魔法薬取締局本部 三階 長官室
繁華街を抜けて、魔法薬取締局の本部にたどり着いた。
コンクリート塀に囲まれた三階建てのビルだ。中央駅周辺の建物にくらべるとかなり小さい。
ここはあくまで事務拠点であって、すべてのマトリがこの庁舎に勤務しているわけではないのだ。
そもそもマトリは数が少ない上、そのほとんどは、任務を受けて各地をせわしなく飛びまわっているという。
門前に立つ警備員は一人だけ。年配で、覇気もない。
レオンがあらかじめもらっていた公安手帳を見せると、「どうもおつかれさまです」としゃがれた声で挨拶しながら通してくれた。
公安庁舎の警備がこんなお粗末でよいのかと心配になる。
緊張しながらロビーに入ったが、だれもいない。
やはりマトリはみんな任務に出ていて、ここに平時から駐在しているマトリはいないようだ。
しかし受付係さえいないのは、あまりに不便ではないだろうか。
レオンは閑散としたロビーを抜けて、階段をのぼった。
最上階、さらに最奥まで行って、その扉の前に立つ。プレートには『長官室』と書かれている。
ノックをすると、「はい、どうぞ」と、透き通った女性の声が返ってきた。
扉越しでもはっきりとわかるぐらいの美声だ。
一方、「失礼します」と返したレオンの声は少し震え気味で、緊張しているのが扉越しでもはっきりと相手に伝わったことだろう。
長官室は、まるで貴族屋敷の書斎のような雰囲気だった。
カーッペットやカーテンは落ち着いた色合いで、壁際には木製の本棚が置かれている。
ただし本棚にならぶのは貴人が読むような知識本ではなく、公安の捜査資料がまとめられたファイルだ。
部屋の奥のデスクに、赤い髪の女性が座っている。
「本日より就任させていただくレオン・マクスヴェインです。よろしくおねがいします!」
「魔法薬取締局長官のマリア・セレスタです。レオン君、これからよろしく」
柔和な笑みを携えながら、女性が言う。
扉越しでも透き通って聞こえた声だ、直接聴けば、まるで鼓膜が揉みほぐされているような心地になった。
女性にしては長身だが、とても穏やかな雰囲気で、威圧感はまったくない。
印象としては、やさしいお姉さん。
各地でマジックジャンキーと戦うマトリたち、それらを統括する長官にはとても見えなかった。
ちなみに、彼女はかなり豊満な胸をしており、ワイシャツのボタンはとても苦しげで、ネクタイはその稜線に沿って大胆なカーブを描いている。
「面接のとき以来ね」
「あのときは、優しく対応していただいてありがとうございました」
マトリの採用面接は、長官自らがおこなっている。緊張でガチガチだった少年に、マリア長官はとても優しく声をかけてくれた。
「マリア長官、あの、面接の際にも言ったことですが……、」
「なにかしら?」
「俺の能力についてです……」
レオンは、ためらいがちに間を空けてから、口を開く。
「面接のとき、すでに説明しましたが……俺は人狼です。能力は狼化。ほかの種族の力とはまったくちがう。
この力はとても危険なものなんです。ひとたび発動すると制御がききません。理性を失くして暴れまわってしまいます」
自らの能力について語る少年。
その顔から、切実な思いが窺えた。
「だから俺は今まで、一度も能力を使ったことはありません。そしてこれからも使うつもりはありません。
……たとえ、マトリとして戦闘現場に立っているときでも。そんな俺がマトリになって、ほんとうによかったんでしょうか……」
申し訳なさそうに委縮する少年に対して、マリアはクスッと微笑んだ。
「たしかに、ほかのマトリはみんな高い戦闘能力をもっている。だけど、君にはそれに負けないぐらい、立派な志があると思うわ。私は君に期待しているよ。
……もちろん、戦闘を避けて通れない場面もあるでしょう。だけど大丈夫よ。マトリは基本的に、二人一組のバディを組む。戦闘局面は相棒に任せればいいわ」
「二人一組……。そうだったんですか」
マトリは孤高の存在という印象が、レオンにはあった。
ただでさえ数が少ないのだから、徒党を組まず、各々自力で捜査に当たっているものだと。
少年は〝一匹狼〟の性分なので、どちらかというと単独で動く方が、気が楽ではあったが……。
「まだバディを組めていなかったコが一人いてね。そのコはとても戦闘能力が高いから、レオン君の相棒にはピッタリだと思うわ」
「戦闘能力が高い、子? 年若いマトリですか?」
「ええ。若い女の子よ。歳は、レオン君より三つ下かな?」
「三つ下……十三歳⁉ そんな幼い子供がマトリに!?」
「言ったでしょう、ウチは年齢不問よ。能力持ちであれば、だれでも起用する」
「その女の子は、自ら志願してマトリに?」
「いいえ。スカウトよ」
マトリになるには、自ら志願する場合と、スカウトを受ける場合とがある。
レオンは志願してたが、実際にはスカウトが圧倒的多数だった。
「半年前に、私が直接、勧誘したの。実力は申し分なかったし、なにより獣人の能力者なんて珍しかったしね」
「…………。獣人?」
「レオン君との顔合わせのために、ここに呼び出しておいたんだけど……。おかしいわね、約束の時間はもう過ぎているわ」
「遅刻ですか」
「きっともうすぐ来るわよ。なにせ獣人だから、足は速い」
ちょうどそのとき。
――ちりん、と、どこからか鈴の音が聞こえてきた。
「あら。噂をすれば、ちょうどきたわね」
鈴の音は、扉の向こうから聞こえた。忙しない足音とともにだんだん近づいてくる。
同時に、レオンの脳裏にいやが予感が浮かぶ。
十三歳の女の子、獣人、鈴の音……。
「しつれいしますっ!」
少女が、ノックもなしに部屋に飛び込んできた。
「遅れてごめんにゃ、公安手帳を寮に忘れちゃって、取りに戻ってたんだ。新人クンはもう来てるかにゃ……、って、あれ?」
レオンを見て、ぴくん、と猫耳をつん立てる。
「キミは、さっき会った男のコ!」
ああ、やっぱりか、とレオンはため息をつく。
嫌な予感が的中した。嬉しそうな顔でこちらを指差しているのは、さきほど橋で出会ったネコビトの少女だった。
なんということだ。
こんな不良少女が、まさか公安所属のマトリだったなんて。
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