巡る日々 一日目

「それじゃあ、さっそくお仕事を始めようかにゃ、新人クン!」

 少女の溌剌はつらつとした声が長官室内に響く。


「まずはマトリとして一番基本的な業務だよ。巡回にいこうにゃ!」


「巡回? それがマトリの基本的な業務ですか……?」

 レオンはさりげなくマリアに視線を向けた。


「ええ。シィナちゃんの言う通りよ。違反者を検挙するチャンスなんて、自然とやってくるものではないから。

巡回に出て、怪しい人はいないか目を光かせながら所轄の地域を見てまわる。そういう地道な活動が取り締まりにつながるのよ」


「分かりました、シィナ先輩。巡回に出ましょう」



「新人クンは田舎から上京してきたばっかなんでしょ? だったら、巡回のついでにこの街の案内もしてあげるにゃ」


「街の案内? それは職務とは関係ないのでは……」

「そんなコトないよ。マトリにとって土地勘って大事だからね」


 レオンはまたマリアに視線を向ける。


「新任のレオン君には、とりあえず本部を拠点として活動してもらうことになるから、この辺りの土地勘は必要でしょう。彼女に街を案内してもらっておいた方がいいと思うわ」


「分かりました、シィナ先輩。街の案内もおねがいします」

「……新人クン、そんなにあたしの言うこと信用できないかにゃあ?」



 ***



 シィナとともに本部庁舎を出て、街へと向かう。


「意外でした。初日だというのに、長官から直接の指示がないなんて」

「マリアは、バディごとの自主性を重んじてるんだって」


「それにしても放任しすぎじゃないですかね……」

「でも、どんな活動したのか、定期的に報告書をつくって提出しなきゃいけない。これがたいへんなんだ。あたし、もうずいぶんと報告書溜め込んじゃってるんだよにゃあ」


「だったら巡回なんかせずに、今から報告書の作成をした方がいいのでは?」

「うんにゃ、今日は巡回するって決めたんだ。いいからついてきて」


 シィナは書類を溜め込んでいるとは思えないような軽やかな足取りで街中を歩いていく。

 レオンは、だまって彼女について行った。



「そういえば、レオンは人狼なんだってね。変身系の能力はとくに珍しいんだよね。どんなのか見てみたいにゃあ。やってみせてよ」


「あいにく、能力は使えません。狼化は制御不能の危険な力ですから。今まで一度も使ったことはないし、今後も使うつもりもありません」


「マトリなのに能力を使えない? ……それ冗談?」


「いえ、本当のことです。申し訳ないですが、俺は戦闘局面ではお役に立てません。……ですが、公安への忠義心はだれよりもつよいと自負しています。

この志があれば、マトリとして立派に職務を果たせるはずです! マリア長官もそう言って下さりました」


「能力使えないくせに、ずいぶん強気なやつだにゃ」


 レオンの意気込みを軽くあしらうような態度で、シィナは言う。



「ま、レオンが戦えないってんなら、あたしを頼りなよ。あたしは能力に自信あるからね。ちょうど今朝、みせてやったでしょ」


「今朝? ……橋の欄干を走って渡ったときですか」


 たしかに今思えば、あの運動神経はふつうではない。あれは獣人としての能力ということなのだろう。

 だが、いくら能力に自信があっても、あんな危険行為を堂々とやるような神経はレオンには理解できなかった。



 シィナはいつも一人で巡回をおこなっていたらしい。

 マトリにとって土地勘は大事だと言うだけあり、彼女は繁華街でも裏街でも正確に道を覚えていた。


 複雑に入り組んだ路地裏でさえ、迷うことなく進んでいく。

 悠々と街を闊歩かっぽする姿は、まさしく猫のよう。



「ねえ。いっぱい歩いて、そろそろ疲れたんじゃないか新人クン」

「いえ、全然」


「無理しなくていいよ。疲れたなら疲れたって、そう言いな」

「疲れてませんて」


「あたしのほうが先輩だから、後輩が無理しないよう配慮しなくちゃね」

「は? いや、あの……」


「この通りを抜けた先におっきい公園があるから、そこで少し休もう」


 戸惑う少年をしり目に、シィナはそそくさと歩いていく。

 先輩としての配慮などと言って、自分が休憩したいだけだ。


 レオンは呆れながらも、少女の尾を追った。



 ***



 そこは、このあたりでもっとも大きな中央公園。


 小高い丘のふもとに広大な広場があり、周囲を林道が囲む。丘の上は休息場となっており、四阿しあがいくつか建ち並ぶ。



「ふうー、やっぱりここに来ると落ち着くにゃあ」


 丘に上がると、広場で遊びまわる子供や林道でランニングしている若者たちを一挙に見下ろせた。

 シィナはベンチに腰掛けて息をつく。

 ほかのベンチでは老人たちが集まって談話していた。顔なじみらしく、親しげに挨拶を交わす。



「こんなところで休憩なんかしていていいんですか?」

「なにか問題ある?」


「こうしている今だって、給与が発生しているんですよ。マトリは国家公務員です、我々の給料は国民の税金から支払われているんですから。まじめに働かないと」


「むー。新人クンってば、役所でわめくジジイみたいなこと言うにゃあ。今からそんなこと言ってたら将来が思いやられるよ」


 シィナは、やれやれ、とわざとらしく肩をすくめる。



「公務員にむかって、税金の無駄づかいだとかよく言うけどさ。それを言うなら、あたしらだって税金払ってるんだけどにゃあ。

……よし、じゃあ今この時間の給料分は、あたしがこれまで払った税金から出てるってことで。それならだれも文句言えないでしょ」


「いや、そういう問題じゃ……」


「なるほど、そっか。あたしは今、過去の自分に養われてんだな」


 そんなわけあるか、と言いたいところだが、シィナはもはや聞く猫耳持たず。

 木製テーブルにのんびりと身を預けて、猫耳を枝垂れさせる。


 レオンは仕方なく、その場から公園全体を見渡して、怪しいやつがいないか監視することにした。

 せめて今この時間も、巡回の意義をわずかでも果たそうとしている。


 いくらなんでも気ィ張りすぎだぞ、とシィナは言いたかったけど、レオンがあまりに真剣そうな目をしているのでそっとしておくことにした。そして寝た。



 四阿のテーブルに突っ伏して、居眠りを始めてしまったシィナ。

 レオンがいくら声をかけても起きることはなく、彼女が目覚めるまで二時間かかった。


 その後、巡回を再開させるも、シィナは寝ぼけてまともに歩いてくれない。

 グダグダのまま本日の巡回は終了……。


 初日からこんなことで良いのだろうか。レオンは先行きがひどく不安だった。

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