幕間 楓の気持ち

「楓さん、おやすみなさい」


 その言葉を最後に通話が切れる。もっと話していたかったが、もう遅い時間なので仕方ない。

 ベッドに寝ころび、雨に煙る夜景を窓越しに眺めながら、私は今日の出来事を思い返していた。

 夢にまで見た彼との学生生活。大人になってから出会った私たちには、本来なら手に入らなかったはずのものだ。

 昨日、宝塚大橋であんなことを話したときには、まさか本当に私が桜楠高校の生徒になるなんて思いはしなかった。もしこの世界を改変したのが、神とでも言うべき存在なら、その神は随分と大胆なことをしたものだと思う。

 これはやはり、青春を心残りなくやり直せということなのだろうか。


 一度目の学生生活での私は、周囲の期待に応えようとしすぎた結果、自分を「クールな優等生」という枠に押し込めてしまっていた。

 せっかくいい学校に入れたのだから、エスカレーターにあぐらをかかずに勉強しなきゃ。

 そんな気持ちから学生時代の私は、部活に入ったり友人たちと遊んだりするということもなく、必死で勉強をし続けたのだ。その結果、私は定期試験では常に学年上位に入り、ついには特待生となって両親の負担を減らすことができた。


 そんな私に「クールな優等生」というイメージがつくようになったのは当然のことだったろう。学生の本分は勉強と心得て、無駄な遊びはしない。両親や教師はもちろんとして、

 同級生たちもいつの間にか、私をそういう人間として見るようになった。

 そうなってしまうと、私に残された選択肢は、周りの期待に応えられるよう、クールな優等生を全力で演じきることだけだった。

 本当は他の選択肢もあったのかもしれない。もし私が「仲間に入れてほしい」と伝えれば、同級生たちだって快く受け入れてくれただろうし、遊んで遅くなることがあっても成績さえ維持できていれば両親だって大目に見てくれたのではないか。

 でも、私は優等生という殻を破る勇気を持てなかった。リスクを負って殻を破るよりは殻の中で確実な現状を維持する方が楽だと思ってしまったのだ。


 本当の私は決して完璧な人間なんかじゃない。成績だって遊ぶ時間と引き換えに手に入れたものだし、部活や学校行事を楽しんで恋愛もしてという青春に憧れていた。

 いつしか私は「青春」を現実では手に入らないフィクションとして消費するようになった。現実で私が青春を手に入れられないのは当たり前、だって私はマンガの登場人物ではないのだから。そう自分に言い聞かせては勉強の合間の息抜きとして青春ラブコメにハマった。

 結局、私は優等生としての殻を破れず、青春を手に入れることができないまま大人になったのだ。


 そんな私が唯一素の自分をさらけ出すことができたのがSNSだ。

 もちろん本名でやるわけではない。アナグラムで「江藤デカ子」とハンドルネームを付けた。つぶやくのは好きなマンガやアニメのこと。そして、ラブコメみたいな青春を送ってみたいとは思うけれど、実際にはできないということへの愚痴。

 中身が女子高生だとわかれば出会い厨が寄ってくるかもしれないので、敢えて「中高一貫の男子校に通っているオタク」とプロフィールに書いて、男言葉でつぶやいた。

 高校入学後すぐくらいにアカウントをつくり、やがて私は「穴太あのお」というユーザーと仲良くするようになった。彼は中高一貫の男子校に通う一つ下の男の子で、私とも作品の趣味が合った。位置情報を見ると、私と同じ市内に住んでいるらしい。

 最初はオタク談義ばかりしていたのだが、話の内容は次第にお互いの抱える思いといったものに移り、やがて私にとっては唯一の悩みを相談できる相手になった。

 SNSでだけ繋がった、顔も知らない友人。リアルでの接点がないからこそ、開けっぴろげに話せたという面もあるだろう。

 勉強に疲れた時、殻を破る勇気を持てない自分に嫌気がさした時、ただなんとなく寂しい時。彼は私の心の支えになってくれた。彼とたわいもないメッセージのやり取りをしていると落ち着くのだ。


 彼との付き合いは大学進学、そして就職を経ても変わらず続いた。

 社会人になっても、いや社会人になったからこそ、私は今まで以上に殻に閉じこもるようになった。

 頭がよくて、仕事もバリバリこなせるクールなキャリアウーマン。それが社会人になった私の新しい殻だった。自分の見た目がいいというのは自覚している。だからこそ、セクハラにならないギリギリを攻めてくる先輩社員や、嫉妬の炎をぶつけてくる同期に付け入る隙を与えまいと私は必死で殻を守りたてた。


 当然だが、こんな生活で出会いがあるわけがない。

 私は思いきって、穴太さんに相談した。

「会社での出会いも期待できそうにないけど、親を安心させるためにも早めに結婚して孫の顔を見せたいんだよな。どうすればいいと思う?」

 彼からはこう返事が来た。

「自分らの年齢だとまだ早いと思われるかもしれないけど、仕事とは全く別のところに出会いを求めるのも手かな。アプリで婚活とか」

 そして、こう送ってきた。

「社会人になったばかりでまだ早いとは周りから言われてるけど、自分も婚活を始めるつもり。男子校出身で女性経験が全くないというハンデを抱えているからこそ、同年代より早く動きはじめないといけないかなって思っているから」

 それが決め手だった。私はさっそくオタク向け婚活アプリに登録して婚活を始めた。


 そして、出会ったのが彼―― 島田陽だったのだ。

 趣味が合うし見た目も好みのタイプだし会ってみよう。他に若い会員はあまりいないし。

 そんな軽い気持ちで彼と会うことに決めた。

 これまで、学校でも会社でもクールな優等生を演じてきた私だけど、試しに彼の前では自然体でふるまってみよう。破談になればどうせ一生会うことのない相手なのだ。そう割りきる気持ちもあった。

「これからお見合い」

 待ち合わせの喫茶店に入る直前、ツイッターでそう呟くと穴太さんからは「自分も。お互い頑張ろうね」と返信があった。自分をずっと支えてくれた彼にも良縁がありますように。そう祈って、スマホをしまう。

 待ち合わせ場所に既に来ていた男性は私の一つ下。ちょっと頼りない感じもするけど、人は良さそう。ただ、男子校出身という経歴の通り、女慣れはあまりできていないようだ。

 でも、そこがむしろかわいいという印象を受けた。


 話が結構盛り上がったところで、彼はトイレに立った。机の上にはスマホが置きっぱなしだ。不用心だけれど、むしろ私に気を許したという意思表示なのかもしれない。

 当分戻ってこなさそうなので、スマホをいじって待つ。こんな時でもSNSを開いてしまう私は依存症かもしれない。穴太さんからの返信にいいねをし忘れていたので、いいねをつける。すると、目の前の机に置かれている彼のスマホが震えた。

 消えていた画面が付き、「江藤デカ子さんがいいねしました」とプッシュ通知が出る。

 自分の目を信じられなかった。でも、思い返してみれば、さっきの話で出た彼の身の上と穴太さんには共通する点が多い。

 今、ちょうどお見合いをしている彼こそが穴太さんの中身だったのだ。

 おそらくハンドルネームの由来は、「陽→ YOU→ あなた→ 穴太」といったところだろう。

 これが私と彼―― 島田陽との出会いだ。

 これを運命と呼ばずして、何を運命と呼ぶのだろう。


 ベッドに寝ころんだまま、私はスマホを手に取った。青い鳥のアイコンをタップしてSNSアプリを起動する。

 穴太さんはここ最近まったく呟いていない。きっと、現実改変なんて珍事に忙しくてSNSどころではないのだろう。

 彼は江藤デカ子の中身が私だと知らない。どこかいいタイミングで言おうと思っていたのに、結局言えないままズルズルと来てしまった。


 桜楠おうなん高校において、私を知っている人は彼ただ一人だ。もう周りの印象を気にして優等生を演じる必要はない。二度目こそは自分らしく生きて、彼と一緒にラブコメみたいな青春を謳歌してやるのだ。

 これが夢ならばいつまでも覚めないでいてほしい。いや、いっそ夢ではなく現実であってほしい。そう祈りながら、私はいつしか眠りに落ちてしまっていた。

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