第5話 もし同じ学校の生徒なら

 終礼が済むなり、僕はダッシュで高槻市駅へ向かう。走れば普段乗っていたのより、一本早い特急に乗れるはずだ。今ほど帰宅部でよかったと感じる瞬間は無い。


 特急にはギリギリ間に合ったが、息が上がって苦しい。人生で一番必死に走ったんじゃないかと思うほどだ。ミネラルウォーターを飲んで、息を落ち着かせる。


 十三で乗り換えて、西宮北口へ。今朝と同じカリヨン広場で待ち合わせだ。

 電車を降りた僕が、駆け足でカリヨン広場へ向かうと、楓さんはベンチに座って本を読んでいた。今朝読んでいた本の続きだろう。

「お待たせしました!」

「大丈夫?めっちゃ汗かいてるよね。走ってきたんでしょ。そこまで無理しなくても大丈夫なのに」

「楓さんに一刻も早く会いたかったので」

 僕がそう答えると、楓さんはポッと顔を赤くした。

「そのセリフずるい!」

「え?」

 ずるいってどういうこと?

「さっさとデートに行くよ。あんまり時間がないんだから」

 楓さんの言うとおり、放課後デートに仕える時間は、僕たちにあまり残されていない。

 時刻は既に17時を回っている。それもこれも僕の学校がある高槻が遠いのがそもそもの原因なのだ。


「それでデートってどこ行きます?僕、経験がないから分からなくて」

 僕がそう打ち明けると楓さんは、からかうような口調でこう言ってきた。

「陽ちゃんは男子校純粋培養で、高校時代は妹さんを除けば女子と口を利いたこともないような子だもんね。仕方ないよ。お姉さんがしっかりリードしてあげますから、安心してついてきなさい」

 中高6年間、妹以外の女子と口を利いたことがないというのは事実だが、改めて聞かされると傷つく。高校生の僕、いくら男子校だからって女っ気のなさが度を越していないか?

「で、これからどこ行きます?」

「とりあえずガーデンズかな。私も学生デートの経験ないからよく分からないけど」

「いやあなたもじゃないですか!」

「陽ちゃんがかわいくて、からかいたくなっちゃったからつい」

「てか、朝会った時はくん付けだったのに、放課後再会したらなんでちゃん付けになってるんですか!」

「だって高校生になった陽ちゃんがかわいいんだもん!私よりちっちゃいし、声変りしてないし」

「かわいい…… か」

 中身が25の大人から見れば、確かに高校生はかわいいのかもしれない。

 大人になってもチビ(162センチ)の僕だけど、高一の時点で確か156センチく

 らいだったはずだ。詳しく測ってないから知らんけど。

 対して楓さんは大人の時点で161センチ、見た感じ高校時代も同じくらいのようだ。

 つまり、この時点では楓さんの方が僕より背が高い。

 たかが5センチ、されど5センチ。楓さんの目線は僕の頭頂部くらいの高さにある。

 まあかわいいって言われてイヤな気持ちはしないけどね。

「あ、でも男の子にはかわいいって誉め言葉でもあまり言わない方がいいのかな。かっこいいと言われた方が嬉しいよね?」

「僕はかわいいでもいいですけど。むしろ楓さんから言われるなら、嬉しいというか」

「ほんと?」

「ほんとです」

「かわいいかわいいかわいい」

「連呼しすぎですって。あと、頭ポンポンもやめてください!」

 それどっちも普通は彼氏が彼女にやって照れさせまくるやつでは?

「陽ちゃんったら顔真っ赤!」

「誰のせいだと思ってるんですか!」


 ふと周りからの温かい視線を感じる。初々しい学生バカップルとか思われてるんだろうな。とりあえず人目を避けて、目立たない場所にあるベンチに腰かける。

「学生らしいデートってなにをすればいいんでしょうか」

 悲しいかな、男子校で純粋培養された陰キャにはそれが分からない。できるのはせいぜいこれまで見た作品からの知識を総動員することくらいだ。

 うーん、ショッピングモールに行って色々な店を見ればいいのかな?

 いや、ラウワンか、カラオケか? 

 ドリンクバー付きのファミレスでダラダラというのもあった気が。


「陽ちゃん、そこまで思いつめなくていいんじゃないかな。特に目的もなくおしゃべりするだけのデートだってあるわけだしさ」

「じゃあ、喫茶店にでも入ってゆっくりしましょうかね」

「それもありだけど。高校生の財力を考えると、無料で長くいられて、かつ迷惑にならない場所の方がいいかも」

「でもそんな場所あります?」

「一つだけ心当たりがあるの。私に任せて」

 楓さんは自信満々にそう言った。


 僕たちは今津線に乗り、宝塚たからづか南口みなみぐち駅まで帰ってきた。空きテナントが目立つ駅前の古びたショッピングセンター「サンビオラ」を素通りし、信号を渡る。再開発で建ったタワマンを過ぎると、一気に視界が開けた。


 僕たちの目の前にはまっすぐに伸びる宝塚大橋。少し間隔をあけて左手の高いところで阪急電車の鉄橋が川を渡っている。

 目の前をゆったりと流れる武庫川の対岸には大劇場と音楽学校。僕らの住む街、宝塚を象徴する風景だ。

 ちょうど西宮北口行きの電車が鉄橋を渡ってくる。

「もしかしてゆっくりできる場所って、川岸?」

「正解。でも、河川敷まで下りるのは手間がかかりそうね」

 河川敷の土手に腰かけ、夕日に向かって語り合うなんて、青春モノのお約束の一つだもんな。ただ、僕らがちょうど向いている方向は北なので夕日は見えない。

 河原まで下りるのは面倒くさいということで、僕らは橋のたもとにある植え込みのベンチに腰かけた。真正面に阪急電車の鉄橋と大劇場が見える。


 僕らが今座っている植え込みも、橋の上に設置された彫刻も、9年後の未来にはない。

「未来だと、橋や河原も改修されてちょっと変わってますよね」

「そうね、どうしても宝塚ホテルの移転みたいな大きな変化に目が行きがちだけど、ショッピングセンターのテナントだって入れ替わってるし、細かいところまで目を向ければ、道路の舗装や信号の装置だって新しくなっているのよね」

「人間だって同じですよ。9年間での身体の成長についつい目が行きますけど、15の僕と24の僕じゃ当然内面も大きく違うんですよ。同じ人間であって、同じ人間ではないんです。自分ではいつまでも子供のような気がして、まるで成長したという実感がないんですけど、こうやって15に戻ってみると、自分も案外大人になってたんだなっていう気がします。ひょっとするとこれって、成長した自分でやり直せってことなんですかね」

「その可能性もあるかもしれないわね。陽ちゃんは、自分の未熟さゆえに失敗してやり直したいことってない?」

「ありすぎて困ります」

「私もやり直したいことは多いなあ。私、中高時代は周りの目を気にしすぎて、何もできなかったのよね。ほとんど勉強しかしてないと思う。だからこそやり直すなら、ラブコメみたいな青春を送りたいのよ。一度目にはいなかった、かわいい彼氏だっていることだし」

「まあ人間なんて、誰でもやり直したいことだらけですよね。やり直したいからって、やり直してたらこの世界なんてタイムリープだらけですよ」

「気付いてないだけで、案外そうだったりして」

 楓さんはそう言って笑う。

「でもなあ、せっかく高校生に戻れたのに、陽ちゃんと過ごせないなら意味ないんだよね。今日だって、一緒に過ごせたのは通学時間のほんの一部と学校が終わってからだし」

「別の学校に通いながら交際を続けるカップルだって当然いるわけですけど、実際その立場になってみると、物足りないですね」

「どうせやり直すんなら、他校の生徒じゃなくて陽ちゃんと同じ学校の生徒としてやり直したかったな。それなら一緒に通学できるし、なにより学校生活を一緒に楽しめるから」

「でも桜楠は男子校ですよ。2年後には共学化されますけど」

「もし桜楠が共学校だったら、陽ちゃんはどうしてた?」

「うーん、どうだろ。男子校にどっぷり浸かってきましたからね。共学に通う自分を想像できないんですよ」

 まあ共学に行ってもオタクで陰キャだろうなという気はする。

「結局共学校についての知識も学園モノでなんとなく掴んでいるだけなんで、現実感がないというかなんというか。もし楓さんと共学で先輩後輩の関係だったらみたいな妄想はしたことあるし、夢に見たこともありますけど」

「いいね、そんな関係!もし桜楠高校が共学校で、私と陽ちゃんが先輩後輩だったらどんな学生生活を送っていたんだろうね。少なくとも今日みたいに学校に行ってる間も離れ離れってことはないんだろうなあ」


 ラノベやマンガならそういう大胆なIFだってありえたかもしれない。タイムリープなんてその時点で非現実的だけど、「電車の中でたまたま出会う」みたいな現実の過去でも起こりえたようなことしか起きていないという点では、今僕らに起きていることは非情なくらい現実的なのだ。

「どうせ高校時代に戻るなら、陽ちゃんと同じ学校の生徒だった世界線の高校時代に行きたかったな」

「そこまで行くと、タイムリープとは別のジャンルですね。平行世界とか現実改変とかそういうのですよ」

「でもさ、タイムリープなんてありえないことが起きているんだから、平行世界に行ったって、現実改変が起きたって、不思議じゃないよね」

「そういうもんですかね。あんまり混ぜすぎるとわけわかんなくなっちゃいますけど」

「混ぜちゃってもいいじゃん。楽しければ」

 楓さんはそう言って笑う。


 気付けば、辺りにはすっかり夜の帳が下りていた。

 まだ4月なので、日没後ともなれば肌寒い。

「もう日が暮れちゃった。もっと一緒にいたいのに」

「仕方ありませんよ。高校生が日没後も外をぶらついてるわけにはいきませんし。家まで

 送っていきましょう」

「本当は送ってもらいたいところだけど、それだと陽ちゃんが帰宅するのが遅くなっちゃうから、気持ちだけ受け取っておくね。私は、親にLINEして迎えに来てもらうから、そこは大丈夫よ」

 楓さんとは南口駅の前で別れて、僕は家路についた。

 夕食と風呂を済ませた後、自室のベッドに寝転がって、今日の出来事について思いめぐらしてみる。


 もし高校時代に楓さんと出会っていたら…… 。何度となく妄想していたことだが、いざそうなってみると、案外なにもできないものだ。

 お互いの学校が終わってから放課後デートをしようとしても、距離ゆえに合流するまでに時間がかかってしまうし、高校生なので夜遅くまで遊ぶわけにもいかない。二人ともバイトをしていないので、遊ぶためのお金もない。


 一方、僕らが元いた未来では、思い立ったら車で淡路島でも琵琶湖でも行くことができたし、財力ゆえに遊園地や外食に二の足を踏むことがなかった。大人ってほんとなんでも

 できるんだなと、子供に戻ってみて改めて思い知る。

 そりゃ子供のうちは「早く大人になりたい」と願うはずだ。

 だけど、高校生ゆえに行動範囲が狭いのなら、自由に使えるお金が少ないのなら、それに合わせた遊び方をすればいいだけのことだ。そこに関しては工夫でなんとかなるだろう。


 問題は、僕が楓さんと一緒にいられる時間があまりに少なすぎることだ。9年後の未来であれば、楓さんのアパートにだって泊まれるのだから、今この瞬間も楓さんが隣にいて、何気ない会話を交わしながらアイスクリームでも食べているに違いない。

 一緒に青春したいとタイムリープした結果、楓さんと過ごす時間が減ってしまったのでは本末転倒だ。未来での楓さんと過ごす何気ない日常が懐かしいなあ。タイムリープ先の過去で、未来を懐かしむってどういう状況だよ。

 どうかこれが単なる夢で、起きたらまた大人に戻ってますように。そう思いながら、僕は目を閉じたのだった。

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