エピローグ――【鳴り初(そ)める鈴】

明くる日

 列車内の雰囲気は、非常にピリついていた。


 アラゴ駅発・アドリア行きの列車は、ふだんは旅客と帰省者で混みあっているが、今日はどちらも数少ない。

 その代わり、首都からやってきた公安の職員たちが多数、乗車していた。


 列車が駅に到着する。

 多量の蒸気煙を吐き出しながら扉が開いた。



 先頭を切って列車を降りたのは凛々しいスーツ姿の女性。


 ジャケットは羽織っていないが、ホワイトシャツを全面に露わにしているほうが、爽やかな雰囲気の女性には似合っていた。

 なだらかな肩の稜線りょうせんに流れる赤い髪が、夕風にあおられて、ふわりと舞いあがる。



 改札を抜けると、アドリアの街並みが見えてきた。

 すでに陽は傾いており、茜色の西日が街を照らす。


 鬱蒼うっそうとした森に囲まれた狭い街に、所狭ところせましに建ち並ぶ木造ビル。

 そして数えきれないほどのエルフ族。

 首都にもエルフは大勢いるが、ここまで密集することはまずない。盛観せいかんである。



 そんな中、一人、耳の尖っていない少年がいた。


 駅舎の前で立つ彼は、どうやら公安の職員たちの到着を待っていたようだ。

 とくに、先頭の赤い髪の女性を。



「おつかれさまです、マリア長官」

「レオン君こそ、任務の完遂、ご苦労さま」



 魔法薬取締局長官マリア・セレスタと、当局所属の特別捜査官レオン・マクスヴェインは、改まった雰囲気で挨拶を交わした。


 駅舎の外、夕日が煌々こうこうと二人を照らしている。

 雲一つもなく、大事件の明くる日とは思えない好天であった――。




 ***




 昨夜、レオンとシィナがパーティ会場で暴れまわり、現場はすでに凄惨せいさんたる有りさま。

 証拠隠滅を図れるような状況ではなかったし、そもそもアドリア警察は二人によってほぼ壊滅状態に陥っており、現場に介入する余力など残されていなかった。


 混乱の中、レオンはホテルの通信室に入り、本部への通信をおこなった。

 夜が明けてすぐのことだったが、報告を受けたマリアはすぐに警察局の部隊とともに首都を発つ。


 知事のとんでもない裏の顔が暴かれて、街が混乱に陥るかもしれない。

 すでにアドリア警察は機能していないので、首都公安によってアドリアを一時統括するためだ。



 というわけで長官直々、即日、列車に乗って辺境へとやってきたのである。



「まさか知事が密売の元締めだったとは。とんだ大物を捕まえたわね、レオン君」

「はい。こんなに大ごとになるとは、思っていませんでした」


「マズロアの身柄は?」

「アドリア警察署内の拘置所に。署に残っていた、まともな警察員が監視しています」


 アドリア警察は彼とグルだったが、警察組織のすべての者が魔法薬の密売や使用に関わっていたわけではない。

 新人や下部の警察員などは、組織の暗部を知らされていなかったようだ。


 今はその残された警察員たちが、マズロア以下、共犯者たちを拘束・監視している。

 その現状を聞いたマリアは、警察職員たちに指示を出し始めた。



「すぐにアドリア警察署に向かいなさい。現刻より、当署は首都公安の管轄化とします」


 首都警察にとってマリアは直属の上官ではないが、今回の遠征においては彼女が指揮を執る権限がある。

 なにより、所属関係なく、マリア・セレスタには絶対的な指揮官としての風格があった。

「なぜおまえに命令されなければならないのだ」などといった反抗心を持つ者などいない。

 首都局の警察員たちは彼女の指示に従って、キビキビと動き出した。



「ところで、シィナちゃんはどこにいるの?」


 長官の到着を出迎えたのはレオン一人だった。

 相棒の少女の姿が見当たらない。


「ホテルの部屋で休んでいます。昨晩は戦いどおしでしたし、現場がひと段落したあと、すぐにベッドで眠ってしまって。まだ起きません」


「あらそう。まあ、別に構わないわ。がんばったんだものね、今は休ませてあげましょう。

……では、アドリア署は首都警察の部隊に任せて、私はホテルに向かうわ。まずはマジックパーティがおこなわれていたという現場を確認する。レオン君もついてきてくれる?」


 そう言って、颯爽と歩きだす。

 指示も判断も的確で早い。たった今アドリアに到着したばかりだというのに、すでにここが彼女の独壇場のようだ。

 レオンはいそいそと長官に追随ついずいした。




 ***




 マジックパーティがおこなわれた現場を確認するために、マリア・セレスタはレオンとともにホテルに入る。


 一応、ホテルは本日も営業中である。


 マズロア・ホテルはこの街唯一の宿泊施設だ。

 オーナーが検挙され、屋上での違法栽培まで発覚したとはいえ、いきなり宿泊客を立ち退かせるわけにもいかない。


 従業員たちは非常に混乱しているだろうが、かろうじてホテルとしての体裁は保たれていた。

 ……ただし、事態が鎮静化した後では、その限りではないかもしれないが。



 受付にもちゃんとスタッフが立っている。


 レオンにとっては馴染みの顔がそこにあった。

 茶褐色の肌に、鴉の濡れ羽のような黒髪、そして艶々しく光る深紅の瞳。

 マズロア・ホテルの受付嬢、モニカ・レッティである。



 レオンたちがアドリアに来てから、たびたび会話を交わしていた受付嬢。

 だが、昨夜の騒動があってからはまだ話をしていない。

 それでも、その胸に抱えるどんな想いを抱えているか分かる。


 敬愛していたマズロアが、実は裏であくどいことをしていたと知ったのだ、その心中たるや察するに及ばない。

 彼女は今、失意のどん底であろう。



「魔法薬取締局長官、マリア・セレスタです。昨晩、違法集会がおこなわれた現場を確認したい。パーティ会場への案内を」


 ポケットをまさぐる素振りはなかったが、いつの間にか公安手帳を手にしていたマリア。

 手帳をつきつけながら、受付嬢にパーティ会場への案内を求める。


 いつもどおり、透き通っていて暖かな声音こわね

 だが言葉は厳格だ。

 柔らかな物腰の裏に、公安機関の長としてのたしかな威厳を感じる。



「……承知しております。すぐに、ご案内を。……こちらへ」


 対してモニカは、声質こそ普段どおりの〝〟だが、どこか厳しさに欠ける。

 目つきの迫力もない。


 今や、冷厳なエルフ女性としての甲殻はひび割れた。

 亀裂の先に見えるのは、まだ陽も浴びていない、か弱いヒナである。

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