第12話 雨の中の下校

 色々思い返して恥ずかしくなった僕が頭を抱えていると、静かな食堂に校歌のイントロが流れはじめた。

 中高6年間も通っていたので、9年経ってもなにも見ずに歌える校歌だ。

 在学中は愛着なんてまるでなくて、行事のたびに歌わされるのをむしろ面倒くさいと思っていた。

 それなのに、いざ卒業してみると、無性に歌いたくなる時があるんだよな。

 残念ながら、高校の校歌レベルだと、カラオケにあるわけないんだけど。

 なんだかんだ僕って愛校心強いのかな。

「ああ~桜楠おうなん、我らが母校~」

 いつのまにか口ずさんでいた。

 やべ、楓さんに引かれているかも。

「陽ちゃん、校歌聞いて涙ぐんで口ずさむとか、マジで昔を懐かしむおっさんみたいだから、気を付けた方がいいと思うよ?」

 目尻に触れると濡れている。猫型ロボットが出てくるアニメの感動エピソードでうるっと来る程度には涙もろいけど、まさか校歌で涙ぐんてしまうとは。僕も年を取ったなあ。

「タイムリープ前ですら24で、今は高校生に戻ってるのに、自分も年を取ったなんて感慨に浸ってたら、あらゆる上の世代からぶっ殺されるわよ」

「心を読んでツッコまないでください!」

 なんなの、この人。実は超能力者だったとかないよな。

 それはともかく、二度目の高校生活では口パクせず、校歌をちゃんと歌おう。あと、生徒歌もちゃんと歌えるようになろう。

 校歌が終わると、下校時刻を告げる放送が流れる。

 もう18時か。結構長いこと話しこんでいたらしい。

「じゃあ帰りましょうか」

「そうね」


 食堂の建物を出ようとすると、外は雨だった。

「困ったなあ。今日、傘持ってきてないんですよ」

「私は持ってるけど?普段から折り畳み傘を入れておくようにしてるの」

「用意周到ですね。見習わなくちゃ」

「お母さんが富山の人だからね。弁当忘れても傘忘れるなって、ことあるごとに言われてきたの」

「それ、金沢の有名なことわざですよね。富山でも言うんだ」

「みんなが言うのかは知らないけど、うちのお母さんは言ってたね。陽ちゃんも知ってたんだ」

「金沢が舞台の小説に出てきたんですよ。たしかあれもタイムリープ要素ありましたね」

 あの作品を読んだのも高校生の時だったはずだ。タイムリープしようが平行世界に行こうがやり直しは効かない、そんな感じの重いオチだった。ダークなラストを書く力で言えば、多分同時代の作家で一番なんじゃないかと僕は思っている。そういや、同じ作者のシリーズものの新刊は未来でも出てなかったな。未来に帰れなければ続き読めるまで10年くらいかかるかもしれない。

 僕たちのタイムリープや現実改変はハッピーエンドに繋がってくれるだろうか。ふとそ

 んな不安が胸に芽生える。過去に戻ってやり直したから、世界を変えたからといって、物事が元の世界より必ずしもよくなるわけではないのだ。そう考えると、元の未来から大きく変わらないうちに未来に帰るのが無難ということになる。

「相合傘しようよ」

 ネガティブな方向に行きかけた僕の思考は、楓さんのかけてきた明るい声でかき消された。

「それはちょっと恥ずかしいです」

「なんで?私たち恋人同士だし、相合傘くらいして当然でしょ?」

「でも、折り畳みに二人入るのは狭くないですか?」

「大丈夫よ。陽ちゃんちっちゃいし」

「ちっちゃいって言わないでくださいよ。気にしてるんですから」

「そこがまたかわいくていいと思うけどな。自分はチビだからって引け目感じるより、チビだけどそれがどうしたって感じで、堂々としてればいいのよ」

 肩をすぼめ、楓さんが広げた傘の下に入る。

「陽ちゃんは学生時代に相合傘なんかした経験ないでしょ?」

「失礼な!僕にだってそれくらいありますよ!」

「へえー、誰と?」

「残念ながら相手は野郎ですよ。数少ない友人の一人が傘を忘れてきたんで、入れてあげたんです」

 相合傘とはいえど、ロマンもへったくれもない経験だ。しかもそいつはデカいので、傘に収まるわけがない。仕方なく僕は傘の持ち手を自分の頭よりも上に高く差し上げて駅まで歩いたのだった。その時、僕は学習したのだ。相合傘は身長差のある相手とやるべきではないと。今になって思えば、ただ相手に持ち手を預ければよかっただけなのだが。男子校らしい相合傘エピソードを話すと、楓さんは大ウケだ。


 この時間だと食堂から近い通用門は閉まっているので、体育館の前をかすめて、正門から出る。

「体育館前のタイルは滑りやすいですから、気を付けてくださいね」

「確かにこの材質だと滑りそう。こけたことあるの?」

「いや、こけかけたことは何度かありますけど、こけたことはないですね。雨がやんだ後の濡れたタイルの上で、スケートみたいに靴で滑って遊んでるやつを見かけたこともありました」

「なにそれ、楽しそう。私もやってみようかな」

「危ないからやめてください。やり直した二回目で大ケガとかシャレにならないですよ」


 朝は校門のカミサマ大先生に目が行って気が付かなかったけれど、校門そばの植え込みではピンク色のツツジの花が満開だ。花に囲まれて、「真面目に強く上品に」と校訓が刻まれた石碑が雨に濡れている。

「この石碑、『上』の字のところにずっとガムが引っついてるんですよね」

「あ、ほんとだ」

 石碑には「:上」のような感じで、ガムが二つ引っついている。

「入学時点で既に付いてましたし、卒業した時も相変わらずでした」

「せっかく二回目の高校生活やるんだから、掃除を申し出て取っちゃえば?」

「そう簡単に取れるなら、とっくの昔に用務員さんが取ってると思いますよ」

「それはどうかな?」

 楓さんはそう言うと、近くに落ちていた木の枝を手に取った。

 辺りには他にゴミ一つ落ちていないのに、まるで「拾え」とでも言わんかのように木の枝が落ちていたのだ。しかも、ちょうど屋根の下に落ちていたので、木の枝は濡れていない。偶然ってこうも都合良く重なるものなのか?

 楓さんがツンツンと木の枝で貼りついたガムをつつく。

 すると、不思議なことにガムはつるりと動き、碑の表面を流れる水滴とともに、滑り落ちて行った。

 ガムが取れてすっきりとした校訓を見て、楓さんが「どうだ、取ってやったぞ」と言わんばかりにドヤ顔をする。

 え、そんな簡単に取れるものだったの?

 些細なことではあるが、あまりに都合の良すぎる展開に違和感を覚えてしまう。

「思ってたより簡単に取れましたね。こんなに簡単に取れるのになんで放置されてたんでしょう?」

「いつか取ろうと後回しにしてたら何年も経っちゃったとかそんな感じじゃない?」

「まあ、そんなところですよね、きっと」

 気になるところはあるが、こんな細かいことにこだわっていても仕方ないので、僕は楓さんと連れ添って校門を出た。


 四月中旬ともなれば、日はだいぶ長くなってくるものだが、今日は雨ということもあって薄暗い。行きと同じように、高校ルートを通って駅へと向かう。

 雨の中、相合傘で下校する高校生の男女。周りからは青春のカタマリみたいに見えていることだろう。中身は二人とも二十代なんだけど。

 駅に着き、屋根の下に入ったところで傘を畳む。カバンに入れても教科書やノートが濡れないように、楓さんはビニール袋を用意していた。

 この時間帯ともなれば帰宅ラッシュで電車も混んでくる。むわっと湿気が籠る電車内で、楓さんと身体を密着させて乗る形になった。電車が揺れるたび、吐息が耳にかかる。

 お互いの家までは、十三と西宮北口でそれぞれ乗り換えて約一時間。この道のりを高校時代の僕はよく一人で6年間も通い続けたものだと思う。

 でも、楓さんと通えるなら一時間なんてあっという間だ。

「次は宝塚南口、宝塚ホテル前です」

 降りる駅を知らせる放送に、名残惜しい気持ちが高まる。

「いっそ、宝塚駅まで乗っていこうかな」

「でもそれだと、陽ちゃんは一駅分余計に払って、雨の中を余計に歩くことになるよ」

「楓さんともっと長く過ごせるなら、それくらい僕は構いませんけどね」

「でも、たった一駅だし釣り合わなくない?それよりもさ、帰ってからLINEで通話しようよ。ね?」

 気付けば、電車は宝塚南口駅に着いて、ちょうどドアが開くところだった。

「約束ですよ」

 僕はそう言って濡れたホームに降り立つ。その後ろでドアが閉まった。電車の窓は曇っているので、車内の楓さんは見えない。

 未来では楓さん家に泊まるという選択肢だってあるんだから、こんな風に別れる必要はないのに。僕は、雨の中に消えていく電車のテールライトを見送りながら、そんなことを考えた。

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