなろうが、知ったことか。このまま屋上から脱出できずに餓死するくらいならなんだってするさ。
「さすがに餓死する前に誰か助けに来るでしょ」
「心を読んでマジレスしないでください」
「あ、改変能力があるんなら、私にも鍵を操作できるわね」
「もうちょっと早く気付いてほしかったですね。せめて、僕が叫んで助けを求める前に」
その日の放課後、放送新聞部による「桜楠高校新聞」は号外を出した。
見出しは「ラブコメ研、結成早々にラブコメを実践!」
〈本日、4月21日(火)の昼休み、高校校舎屋上において、まるでラブコメのようなワンシーンが繰り広げられた。カミサマ大先生の異名を持つ本校教諭・加美
見出しの下には屋上で抱き合って唇を重ねる学ランの男子生徒とセーラー冬服の女子生徒の写真が載っていた。中学校舎から撮られたもののようだが、やけに画質がいいので、望遠レンズで撮ったのだろう。丁寧に目線が入っているものの、クラスまで書かれているし、プライバシーに配慮する気はないようだ。
放送新聞部は大先生からのメッセージ受信で一枚噛んでいたものの、そちらよりも僕と楓さんの屋上での行動の方が大きなニュースだと捉えたのか、「対決」の詳細については触れていない。というか、一度目の高校生活の時は、こんなスキャンダル記事を出すような新聞じゃなかった気がするのだが。現実改変でいかにも学園モノらしい新聞に変わってしまったのだろうか。
人の噂も七十五日と言うし、ほとぼりが冷めるまで待つしかないかな。
楓さんとラブコメ研として青春を楽しむと決めた以上、これから嫌でも目立ってしまうような気がするけれど。
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