第四部 忘却の国編
第一章 賢者疾走編
1-1. 残された者
――ゴウ!
強い風が吹き荒れる。
自分の手さえ見えなくなるほど、濃く漂っていた霧がかき消える。
雨も、濡れた大地も、そして雄大な河の水さえも、一瞬でその場所から弾き飛ばした。
跪いていた
フィーダとメラは強く抱きしめ合い、その場にしゃがみ込んだ。
「ぐっ!」
低い呻きがフィーダの口から漏れる。
速く、早く。
一瞬で去った風に、フィーダは待ちきれないと言うように立ち上がり、駆け出す。その後ろをメラも追った。
見晴らしの良い河原。
干上がった河には、すぐに上流から水が流れ込み始める。
だが、いない。
その水の中にいたはずの水龍も――ハルも、イーズも。
「ハル! イーズ! どこだ!?」
「ハルー! イーズー!」
水辺ぎりぎりまで行き、声を張り上げて名を呼ぶ。
分かっている。
あの時、最後に聞こえた二人の声。
あの状況でも冷静に事態を分析していたハルと、いつも通りどこかしら軽いイーズの声。
何でもない事のように、行ってくると言った。
――ここから先は俺たちの仕事だ。
――これ以上は進めぬよ。
「やられた!」
あの時から、水龍はこれを企んでいた。
勇者を腐海の中に引きずり込むと。
女神によって与えられた使命。
それは龍だけでなく、異世界人である勇者たちにも課せられていた。
あの半分正気を失った龍が何を思っているのか、もっと深く考えるべきだった。
「くっそがぁ!」
水辺の石を蹴り上げ、元に戻った広大な河をにらむ。そしてその先にある腐海。
今はまだ異変は見られない。
だがあの三人――厳密には一体と二人が無事に入ったのならば、そのうちにこの辺り一帯の状況は変わってしまうだろう。
ぐっと両手を握りしめ、フィーダは振り返る。その視線の先には、不安そうにするメラの姿。
無理に口の端を引き上げ、フィーダはその頭をぐしゃぐしゃと撫でる。ふと、指に触れた髪をじっと見つめた。
「黒に、もどったな。やっぱりあいつらは腐海の中か」
「え?」
「イーズの偽装が切れてる」
「……そう」
六堤との協力体制を敷いて以降、ハルとイーズは元の姿に戻していた。だがメラは特に周囲に見せる必要もないだろうと、茶色に偽装したままだった。
その髪と瞳の色が、黒になっている。
つまりはイーズが、スキルの届かない場所に飛ばされたということだ。
ざわざわとせわしなく動き始めた六堤の隊員の中から、杖を突いたジェシカ中佐が進みでて来る。
「水龍がいなくなったのは分かる。だがあの二人は?」
「無理やり水龍に連れていかれた」
「ということは、腐海の中か?」
「おそらく」
「そうか……」
視線を河の向こう側に移し、そして身をひるがえしながら彼女は告げる。
「あの二人の戦力を期待していたが、使えないな。戦略を組みなおす」
その言い方にむっとして何か言おうとするメラを、フィーダは押しとどめる。
あの時の会話の内容を伝えておかなければならない。
「ハルとイーズは、俺たちだけと連絡を取れる手段を持っている。そのためには俺たちはどうにかして腐海に入らないといけない。
二人の無事を確かめたい。協力してくれ」
そう言って、フィーダは頭を下げる。メラも彼に倣って深く頭を下げた。
だが真摯な二人の願いは、感情のない声で即座に退けられた。
「それはできない」
ガバリと勢いよく顔を上げて強く彼女を睨みつける二人を、ジェシカ中佐の渋茶色の瞳が冷たく見つめ返した。
「これから次々と魔獣が出てくる。腐海から出てくる魔獣を対処することはあっても、近づくことは許されない。
お前たち二人では、腐海では一分ともたない。二人を守るための人員を割くことも許可できない。そんな余裕はない」
力不足だときっぱりと言われ、フィーダは拳を硬く握りしめる。
「腐海に入りたいのならば、魔獣の殲滅に協力しろ。働き次第では考えてやる」
そう言ってジェシカ中佐はそれ以上の会話を拒むように背を向けて歩き出す。六堤はすでに船をフェラケタニヘル河に浮かべ、対岸の調査に乗り出そうとしていた。
フィーダは歯を食いしばった後、喉奥からこみ上げる感情を一気に吐き出す。
「だぁ! くそがっ!」
ジェシカ中佐に聞こえるのも構わず叫んだ。
膝に手を置いて、ぼうっと足元の石を見つめる。
あれだけ降った雨の影響は、かけらもなく乾いている。
水龍は力を取り戻すだろう。あの腐海の中で、憎い魔獣たちを嬉々として屠っているはずだ。
ハルは、イーズはどうだろうか。そしてマジックバッグの中にいるサトも。
ふっとフィーダの口の端が上がる。
自分の考えが正しければ――そう、二人と一体はきっと大丈夫だ。
一度、深く息を吐きだして顔を上げる。
「大丈夫だ。心配かけたな」
微笑みを浮かべてメラを見る。まだ少し不安げに揺れる黒い瞳に、大丈夫だとフィーダはもう一度告げる。
「あいつらはきっと腐海の中を楽しんでる。そう思おう。二人でいれば大丈夫だ。俺たちは、ここで自分たちの仕事をしよう。焦らず、無理をせずに」
フィーダの言葉にメラはコクリと頷く。
二人の強さは十分わかっている。そして二人が一緒にいれば問題ないだろうと言うフィーダの思いも。
メラは大河の向こうにかすかに見える腐海の木々を見つめる。
「二人が、一緒なら、大丈夫ね」
その呟きにフィーダは眉を寄せた。
そう、二人が一緒ならば大丈夫。それは確信している。
だがもし二人が一緒ではないなら?
何かが起こって引き離されたら?
もしくは、どちらかに何かが起こったら?
こみ上げる不安を、フィーダは頭を左右に振って追い払う。
後ろ向きな考えでは、悪いことばかりが思い浮かぶ。
フィーダはもう一度対岸を睨み、そして体をひるがえす。
ここからは冒険者として動く。六堤とは必要な時以外には関わることはないだろう。
明らかな新参者の自分たちがどこまで受け入れられ、仕事をさせてもらえるか分からない。
だがそれでもこの地に残り、大切な仲間の帰りを待たなければならない。
「行こう」
「はい」
メラに呼びかけて歩き始める。
半月とあの龍は言った。
問題ない。
半月なんてあっという間だ。
すぐに、会える。
地響きが体を揺らす。
ハルが目を開けると、思ったより硬い場所に寝ていた。
顔に感じるごつごつとした感触に、顔をしかめる。
「あててて」
特に痛くもないが、条件反射で口から声が漏れた。
ズシンズシンという音と振動。そして時折聞こえる魔獣の叫び。
それだけで自分がどこにいるのか、脳にたたきつけられてハルは飛び起きた。
――ドサリ
腕の中から、イーズの体が地面に落ちる。
「イーズ?」
上半身だけを起こした状態で、すぐ隣にいるイーズの名を呼ぶ。
もう二人を縛る闇魔法はない。横向きになっているイーズの体を仰向けにし、その頬に手を伸ばした。
「イーズ? どうした?」
目を閉じて、眠っているようなイーズの表情。
トントンと指の先で柔らかな頬を叩く。
すぐにでもニカッと笑って「だまされた?」なんて起きると思った。
「イーズ?」
ハルの声が震える。
たまらなくなって、両腕を伸ばし、体を抱き上げる。
「な、イーズ。どうした? イーズ?」
チャリチャリ
何か、固いものが地面に落ちる音がして、イーズを抱いたままそちらに目を向ける。
「え?」
そこに転がるのは、砕けた透明な石。
ハルは慌てて自分の胸元を見る。
革鎧の上部につけられたアミュレット。
自分の胸元には赤いラメの光を抱いた魔石が光っている。
ということは――
イーズの体を少し自分から離し、視線を下に向ける。
「そんな……」
そこにあったはずのアミュレット。いや、まだそこにアミュレットの残骸は残っている。
ただそこからはジャイアントタートルの魔石が失われていた。
呆然とハルはそこを見つめる。
アミュレットには火龍の加護がかけられていた。
瀕死攻撃を一度だけ跳ね返す加護が。
それが今、こうやって砕け散っているということは、イーズが攻撃に相当する衝撃を身に受けたという事。
なぜイーズだけ?
自分の腕の中で守っていたはずなのに、なぜ自分も、自分のアミュレットも無事なのか。
ハルはもう一度イーズの頬に触れる。
今度は冷静にイーズの状態を鑑定した。そしてそこに現れた文字に目を見開く。
「……仮死状態? え? なんで?」
ハルの頭の中を疑問が埋め尽くす。
仮死――死んではいないことに安堵しつつ、なぜこの状態になってしまっているのか分からない。
不可解な状況だが、それでもここでぼおっと座りこんでいることもできない。
地面に落ちてしまったアミュレットの欠片を拾い、マジックバッグにしまう。
イーズの命を守って砕けたその魔石。イーズの目が覚めた時、砕けてしまったカケラでも大切にしたいと言う気がして。
もう一度イーズを両腕に抱き、慎重に立ち上がる。
くらりと襲っためまいに、ぎゅっと目と腕に力を込めた。
「ふう」
自分を落ち着けるように深く息を吐き、ハルはあたりを見回す。
草が生い茂り、まるで恐竜が棲んでいた時代のように鬱蒼とした木々が高く上に伸びている。だが地面は不思議と固く平らで、視線を足元に向けた。
「……何かの、建物?」
周囲に壁のようなものはない。恐らく魔獣に壊されてしまったのだろう。しかし、床なのか道路なのかは分からないが、敷き詰められた石はしっかりと残っていた。
ギャアギャアと甲高く聞こえるのは魔獣の声。
ここは腐海の中、安全な場所はどこにもない。
水龍を、あのはた迷惑で自分勝手で悲観的で尊大で横暴で無責任な水龍を探さねば。
少なくとも、水龍がいる場所であれば魔獣は水龍が狩ってくれる。
再度聞こえた、腹の底に響く震動と叫び。
あの場所にきっといるはずだと、ハルはイーズを大切に抱え直して進み始めた。
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