第1話 タイムリープ?

 ホッホホーホホッホホーホ、ホッホホーホホッホホーホ、ホ。

 キジバトの声に目を覚ますと明るくなっていた。

 もう朝か。昨夜はいつの間に寝てしまったんだろう。

 三連休とはいえ、二日酔いにならなきゃいいな。

 そう思って、起き上がった僕は違和感を覚えた。まず、隣に寝ているはずの楓さんがいない。もう起きたのかな。そう思ったけど、部屋を見回してそれどころじゃないと気が付いた。


 ベッドの左手にはロールカーテンのかかった窓。正面には本棚とクローゼット。右手には部屋の入口のドア。そして、ベッドのちょうど右隣に勉強机がある。

 実家の僕の部屋だ、まずそう思った。楓さんと同棲するためにいずれは出ようと思っている実家である。

 でもなんで?


 昨夜、僕は楓さんの住むアパートの一室にいたはずだ。同じ市内とはいえ、あの後、酔った状態でわざわざ実家まで帰って来て寝たとは思えない。

 もう一度自室を見回した僕は、更なる違和感に気が付く。家具の配置が違うのだ。 

 僕が楓さんのアパートへ出かけた後で、父さんが配置を変えたのか?

 いや、この配置には見覚えがある。高校時代の僕の部屋だ。


 昨夜の楓さんとの会話が頭をよぎる。まさかそんなことが。起きたら高校時代に戻っているにしても、タイミング良すぎではないか。

「タイムリープなんて、嘘だろ…… 」

 思わず呟いた言葉も、一オクターブ高いのがわかる。そういえば、僕は変声期が遅い方で、高一の時はまだだったな。脳内に響く自分の高い声に違和感を覚える。

 とりあえず、楓さんに連絡しよう。枕元で充電していたスマホを手に取る。

 まずは指紋認証を…… 。手元のスマホには指紋を読み取るセンサーがない。大学進学を機に買い替えてから早五年、すっかりご無沙汰になった、高校時代のスマホがそこにあった。

 パスワードを入力してロックを解除。買い替えてもパスワードは一緒なので、すんなりとホーム画面が表示される。写っていた日付は、「2015年4月13日(月)」。

 2015年。1999年生まれの僕がちょうど高校一年生だった年だ。

 どうやら僕は本当に高校時代に戻ってきたらしい。

 でも、なんでこの日なんだ?

 タイムリープしてくるにしても始業式翌週の月曜日って中途半端すぎるだろ。この日になにか特別な出来事ってあっただろうか。

 記憶の中を必死に探してみるが、この日付になにか特別な思い出があるわけではない。

 多分、普通に学校に行って特に何事もなく家に帰ってきただけだ。誰かと出会った覚えも、誰かを救えなかった覚えもない。

 ただただ平凡な一日だったはずだ。

 よくあるパターンなら高校入学式の前にタイムリープするだろう。もっとも、中高一貫に通っている僕には高校デビューなんて不可能だから、入学式前だろうが、後だろうが関係ないんだけど。高校受験の手間を省けるのはたしかにメリットだが、その一方で人間関係がリセットされずに中学のまま続いていくというデメリットが中高一貫にはあるのだ。


 一応LINEを確認してみたけれど、楓さんの連絡先は無かった。

 当たり前だ。だって、この時代の僕は、まだ楓さんと出会ってすらいないのだから。

「お兄ちゃん、まだ寝とう? ご飯食べへんと遅刻するよー」

 階下から妹の声が聞こえてくる。

 これからどうするにしてもまずは部屋を出よう。


 階段を下りて、リビングへ行くと、妹の綾が、テレビを見ながら菓子パンを食べていた。

 テレビは、関西ローカルの朝の情報番組。ジャイアンツを持っている系列の局の番組なのに、眼鏡をかけたひょうきんな感じのアナウンサーは、タイガースの法被を着て、野球のニュースを伝えている。この人も僕が元いた未来、9年後ではこの番組からとっくに卒業しているはずだ。懐かしいものを見たという感じがする。


 まずは洗面所で顔を洗おう。

 鏡の中にはもちろん、高校生の僕がいた。あいかわらず冴えないけれど、八年も前だから、当然、24歳の自分を見てきた目には若々しく見える。大人になってもあいかわらず童顔なんだけども。

 高校一年生の僕って、こんなに子供っぽかったのか。まあでもほんの一ヶ月前まで中学生だったわけだしなあ。

 だが、驚いてばかりもいられない。

 今日は平日、さっさと準備しないと学校に遅れてしまう。

 僕はカッターシャツに着替えて、その上に学ランを羽織る。この制服を着るのも久しぶりだ。いや、思い返せば、昨日楓さんの部屋で着ていたな。

 チャック式の紺色の地味な学ラン。装飾はなく、左右のカラーに、校章と学年章が輝いている。

 リビングへ戻り、机の上に用意されていた白あん入りメロンパンを食べた。

「お兄ちゃん、その恰好やと暑いんちゃう?今日は結構気温が高くなるって言うとうで」

 ブレザーに身を包んだ綾がそう言ってくる。9年後は大学生で、金髪に染めている妹も、今は黒髪ポニテの中学生だ。通っている共学校のブレザーを着ている。

「そうかな。まだ4月だぞ」

 学生時代の僕はいつ頃、冬服から夏服に切り替えていたんだっけ。GW明けくらいかな。

 僕の通っていた桜楠おうなん高校は衣替えの時期が定められていなかったので、気温や体調に合わせて服装を選べるのだ。だから、真夏に学ランを着る暑苦しいやつもいれば、真冬に半袖で過ごす猛者もいた。

 そう言えば母さんの姿が見えない。父さんは仕事に行ったのだろうが、母さんまでいないのは不可解だ。

「なあ綾、母さんは?」

 綾に聞くと「何を今さら」というような反応をされた。

「お兄ちゃん、寝ぼけとう? 父さんも母さんもシンガポールにおるやん」

 思い出した。僕が高校生の頃、ゼネコンに勤める父さんは、シンガポールに行っていたのだ。海外生活に憧れのあった母さんはついていったものの、僕と綾は今さら転校するのもということで、日本に残って二人暮らすことになった。

 親が海外にいて、妹と二人きりの暮らしなんて、改めて考えてみるとラノベ主人公みたいだ。もっとも自分はとても主人公なんて柄じゃないし、親が家にいないからと言って連れ込める女の子もいない。高校生の時はまだ楓さんとも出会っていなかったのだから。

 そそくさと朝食を食べ終え、リュックサックを背負うと、僕は家を出る。

 そこで気が付いて振り返る。マスク忘れた!

「綾、使い捨てマスクはどこにある?」

「なに言うとう? もうスギ花粉はほとんど飛んでへんってテレビでやっとうやん」

 言われて、ハッとする。今、僕がいるのはパンデミックのパの字もない世界だということに。

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