第27話 歴史への干渉

「約束通り来ましたよ。楓さんは無事ですか?」

「厚東楓ならそこにおる」

 大先生が、階段室によってできた日陰を指差す。そこにはレジャーシートが敷かれていて、その上に楓さんが横たわっていた。

「楓さん!」

 僕は慌てて駆け寄る。「スウ」と小さな寝息が聞こえる。

「安心せい、寝とるだけや。命に別状はない」

 僕はほっとため息をついた。

「それで、お前に話や」

「なんでしょうか」

「お前、改変能力のことを厚東楓に教えたらしいな」

「教えたというよりは、仮定の話として喋ったんです。そしたら、本当に改変できるのか試してみようと、楓さんが雪を降らせてしまって」

「それ自体は構わん。四月に雪が降ったとしても、見ての通りすぐに溶けるのであって、何日も降り続かん限り、世界への影響は微々たるものや」

「でも、バタフライエフェクトと言いますよね」

「四字熟語で言うと『毫釐ごうり千里せんり』や。もっとも、高校のテストではまず出るもんやないが、覚えておいて損はなかろう。少しの違いが大きな違いを招くという意味の言葉やが、今朝の雪くらいの出来事であれば歴史の修正力が働くのであって、そこを気にする必要はない」

「歴史の修正力?」

 なんということだ、まさに昨日楓さんが言っていたことではないか。

桜楠おうなんの共学化、今朝の雪、いずれも一度目の2015年では起こらなかったことや。せやけど、これくらいの出来事やったら2023年の未来にはそれほど大きな影響は及ぼさへん。場合によっては、将来歴史を動かす人間が凍った道で転倒して死ぬ可能性だってあるやろうが、厚東ことう楓は歴史への影響が微小で済むようにと、無意識のうちに考えて改変を行ったはずや。厚東楓がそういう人間であることは、お前が一番知っとるやろう」

「つまり、歴史に影響しないようにと考えて行う微小な現実改変であれば、歴史には影響しないし、修正力も正常に働く。そういうわけですか?」

「そうや。そして、そのような改変である限り、わしは厚東楓のやることに目をつぶるし、誰かに迷惑がかからんなら、好き勝手にせえと思うとる」

「ではなんで、楓さんを拉致して眠らせたんですか?」

「それはな、厚東楓が歴史に干渉しようとしたからや」

「歴史に干渉⁉でもなんでですか。楓さんは歴史への影響が小さく済むよう考えている人だって、さっき言うてはったばかりじゃないですか!」

「もちろん、厚東楓は自分のために歴史に干渉しようとするような人間やない。それをさせたのは、島田陽、お前や!」

 大先生が僕に指を突き付ける。

「どういうことですか⁉確かに僕は楓さんに、世界を元に戻してくれとは言いましたけど、歴史を変えてほしいとまでは言いませんでしたよ!」

「確かに直接言いはせんかったようやな。せやけど、お前との会話から厚東楓が、歴史への干渉を思いついたのなら、責任の一端はお前にある」

「もったいぶらないで、教えてください」

「では教えてやる。厚東楓は2020年の未来に干渉して、パンデミックの発生を未然に防ごうとした」

 なんだって⁉ 楓さんが未来に起きるパンデミックを改変能力で防ごうとしただと!

「わしは、今日厚東楓の様子がおかしいことに気付いたから、手下どもを使って監視させておいた。なにやら考え事をしているようやが、その内容が分からんもんで、馬庭まにわ先生の力で、あいつの考えていることを当ててもろうた」

「その結果、楓さんが未来を変えようとしていることが分かったというわけですか」

「ああ。わしは、厚東楓に『お前のやろうとしていることについて、わしが相談に乗ってやる』と声をかけ、屋上に連れてきた。そして、厚東楓が歴史改変をやろうとしたタイミングで、眠らせて改変を事前に防いだというわけや。わしの力で眠らせたからな、別に殴ったり薬を使つこうたわけやないから、安心してええぞ。普通の起こし方では起きんがな」

「馬庭先生に協力してもらったということは、楓さんがなにを考えているのかも、知っているというわけですね?」

「そうや。そうして知った情報をあえてお前に伝えてやる。もはや言わんでもわかると思うが、厚東楓が歴史に干渉してパンデミックを防ごうとしたのはお前のためや」

「僕のため…… 」

 僕は未来への不安の一つとして、大学生活の後半を奪ったパンデミックのことを挙げた。

「わがままを聞いてもらうために、未来への不安を取り除く。厚東楓はお前にそう言うたらしいやないか。それを聞いてお前はなんも思わんかったんか?」

「なにも思わなかったわけはないです。今日はずっと、その言葉について考えていました」

「それで、どない思たんや?」

「正直、期待するところもありました。もし改変能力でなんでもできるのなら、パンデミックを防いで世界を救えるんじゃないかと。その一方で、そんなに世界に影響を与えるような改変をするのはまずいのではないかとも」

「そない思たんやったら、止めようとは思わんかったんか。お前には止めることができたはずや、厚東楓のわがままを受け入れるという形で」

「わがままを、受け入れる…… ?」

「厚東楓は無意識にとはいえ、島田と過ごすために世界を二度も改変したんや。それやのに、お前自身は厚東楓と向き合わんで、どうすれば世界を戻せるかということばかり考えとった。厚東楓からしたらおもろないやろうなあ。だがその一方で厚東楓も大人やから、自分の気持ちがわがままであるっちゅうことは自覚しとった。その上で、わがままを聞いてほしいと願ったんや。おい、島田! 惚れた相手のわがままくらい聞き入れてやれんでどないすんねん。それに、わがままと言うても、ブランド物が欲しいとか、なにかをやってもらって当然みたいなもんやなくて、自分と向き合ってほしいっちゅうかわいいもんやないか。それとも、わがままを聞き入れられへん理由がお前にはあるんか?そりゃ、二度目の高校生活を選んだ場合、お前はいくつかのものを失うやろうがな」

 聞き入れたとして僕が失うものは一体なんだろう。男子校生活と、確実に大学に入

 学できて苦労はするけど大企業に就職はできたという一度目の9年間。そして、未来での楓さんとの「自然」とは言えない出会い。

「たしかにお前が厚東楓との二度目の高校生活を選んだ場合、いくつかのものは歴史としては失われる。だが、それはお前らの心からは失われへん。一度目があったからこそ、二度目があるんやからな」

 楓さんも言っていた。二度目の高校生活は一度目の延長線上にあるのだと。

「それにな、一度目の9年は失われるけど、そこで得たものはお前が取り戻そうと願うなら、もう一度手に入れられるもんやないか。受験も就活ももう一回頑張ったらええし、一度目で買うたもんはもう一回うたらええ。一度目で出会でおた人とも、また会おうと思うて行動すれば出会えるはずや。それに、お前と厚東楓は既に出会うとる。お前が愛想尽かされるようなアホなことをやらんと、向き合ってやれば、9年後、いやその先もずっと隣でわろとってくれるはずや。お前みたいなやつがこんなええ女と出会えるなんて、ほんま奇蹟みたいなことやからな。ハッピーエンドが欲しいなら、自分で掴み続けるための努力をせえ」

 大先生の言葉がグサグサと僕に突き刺さる。僕は楓さんに向き合いもしないで、なんでうじうじと一人で悩んでばかりいたのだろう。

「過去がどう、未来がどうとか言わんと、今この瞬間をちゃんと生きろ。今日を生きん限りは明日も来ないのであって、未来というのは、そういう今日の積み重ねの先にあるもんや。将来、人生を振り返った時に、昔は良かったなんて思わんよう、地に足つけて未来へと歩いて行け。そうせん限り、ハッピーエンドはやって来んのやぞ。常に今日が最高、明日はもっと素晴らしくなる、そう考えて突き進むことが大事や。もう時間を巻き戻すようなことをさせるなよ」

 大先生はそう言うと、僕に背を向けた。男の背中という感じでかっこいい。靴のかかと踏んでるけど。

「あの、最後に一つだけいいでしょうか」

「なんや」

「楓さんは力で眠らせたから普通の起こし方では起きないって言ってましたよね。じゃあどうやって起こせばいいんですか?」

「眠り姫を起こすんに、なにが必要かくらい、少し考えたら分かるやろ。アホボケカス! 脳みそついとんのか」

 先生はそう言い残すと、階段を下りて行った。ほどなく、階段室の扉がバタンと閉まる。

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