橋上で鳴る鈴
駅を出ると、さっそく首都の迫力に圧倒された。
建ち並ぶビルとともに派手な広告塔が目を引く。舗装された道路が延々とつづき、そこに無数のガソリン車が車列を成して往来する。
かつての魔法文明はなりを潜め、機械文明ここに極まりといった様相だ。
驚くのは文明レベルだけではない。とにかく人が多い。
さすが大国の首都だ。種族の分別なく、さまざまな姿の人々が行き交っている。
なお、レオンはそれを目よりも、鼻で強く感じた。
ヒトならヒト、エルフならエルフ、オークならオーク……
種族ごとには特有のにおいがあるものだ。
ふつうの人間なら嗅ぎ分けられないような微差であるが、人狼の血を引く少年は、格別に鼻が利いた。
混み合い、
レオンは、事前に送られていた地図を頼りに、魔法薬取締局本部を目指して歩き始める。
駅を出てすぐのところに分かりやすい目印があった。
大きな石造のアーチ橋である。ここをまっすぐ進めばたどり着けるようだ。
――ちりん。
橋の中腹にさしかかったとき、後ろから鈴の音が聞こえた。
「鈴……?」
その音は、街の喧騒のなかでも埋もれることなくハッキリと耳に入ってきた。
妙に気になって、後ろを振り返る。
少女が、
ヤジロベエみたいに両手を広げてバランスを取りながら、てくてくと。
不覚にも、目を奪われた。
十二、三歳だろうか。レオンよりも年下だ。とても小柄な体格だが、欄干に登っているのでレオンからは見上げる格好になる。
少女は獣人だった。
獣人は、人口がかなり少ない種族だ。しかも人里離れた地域に集まって暮らしているのがほとんどで、こんな都会で見かけることは非常に珍しい。
ビルの隙間から差し込む陽光が、まるでスポットライトみたいに猫少女を照らす。
ふわふわの獣毛で覆われた獣耳と尻尾。
爽やかな陽の光を受け、その毛並みが際立って見えた。とても美しく、どこか妖艶だ。
耳は頭髪と同じ銀毛だが、尻尾の方は黒毛である。
白猫と黒猫の混血だろうか。レオンは獣人の遺伝について詳しくないが、とにかく獣耳と尻尾で対照的な色を持つ少女はとても神秘的だった。
ただし気になるのは、耳と尻尾にピアスが嵌められていること。
猫耳の方はネコの足跡の柄が入った太幅小径のミニフープピアス、
尻尾の方は鈴のピアス。……さっきから鳴っていたのはこれだ。
獣耳と尻尾は獣人族にとって大切なアイデンティティ、種族の誇りだと聞くが。
この少女はそこにあろうことかピアスを差しているのだ。
すなわち種族の誇りに穴を開けている。他の獣人族が見たら激怒しそうなものだが。
ピアスを二つも差していて、橋の欄干を歩いている……なんという不良少女なのか。レオンはたまらず彼女に声をかけた。
「き、君っ!」
「んー? どしたんにゃ」
「だめじゃないか! 橋の欄干に登ったりしたら……!」
「どうして?」
「危ないからに決まってるだろ。落ちたらどうするんだ!」
「む……。おまえ、あたしのバランス感覚なめてるにゃ? 落ちやしないよ。逆立ちしたって渡れるね。やってみせようか?」
「そんなのやらなくていい! いいから早く降りろ‼」
「……もー、分かったよ」
と言った矢先、少女は素早く駆け出した。
「は⁉ お、おい!」
困惑するレオンをしり目に、細い欄干の上を遠慮なく走っていく少女。
さらに、レオンのそばを通り過ぎる際には、ぴょんと飛び跳ねて前方宙返りまでしてみせる。
小さな体がくるんと回って、尻尾の軌道がきれいな円を描いた。
ちりーん。
軽やかな鈴の音が、耳を突き抜ける。
レオンが引き留めようとする間もなく、少女はあっという間に欄干を渡りきった。
「はい。言われた通り、早く降りたよ」
少女は振り向いて、ふふん、と得意げに笑う。
「あ、あのなあ。早く降りろと言ったのは、急いで渡りきれ、という意味じゃないぞ!」
「んー? そういう意味じゃなかったの? まあちょっとした勘違いだ、許せにゃ」
「絶対わざとだろ! まったく……。欄干の上を走るし、猫耳と尻尾にピアスを差しているし。君はとんだ不良少女だな」
「ピアスのこと褒めてくれてうれしいよ! あたしのお気に入りなんだ」
「褒めてないんだが」
「耳のピアスは、まあ、ほかの種族でも刺せるけどさ。尻尾は獣人しかできないもんね。
舌のピアスは舌ピ、おへそのピアスはへそピっていうでしょ。だから尻尾のピアスのことは〝しっピ〟って、あたしは呼んでる。どう? カワイーでしょ?」
少女はそう言って尻尾をふりふりと振ってみせる。鈴が激しく音を鳴らした。
「……おや? キミ、変わった匂いがするにゃ?」
尻尾を振っていた少女が、ふと鼻を利かせながら言う。
「な、なんだよ、変わった匂いって……」
「獣耳も尻尾もないから、獣人じゃない……。でも、なんか獣人みたいな匂いがする」
「獣人の匂い?」
「あ、獣人の匂いっていっても、別に獣臭いっていうワケじゃなくて。いい匂いだよ? 試しにあたしの嗅いでみるにゃ?」
そう言って、少女は遠慮なく体を寄せてくる。
レオンは少し後ずさったが、なにぶん、彼はヒトより嗅覚が鋭い。
少女が振りまくその匂いをハッキリと感じ取っていた。
確かに、とても良い匂いだ。
今まで嗅いだことのないような、いかんとも形容しがたい匂い。
干したての布団?
――いや、もっと甘い。
桃の実?
――いや、もっと爽やか。
石鹸の香り?
――いや、もっと暖か。
どれも的を射ず、しかしどれも含むような……。嗅いでいると胸の奥が熱く
そういえば、とレオンは思い出す。
ネコは良い匂いがする動物だと聞いたことがあった。
もともと待ち伏せ型の狩りをする習性のために獣臭が少ない。四六時中グルーミングしたり陽に当たったりしているから良い匂いがするのだという説もある。
ネコビトは、その猫の特徴を受け継いでいるのだろうか。
とにかく、少女はとても良い匂いをしていた。
「おやおや、女の子の匂いで鼻の下伸ばしちゃったりして。キミってば変態さんかにゃ?」
「なっ⁉ そ、そんなことは……っ。だいたい、匂いを嗅げって言って体を近づけてきたのは君の方だろ!」
「そーだけどさ。だからって、遠慮なくクンクン嗅いじゃうのもどうかと思うにゃあ」
「クンクン嗅いでなんかない! ……ていうか、いい加減、体を離してくれ‼」
レオンが離れろと言っても、少女は聞いてくれやしない。
むしろその反応がおもしろいとばかりに、いじらしく体を引っ付けてくる。
ようやく離れてくれたのは、数分後。
レオンが顔を真っ赤にしてゼェゼェと息を漏らしているのをしり目に、少女は「あー、おもしろかった」と快活に笑う。
「ホントはもうちょっと、キミのことからかってやりたいけどー。残念ながら、あたし、急いでるんだよね。この辺で、じゃあね!」
少女はそう言ってすぐに駆け出す。
人混みにしゅるんと潜り込んで、あっという間に見えなくなった。
「…………はあ」
初出勤の途中だというのに。とんでもなく疲れてしまった。
なんだか幸先悪い。
レオンは深いため息をついてから、ゆっくりと歩き出した。
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