セミダブルルーム

 無事に検問をパスして、駅を出た二人を出迎えたのは、ひしめくビル群。



 アドリアは森を切り開いて形成された街だ。


 限られた土地のため、街は横に広がるのではなく縦に伸びる形で発展していった。


 おかげで建造物は軒並み高層級。

 住まいも集合住宅が基本で、一軒家はまったく見当たらない。

 エルフたちは森に囲まれたこの狭い土地で、身を寄せ合いながら暮らしているのだ。



 周囲の木々より高いビル群。

 それらは、ほかの大都市で見るような鉄とコンクリートによるビルではない。

 鉄骨材の使用は最小限に抑えられ、多くが木質建材によって造られている。


 木造ビルである。

 木材の暖かな質感は、高くそびえようとも威圧感を与えない。



「木造ビルか。美しくていいな。鉄のビルより耐久性も高いだろう」


「でも火に弱いよ。街は木造ビルだらけ、おまけに周りは森。でかい火事がおこったら、この街はおしまいだね」


「おまえは情緒がないな……」


「ふーんにゃ、情緒でボヤが防げるんなら世話ないね」


 シィナはそっけなく言ってから、「じゃあ、まずは宿を探そっか」と歩き出す。




 ひしめくビル群の中で、ひときわ目立つ建物があった。

『マズロア・ホテル』。

 どうやら、ここがこの街で唯一の宿泊施設のようだ。


「この街で一番高い建物だな。森の中にいても良く見える。これが〝森の灯台〟か」

「ほんと高いにゃ。てっぺんが見えないや」


 高さ150メートル近くあるだろうか。

 真下から見上げると、屋上がどうなっているのかさえ分からなかった。


 呆然とビルを見上げるレオンとシィナ。

 しばらくして視線を戻し、そろって首をさすった。




 ***




 ホテルに入る。ロビーはとても広々としていた。

 その一角に、一体の彫像が置いてある。


 四十歳前後だろうか、精悍せいかんな顔つきの中年の男だ。


 石製彫刻で、きれいに耳輪が尖らせてあった。エルフである。

 ホテルの玄関口に置かれているわりには、男の彫像はどうにも威厳高いげんだかで、宿泊客をもてなそうという気概はあまり感じられない。


 シィナが銅像の前を通るとき、「キナ臭え顔だにゃあ」と毒を吐いた。



 ホテルのフロントに立っていたのは若い女性。


「マズロア・ホテルへようこそ」


 美しい女性だった。

 深みのある茶褐色の肌に、

 からすのような美しい黒髪、

 どこか妖艶さを感じさせる紅い瞳。


 そして、当然ながら耳はツンととがっている。



 年齢はおそらくマリア長官と同じ頃だが、エルフの女性は毅然とした雰囲気で、穏和な空気感を持つマリアとは対照的な様子である。


 声の印象も、少しとげとげしく、どこか冷たい。


 低音……というわけではないのだが、たとえば音にがあったとすれば、彼女の声は〝〟である。そんな印象を受ける。

 透きとおっていて暖かい声のマリアとはやはり対照的。


 さらにいえば胸の大きさも対照的なのだった。

 その平坦な胸元に掲げるネームプレートには『モニカ・レッティ』と書かれている。




「お部屋はどうなさいますか?」

「最上階の部屋がいいにゃ! 眺めがよさそう」


 しまった、とレオンは焦る。

 シィナが、性懲しょうこりもなくまた贅沢をしようとしている。



「あいにくですが、上層フロアは一般区のお客様には貸し出ししておりません」

「そうなの? なんで?」


「当ホテルの上層フロアは特別パーティ会場と、VIP用の客室、そしてマズロア様の私宅となっておりますので」

「マズロア?」


「マズロア氏をご存じありませんか?」


 これまで無表情で、なだらかに下がっていた受付嬢の眉が、驚きでつり上がる。

 この街で彼を知らないなんてあり得ない、と言いたげだ。



「あちらに銅像がございます。エリック・マズロア様。当ホテルのオーナーでございます。そしてこのアドリアの知事を務めておられます」


 褐色エルフの受付嬢は、手のひらで丁寧に銅像の方を示した。

 威厳高に見えた彫像だったが、実際に偉い人だったようだ。




「彼は知事に就任なされる前からこの都市一番の資産家として知られていまして。

当ホテルを始めとして、マンションやオフィスビル、商業ビルなど、ほかにも数多くの物件を所有なさっていますよ」


「ふうん。金も権力も街一番なのか。すげーやつだにゃ」


「ええ。そうなんです。マズロア様はとてもすごい人ですよ」


 シィナは少しだけ嫌味っぽく言ったのだが、モニカは賛辞と受け取ったらしい。



「私、このホテルで働かせていただけて、とても光栄ですわ。

ただの受付係ですから、彼と直接かかわるようなこともないですし、お姿を拝見する機会も滅多にございませんが……。

それでも、マズロア様のもとでお仕事をさせていただけているだけで、幸せなのです」



 うっとりと陶酔とうすいするモニカ。

 冷厳れいげんな女性だと思っていたが、マズロア氏とやらに関する話題だと感情豊かになるようだ。よほど彼を敬愛しているらしい。



 レオンはちらりと横目でシィナを見る。

 予想通り、口をとがらせて退屈そうにしていた。


 今がチャンスだと思った。

 シィナがグレードの高い部屋を選ぶ前に、安い部屋をとってしまおう。レオンはすかさず受付嬢の語りに割って入る。



「部屋なんですが、できる限り安く済ませたいんです!」


「……失礼しました。受付の途中でしたね」

 モニカは、コホン、と咳払いをして改まる。

「お二人、同室でよろしかったですか?」


「ええ、とにかく安く!」

「それでしたら、四階フロアのセミダブルルームがリーズナブルでおすすめです」

「じゃあそれで!」


 セミダブルの意味はよく分からなかったが、とにかくレオンはその部屋に即決した。




 ***




 部屋に向かうため、ロビーの奥のエレベーターに乗り込む。

 荷物持ちは断った。


 エレベーターの外側はガラス張りになっており、外が見える。

 二階、三階と上がるごとに地面がどんどん離れていった。


 二人がとった部屋は四階。

 三階建ての魔法薬取締局本部よりも高いのだが、全四十階のマズロアビルの中ではまだまだ低層階といえる。



 エレベーター上部の液晶表示は、三十五階までしかない。

 どうやらこのエレベーターは上層フロアへはつながっていないようだ。


 上層フロアはマズロア氏の私宅やVIP用の客室になっていると聞いた。

 おそらくVIP御用達の専用エレベーターが別にあるのだろう。一般人は上層フロアに入ることすらできないというわけだ。




「おっ。けっこーいい部屋じゃん」


 部屋は403号室。

 床も壁も天井も木材なので、部屋は全体的に暖かみにあふれており、とても落ち着いた雰囲気だ。


 シィナは嬉しそうに部屋中を歩きまわるが、レオンは部屋の入り口で愕然と立ち尽くす。



 セミダブルルームの広さは、シングルルームと大差ない。

 仮に一人で泊まっても、持て余すことはないだろう。


 しかもベッドはセミダブルサイズが一つ。

 二人で寝るには心許ないサイズだ。少し身動きするだけで、かんたんに体が触れ合ってしまうだろう。



 ようするにセミダブルとは、〝少し余裕のある一人部屋〟だ。


 二人でも泊まれるが、それは家族やカップルなど、とても近い間柄というのが前提となる。

 多感な年ごろの男女が泊まるには不適切ではないだろうか。



「どうしたの、レオン。なんか不満そうだにゃ」

「いや、不満というか……」


「レオンがこの部屋がいいって決めたんでしょ。まさか、いまさら別の部屋に変えたいとか、ワガママ言うの?」

「わがままとかじゃなくて、その……」


「チェックインしたあとに部屋を変えるなんて、タダじゃできないぞ? マトリの経費は税金から出てるんだから贅沢はいけないって、言ってたじゃん」


 レオンはなにも言い返せなくなった。



 シィナはこの部屋がいたく気に入ったらしい。

 多感な年ごろの男女がどうのこうの……なんてことは気にも留めていない。


 彼女には、乙女の恥じらいというものがないのだ。



「……不満なんかないさ。うん、いい部屋だ」


 自分だけ男女のアレコレを意識しているなんて知られたら、この性悪な猫はいじらしくなじってくるにちがいない。


 レオンは平然をよそおって頷いた。

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