レオンとシィナ
モニカ・レッティの身柄は、マリア長官自らがアドリア署へと連行していった。
公務執行妨害の現行犯として、ひとまず逮捕されることになるが、すぐに釈放されることと思われる。
その後どうするかは、彼女次第だ。
でも、きっと彼女が魔法薬取締局の門戸を叩きに来てくれるだろうとレオンは信じている。
マジックパーティの現場の検証は明日に仕切り直しとなり、レオンは部屋に戻ることになる。
この街に来てから宿泊している部屋、403号室のセミダブルルームだ。
部屋に入ると、シィナがベッドに腰掛けて尻尾のブラッシングをおこなっていた。
レオンが戻ってきたことに気付くと、手を止めて、「あ、おかえり……」と力なく言う。
「なんだシィナ、寝起きか?」
「うん、まあ……。マリアに会ってきたんでしょ? もう夜になるけど、そんなにいろいろ話し込んでたの?」
「ああ。報告することも多かったし、いろいろあって……」
「まあ、そりゃ、話すことはいろいろあるだろうけど……本題は、どうだったの」
「本題? マズロアの身柄のことか? それは、ひとまず首都警察局がアドリア署を管理することで……」
「ちがうよ。事件のことじゃなくて。……例の話! マリアはなんて言ったの?」
「例の話? いったい、なんのことだよ」
「もう、とぼけないでよ。決まってるでしょ、バディ解散の話だよ!」
シィナは手にしていた折りたたみブラシを、ぎゅっと握りこんだ。
「バディ解散……?」
レオンは小さくつぶやいてから、
「……ああ! そうだった!」と思い出す。
ホテル上層階への潜入を決行する前だった。
シィナのそばにいることに限界を感じたレオンが、『この任務が終わったらバディを解散しよう』と切り出したのだ。
……が、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。
「ちょっと、レオン! ひどいにゃあ、こんな大事なこと、忘れるなんて!」
「わ、悪い。いやでも、解散の話は……」
そもそも、レオンがなぜ解散話を切り出したか。
それは、人狼の能力が暴発してしまうことを危ぶんだためだ。
彼女と一緒にいると、その匂いに心を惑わされてしまう。
感情が高ぶって、狼が目覚めてしまいそうになるのだ。
だからレオンは、シィナとは距離を置いたほうが良いと判断したのである。
……でもその問題は、今はもう解決されている。
「それはもう大丈夫だ。俺は、人狼の能力を制御させることができたんだから。今後、シィナと一緒にいても、狼化が暴発してしまう心配もない」
「……ん? あれ? そっか。……じゃあ、もうバディを解散する理由がないってこと?」
「ああ」
「……よ、よかったにゃあぁ……」
シィナは、溜めこんでいた息を一気に吐きだすみたいに声を漏らした。
尻尾が、ふにゃっとしなだれる。
「それならそうと、早く言ってくれにゃあ。いやマジで、今日でレオンとバディ解散かと思って、あたしガン萎えしてたんだから。
……ああもう、無駄に悩んじゃったじゃん、くそー、恥ずいにゃあ」
安堵と怒りと気恥ずかしさが同時に押し寄せてきているようで、シィナは顔を真っ赤にして唸っている。
彼女のこんな姿はなかなか見られない。
あまりに珍しいので、レオンは相棒の少女をじっと観察してしまった。
彼の視線に気づいたシィナは、「なに見てんだよー」とガンを飛ばす。
だがその目つきも弱い。まるで幼猫が必死で威嚇しているみたいだ。
「悪かったよ。でも、解散の話をしたのはパーティ会場に突入する前のことだっただろ。それから作戦中も、おわったあとも、いろんなことがあったから……。解散話なんて、すっかり忘れてしまっていた」
「忘れてたなんて、ひどいよ」
「わ、悪い。……でも意外だ。シィナがそこまで、バディのことを重く考えていたなんて」
「む。なんだよ、レオンは、あたしとのバディはどうでもいいって?」
「そんなことはないさ。……だけど、なんというか、お前はあんまり他人に固執しないような性格だと、思ってたから……」
いつも飄々としていて、気ままな少女。
あまり他人になびかず、マイペースに生きるのが彼女の性分だと、レオンは思っていた。
バディの解散で、シィナがこんなに悩むとは意外だ。
シィナは「それは、だって……」と口ごもる。
しばらくゴニョゴニョと独り言ちったあと、意を決したように腰掛けていたベッドから飛び降りた。
「ど、どうしたんだ?」
戸惑うレオンに、遠慮なく歩み寄っていくシィナ。
そして彼の目の前までくると、「えいっ」と、いきなり抱き着いた。
後ろに腕をまわして、少年の胸に深く顔をうずめる。
「は⁉ き、急になにしてんだよ、シィナ⁉」
シィナは答えない。
返事の代わりに、クンクンと鼻を利かせた。
困惑するレオンにも構わず、しばらく、そのにおいを嗅ぎつづける。
「ふぅ。……やっぱ、良い匂いだにゃ」
ようやく顔を離したシィナは、満足げな笑顔でそう言った。
「……え?」
「レオンは、あたしの匂いが気になるって言ってたよね。
……実を言うと、それ、あたしもおんなじだったんだよ。あたしもね、レオンのこと、良い匂いだなって思ってたんだ」
「俺の……?」
「そもそも人狼って、獣人と似た種族なんじゃないかな?
レオンと初めて会ったとき、どうして獣耳も尻尾もないのに、獣人の匂いがするんだろうって、不思議に思ったもん」
そういえば……とレオンは思い出す。
シィナと初めて会ったのは、首都中央駅近くの石橋。欄干に登っていた彼女をレオンが注意したのだ。
そのとき、クンクンとにおいを嗅がれて「キミ、獣人みたいな匂いがするにゃ」と、たしかにそう言われた。
レオンがシィナに対して感じるような、良い匂い。
シィナも同じように、レオンに対して、良い匂いだと感じていたらしい。
だが、レオンにはその自覚がさっぱりなかった。
「俺が、獣人と同じような匂いするのか? ……そんなふうには、感じられないけどな」
レオンは腕や服ににおいを嗅いで、自分の体臭をたしかめる。
「俺はヒトより嗅覚が優れているはずなんだが……。変だな、自分にそんな匂いがするなんて、ぜんぜん分からない」
「そりゃそうだよ。自分で自分の匂いなんか、気付かないもんでしょ」
「……そうか。そうだよな」
レオンは深く、心に
匂いに限らず、自分のことは自分自身では気付きにくいものだ。
「いやまあ、良い匂いするっていっても、ドキドキするとか、そういうんじゃないんだけどさ。なんていうか、落ち着くっていうか……懐かしいっていうか」
「懐かしい?」
「うん。だって、あたしが今まで嗅いだことのある〝獣人の匂い〟って、お父さんと、お母さんのだけだからね」
シィナは、三年前に両親を亡くしている。
その後、頼れる当てもなく、ついにスラムにまで行き着いた少女。
そこで〝泥棒猫〟として、スリを繰り返しながら生きてきた。
三年間、彼女は独りだったのだ。
スラム生活は性に合っていた、なんて言っていたが、本当は寂しくて仕方がなかったのかもしれない。
マトリにスカウトされて首都に移っても、家族に代わる存在がそこにいるわけではない。
親を亡くしてポッカリ空いた穴は決して埋められず、依然、寂しい思いを抱いていたのだ。
そんな折、相棒になった少年、レオン・マクスヴェイン。
彼は、たった三つ違いの近い歳頃。
そしてなにより、同じ種族の匂いがする。
シィナにとって同種族の匂いとは、すなわち〝家族の匂い〟を意味する。
彼女は親以外で獣人に会ったことがないのだから。
シィナにとって、レオンはただの相棒ではなく、まるで実の兄のような存在に感じられていたことだろう。
そんな彼と、離れたくはない。せっかく埋められた心の穴を、また空けてしまうなんて耐えられない。
すなわち彼女は、いつも飄々として強気な物言いをしながら、
その実、心のなかは年相応の甘えたがりな少女だということ。
「レオンといると、すごく落ち着くんだよね。いい相棒と組めたにゃあ、って思ってたんだ。
……昨日は、レオンがやたらシリアスな雰囲気出すから、つい解散話を受け入れちゃったけど、ほんとうはバディ解散なんてぜったいヤダ。
……うん、決めた。もうなにがあっても解散は受け入れてやらない。お互いジジババになるまで放してやんねーから、覚悟しとけにゃ」
なんとも身勝手な宣言である。
レオンは面食らうが、とはいえ彼もやぶさかではない。
「まあ、もともと俺は、生涯マトリとして生きていくつもりだったしな」
当初は、一族の恩義を返すためだった。
今になってはもう、そんなふうに種族の血にこだわる気はない。
とはいえ、マトリとして身を尽くそうという意志は変わらない。それは一族の恩なんて関係なく、レオン個人の意志として。
「ジジババになるまで、か……。上等だ。これからも、二人でずっと一緒に、マトリとして活躍していこう」
「はは、いいね、その意気だ。
あたしらがマトリを辞めるのは、二人でマジックジャンキーどもを根絶やしにしたときだ。そんときゃ、堂々と退職金もらってやろうじゃねーか」
シィナはそう言って、嬉しそうに尻尾を振った。
その先端に提げられた鈴が、ちりんちりんちりんと、三回、音を鳴らす。
少年と少女――唯一無二のバディとして、二人の結束を広く知らせるような、とても壮麗な鈴の音だった。
魔法薬取締官〔マトリ〕の捜査録 ~一匹狼と泥棒猫~ 頂ユウキ @enrigi_947
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