剛腕オークと、手長な猫
ちりんちりんと鈴を鳴らしながら、車内を
ほかの車両は、仕切りがあるだけのセミコンパートメントとなっており、通路を歩く少女の姿は非常に目立った。
乗客たちのおおきな旅行鞄が通路を圧迫している。
セミコンパートメントの仕切りの空間は狭く、荷物が収まらないようだ。
(不用心だにゃあ。こんなの、隙見ていくらでも盗めちゃうよ)
荷物をひょいとまたぎながら、シィナは思った。
今は公安に所属する身なので、手を出すわけにはいかないが、盗みやすいかどうかで見てしまう癖はなかなか抜けない。
どうせ暇だ、一番前の車両に行って機関車の様子を観察しよう。
……と思ったが、あいにく客車の目の前にあるのは炭水車だった。
ここからでは、
「なにしてるんだ、嬢ちゃん?」
不意に声をかけてきたのは、近くの席に座っていた大柄の男。
その男は、オークであった。
顔つきや体格を見ればわかる。
骨ばった顔。
筋肉のよろいをまとっているかのような武骨なシルエット。
袖からのびる腕も、襟からのぞく首も、まるで木の幹のように太い。
席に座っているから定かではないが、立ち上がれば身長は二メートル近くあるだろう。
その体は、まさしくオーク族の特徴を色濃く継いでいる。
「おや。ずいぶん、でかい体だにゃ。オークの人?」
「ああ、そうさ」
「……イマドキめずらしいね。魔力が弱くなってる
「たしかにな。強靭な体こそオーク族の誇りだったはずだが、今やどんどん力を失っていってしまっている。嘆かわしいよ」
低い声が、失望感を助長する。
かつてのオーク族は、魔力で練り上げられた強靭な肉体を持ち、猛威を振るっていた。
しかし現代では魔力の継承が薄まっているため、その力もずいぶん衰退している。
彼のように立派な肉体を持つオークは、現代では稀有だ。
「昔さながらのオークの体……。つまりあんたは魔力を持ってんの? 百分の一の才覚者ってわけ?」
「いや、そうではない。昔のオークのような体になりたくて、鍛えたのさ」
「鍛えた? 昔のオークみたいになりたいってだけで、そこまで筋肉をでかくするほど鍛えるなんて、ずいぶん変わり者だにゃ」
「それを言うなら、嬢ちゃんのほうこそ変わり者だと思うがな。尻尾にピアスを差している獣人なんて……」
「よく気付いてくれたにゃ。これは〝しっピ〟って言うんだ、あたしのお気に入りでね」
「……感心しないな。そこは獣人にとっての誇りのはずだろう。種族の誇りに穴を空けるなんて行為……俺がもし君と同族だったら、とてもじゃないが許しておけないな」
「にゃはは、なに言ってんのさ。これはただのオシャレだよ。だれかに許しをもらってするようなモンじゃないでしょ。変なことを言うね、オークさん」
少女は軽率に笑うが、もちろんオークは冗談のつもりで言ったわけではない。
いら立った様子で、少女を睨む。
武骨なオークの
ふつうの少女ならば泣いて逃げ出しそうな迫力だが、スラム育ちのシィナが怯むことはない。
この旅客列車は二席一組で切符を販売している。
一人旅なら席を余らせてしまうことになるが、彼の体格では二席分でちょうど良い。
余った席に荷物を置くことができないので、彼の荷物も通路に大きくはみ出していた。
巨体に反して小さな、ボストンバッグである。
どうやら男の荷物はそれだけ。
首都から辺境付近までの長距離旅にして、ずいぶんと軽装だ。
まるで着の身着のまま、とりあえず切符をとって、列車に乗り込んだといった感じ。
シィナは、その風体がなんだか気になった。
「ずいぶん荷物が少ないね、オークさん」
「急ぎの用でな」
「急ぎ? 西の辺境に?」
「西辺境の奥地、アドリアというところにいくのさ」
「……おや、奇遇だにゃ。あたしと同じじゃん」
「嬢ちゃんもアドリアに? 子供が旅行で楽しめるような場所じゃないはずだがね」
「じゃあ、オークさんはそんなに急いで、いったいなにを愉しみに行くわけ?」
「……べつに。ただの用事さ」
低い声で、そっけなく吐き捨てる。
シィナは、
彼はさきほどから、絶えず貧乏ゆすりをしていたり首の後ろをしきりに掻いたりと、どうにも落ち着きがない。
(なんだか様子が変だな、こいつ……)
胸中にふつと湧いた、わずかな違和感。
これを無視することは、職業柄、できなかった。
〝一度でも怪しいと感じたら、そいつはもうクロだと思え〟。
マリアの受け売りだ。
「それにしても、相変わらずすごい体だよね。ねえねえ、ちょっとよく見せてにゃ」
「は? お、おい……」
シィナは遠慮もなく、オークの体を触りにいく。
その際、通路に置かれた彼の荷物をひょいと
座席と荷物の間に立って、男の太い腕をべたべたと触る。
「うわー。すごい太さだ。カタイし、立派だね」
「あ、ああ。オークだからな……」
「大昔のオークは、みんな、こんなふうに強い体だったんだよね」
「そうさ。それこそオークの誇りだった」
「ただ筋肉モリモリってわけじゃない。オークの体は、魔力でねりあげられて強化された肉体だったんだよね。ほかの種族がどれだけ鍛えても、オークには敵わなかったわけだ」
「まあな」
「ご先祖さんみたいにつよくなりたくて、鍛えるオークは多い。あんたも、そうだって言ってたね。
でも、それって限界があると思うんだ。だって、筋肉量を増やしただけじゃ〝魔力で強化された肉体〟の再現にはならないもん。
がんばって鍛えても、それはただのマッチョ。昔のオークみたいな無敵の体にはなれないんだ。そうでしょ?」
そう言いながら、シィナはまるでなにかを確かめるような手つきで、オークの腕を触る。
「…………」
オークが警戒した目で少女を睨む。
座席に腰を
「うん、もう満足。やっぱりすごい筋肉だね。触らせてくれてアリガト。じゃあね」
シィナはそう言って手を離す。
そして、何事もなかったかのようにあっさり去っていった。
あいつは一体なんだったんだ……とオークは眉をひそめる。
ふと視線を落としたところ、通路に置いていた自分のボストンバッグが目に入る。
なぜかバッグの口が開いていることに気がついた。
妙だ。席に座ってから、荷物を取り出した覚えはない。
ハッとして振り返る。
去っていったかと思った少女が、まだ車両の通路にいた。
その手に、小さなポリ袋が握られている。
ボストンバッグの奥底に入れていたはずのポリ袋である。
それが、どういうわけか少女の手に握られているのだ。
「これはなにかにゃあ? ……オークさん?」
「てめえ、いつの間に!」
さきほどオークの腕を触りにいったのは、彼と、通路に置かれたバッグとの間に入り込んで死角をつくるためだ。
少女は片手でオークの腕の逞しさを堪能するフリをしながら、もう片手は背に回していた。
後ろ手で器用にバッグを漁り、怪しいポリ袋を発見。それを抜き取った。
なんという手腕か。
〝泥棒猫〟の悪名を広く轟かせただけはある。
剛腕なオークよりも、手長な猫のほうが一枚上手だったということだ。
そのポリ袋は透明ではなく、シックな黒色だった。
シィナは鼻を近づけて臭いを嗅ぐ。
「このツンと鼻にくるにおいは、間違いないね。魔法草だ。もう中身は少ないようだけど」
「お前、まさか……マトリか⁉」
「この袋、見たことあるにゃあ。前にとっ捕まえたエルフが持ってたやつだ」
シィナは、最初に捕まえたエルフを思い出した。
中央公園のトイレで、エッジズニックスから魔法薬を受け取っていた客だ。彼が持っていたポリ袋はシックな黒色だった。
今、オークのバッグから探り出したこの袋も同じ色である。
「なるほど。おまえ……あいつらの客だにゃ?」
「エッジズニックスのことか……」
オークは低く唸るような声で、密売組織の名を口にする。
「そうさ。ヤツらからマジックを買っていた。
オークにとっちゃあ、エルフどものように属性付きの魔法薬を吸う必要はねえんだが……ヤツらほどマジックを抱え込んでる売人はほかにいねえ。金さえ払えばブツをくれた。
だから俺はいくらでもつぎ込んでやったさ。オークの誇りたる、この肉体を維持するためにな」
つまりこの男の肉体は、地道なトレーニングによって得たものではない。
魔法薬のドーピングによって、オーク種族が持つ能力をむりやり発現させて得たものだ。
その肉体を維持するためには、魔法薬を使いつづけるしかない。
「だがあいつら、トチってパクられやがったんだ。……お前か、エッジズニックスを潰したのは」
「ダンスホールでみんな仲良くトリップしてたよ。あたしが全員ぶっ飛ばしてやった」
へん、と笑い飛ばすように言うシィナ。
「あんたさっき、アドリアに急用があるって言ってたよね。……何しに行くわけ?」
「決まっている。マジックを手に入れるのさ。そこがやつらの仕入れ元だと聞いている」
思わぬ証言に、ぴくんっ、とシィナの猫耳が跳ねる。
「やっぱりか。アドリアがブツの出どころだってのは正解だったんだにゃ」
「……そうか。お前は、ヤツらの元締めまで締め上げるつもりだな? ……そんなことはさせない。俺はアドリアへ行って、魔法薬を手に入れるんだからな」
「おいおい、何言ってんにゃ。あんたはもうブタ箱行き決定だよ。列車の中じゃ逃げ場はない。おとなしく捕まってくれるよね?」
列車の中では袋のネズミだ。
ネズミ捕りなんて容易いことだと、余裕の笑みをうかべるネコの少女。
しかし、あいにく
「おとなしく捕まるだって? そんなわけねえだろう……」
少女を見据えるオークの目は、みるみる充血していく。
頭に血が上る。
依存性の高い魔力成分を含んだ血液が、脳を侵す。
さらに血は頭だけでなく全身を駆け巡り、オークの肉体をひとまわり大きくさせていった。
腕や足の筋肉が密度を増してミチミチと音を立てる。
「こんなところで捕まってたまるか! 俺はもっとモクを吸って、もっと体を強くするんだ! 邪魔はさせねえぞ!
覚悟しろよマトリの小娘、逃げ場がないのはお前のほうだっ‼」
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