チャンスの神様

桃山台学

チャンスの神様

前髪の話だ。


落ち込んでいたときだった。努力が報われないと嘆いて、神も仏もあるものか、と思った。「もしいるのなら示してくれ!」と一人しかいない部屋の中で叫んだ。夜のことだ。


すると、目の前に黒い縄を結ったようなものが現われた。幻影だと思った。あまりに長時間頑張っていたから、幻覚が出てきたのだ。どこからか、声が聴こえた。


「つかんで」

女の人の声だ。あたりをみまわすが、誰もいない。幻聴に違いない。でも、なんだかそのこえは懐かしい響きがしたので、黒い縄を掴む。左手で、ぎゅっと。


「はなさないで」

その言葉を聞いた瞬間にぶっとんでいた。強く縄がぼくをどこかの空間に引き込んだ。耳のそばをビュンビュンと風が通り過ぎる。両手で縄をつかんで、からだがもっていかれるのをなんとか防ぐ。何かが走っていて、ぼくはその一部らしい縄のようなものをつかんでひっぱられていく。


どん、と地面にたどり着いた。

「いい、はなしちゃだめ」

さっきの声が聴こえる。

しっかりと縄を掴む。異世界かもしれないここでの、命綱。


そこで見たことは、ここにうまく表現できない。でも、感覚的に何かを得たのはわかった。いままで伸び悩んでいたことがふっと解消されて、ああ、なんだ、そういうことだったのか、ということを知った。二次元で考えていたのを、もう一つ軸を得て、三次元の世界から見たような、そんな感じがした。


「動くよ!」

縄を握りしめたとたん、また飛んだ。飛んで、飛んで、手が引きちぎられそうになるまでになって、ようやく動きが停まったかと思うと、そこはもとの部屋だった。

手の中には縄はなかったが、左手を握ると縄の感触があった。


「あなたが握っているのは、チャンスの神さまの前髪。よくつかめたね」

ぼくは唇をかみしめる。あの血のにじむような努力の蓄積がある一定のところに達したから、チャンスの神様が来てくれたのだ。


「はなさないで」

それを境に通信が途絶えるように、声は聞こえなくなった。


ぼくが国際的に有名な賞を得るのは、その五年後のことだ。ぼくは、努力を続けた。見えない前髪をはなさなかった。


ときどき、夢を見る。禿げている後頭部を見送りながら、手の中に神の毛をつかみそこねた夢を。そうして、目が覚めた時に、左手を握って、そこに感触がまだあることを感謝するのだ。

                                   了






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チャンスの神様 桃山台学 @momoyamadai-manabu

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