エルフと踊る狗と猫
――それはあまりに鮮烈で、筆舌に尽くしがたい感覚であった。
ヒトの身から、獣の身へ。
およそ人間が生涯で味わうはずのない体験だ。
正直、自分の身になにが起こったのか、よく分からない。
まあ、元来理解できるようなことではないだろう。
それは、手の平から雷が放たれるのと同じく、自然の法則を超えた力なのだから。理屈や道理ではない。
それでも、たとえ超然的な力であろうとも、自分自身が生まれ持った能力には違いない。
意思をつよく持っていれば、自身の能力を扱い損じることなんてない。
ましてや力に呑まれて理性を失うなんてことはあるはずがないのだ。
体が獣に代わろうとも、レオン・マクスヴェインの心はそこにあった。
「くそっ、狼なんて一体どこから入り込んだかは知らないが……、とにかく、パーティの参加者様たちを襲わせるわけにはいかない。すぐに始末してやれ!」
ホテル警備の責任者らしきエルフが、部下に指示を出す。
バトンタイプのスタンガンだ。
スイッチを押すと、バチバチっと音を立てて電撃が走り、火花が散る。
あきらかに法規範を逸脱した出力レベルだとレオンは見た。
……もちろん、魔法草の栽培やマジックパーティの現場を見ていながら、いまさらスタンガンの違法改造なんて騒ぎたてるほどのものじゃない。
致死レベルのスタンガン、それも複数。
これではマズロアの雷撃魔法など
だが、レオンは決して焦らない。
エルフの警備員たちは、べつに狩人というわけではない。
獣と対峙することに慣れてはおらず、ただ殺人級のスタンガンを手に、がむしゃらに突っ込んでくるだけだ。
野生の力を得たレオンの敵ではない。
槍のように、棒状のスタンガンが突きだされてくる。
かなり勢いのある突きだったが、動体視力が飛躍的に向上したレオンの眼には、ずいぶんと遅く見えた。
彼はスタンガンの突きをあっさりと躱して、その懐に潜り込む。
「は!?」と驚いたエルフの顔に頭突きをくらわせてやる。
額で、エルフの高い鼻筋がひしゃげるのを感じた。
……そのとき、はじめてシィナが言っていたことが理解できた。
たしかに、
鼻血を吹きあげて宙を舞うエルフ。
レオンは間髪入れず、周囲の警備員にも襲いかかる。
ズボンの
尻尾を振るい、スタンガンをはたき落とす。
慌ててそれを拾い上げようと身をかがめたところ、頭を思いっきり踏んづけてやる。エルフの美しいブロンドヘアに、狼の足跡がくっきりと刻まれた。
目を見張る勢いで警備員たちを一蹴していった。
人間の繊細な頭脳を残しながら、
獣らしい〝戦闘の勘〟を同時に発揮できる。
これこそ人狼の強みなのだ。
警備員たちを蹴散らしても、油断はしない。
少し離れたところで、数人の警察員が隊列を成して銃口を向けていた。
今にも引き金を引こうという寸前、レオンが大きく吠えた。
その力強い吠え声にビビった警察員たちは、そろって照準を狂わせ、あらぬ方向に銃弾を放ってしまう。
「くそっ……」
隊列の前にいたのは、薄肌に茶髪のエルフ。
彼はとくに射撃に自信があったらしい。
獣を撃ち損じるなんて、森の狩人たるエルフ族の名折れだ、とばかりに口惜しむ。
……が、すぐにその表情は
被弾を
牙をむき出しにして、飛びかかってくる狼。
このまま噛みつかれれば、あっさりと頭がもぎ取られてしまうだろう。
だが、その牙がとらえたのは、警察員の制服だった。
ジャケットの胸ぐらに噛みついて、なんとそのまま乱暴に振り回しはじめる。
「うおあぁっ!?」
茶髪のエルフは情けない悲鳴を上げる。
なすがまま振り回され、周囲のエルフたちを薙ぎ払うための武器として使われる。
エルフの目には、ぐるんぐるんと回る視界のなかで仲間たちが次々と吹き飛ばされていくのが見えた。
やがて本人も気を失ってしまう。
近場のエルフが一掃されたころ、ついに噛みつかれていたジャケットが引きちぎれて、茶髪のエルフも投げ飛ばされた。
噛みちぎられたのは、ジャケットの胸元の部分。
そこには警察バッジがあった。
大きな木と弓矢を組み合わせたようなデザインは、アドリア警察のシンボルだ。
そのバッジがちぎれて、狼の口にくわえられている。
歴史と土地柄をうまく表した良いシンボルだとレオンは思った。
しかし、それを掲げながら、やることが違法な薬物パーティの警備だとは。
せっかく
レオンはくわえ残ったバッジを、ペッとカーペットのうえに吐き捨てた。
***
ホテルの警備やアドリア警察たちが、次々と狼に襲われていく……。
その様子を、エリック・マズロアは遠巻きに見ていた。
「まさか、アレは……」
アドリアは森に囲まれた街である。
広大な森の中には、もちろん狼も生息している。
だが、こんなビルの上層階にまで紛れ込むなんてことはあり得ない。
あれは野生ではない……。
なにより、単純に暴れまわるのではなく、敵の無力化を心得た闘い方はまるで……。
「おーおー。レオンのやつ、暴れてんにゃあ」
少女の声と、ちりん――という、涼やかな鈴の音が聞こえた。
この
間違いない、あのネコビトの少女だ。
しかし、どこから声がした?
マズロアは席を立ち、辺りを見回す。
少女は、頭上から現れた。
がしゃん、と音を立てて、円卓の上に着地する。
すでにめちゃくちゃになっていた魔法薬と器具が、いっそう散らばって転がり落ちる。
「き、貴様、一体どこから……!?」
見上げると、天井に吊るされたシャンデリアが、ぐらんぐらんと揺れていた。
そして、そのそばにある天井付きの通気口の蓋が、開いている。
マズロアは瞬時に察した。
この少女は、資材置きの部屋から抜け出して、隣の音響室に入り、その通気口をとおってパーティ会場に侵入した。
そして通気口からシャンデリアに飛び移って、登場の機会をうかがっていたのだ。
とすれば、当然、このふざけた音響もこいつのせいだ。
この少女は、エルフの誇るべき伝統音楽を、チャラついたダンスミュージックで塗りつぶしたのだ。
「貴様、よくも……っ、我らエルフの伝統を
「神聖な儀式ィ? なに言ってんにゃ、違法なマジックパーティだろ」
「……貴様のような小娘に、なにがわかる⁉
魔法は、エルフが誇る神秘の術だ。魔法薬の摂取は、血の誇りを追求するための敬虔なおこないなのだ。
一体、なんの権利があってそれを取り締まろうというのか。我が物顔で公権を振りかざす、公安の狗どもめ……!」
「はあ? あたしはネコなんですけど! ……って、まあ、うちの相棒はイヌだけどにゃ」
そう言いながら、うしろの様子を振り返る。
猛々しい吠え声をあげながら暴れまわる狼は誰にも止めることはできず、すでに会場の警備は壊滅状態であった。
「もう気付いてるかにゃ? あれはウチの相棒だ。
あいつは人狼なんだよ。狼に変身する能力をもってる。変身するときの勢いったら、すごくてさ。あんなにキツく縛られてた縄を、パーンって弾いちゃったんだ。
……おかげで、あたしもこうして自由になれたってわけ」
テーブルの上に立ったまま、堂々と両手を広げて、尻尾まで伸ばしてみせる少女。
その先っぽに提げられた鈴が、ちりん、と音を鳴らす。
「人狼だと……!?」
「あたしらのこと、さっさと殺しておけば、こんなことにはならなかったのに。
マトリはエルフの誇る魔法で殺すんだー、とか、変にこだわらなけりゃよかったねえ?
――いいこと教えてやるよ。こだわりってのは、行き過ぎると、その先は泥沼だ」
「だ、だまれッ‼ こだわりだと⁉ そんな安い言葉で片づけるな! 我らのおこないは、もっと気高く、
と、そこでシィナが「もういいよ」と遮った。
「ホント、おまえらのそういう戯言には腹が立つよ。
あたしはとっても寛容な心を持っているけど、そんなあたしでも、いいかげん堪忍袋の尻尾が切れそうだ」
それを言うなら堪忍袋の
少女の
「この小娘はなにを言っているんだ」と、一瞬、呆れ顔をしたマズロア。
シィナはその隙を見逃さない。
すかさず、素早い蹴りをかましたのだ。
パン、と、銃弾が発射されたような甲高い音が響きわたった。
「…………ッ」
少女のスニーカーが、エルフの顔面にめりこんでいた。
数秒、間をおいてから、ゆっくり離れる。
……露わになったマズロアの顔は、それはひどいものだった。
靴裏の模様がくっきり残っており、
民衆の前では決して見せられないような醜態である。
彼はそのまま、パーティ会場の高級なカーペットの上に、大の字になって倒れた。
「ふんっ。せいぜい、今のうちにその絨緞の柔らかさでも堪能しとけにゃ。きっとムショのベッドはそれより硬いぞ」
気味良く言って、床に倒れた知事を見下ろす。
この様子では、当分、目を覚ますことはなさそうだ。
縛りつけておく必要もないだろう。
……ともすれば彼は、種族の血という固定観念によって、すでにきつく身を縛られているとも言えた。
「さて、元締めヤローをとっ捕まえた。これで任務完了ってことかにゃ!」
カオスな音楽にノリながら、振り返った……そのときだ。
広いパーティ会場内に、バチチィ、と雷鳴が響いた。
同時に、まばゆい光が走る。
光ったのは会場の隅のほう。
会場入り口からもっとも離れた隅で、バチバチ、ピカピカと、しきりに音と光があがっている。
そこにはまだ二十人ばかりのエルフが残っていた。
密集して、人垣をつくるように身を寄せている。
警察でも警備員でもない。
スーツやドレスで着飾った彼らは、このパーティの参加者。各地より集められたというエルフの重鎮たちだ。
会場の隅の方に集まって、狼と警備隊との戦闘から逃れていたのだろうか。
……いや、どうやら逃げ隠れするためだけにそこにいたわけではない。
その一角には、紫色の煙がもうもうと立ち込めていた。
やがて音と光が止んで、隅に身を寄せていたエルフたちがこちらに振り返る。
全員、目が血紫色に走っていた。
その足元には大量のモクが積み上がっており、毒々しい色の煙をくすぶらせている。
……つまり、警備員や警察たちが狼に襲われ、パーティ主催のマズロアが猫少女に蹴っ飛ばされる中、その参加者たちは会場の隅に隠れて魔法薬の摂取に勤しんでいたというわけだ。
煙草状の魔法薬に、次々火をつけては、深く深く煙を吸い込んでいった。
そして急速に魔力のドーピングをおこなった。
なぜそんなことをしたのか。
理由は、彼らの目を見ればすぐにわかる。
紫色に血走った目には、マトリに対する憎悪と殺意が満ち満ちていた。
「たった今、魔法薬を一気に吸い込んで、むりやり雷撃魔法を発現させたんか?
……あいつらも、にくきマトリはエルフの誇りで殺してやろう、とかって考えだにゃ。
まあ、こんなパーティに参加するぐらいだ。もともとマズロアとおんなじような連中だろうね」
だよね、とシィナはうしろに声をかける。
少女の背後には、大きな狼がのしのしと近づいていた。
グルル……と小さく唸っている。
相手は二十人ばかりのエルフたち。
人数でいえば、ダンスクラブのときと同じぐらいだ。
あのときはシィナが一人で勝手に暴れまわったが……今はレオンも一緒だ。
「最後にいっちょ暴れてやろうかにゃ、レオン」
シィナはそう言って、ニヤリと笑う。
『アォオ―――……ン』
レオンは少女に応えるように、気高い遠吠えをあげた。
あるいはそれは〝
マジックジャンキーどもを一人残さず検挙してやるという、進撃の合図だ。
人狼の少年とネコビトの少女は駆け出した。
雷鳴を撃ち響かせるエルフの狂集団に向かっていく。
民族音楽とダンスミュージックが混ざるカオスな音楽に、さらに重い吠え声と、軽快な鈴の音を乗せて――。
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