西日の煌めき

 ホテルの裏手へとまわり、上層階直通のVIP専用エレベーターへと乗り込む。


 ヒトと人狼とエルフを乗せた筐体きょうたいは、マズロア・ホテルの三十九階、パーティ会場フロアへとたどり着く。


 ドアが開いた先は、まず赤いカーペットが敷かれた長い廊下だった。

 モニカを先頭にして、廊下を歩く。

 資材置きの部屋や、音響室などを通りすぎて、最奥、違法集会がおこなわれた特別パーティ会場へと入った。



「ずいぶんと派手に暴れたようね」


 会場に足を踏み入れたマリアは、魔法薬についてよりも先に、現場の荒れ具合について言及する。

 それはもう、凄惨せいさんたるありさまだったからだ。


 テーブルや椅子はことごとくひっくり返されている。

 壁にかけられた高級そうな絵画は、額縁ごと粉砕。

 天井に連なるシャンデリアのうち、いくつかが落下している。


 そして、床に散らばったまま残っている、無数の武器。

 銃やクロスボウ、殺人級の威力に改造されたスタンガン、ナイフなど。

 魔法薬の密売グループとマトリとの過激な大乱戦のあとが見て取れた。


 なによりも目を引くのが、爪でカーペットが切り裂かれたり、テーブルがかみ砕かれたりした形跡だ。



「なるほど、これが人狼の戦った跡というわけね。

事前の通信で〝能力が制御できるようになった〟とは聞いていたけど、実際にその戦闘の痕跡を見ると圧巻ね」


「は、はい……。改めて自分で現場を見ると、なんというか、妙な感じです」


 狼化の際、レオンはしっかりと意識を保っていた。

 もちろん記憶も残っている。

 だが、時間が経ってから改めて振り返ると、なんだか実感が湧かない。自分の知らない一面を見ているようで、何とも言えない心境だった。



「さて。戦闘時の状況やレオン君の能力に関しては、また今度、詳しく教えてもらうとして……いま大事なのは、魔法薬ね」


 マリアは、床に落ちたままの抜き身のナイフを跨いで、パーティ会場の中央へ向かう。


 現場は一切手を付けられておらず、魔法薬もそのまま残されていた。

 テーブルがひっくり返されたせいで、煙草状の魔法薬が何本も床に転がっている。


 マリアはそのうち一本を拾い上げて、クンクンとにおいを嗅いだ。

 特別な嗅覚がなくとも、鼻に近づければわかる。ツンと鼻の奥を刺激するような独特なにおいだ。



「間違いないわね。これは本物の魔法薬」


「はい。この屋上で栽培された魔法草を、乾燥処理して呪紙に巻いたものです。加工するための部屋も、このフロア内に確認しました」


「栽培から製造加工まで、すべてこのホテル上層階で一手におこなわれていたわけね。

そして一部は首都に輸送してエッジズニックスなどに売り渡しながら、自らも使用していたと」


 マリアとレオンは、密売の詳細について改めて確認をし、意見を交わす。




「……お二人とも、この状況でずいぶんと落ち着いてらっしゃるのですね」


 背後から、冷ややかな声がかけられる。

 さきほどからずっと言葉を発しなかったモニカが、不意に口を開いた。



 彼女はゆっくりと、マリアとレオンのもとへ歩み寄ってくる。

 その足取りは緩慢かんまんながらも、なにか重大な覚悟を決めたような力強さもあった。



「昨夜は、それはもうたいへんな騒ぎだったんです。

そして街中にマズロア氏の裏の顔が知れ渡って、アドリアの市民たちは、今なお混乱の中にあります」


 モニカはそう言って、大窓の向こうを見た。

 二人もつられて視線を向ける。


 アドリアでもっとも高く、〝森の灯台〟とも呼ばれるマズロア・ホテル。

 その三十九階からは、アドリアの街が一望できた。

 平屋は一つもなく、集合住宅が林立する街だ。

 エルフたちは、森に囲まれた中で身を寄せ合いながら暮らしている。



「この街をまとめあげていたマズロアさんが逮捕されてしまったのです。マズロア・ホテルももう終わりです。

この街にも、もう明るい展望はありません。

……しょせん、あなた方には、この事態の重みがわからないのでしょうね」


 エルフ女性の低温の声は、広大なパーティ会場内に侘しく響く。




「魔法薬取締局なんてなければ……。あなたさえいなければッ! この街は、ずっと平和だったんです‼」



 モニカが叫ぶ。

 いつも低温で、冷ややかだった彼女の声。

 だが、このときばかりは血の通った叫び声だった。



 ――その直後。

 モニカは床に転がっていたナイフを拾い上げると、その刃をこちらに向けて走り出した。



 正確には、レオンの隣にいるマリアに向かっている。

 彼女こそが街を陥れた元凶だと考えたのだろう。本気で刺し殺すつもりで、マリアに向かって刃を突き出した。


 モニカがまた叫ぶ。

 なんと言ったのかは分からない。

 ただとにかく、胸に巣食う感情を思いっきり吐き出したような、爆発的な叫び声だ。



 その悲痛な叫びは、パン――という乾いた音によって打ちとめられる。



 マリアの手には拳銃が握られており、その銃口からうっすらと硝煙が立ち上っていた。

 モニカの決死の急襲も、マリアにしてみれば実に他愛無いものだ。


 ナイフの刃に怯むこともなく。

 空間魔法の発動、拳銃の召喚、照準を合わせて発砲……この一連の動作を、たった一瞬でおこなってみせた。



 一秒遅れて、甲高い金属音がパーティ会場内に響きわたる。

 ナイフが床に転がる音だ。マリアは、モニカが手にしていたナイフを的確に撃ち抜いて、弾き飛ばしたのである。


 モニカの体が撃ち抜かれたわけではない。

 ただ、握っていたナイフが撃ち抜かれたせいで、指が折れ曲がってしまっていた。

 指関節が脱臼してしまったようだ。

 モニカは痛みに冷や汗を浮かべている。



「残念だったわね。素人がナイフを振りかざした程度で、私には通用しない。

……受付嬢さんは、魔法薬の密売やマジックパーティに加担していたの? 検挙を逃れるために、長官である私を襲おうと?」


「ち、違います、長官。彼女はマズロアを信奉していただけです。きっと、彼の裏の顔を知って、少々、自暴自棄に……」

 レオンがあわてて説明をする。


「あらそう。でも魔法薬とは無関係だったとしても、彼女はたった今、公務執行妨害の罪を犯してしまったわ。逮捕は免れないわね」


「それは……」

 たしかに。

 公安機関の長官にナイフを向けたことは、紛れもない事実。現行犯で逮捕される案件だ。

 傷心のうちとはいえ、犯罪行為が見逃されるべきではないだろう。レオンもそう思う。



「モ、モニカさん……!」

 レオンが庇うようにして歩み寄るが、そんな少年に対しても、モニカは冷たい視線を向ける。



「なぐさめですか? いりませんよ。

……そもそもあなたもマトリでしょう? 観光客をよそおってこの街に潜入して、魔法薬を嗅ぎまわっていた。

あなたも、あのネコビトの女の子も、我々エルフの敵です」


 モニカはそう言いながら、強引に指関節をはめ込んだ。

 ひどく腫れているが、きっと心に負った傷にくらべれば、大したことはないのだろう。



 彼女の言葉に、レオンは「う……」と顔を曇らせる。

 たしかに、自分たちは身分を隠してこの街に潜入していた。

 彼女はホテルの受付嬢として誠実に対応してくれていたのに、いっそその誠意を利用して情報を聞きだしてさえいたのだ。

 正義執行のための行いだとはいえ、後ろめたさは感じる。



「……モニカさん、いったいなぜこんなことを……。あなたはマズロアの犯罪とは無関係だったはずです。それなのに、なぜこんな意味のない仇討ちのような真似を……」


「なぜか? さっきも言ったでしょう。

マズロアさんが逮捕されてしまった以上、この街も、このホテルも、もう終わりなんです。

……それらは私にとってのすべてだった。私は、仕事も、居場所もなくしたんです。……意味のない仇討ちだろうと、せずにはいられない。だって私はこれからの人生の意味を失ったんですから。

……もう、どうなってもいいんです。逮捕でもなんでも、してください……」



 力なく伏せられたその瞳は、パーティフロアに敷かれた高級なカーペットと同じ、深紅色。

 人生の展望を失った彼女の瞳には、もう一片の輝きもない。




「……しかし、驚きましたよ。……マリア・セレスタさん、あなたは〝魔女〟の血筋を引いているのですね」


 低温の声音で、ぽつりとつぶやいた。


 諦観ていかんの境地で、なにげなく漏らしたつぶやきだ。

 だが、それを聞いたマリアとレオンは、驚いて、互いに目を見合わせる。



「……え、ええ。たしかに。私は魔女の家系の生まれですけど。あなた、どうして、それが分かったの?」


「だって、さっき魔法を使ったんでしょう? なにもないところから、いきなり拳銃が出てきましたし……。

一瞬ですけど、手元に魔法陣が浮かんでいるのも見えました。あの紋様は〝空間魔法〟に間違いありません。

かつてのエルフですら使い手がわずかだったという、高魔力属性の魔法ですよね? それを、まさか現代のニンゲンが発現しているなんて……。

まるで奇跡、ファンタジーの絵空事のようですが、この目で見た以上、信じるほかありません」



「え? ちょっと待って。あなた、たった一瞬、魔法陣を見ただけで、私が空間魔法の使い手だと分かったの?」


「……? はい、私、魔法陣の紋様はすべて覚えていますから」


 モニカは当然のように頷く。


 そんなエルフ女性を、マリアとレオンは唖然とした顔で見ていた。



「え? な、なんですか……?」

 なんだか場の空気が一変したのを感じて、逆にモニカが困惑しはじめる。

 さきほどまでのシリアスな雰囲気はどこかへ飛んでいってしまった。



「あなた、魔法陣の紋様をすべて覚えているの? それは、もしかしてアドリアのエルフなら当然の教養みたいなこと、なのかしら?」


「え? い、いえ。そういうわけでは、ないですが……。

ただ私は、幼い頃から古代の魔法文明に興味があって、各地のいろいろな文献を読み漁ってきましたから……」


「なるほど。あなた自身は魔法能力を持っていないのに、殊勝なことね……」


 と言うのは、自らは空間魔法の使い手でありながら、ほかの魔法属性の紋様はさっぱりわからないマリアである。


 今回、レオンたちに指令を下したアドリア潜入任務。

 もともとはエッジズニックスが所持していた魔法薬の属性を解析したことによって、アドリアが出どころだと目されたのである。

 ただしその解析には、実に二週間以上もの日数を要したのだ。


 モニカ・レッティは、たった一瞬見ただけで、それを判別してみせた。

 その知識は、魔法薬取締局にとって必要なものだと、いえる。




「もともとは、戦闘能力を持った者のみをマトリとして採用すると決めていたけれど……。でも、魔法に関する専門知識を持っているというのも、立派な能力よね」


 マリアは、自分の考えが短絡的であったと反省しつつ、今、新たな採用枠を設けることを決める。

 ――そしてその枠において、この場で新人のスカウトをおこなうのだ。



「モニカ・レッティさん。あなた、マトリにならない?」

「……え、えぇっ⁉」


「あなたの知識は、魔法薬の取り締まり捜査に必要なものです。ウチで、その力を役立てる気はない?」


「ちょ、ちょっと待ってください。なにを言っているんですか。アドリアのエルフである私を、マトリに?

……今までマズロアさんのもとでお仕えしていた私が、彼が逮捕された途端、マトリになるなんて、そんな裏切り行為、できるわけないじゃないですか!」


 キッと鋭い視線をマリアに向ける。

 だがその目つきには、どこか迷いもうかがえた。



 彼女の〝迷い〟を察したのか、レオンが諭すように言葉をかける。


「モニカさん、さきほど言っていたじゃないですか。もう仕事も居場所も失った、って。そこでこのスカウト話が舞い込んで、断る理由なんてないのでは?」


「で、ですが……私にはエルフとしての誇りがあります! 公安に魂を売るなんてことはできません!」


「『こだわりというのは、行き過ぎると、その先は泥沼』……俺の相棒が言っていたことです。

せっかく明るい展望が見えたのに、種族の誇りにこだわりあまり、その道を自ら閉ざそうなんて、バカらしいじゃないですか」


「…………っ」


 レオンの相棒とは、あのネコビトの少女だ。


 モニカはそこで合点がいった。

 あの少女は、猫耳と尻尾にピアスを差していた。

 種族の誇りであるはずの部位に穴を空けるなんて、とんでもないことだが……、でも、とても可愛らしいとも思ったのだ。



 モニカの脳裏に、あの鈴の音が思い出される。


 それは、心の奥底をそっと解きほぐすような、軽やかで爽やかな響きだった。



「……で、でも、そんな都合の良い話は……。

だって、ついさっき私のことを公務執行妨害の現行犯で逮捕するって言ったじゃないですか。逮捕歴のあるエルフが、公安に入るなんてこと、許されるはずありません」


「あら、ウチはそんなの関係ないわ。能力さえあれば、だれでも採用する。種族も年齢も関係ないし、ときには前科者だって取り入れるのよ」


「そ、そんな、無茶苦茶な……」


 モニカは当惑した。

 ……なんというのか、良い意味で、八方塞がりなわけである。



「まあ、今ここで返事しなくてもかまわない。

ひとまず、あなたは公務執行妨害の現行犯で逮捕します。現在は首都警察局の管理下にあるアドリア署で、取り調べや、諸々処分を受けなさい。

……その後で、前向きな気持ちがあるのなら、魔法薬取締局の門戸もんこを叩きにくるといいわ。そのときは歓迎する」



 クスッと、マリア・セレスタは微笑む。


 まさか、ついさっき命を奪おうとした相手から、そんなふうに笑顔を向けられるなんて。

 器の広さを見せつけられたようで、もはやモニカが言えることは何もなかった。

 彼女はただ、唖然としたまま長官の顔を見上げることしかできない。



 パーティ会場の大窓から、西日が差しこんだ。

 太陽は、暗い樹海に半身を沈めていてなお、茜色の光でアドリアの街を美しく彩っている。


 煌びやかな斜陽を受け、モニカの瞳が深紅の輝きを取り戻した。

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