エルフと踊る猫

「小娘でも公安だ、容赦するな!!」

 そう叫んだのは凛々しい面立ちの男性エルフ。


 言葉通り、ナイフを振るうその手に容赦はない。ナイフの切っ先が、両猫耳の間、少女の脳天に今にも突き刺さろうとした、その瞬間。


 ――突如として、少女の姿が消えた。


「はっ⁉」



 ちりん。

 動揺する男の背後で、鈴が鳴る。


 いつの間に回り込んだのか。あわてて振り返ったときには、すでに少女の蹴りが飛んできていた。

 その細足からは想像つかないような重い蹴りが顔面にヒットし、ぶぱっ、と鼻血を吹いて倒れる。



「この猫ガキィ‼」

「頭カチ割ってやるわ‼」


 今度は男女のエルフが、トンカチを手に持って殴りかかってきた。

 短髪の褐色エルフと長髪の白肌エルフ。

 性別も容姿も対照的な二人だが、実に息の合った動きである。



「遅いっての」


 せっかくの阿吽あうんの呼吸も、俊敏な猫の前では形無かたなしだ。

 トンカチの振りをかわして、二人の間をしゅるりと潜り抜けた。


 通りざま、彼らの足を引っかけていく。

 体勢を崩した二人は互いの頭をぶつけあった。


 ごんっと鈍い音が、四つ打ちのビートと小太鼓の合間を打つ。



「ふーんにゃ。そんな動きじゃ、あたしについてこれないよ」

 んべ、と舌を出しながら尻尾を振って挑発した。同時に鈴が鳴る。




「くそッ……一斉にかかれ!」

「やっちまえ‼」


 十人ばかり、一挙に襲いかかる。

 男女入り交じり、髪や肌の色もさまざまだが、耳の形状は同じだ。

 ……あるいは、目の前の少女に対して明確な殺意を持っていることも同じか。


 肌を裂こうとして包丁を、

 頭を割ろうとしてトンカチを、

 眼を穿うがとうとしてアイスピックを、それぞれ振りかざす。


 ――しかし、それらはすべて虚空に振るわれた。



「ばーか、どこ狙ってんにゃ」


 鈴の音が、彼らの頭上で鳴る。

 いつの間にかシィナは高く跳躍していた。ハッと見上げたエルフたちの顔をずかずかと踏みつけていく。



「ちょこまかしやがって、このッ……」


 ひときわ背の高い男が、少女を捕まえにかかった。

 尻尾を引っ掴んでやろうと手を伸ばすが、シィナはわざと尻尾を振り回して翻弄してやる。

 その間にも他のエルフは足蹴にされていった。


 ちりんちりんちりん……。

 彼らを嘲笑うかのように、激しく鳴り響く鈴の音。




「こいつで仕留めてやる‼」

 壁際で、二人のエルフが武器を構えた。


 武器はクロスボウ。


 かつてエルフ族は森の狩人などとも呼ばれ、卓越した射手として知られた。

 彼らはその血を受け継いでいるのだ。

 クロスボウとはいえ、名手が扱えば銃にも劣らぬ凶器となろう。



 矢先が向けられていることに気付いたシィナは、尻尾を執拗に追ってきていた長身エルフの肩に飛び乗った。

 そいつを力強く蹴りつけて、高く跳躍。天井の照明器具に掴まる。


 バシュンッ、バシュンッ!!

 絶えず、矢が飛んでくる。


 クロスボウは連射ができないのが難点だが、彼らは互いに発射のタイミングをずらすことで装填の隙をうまくカバーし合っている。


 素晴らしい連携だが、機敏な猫少女にとっては他愛もないことである。

 次々飛んでくる矢を避けながら、照明から照明へ飛び移っていく。



 乱暴に飛び乗るせいで、ムービングライトの首がへし折れてしまう。

 支えを失ったライトが落下し、フロアにいるエルフたちを巻き込んだ。


 図らずも眼下の敵を一掃できてラッキー。

 ニヤリと笑ったシィナは、壁伝いに駆け降りて、二人の射手の前に堂々と着地した。


 エルフたちはあわてて矢を装填するが、あいにく少女が足技を繰り出すほうが早い。



 華麗な跳び回し蹴り。

 硬いブーツの先が、並び立つ二人の顎をつづけて殴打した。

 カココン、という小気味よい音がダンスビートの裏をとる。


 二人のエルフは、クロスボウのグリップを握ったまま、あえなく倒れた。



 ふんっ、とシィナは鼻を鳴らす。

 二十人余りのエルフを相手に大立ち回りを演じていながら、息切れ一つも起こしていなかった。




「さて、これで全員片付いたかにゃ!」


 カオスな音楽にノリながら、ホール内をゆっくり見回した、そのとき。

 なにか危険を察知して、シィナの尻尾の毛が、ぴんっ、と逆立った。


 考えるよりも先に体が動く。

 シィナは急いで身をかがめた。



 直後、頭上を通過したのは、雷光。

 ばちちちちちっ。



「ぃにゃっ⁉」


 激しい雷鳴に驚いて、鳴き声をあげる猫少女。

 その直後、しん――と辺りが静まり返る。スピーカーがショートして、音楽が止まってしまったのだ。



「……フン、まだ雷が怖い年頃か?」


 薄暗いダンスホールの中で、くっきりと輪郭を強調するような白磁の肌。

 きめ細かな金髪。

 透き通った青い瞳。

 目を奪われるような美男エルフが、そこに立っていた。

 風格からして、おそらく彼がこのエルフグループのリーダーだろう。



「好き勝手暴れてくれたな、小娘」

「ここはクラブだぞ。あたしなりに踊っただけさ」


 いけしゃあしゃあと言いつつ、視線をエルフの手のひらに向けるシィナ。


 エルフの男は、右手を突き出していた。


 軽い開いた手のひらから、数センチ離したところに、なにやら模様が浮かび上がっていた。

 円の中に、複雑な幾何学模様が描かれ、線に沿って細かな文字が刻まれている。


 それは魔法陣。

 宙に浮かび上がり、青白く発光するそれは、パチ、パチ、と弾けるような電気を帯びている。


 すなわち、これが魔法。

 雷撃の魔法だ。



「魔法陣から雷を撃つとか、いかにもって感じだにゃあ。ファンタジーかよ」と少女は苦笑する。

 現代人が魔法の術を目にしたときのリアクションなんて、しょせんこんなものだ。




「これだけハッキリした雷撃を出せるなんてね。おまえ、もうすでに相当な〝マジックジャンキー〟だな。

これじゃあ執行猶予もつかないだろにゃあ。残念でした」


「われわれエルフは、かつて卓越した魔法の使い手として名を馳せた。それがエルフの誇りだった!

その伝統を絶やさんとすることが、はたして悪だろうか? 公権を振りかざして、我らの誇りを踏みにじる貴様らのほうが、悪ではないのか!」



「マジックキメて民族音楽でトリップするような変態が、なに言ってんにゃ。御託ごたく並べたって、あんたは犯罪者だよ」


「……お前のような者に、我らの神聖な行いは理解できないだろう。

魔法薬によって魔力を高め、偉大な先祖の音律に心を沈めこむことによって、血を呼び覚ますのだ。そして魔法の力を取り戻す!」


 碧眼のエルフは、両手を広げ、天を仰ぐようにしながら語る。



「なんだそれ、宗教か? じゃあ勧誘チラシくれにゃ。それでブっサイクな鶴折ってウチの署に飾っといてやるよ」


 あきらかに小ばかにした物言いに、エルフは眉をひそめる。



 苛立ちのまま、再び雷撃魔法を放った。

 宙に浮く魔法陣から、まばゆい雷撃が飛び出してくる。


 ……が、シィナはそれをひょいと軽く躱してみせた。



「さっきは驚いたけど、もう慣れたよ。そんな雷、避けるのはカンタンだ」

「な、なんだと……!」


「――こっちは、付け焼刃じゃないんでね」




 シィナは〝百万分の一の才覚者〟だった。


 魔力衰退の現代においてなお、彼女は高い魔力を持って生まれたのだ。

 その魔力を糧として、種族の能力を発現している。


 ヒトをはるかに凌駕する俊敏性と動体視力こそが、ネコビトの能力だ。


 エルフが扱う魔法のように派手な術ではないが、その戦闘能力の高さは、このメインフロアの惨状から推して知るべしといったところ。




「き、貴様のような小娘が、なぜ……っ」


 エルフの碧い目が、嫉妬に燃える。


 この雷撃は、決死の想いで手に入れた魔法の力だ。

 敬虔けいけんに先祖を敬いたてながら、劇薬を用いて、ようやく手に入れた。


 それなのに、この少女は……。


 猫耳と尻尾にピアスを差しているような、種族の誇りに穴を開けているような、

 こんな不遜ふそんな小娘が、よりにもよってなぜ種族の力を発揮できるというのか。




「なぜだァァァァァアアアアアア」


 エルフは怒り狂い、雷撃を乱れ撃つ。



 すると、始めはきれいに描かれていた魔法陣が、ぐにゃりと歪みはじめる。

 整然としていた幾何学模様が、幼児の落書きのようになっていく。


 制御しきれなくなった雷撃は、エルフ自身にも向かってしまう。


 細い電気の筋がエルフの右腕を這って、まるで腕に亀裂が入ったような火傷の跡を幾本も刻んだ。


 ところが、彼は苦痛の表情を浮かべはしない。

 ……その顔には、すでに正気が保たれていなかった。



 首筋に血管が浮かび、いまにもはりきれそう。

 少女を憎らしそうににらむ目は、焦点がずれて、両目が別々の方向を向いた。


 急激な魔力上昇によって、精神が侵されてしまったのだ。魔法薬の副作用である。

 こうなってしまってはもう、本人にも魔法を制御できない。


 雷撃の乱発によって、ホールの壁や電子機器が次々と破壊されていく……。




「まったく。バカにつけるクスリはないよにゃあ」


 シィナは男の背後でため息をつく。すでに雷撃の猛威をかいくぐって背後をとっていた。

 それにも気付かず、正面に魔法を放ちつづけるエルフ。まさしくバカの一つ覚えのように。


 シィナはふわりと跳躍して、男の後ろ首に向けて足刀蹴りを放った――……。




 ***




 魔法薬――通称〝マジック〟と呼ばれるクスリには、使用者の魔力を高め、魔法の力を付与する効果がある。


 いうなれば魔力のドーピングだ。

 吸うだけで魔法や能力を使えるようになる。種族の再興を求める者たちにとって、これはまるで夢のようなクスリだろう。


 しかし魔法薬が実際に見せるのは、おそろしい悪夢なのである。



 魔力の急激な上昇は、心身に多大な負荷をかけてしまう。魔法薬は、使用者の心や体を蝕む危険な薬なのだ。


 そのうえ、クスリでむりやり手に入れた魔法は、制御がむずかしい。

 意図せず他人を傷つけたり、使用者本人がダメージを負ってしまったりする。


 過剰な魔法薬使用者、俗に言う〝マジックジャンキー〟による暴走事件は、近年、増加の一途をたどっていた。



 これを受け、魔法薬取締局は、真正の能力たちを取締官として登用した。


 現代においても高い魔力を生まれ持ち、種族の力を発現させた者たちだ。


 百万人に一人、とても希少な存在である。

 そのため年齢や種族は問われず、とにかく能力者でさえあればだれでもマトリとして採用された。


 クスリでむりやり能力を発現させた違反者たちに対抗するために、本物の能力者をあてがう。


 すなわち〝真正を以って不正を制す〟

 ――それが当局のモットーというわけだ。



 平和のために違反者と戦うマトリだが、世間の目は彼らをあまり快く見ていない。


 希代きたいの能力を公然と振るう様は、悪目立ちしやすく、しばしば批判の的となってしまうのだ。


 いわく、種族の誇りを穢す忘恩ぼうおんだとか。

 いわく、公安に魂を売った不心得者ふこころえものだとか。


 各地で違反者を嗅ぎまわるマトリたちは〝公安の狗〟などと揶揄やゆされ、批判されている。



 ――少女は、そんな揶揄なんて歯牙にもかけない。なぜなら猫だから。




 シィナは爽やかな顔でフロアを見渡す。

 そこはまさに死屍累々ししるいるい。白目をむいたり、鼻血をたれ流したり、打撲を腫らしたり……気高く美しいエルフの伝統的な姿はどこにもない。


 フロアには、猫耳と尻尾にピアスをはめた少女が立つのみだった。


 悠々と尻尾を揺らして、鈴を鳴らす。気ままな猫である。

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