第21話 楓さんとお泊り

「わかりましたよ。泊めますから、綾が帰ってくる前に夕飯をつくってしまいましょう」

 この前のお弁当から、楓さんの料理スキルはわかっているので、もちろんつくるのは僕だ。せっかく楓さんが泊まりに来たのだから、凝ったものを出したいところだが、あいにく綾が帰ってくるまであまり時間がない。ついでに、冷蔵庫に食材も乏しい。肉は割引の豚肉が残っているだけだ。だが、卵だけはたんとある。

「楓さん、すいません。他人丼でいいですか」

「陽ちゃんがつくってくれるものならなんでもいいよ。たとえ素パスタやカップラーメンでも喜んで食べるわ」

「カップラーメンに至ってはお湯入れるだけですよね?」

 ツッコみながらも僕は食材を冷蔵庫から出して準備していく。


 途中、玉ねぎを切るときに泣いているのを楓さんに撮られて、その場で削除させた事件があったものの、他人丼はあっさりと完成した。

 IHの電源を切ったタイミングで、玄関からは扉を開ける音がする。友だちと遊びに行っていた綾が帰ってきたのだ。

「お兄ちゃん、お義姉ねえちゃん、ただいまー」

 ドタドタと足音をさせてダイニングまでやって来る。

「綾、一応聞いておくけど、お義姉ちゃんって誰のことだ?」

「お兄ちゃんもわかっとうくせに」

 綾はそう言いつつも、楓さんを指さす。

「人の彼女を指さすな」

「まあまあ、怒らないであげて、あなた」

「楓さん、うちの愚妹がすいません」

「いや、そこは『あなた』って呼ばれとうことについて、ツッコむべきところやろ」

「帰ってくるなりお義姉ちゃんって言った綾がそれを言うか?」

「だって、もしお兄ちゃんとお義姉ちゃんが結婚しても、『お前』『あなた』と呼び合う関係にはならへんやろ。絶対、今のままの呼び方やと思うねん」

「ツッコむとこ、そこかよ」

 楓さんが義姉になるのはもう前提なんだな。いやまあ、このままやり直そうが、未来に帰ろうが楓さんとは将来結婚する気でいるけどさ。


 食事を終えると次は風呂だ。

 客人だから楓さんには一番綺麗な状態の風呂に入ってもらうのがいいだろう。

 そういうつもりで「最初に入りますか?」と聞くと、「陽ちゃんの次がいい」とのこと。

「最初がいいとか最後がいいとかじゃなくて、僕の次がいいんですか」

 なぜなんだろうか。

 ちょっと怖い気がするので聞かないことにして、僕→ 楓さん→ 綾の順番で入ることになった。

 一応風呂の手前にある洗面所の鍵をかけておく。なにかの間違いが起きたら大変だからな。

 かけ湯をして身体を温めてから、タオルで固形石鹸を泡立てる。普段なら綾と二人だけなので、一旦湯船に入ってから、身体を洗うこともあるが、今日は楓さんも入るので、先に身体を洗う。


 これくらいでいいかな。タオルの泡立ち具合を確認し、固形石鹸をホルダーに戻す。

 そして、身体を洗いはじめようとしたタイミングで、風呂場の入口の折戸が突然開いた。

「え⁉」

 反射的に振り返ると、そこにいたのは楓さんだった。バスタオルを巻いているので、見てはいけないところは隠れているのだが、風呂場で二人きりという状況ははっきり言ってマズい。

 なによりマズいのは、僕の方はまさか楓さんが入ってくるとは思ってないので、

バスタオルの用意をしてないということだ。

「楓さん、なんで入ってきたんですか」

「綾ちゃんが背中を押してくれたから。やっぱり持つべきものはラブコメに理解のある義妹だね」

「入ってこれないように洗面所の鍵をかけたはずですけど」

「綾ちゃんがコインで開錠してくれたから、なんの問題もなかったよ」

「そっちは問題がなくても、こっちには問題が大アリなんです」

 妹よ、ナチュラルに開錠すな。将来が心配になるぞ。

「まだ数カ月とは言ってもさ、私たち付き合ってるわけだし、一緒にお風呂入ってもいいと思わない?」

「大人なら問題ないと思います。けど、今の僕たちはタイムリープで高校生に戻ってるわけですよ。内面的には問題ないですけど、外面的には一応高校生なわけですから、高校生らしい健全なお付き合いに留めておいた方が安全だと思うんです」

「陽ちゃんの言うことも一理あると思う。けどね、今ここで私たちがなにをしようと誰も見ている人なんていないわけだし、一緒にお風呂に入ったことも綾ちゃんしか知らないわけじゃない。楽しめるものは楽しまないと損よ」

 楓さんはそう言うと、僕ににじり寄ってきて、石鹸で泡立ったタオルを奪い取った。

「返してくださいよ」

「ダメ。今日は私が身体を洗ってあげるから」

 楓さんは有無を言わさぬ様子だ。これはなにを言っても、僕の身体を洗う気だろう。諦めて背中くらいは気の済むまで洗わせた方がいいのかもしれない。

「わかりましたよ。背中だけですからね」

「えー、全身洗ってあげたいのに」

 そう言いながらも楓さんはさっそく僕の背中を洗いはじめた。

 タオル越しに楓さんの体温を感じる。

 楓さんは椅子に座った僕のすぐ後ろにいるので、吐息が耳にかかってくすぐったい。

 後ろからは我が家で使っているのとは別のシャンプーの香りが微かに漂ってくる。

 鏡が湯気で曇っていて良かった。鏡で見ていたら、バスタオル一枚まとっただけの楓さんをさらに意識してしまっていたことだろう。

「陽ちゃん、やっぱり肌が白くてきれいだね」

「楓さんほどじゃないですよ。てか、インドア派で日焼けしてないだけですし」

「なで肩なのもかわいい」

「そこ褒められたの初めてです。長時間背負ってるとリュックがずり落ちてきて困るんですよね」

 そんな話をするうちに背中は洗い終わってしまった。

「じゃあ今度は前を洗うね」

「前は自分でやりますから!背中だけという約束でしょう?」

 僕は必死で前を死守しようとするが、楓さんはぐいぐい来る。

 楓さんって案外力強いな。いや、僕が貧弱すぎるだけか?

「楓さん、風呂場で動き回るのはさすがに危ないですよ。狭いですし、滑りますし」

「陽ちゃんが素直に洗わせてくれれば、それで済…… きゃっ!」

 ほら言わんこっちゃない。楓さんはお湯と石鹸でツルツルになった床で滑ってしまった。

 僕は反射的に立ち上がり、バランスを崩した楓さんの身体を抱きしめる。

 セーフ。幸いにも楓さんは転倒せずに済んだ。

「だから言ったじゃないですか。もしこけてケガでもしたらどうするんです」

「ご、ごめんなさい。陽ちゃん」

 楓さんの方からもギュッと抱きついてきた。バスタオル越しに、つつましやかな胸が僕の身体に当たって…… この状況は流石にマズい。

 楓さんがこけかけたことですっかり忘れていたが、僕は全裸で、楓さんはバスタオル一枚だけだ。

 それに気付いたのだろう。楓さんの顔がみるみるうちに赤くなる。

 きっと僕も同じように赤面していることだろう。

 微妙に気まずくなった僕らは、以降は目を合わせることもなく黙って風呂を済ませたのだった。

「二人とも、長いこと風呂入っとったやん。めっちゃ赤いけど、のぼせとう?」

 赤いのはのぼせたせいではないが、綾にはさっきのことは黙っておこう。話したところで、からかわれるだけだろうし。


 10分もすると、身体の火照りは覚めてきた。

 この後にはお泊りで一番大事なイベント「睡眠」が控えている。

 楓さんをどこに寝かすか。それが一番の問題だ。

「楓さん、寝るのはベッドと床に敷いた布団のどっちがいいですか」

 僕のパジャマを着ている楓さんに問いかける。お泊り前提で着替えを持ってきていたのに、パジャマは持ってきていなかったのだ。楓さんはいつも下着で寝ているらしい。さすがに風呂上りに下着姿でいられても目のやり場に困るので、僕のパジャマを着てもらった。

 身長差があまりなく、サイズがピッタリなので、「彼シャツ」感はない。

「陽ちゃんと一緒なら床に雑魚寝でもソファでもなんでもいいけど」

 楓さんはパジャマの匂いを嗅ぎながら答える。

「さすがに雑魚寝させたりソファに寝かしたりはしませんよ。両親不在でベッドも空いているくらいですから。てか、嗅がないでもらえます?」

 そうだ、両親のベッドが空いてるなら、そこに寝てもらえばいい。そうすれば予備の布団をわざわざ出す手間も省ける。

「陽ちゃん、ご両親のベッドってダブル?」

「ええ、そうですけど」

「じゃあ、一緒に寝れるね!」

「一緒に寝る気なんですか」

「当たり前じゃん。せっかくお泊りに来て別々に寝るなんて、ラーメン屋に行って焼めしだけ食べて出てくるようなもんでしょ。未来でのお泊りも、結局タイムリープで有耶無耶になったんだしさあ」

「純粋に、一緒に寝るだけですよ。それ以上のことはナシですよ」


 結局根負けして、両親のダブルベッドで二人寝ることになった。

 広いベッドなので、楓さんと適切な距離を保って横たわる。

 すると、楓さんはベッドの上をもぞもぞと動いて、僕にピッタリとくっついた。

 シャンプーの匂いがふんわりと漂う。さらさらの髪が僕の頬をくすぐった。

「近いです、楓さん」

「せっかく一緒に寝るんだから、これくらい近付かないとダメでしょ」

「近すぎて寝れないですよ。二人分の体温がこもって暑いですし」

 僕が離れると、また楓さんが距離を詰める。いたちごっこだ。

 このまま行くと僕がベッドから落ちてしまう。

 諦めてくっついたまま寝るか。とても寝れそうにないけど。

 僕がそう決意を固めたとき、楓さんがか細い声で言った。

「陽ちゃん、ギュッとして」

「突然どうしたんですか」

「真っ暗すぎて怖い。いつも家だと電気をナツメ球にして寝てるから」

 楓さん、暗すぎると寝れないタイプなのか。やたら近付いてきたのも、それを正直に言うのは恥ずかしかったからなのだろう。強がってる割に、子供っぽい一面を時折見せるところがかわいい。

「この部屋の電気もナツメ球にできるけど、どうします?」

「陽ちゃんがギュッとしてくれるなら、大丈夫」

 僕は彼女を抱きしめる。

 5分と経たないうちに、腕の中からはすうすうとかわいらしい寝息が聞こえてきた。

 さあ僕も寝よう。そう思って、抱きしめていた腕を離すと、今度は逆に抱きしめられた。

「えへへ…… 陽ちゃんかわいい」

 寝言もそれかよ。まあ褒められているので悪い気はしない。

「私のセーラー服。サイズぴったりだね。陽ちゃん、よく似合ってるよ」

 この人はどうやら夢の中で僕を女装させているらしい。

 起こすのがかわいそうだから振りほどけないと思ったけど、多少雑な扱いしてもいいような気がしてきた。

「大丈夫だって。どこからどう見てもかわいい女の子だから」

 あなたの寝言が大丈夫じゃないんですが。

 ツッコみたい気持ちを抑えて、僕は目をつぶる。

 抱き枕代わりにされている状態ではさすがに眠れるわけもなく、お泊りイベントの夜はゆっくりと更けていったのだった。

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