魔法薬取締官〔マトリ〕の捜査録 ~一匹狼と泥棒猫~

頂ユウキ

プロローグ――【踊る猫】

夜のダンスクラブにて


 横は60センチ、縦はわずか40センチしかない。


 大の大人であれば身動き一つとれないであろう窮屈な通路だが、少女はするすると進んでいく。

 鋭い曲がり角でさえつっかかることなく平然と突き進む、まさしく猫さながらの柔軟な身のこなしだ。



 ちりん――。

 狭い通路内に、鈴の音が反響する。



「あ……。ピアス、取っておくの忘れてたにゃ」

 あーあ、やっちまった、と顔を曇らせる少女。



『いいか。これは大事な作戦なんだ、はぜったいに外してから行けよ!』

 と、作戦開始前、相棒からきつく言われていたのに。


『はいはい。わかったにゃー』

 軽い返事をしていた自分が憎い。案の定、外すのを忘れてしまっていた。



 でも、仕方ないじゃないか。だって潜入先がまさかこんなに静かだと思っていなかった。



 ここは夜のダンスクラブ。

 大音量で流されるレコード音源にあわせて、踊ったり酒を飲んだりする場所。

 鈴の音なんか聞こえやしない。そう思っていた。


 しかしいざ潜入してみると、ダンスクラブだというのにまるで葬式のような雰囲気なのだ。



 音楽は鳴っているのだけど、それはノリの良いダンスミュージックではなく、退屈な民族音楽。


 緩慢な太鼓のリズムに、

 とらえどころのない笛のメロディ、

 それらをクポーン、クポーン、という深い木筒の響きが包括する……、


 そんな穏やかな曲が、クラブ備え付けの大型スピーカーから流されていた。



「つまんない曲だにゃあ……。民族音楽なんて埃臭いよ、時代はタテノリだって」


 聞こえてくる音楽がわずらわしくて、少女の耳がぴくぴくと跳ねる。

 顔の側部ではなく頭の上の方に生えた、獣毛に覆われた耳である。




 彼女は、獣耳と尻尾をもつ獣人。

 とりわけネコ科――通称〝ネコビト〟という種族である。



 十三歳ゆえの小柄な体格、そしてネコビトゆえの柔軟さを活かして、首都近郊のとあるダンスクラブの通気口内に侵入している。

 今夜、ここで行われるという違法な集会を検挙するためだ。



 彼女は、公安の特別捜査官。

 とりわけ魔法薬取締局――通称〝マトリ〟の所属である。




 鈴が鳴らないように注意しながら通気口内を進み、やがて一番奥まで到着すると、胸ポケットから小型の無線通信機を取り出した。


「あ。あー……、こちらシィナ。応答願いまーす」


 少女――シィナは、ひっそり声で無線機に問いかける。

 ザザ、ザ……というノイズが走った後、少年の声が返ってきた。


『こちらレオン。どうだ、問題なく入れたか?』


「うん。大丈夫。もう奥までついたよ」


『様子はどうだ?』


「二十人くらいフロアで群がってるにゃ。若者中心。……どいつもこいつも、エルフだ」


 フロアにいる人物は、どれもツンと尖った耳をしている。エルフ族の特徴だった。


 ・・・


 エルフにオーク、ドワーフ、獣人、そのほかにも……世界には、実にさまざまな種族が存在している。

 彼らは、生まれながらに魔法能力を宿している。


 魔法の術を操ったり、

 特殊な能力を発現したり、

 驚異的な身体能力を発揮したりと……、


 それぞれ種族固有の能力をもっており、そしてそれを誇りとしていた。



 ――というのも、今となっては昔の話。



 現代は、機械文明が発達して、ダンスミュージックが世を席巻するような時代だ。

 魔法や能力なんていうものは、すっかり衰退してしまっている。


 今や魔力衰退の時代。どの種族も、魔力の継承は一向に先細りだ。

 種族の固有能力を発現させられる者はきわめて珍しく、その数は実に『百万人に一人』ともいわれている。


 これも時代の潮流だ。多くの者は魔力の衰退を受け入れている。

 当然だろう、便利な機械にあふれた今、魔法や能力なんてそもそも必要ないのだ。



 一方で、この現実を受け入れられない者もいる。


 魔法や能力は、かつて種族の誇りだった。それを絶やしてはならないとして、魔力の復興を求める者たち……。



 ――彼らは、禁忌のクスリに手を出した。


 ・・・


 シィナは、眼下のエルフたちをじっと観察して、その様子を相棒の少年に伝える。


「連中はみんな、ポーっとして、目が虚ろって感じだ。

こりゃー間違いないね。〝魔法薬マジック〟の影響だよ。モクでむりやり魔力を高めたら、ああいうカンジになる」


『やはり情報通りだったな。反政府エルフグループ〝エッジズニックス〟……連中は夜のダンスクラブを貸し切って、違法なマジックパーティをヤってる。

ついに現場を押さえたな。……どうだ、連中は危険な状態か?』


「んー……たぶん大丈夫だよ。ダウナー系でキマってるうちはまだ浅いんだ。

そんなに魔力は高まってないし、あいつらが使には、まだまだだね」



 ダンスフロアに群がって、紫煙しえんを吹かすエルフたち。


 彼らがまだ危険な状態ではないと見るや、シィナは

「よっしゃ! あんなやつら、あたしがすぐにとっ捕まえてやるにゃ!」

 といきり立った。



『おい待てシィナ。早まるな、お前の役目はあくまで状況報告だぞ。現場への突入は機動隊がする! そういう作戦だろ!』

「あれ、そうだったっけ?」


『お前、マリア長官の話、聞いてなかったのか⁉』

「うーん……。途中から寝てたかも」


『こ、このバカ猫っっっ』

 怒声でザザっとノイズが走る。


「だいじょーぶ。機動隊なんて必要ないよ。あたしが一人で片づけるから」

『おい、待てシィナ、そんな勝手に……』


 ブツン、と一方的に無線を切ってしまう。シィナはダクトの蓋を蹴破って、ステージ上に飛び降りた。




「だれだっ⁉」


 魔法薬で意識を浮かせていたエルフたちだったが、突然の乱入者に驚いて、ハッと覚醒した。


「マトリだ! 魔法薬取締法違反でお前らを逮捕するにゃあ!」


 二十人余りのエルフたちの注視を受けながら、腰に手を当て、堂々と宣言するシィナ。


 言ってから、こういうときは公安手帳を出さないといけないか、と思い出して、黒い出動服のポケットをあちこち探す。

「あれぇ? どこかにゃあ」と探し回って、ようやくおしりのポケットに入っていたのを発見。

 公安手帳をドヤ顔で突き出すが、今更キマらない。



「マトリだと⁉」

「こんな小娘が、公安の狗に成り下がったのか‼」

「はあ? あたしはネコなんですけど。イヌじゃねーし」


 これが見えないのか、と猫耳を指さし、尻尾もふりふりと振って見せた。


 確かにそれはネコビトの象徴だが、むしろ、それぞれにつけられている装飾品の方に目がいく。



 少女は、猫耳と尻尾にそれぞれピアスを差していた。

 左猫耳にネコの足跡の柄が入った太幅小径のミニフープピアス、

 尻尾の先端付近には鈴のピアス。


 獣耳や尻尾は、獣人種族にとって大切なアイデンティティであるはずだ。

 その部位に、あろうことかピアスを差すなんて。なんという不届き者なのか。



「ちっ。なんなんだこいつ、ふざけやがって……」

「小娘一匹だ、すぐにぶっ殺してやる ‼」


 ついさきほどまで紫煙に酔い、目を据わらせていたエルフたちが、今度は怒りに目を燃やす。

 そして、みなでこの幼き公安官を叩き上げてやろうと意思を通わせた。


 懐から、おのおの武器を取り出す。

 ナイフや包丁、トンカチ、アイスピックなど。


 もともと戦闘を想定して、せめてもの武器を持ち合わせていたようだ。

 もし公安が突入してきても、大人しく捕まってやろうとは露も思っていなかったらしい。

 たとえ銃を向けられても降伏などせず、徹底抗戦する心づもりだったのだ。


 罪が重くなろうと構わない、一矢でも報いてやるのだ。

 ――エルフとは、そういう種族である。



「お。やる気かにゃ。窮屈な通気口にいたから、思いっ切り暴れてやりたいと思ってたトコだ。

……でも、こんな音楽が流れたままじゃ、イマイチ気分が乗らないにゃあ」


 クラブ備え付けのスピーカーが鳴らすのは、エルフの民族音楽。


 ステージ上に立つシィナのちょうど目の前に、レコードの再生機器が二つあった。

 最近のダンスクラブでは、二つの再生機器を駆使して、同じ曲を切れ目なくリピートしたり、別の曲とうまくつなげたりして、ノンストップで音楽を流しつづけるのがトレンドだ。


 テーブルの下をのぞき込むと、この店の備え付けのレコードが収納されていた。てきとうに一枚を選んで、空いている方の再生機器にセットする。



 民族音楽と並んで、近年流行りのダンスミュージックが流れはじめた。


 伝統あるエスニックミュージックと、近代的なダンスミュージックのミックス。

 あわせてエスニックダンスミュージック、略してEDMとでも呼ぶべきか。


 独特な『間』を持つ小太鼓のリズムと、規則正しい四つ打ちとの喧嘩だ。

 明らかに合っていないが、シィナは満足そうである。


 ただし……、


「貴様、我らの誇りを穢すつもりか⁉」

 この行為は彼らの逆鱗に触れてしまったらしい。



 誰かが号令を出すともなく、エルフたちは一斉に駆け出した。ステージ上の少女に向かっていく。


 対するシィナは、怯むどころか、むしろ自分からフロアに下りていった。


 戦いに臨むというよりは、踊りに行くようなテンションで――

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