第18話 日曜日の街ブラデート
4月19日(日)、午前8時45分。9時の待ち合わせに間に合うよう阪急宝塚駅の南口へ行くと、楓さんは既に来ていた。
薄手のジャケットにロングスカートという格好だ。
大人っぽい落ち着いた雰囲気が感じられる。相変わらずかわいい。
「すいません、お待たせしちゃって」
「いいのいいの。私も今来たとこだから」
「もし楓さんが、間違って南口駅の方に行ってたらどうしようかと、内心心配でした」
「何年宝塚に住んでると思ってるのよ。まあ起こりやすい間違いだけどね」
今僕たちがいるのは阪急宝塚駅の南口。駅前には百貨店などが入る商業施設「ソリオ」のほか、ホテルやマンションなどが立ち並んでいる。宝塚大劇場や宝塚温泉にも近く、いわば宝塚という街の玄関口だ。一方、今津線で一駅行った武庫川の対岸には宝塚南口駅があり、この当時は駅前に宝塚ホテルがあった。
単に「宝塚駅の南口」とだけ待ち合わせ場所を指定しておくと、勘違いが生じる恐れが大きい。僕は一応「ソリオがある方」と付け加えておいた。
「そういや、この時代だとまだ駅前に歌劇のモニュメントないのね」
「あのモニュメントの設置はこの年の9月1日ですからね」
「そうだったんだ。てかなんでそんな詳しいこと覚えてるの?」
「結構大きく日付が書いてあるんで、いつのまにか覚えてたみたいです」
「記憶力よくない?」
「そうですかねえ。暗記科目は割と得意ですけど」
ただし得意なのは文系科目に限る。文豪とか武将とか年号とか地名なら結構覚えているのだが、元素記号とか数学の公式となると、てんでダメなのだ。
合流したところで、不思議探しはスタート。とは言え、そんなに不思議なものが街中にあるとは思えないので、単なる街ぶらデートになるだろう。いや、そうなってくれ。
駅前を真っすぐ進み、交差点を過ぎるとそこはもう武庫川だ。フランスの彫刻家がデザインしたというS字型の
実際、日曜日ということもあって、観光客らしき姿がちらほらと見える。
「こっちの方に来るのは久しぶりね。通学以外の普段の生活は駅までで完結しちゃうし」
「近所でも案外足を運ばないところってありますよね」
「でも、やっぱり宝来橋からの景色って綺麗だよね。ザ・宝塚って感じで」
「それは同意です。テレビでも宝塚っていって真っ先に出てくるのは、宝塚大橋か宝来橋
の景色ですからね」
宝来橋から下流を眺めると、左岸に宝塚大劇場と音楽学校、そしてそれらにデザインを合わせた赤い屋根の高層マンションが建っていて、宝塚南口駅がある右岸との間を阪急電車の鉄橋が横切っている。
「未来では宝塚ホテルが建っている場所、この時代だとまだ駐車場だったんですね」
「ほんとだ。見慣れた景色のはずなのに、なにか足りないと思ったら、まだ新しいホテルの工事すら始まってなかったんだね」
「移転の話が出たのはちょうどこの時期だったはずですよ。せっかく古い方のホテルがまだ残っている時代に来たんだから、一度くらいは一緒に行きたいところですね」
学生デートにはホテル内の喫茶店はちょっと高いけど、そこに関しては節約でなんとかしよう。
「それもいいね。でも、せっかくなら、古い方の宝塚ホテルで結婚式を挙げてみたかったな」
「それはさすがに無理ですよ。新しい方に移転したのは2020年だから、僕たちまだ大学生ですよ」
「でもさ、法的には結婚しても問題ない年齢よね」
「さすがに早すぎる気が。でも、未来に帰ることになろうが、このままやり直すことになろうが、将来、楓さんと宝塚ホテルで式を挙げたいと僕は思います」
「お、もしかしてプロポーズ?その言葉をよく覚えておくよ」
僕、未来に帰れたら楓さんと宝塚ホテルで結婚するんだ。そんな決意を固めてから、死亡フラグっぽいなと思ってしまった。いや、この場合未来への帰還失敗フラグか?
温泉街を抜け、真っすぐ歩いて行くと早くも宝塚南口駅だ。地元を走る阪急今津線は私鉄らしく駅間距離が短い。
駅前には立派な構えの宝塚ホテルが建っている。八年後の未来では存在しない建物だ。
「懐かしいなあ。成人式の時を思い出すよ」
ホテルを見上げながら楓さんがしみじみと言う。
「古い方のホテルで成人式をやったのは僕の学年が最後でしたね」
「そういやそっか。というか、陽ちゃんぼっちだったのに、成人式はちゃんと行ったんだね」
「古い方のホテルでやるのは最後っていうところに価値を感じて行きました。ぼっちなので、周りが集まって呑みに行く中、寂しく一人で帰宅しましたけどね」
「辛いこと思い出させてしまったみたいで、なんかごめん」
「いや、別にいいですよ。というか、楓さんの方はどうだったんですか?」
「それがね、私も割と似たようなもんよ。中学受験して以来、地元の友だちとは疎遠になってたから、再会しても馴染めなかったし、中高では市内に深い付き合いの子はいなかったから」
「よくそれで、僕のことぼっちいじりできますね」
まあ、本気でからかってるわけじゃないからいいんだけど。
宝塚南口からは今津線に沿って歩いて行く。クジラのようなデザインの宝塚教会など、変わらない建物も多いが、その一方で未来では新築四軒に分割されている土地に大きなお屋敷が建っていたりして、9年という月日を感じる。
そういった未来との違いを「不思議」に数えるなら今日の目的は充分達成されているのだが、楓さんは少し物足りなさそうな様子。でも、街中で一体なにが見つかれば満足なんだ?
宝塚南口から逆瀬川までの一駅もそれほど長くない。
線路に沿ったアピア新橋で
逆瀬川駅は市内では宝塚駅の次に大きな駅だ。楓さんは9年後の未来では、逆瀬川駅近くのアパートに住んでいる。
「どうせなら、未来で住むアパートでも見に行く?」
「見に行ってどうするんですか。どうせ他の人が住んでますし、迷惑になるだけですよ」
「それもそうね。じゃあ、アピアの中でも見て行こっか」
「まあいいですけど、そんなに見るものありましたっけ。せいぜい書店くらいでしょ」
逆瀬川駅前にはアピアという、バブル真っ只中に再開発で建てられたショッピングセンターがあるのだが、微妙に空きテナントが目立つ。
建物の手前、ペデストリアンデッキ上には赤い三角屋根のからくり水時計が立っている。
待ち合わせの目印にピッタリな見た目だが、すぐ後ろに喫煙所があることもあってか、ここで待ち合わせる人を見かけることはほとんどない。
バブルの勢いで設置した、凝ったランドマークという感じだが、近年は老朽化に整備が追いつかないのか、放置状態だ。
一時間ごとに三分間動く、と説明されてはいるものの…… 。
「このからくり水時計、動いてるとこ見たことないんだよね」
「動いてないどころか、未来では時計の針が無くなってましたよ」
「え、そうだったっけ。せっかく過去に来たんだから動くとこ見たいな」
楓さんがそう言った次の瞬間である。
「デエエエエエエン」と音楽が流れ出し、時計の中に設置された人形が動きはじめた。
え、いくらなんでもタイミング良すぎないか。
「すごい!この時代だとまだ動いてたんだ。ちょっと感動したかも」
楓さんはまるで子供のように、キラキラとした目でからくりの動きを見つめている。
こんな目で見つめられたら、からくりの方だって動きがいがあるというものだろう。
通行人が、からくりを熱心に見続けるおかしな高校生の男女を、不思議そうに一瞥しては通り過ぎていく。
単調な音楽と単調な動きを繰り返すこと三分、いい加減見るのも飽きてきたところでからくりは停止した。体感時間的にはもっと長かった気がする。熱しやすく冷めやすい子供なら、三十秒も見ていればたちまち飽きてしまうことだろう。
「じゃあ、行こうか」
からくりの始まりから終わりまでを見届けて、楓さんもさすがに満足した様子だ。
「街中の不思議、やっと一つ目を見つけることができたね」
そういや、今日の目的はそれだった。
「何個見つけるみたいな目標とかあったりします?」
「いや、別にそういうのはないよ。学生に戻ったからにはノルマから解放されたいし」
楓さんの未来での闇が垣間見えてしまう。そういや、未来でのこの人は営業職だったな。
「アピアの中にそうそう不思議があるとは思えませんけどね」
強いて言うなら、活気があるんだかないんだかわからない、この空気が不思議ではある。
「変わったものを売ってる店とかないかな」
「ないですよ。大阪や神戸の街中ならともかく、郊外ベッドタウンの駅前でニッチな商売が成り立つとは思えませんし」
実際、左右に並ぶ店はファッションだったり、普通の雑貨だったり、ごくごく常識的な店ばかりだ。空きテナントが目立つのが、地元の空洞化を見せつけられているようで辛いのだけれど。
不思議な店なんか見つかるわけもなく、結局、僕らは一階にある書店へと来ていた。
「欲しいものを買うならやっぱり通販が圧倒的に便利だけど、見つける楽しみは書店じゃないとね」
僕も楓さんも紙の本派なので、未来では結構な頻度でこの書店に来ていた。郊外駅前の書店にしては品揃えがいい方だと思う。
「過去に来たんだから当たり前だけど、ちょっと懐かしいタイトルばかりね」
ラノベの棚を見て、楓さんが言う。
「せっかくだから一度目では読んでない本でも買いますかね」
「それもいいんじゃない?存在知った時には巻数出すぎていて追いかけるの諦めたシリーズとかもあるし」
「あっ、でも一度目で読んで面白かったのももう一回読んでみたい気が…… 」
このままだと金が足りないな。
「そうだ、いいこと考えたんだけどさ。お互い別のを買って貸し合いすればいいんじゃない?」
「そういや、その手がありましたね。じゃあ、そうしますか」
ということで、僕と楓さんはお互い、所持している本と被りがないかを確認した上で、ラノベを数冊買って書店を出た。
「不思議は見つからなかったけど、いい買い物になったね」
「そろそろいい感じの時間ですけど、お腹空きません?」
「そうね。言われてみればお腹空いたかも。二駅分歩いたわけだし、ガッツリしたものを食べたいわ」
「この辺だと食べるところはそれなりにありますけど、どこにします?楓さんの食べたいところに任せます」
「そうね、だったらあそこがいいわ」
楓さんの口から出たのは、あまりデートらしからぬ昼食の選択肢だった。
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