第2話 2015年での再会

 9年も経てば、街並みも変わるものだが、我が家の周辺に限って言えば、建て替わった家もない。変わりばえのしない景色だが、停まっている車はそれぞれ違っていたりする。10分ほど坂道を下って、僕は最寄りの宝塚南口駅に辿り着いた。

 駅前には大正時代に創業し、増改築を重ねた、立派な宝塚ホテルが鎮座している。

 9年後の未来では、宝塚大劇場の隣に移転しており、ここにはない。取り壊しが終わって、マンション建設工事の真っ最中だった。

 懐かしい。口から思わずそんな言葉が飛び出る。

 だが、感傷にひたってばかりもいられない。

 電車に乗らなければ。

 階段で二階に上がり、改札口を通る。改札機も9年後とは違う。

 三階のホームに上がると、ちょうどマルーン一色に塗られた電車が入ってくるところだった。


 普通西宮北口行き。高校時代の僕は一本前の準急に乗っていたはずだ。

 予定の電車に乗り遅れてしまったわけだが、いつも学校には余裕を持って着いていたので、これに乗っても充分に間に合う。

 準急に乗れば十三じゅうそうまで座っていけるのが、普通だと西宮北口での乗り換えが必要になるのだけれど、こればかりは仕方ない。

 楓さんも今津線で通学していたと言っていたが、普段は何時何分の電車に乗っていたのだろうか。タイムリープすると分かっていれば、聞いておいたのに。

 この電車にたまたま乗っていたりしないかな。そんなことを考える。だが、この時間帯は朝のラッシュ時ということもあって本数は多いし、短い普通電車でも6両編成。そんな中でたまたま楓さんと巡り合える確率はいかほどのものだろう。


 僕はとりあえず、一番空いていそうな最後尾の6両目に乗り込む。終点の西宮北口駅は、前寄りにしか階段がないので、乗客は前方の車両に集中するのだ。

 車内に乗り込んだ僕はさりげなく車内を見回す。木目調の内装にオリーブ色のモケットシートの落ち着いた車内は、9年後と大きく変わりはしない。しいてあげるとすれば、未来では優先座席のシートの色が赤紫色に統一されていたのに、この時代だとまだオリーブ色のままの車両もあったということだろう。

 残念ながら空席は僕より先に乗り込んだ人によって、すぐに埋められてしまう。

 だが、そんなことなんかどうでもよくなる光景を僕は目にしてしまった。

 車内の一番後ろ、乗務員室と扉に挟まれた三人掛けのシート。そこに、僕は探していた人物を発見したのである。

 シートの扉寄りに腰かけているのは、青と白のセーラー服を身に着けた一人の女子学生。

 書店のブックカバーがかかった文庫本を手に持ち、熱心に読んでいる。

 肩の少し下まで伸ばした黒髪に、意志の強さを感じさせる、つり目がちの目。すらりとした身体には、爽やかな色合いのセーラー服と膝下までの長いスカートがよく似合っており、まるで青春小説の表紙から飛び出してきたかのようだ。

 その少女に僕は見覚えがあった。

 9年分若返っているけれど、間違いない。未来での僕の彼女、厚東ことう楓さんだ。

 大人の楓さんもかわいいし美人だけど、やっぱり高校生の楓さんもかわいいなあ。見ているだけで今日も頑張ろうという気持ちに満ちあふれてくる。

 彼女の前の空間に誰も立っていないのをいいことに、僕はそこに移動した。リュックを足元に置き、丸いつり革を握る。

 近くで見て確信する。見間違えようがない。彼女が着ているのは、楓さんが通っていた女子校の制服だ。これを着たまま酔っぱらっていた昨日(といっても9年後だが)の楓さんが脳裏をよぎる。

 人違いの可能性もないし、声をかけよう。

 だが、そこで僕はもう一つの可能性に思い至る。

 もし、タイムリープしてきたのが僕だけだったら?

 その可能性だって、充分ありうる。

 タイムリープしてきた主人公が、その当時は親しくなかった相手にうっかり声をかけて、変なやつ扱いされるなんてよくあるパターンじゃないか。

 でも、僕は、昨夜、いや9年後に約束してしまったのだ。たとえ楓さんの方が僕に気付いていなくても、探し出して誘うと。

 そうは言うものの、やっぱりためらってしまう。

 もし、楓さんもタイムリープしてきたのでなければ、僕は電車内で見かけた知らない女子高生に突然声をかけるヤバい男子高生になってしまう。痴漢扱いされないかな。補導されたらどうしよう。そんな不安が頭に浮かぶ。

 だが、約束してしまった以上、僕は楓さんに声をかけなければいけない。

 気が付くと、電車は2駅目の小林おばやし駅につくところだった。ホーム越しに駅前の西図書館が見える。声をかけようか悩んでいる間に、逆瀬川駅を通り過ぎていたらしい。

 意を決して、僕は彼女の名前を呼ぶ。

「楓さん」

 言い終わらないうちに、彼女は文庫本から目線を上げた。目が合うと、彼女はにっこりと微笑む。

「陽くんったら、遅いよ?」

「もしかして、気付いていたんですか?」

「前に立った時に気付いたよ。でも、あんなJ-POPの歌詞みたいなこと言っていた以

 上、声をかけてくるだろうなって。だから、わざと気付かないフリをしていたの。でも、まさか2駅分悩み続けるとはね」

 楓さんはそう言って、くすくすと笑う。まんまとハメられた。まあいいや。かわいいし。

「もし、話しかけられなかったら、どうしてました?」

「終点で降りるために立ち上がったついでに、一発シバいてたと思う」

「あなたは暴力系ヒロインですか。今時流行りませんよ?」

「そりゃ令和の未来では流行ってないけど、この頃ならまだ多少は人気だったんじゃない?」

「この頃でもちょっと時代遅れのような気が」

「ところで、この頃の陽くんって、アニメはなに見てたの?」

「イギリス人の女の子がやって来るのとか、自衛隊が異世界に行くやつですね」

「そっか、2015年だとその辺か。それにしてもメジャーなのばかりだね」

「マイナーなのも見るようになったのは、大学入ってからですね。漫画やラノベも大学生になって、バイトで余裕ができてからの方が読むようになりましたし」

「やっぱりそうだよね。高校生だと自由に使えるお金少ないし」

「だから、高校時代は図書館の本をひたすら読んでました」

「私も似たようなものね」

「ところで、楓さんが読んでいる本はなんですか?」

「ああこれね」

 楓さんが手に持った本のブックカバーを外す。現れたのは、今僕たちが乗っている阪急今津線を舞台にした小説だった。

「高校時代の部屋を見回していたら、本棚にあるのが目に入って。今津線で通学していたのが懐かしいなあって、手に取ったの。陽くんが目の前に来てからは、いつ話しかけられるか気になって、内容も入ってこなかったけどね」

「傍から見てると、熱心に読んでるようにしか見えませんでしたよ」

「最初の方だけ読み返して気になったんだけど、逆瀬川に住んでる登場人物がどうして中央図書館に行っているんだろう。小林の西図書館なら歩いて行ける範囲なのに。中央図書館にしかない本でも、西図書館で取り寄せられるはずでしょ」

 ああそのことか。それは僕も初めて読んだ時に気になったな。一応、後の方でその理由について言及はあるんだけど、これ言うとネタバレになっちゃうかな。いや、でも楓さんだって再読だし、言ってしまっても問題はないんじゃないか。

 悩んだ末、僕にはせいぜいこう言うことしかできなかった。

「読み進めて行けば分かりますから」

「再読でもネタバレに気を遣ってくれたのね。普段は鈍感なくせにこういう時だけ気が利くんだから」

 楓さんは、褒めてるんだか貶しているんだか分からないことを言って笑った。とりあえず誉め言葉として受け取っておこう。


 電車がポイントを渡る音が車内に響く。

西宮にしのみや北口きたぐち、阪急西宮ガーデンズ前、終点です」

 続いて、乗換案内が流れ、電車は西宮北口駅のホームに滑りこむ。

 楓さんは読みさしの文庫本をカバンにしまい、降りる準備をすると立ち上がった。

 乗客の波に乗り、僕たちも並んで、ホームに降りる。

 西宮北口ニシキタへの到着、それはすなわち僕たちの別れを意味していた。僕が神戸線の梅田行きに乗り換えて十三へ向かう一方、楓さんは逆方向に乗り換えて神戸へと向かうのだ。

 今津線で通学しているのは一緒だけれど、行先はお互い違う。わずか六駅間の邂逅、ほんの十数分の時間はあまりにも短い。

「とりあえずさ、LINE交換しない?」

「あ、そうでした」

「この時代の私たちはまだ知り合ってないから、交換してるわけないもんね」

 乗り換え客の流れを避け、僕たちはカリヨン広場に入る。

 コンコースの中央、天窓の下に、カリヨンのついた時計と、それを取り巻くようにベンチがある。西宮北口の定番の待ち合わせスポットだ。

 空いていたベンチに腰かけると、僕たちはお互いメッセージアプリを起動する。

 QRコードを読み込んで、IDを交換すれば、友だち登録は完了だ。

「アニメアイコンねえ。高校生のオタクって感じでかわいいけど」

 指摘されて気が付く。高校時代の僕は、LINEをアニメアイコンに設定していたのだ。

 当時好きだったき〇ら系のキャラクター。当時はなんとも思っていなかったけど、今になってみると恥ずかしい。ちなみに楓さんのアイコンは赤地に白抜きで「楓」一文字とシンプル極まりない。グーグルのアイコンかよ。

「え、友だち10人?」

 楓さんが信じられないものを見たとでも言うような顔になる。

「勝手に覗き込まないでくださいよ。てか、LINEの友だち10人でなにが悪いんです

 か? 高校生の僕は広く浅くより狭く深く友だち付き合いするタイプなんですよ!」

 大学生、社会人と経て、友だち登録は結構増えたけど、この頃の僕は本当にLINEを交換することが少なかった。クラスLINEにも入っていなかったくらいだ。

「そういう楓さんの友だちはどれくらいいるんですか?」

「2人よ。パ…… 父さんと母さん」

「自信満々に言った割に少なっ‼」

 もはや心配してしまうレベルだ。どんだけ友だちいないんだこの人。てか、パパって言いかけてたよな、さっき。

「なんか憐みの視線を感じるのだけれど」

「僕が言えたことじゃないですけど、大丈夫ですか?」

「私は友だちがいないんじゃなくて、交換しないだけなの! 浅い付き合いの相手ならたくさんいるけど、わざわざLINEで交換するほどじゃないっていうか」

 言い訳っぽく聞こえるけど、まあ良しとしよう。僕も人のことはとやかく言える立場にないので。

「じゃあ、また学校終わったら合流しよう?」

 楓さんは、そう言い残すと、神戸方面行きのホームへと階段を下りて行った。

 その後ろ姿が人混みの中に消えるのを見送ってから、僕も梅田行きのホームに下りる。

 向かいのホームを見ると、楓さんがこちらに向かって大きく手を振っているのが見えたのだが、次の瞬間には電車が入ってきて見えなくなってしまった。


 案の定、神戸線の電車は混雑していて座れない。でも、楓さんと過ごせたのだからこれくらい仕方ないか。

 十三で京都線の快速急行に乗り換える。クロスシートで通路が狭いので、ドア付近に立ち客が固まってしまい、ラッシュ時はなかなかの地獄だ。それでも、大学時代に乗った東京の電車に比べれば、押し付けられないだけ、はるかにマシだと思う。

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