接点

増田朋美

接点

その日は、長く降り続いた雨がようやく上がり、やっと穏やかに晴れた日が戻ってきたという感じの日であった。これでようやく散歩に出られると、杉ちゃんたちは喜んでいた。その日も、ちょっと買い物に行くかなんて出かけようとしていたその時、

「あの、すみません。こちらに杉ちゃんさんと言う方はいらっしゃいませんか?」

と、弱々しい男性の声がした。

「はあ、誰だろう?」

杉ちゃんが玄関の引き戸を開けると、そこには古郡真尋さんが、車椅子に乗ってそこにいた。

「古郡さんではないですか。一体どうしたんです?なにかあったんですか?」

応答したジョチさんはえらく驚いた顔で言った。

「いずれにしても上がってください。お体にさわっては行けないでしょうし。」

「ありがとうございます。」

真尋さんはそう言って、製鉄所の応接室へ入った。製鉄所の利用者たちが、何事かと様子を見に来た。ちなみに製鉄所と言っても、鉄を作るところではなくて、訳アリの女性たちが、勉強や仕事をするための部屋を提供する、福祉施設である。

「それで今回はどうされたんです?なにか困ったことでもあったんでしょうか?」

ジョチさんはとりあえず真尋さんと向かい合って椅子に座った。一方で杉ちゃんの方は直ぐにお茶を出して、二人に渡した。

「それで、なにかあったんですか?なにか、美里さんと、トラブルがあったとか?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ、正確には、美里さんのお母様と、揉めてしまったということかもしれません。実は、美里さんが、でかけているときに、美里さんのお母様が、見えられまして。」

真尋さんはそう言って理由を話し始めた。

「美里さんのお母様が、美里は里芋が好きだったので、食べてほしいと言って、里芋の煮物を持ってきてくれたんです。それは良かったのですけど、いきなり、僕と、僕の母の事を、調べさせてもらったと言い出しまして。」

「はあ、真尋さんのお母ちゃんか。そういえば、顔も見たこと無いな。」

杉ちゃんが口を挟んだ。

「ええ。そうなんですけどね。美里さんのお母さんは、僕の母が長年吉原のソープランドで働いていた事を、知ってしまったようなんです。それで、売春婦の息子に、美里をやるわけにはいかないと言って激怒されまして、、、。」

「はあ!つまり、自分の体を売ってたのか。」

杉ちゃんがそう言うと、真尋さんは小さな声でハイと言った。

「そうなんです。母は、容姿しか自分には取り柄がないと言って、ずっと、ソープランドで働いていました。美里さんのお母さんは、僕の母が、さくらという源氏名で働いていたことも知ってしまったようです。たしかに母は、その通り、さくらという芸名で働いてました。でも、それは僕のせいなんですよ。」

「なんで真尋さんのせいなんだよ。親が好きで仕事してたんだから、それは何も気にしなくていいと思うけど?」

杉ちゃんという人は、直ぐに相手の話しに手を出す癖があった。それをジョチさんが、杉ちゃん少し黙って彼の話を聞きましょうと言ったくらいだ。

「ええ、それは僕のせいなんです。だって僕、生まれたときから心臓が悪くて、今まで9回手術したんです。それでも治らなくて、結局、高校にも通えなかったので。」

「へえ、9回ねえ、それは大変だな。」

杉ちゃんの言い方は単純素朴であるが、それでも重大な事を含んでいることがあった。

「そのために、お母様が体を売ってたわけですか。売春も悪事ばかりでは無いってことですかね。そういうことなら、それはちゃんと、美里さんのお母さんに言うべきではないかと思うんですけどね?」

ジョチさんがそう言うが、

「言えれば、苦労はしないよな。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうですね。そういうことなら、美里さんのお母様にも少しづつ話して行くしか無いと思いますけど、それも難しいんでしょうね。ある意味こういうことは時間が解決してくれると言うか、それを待つしか無いと、覚悟を決めて生活するしか無いと思いますよ。いくら、美里さんのほうがなにか言っても難しいでしょうし。それで、話しは変わりますが、あのお手伝いさんとはうまく行っていますか?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ、高橋さんは、僕がこの体のせいだと思いますが、やめてしまわれました。なんでも、ご自身が結婚することになって、ご主人と一緒に暮らすんだそうです。」

真尋さんはそう答えた。

「表向きは、そういうことにしているんだと思いますが、きっと、答えは僕のせいだと思います。きっと、僕がずっと動けない状態だったので、それで辞められたんだと思います。」

「ちとまった!」

そういう真尋さんに、杉ちゃんがでかい声で言った。

「お前さんのせいじゃないよ。悪いのは、その高橋さんっていう女のせいだ。それは、申し訳ないと思ってはいけない。そんな事思っていたら、全部の障害者が悪人になってしまう。」

「そうですね。そう思い続けるより、早く新しい家政婦を探しましょう。それは、真尋さんだけではなく、美里さんに負担をかけないためにも、必要なことです。」

ジョチさんもそう言って真尋さんを養護してくれた。真尋さんは、ごめんなさいと言って頭を下げた。

「そんな頭なんて下げなくてもいいの。今から斡旋所行ってみる?お前さんのことだから、早く新しい人見つけないと、困るでしょう。どうせ、家に帰っても寝たり起きたりの日々でしょうから、そこはなんとかしなければ行けないよねえ。急いで来てもらいたいって言えば、なんとか来てくれると思うんだけど?」

杉ちゃんが直ぐ言うと、ジョチさんもそうですねそれはお願いしたほうが良いと言った。直ぐにジョチさんは、ワゴンタイプのタクシーを手配してくれて、杉ちゃんと真尋さんを、家政婦斡旋所まで連れて行ってくれるように頼んだ。タクシーの運転手は、了解しましたと言って、二人を、富士市の市役所の近くにある、家政婦斡旋所まで連れて行ってくれた。

ところが、家政婦斡旋所に二人で行ってみて、そこの所長さんらしき女性と、面談することはできたものの、新しい家政婦と契約を結ぶことは空振りだった。理由は非常に簡単なことなのだが、真尋さんのような重度の障害者の面倒を見るのは過去に前例が無いということで断られてしまったのである。それに、真尋さんがまだ若い男性で、高齢者ではないということも、理由としてあげられた。杉ちゃんたちは、仕方なく斡旋所から出て、もうしょうがないね、別のところを頼んでみるかとか言い合っていたのであるが、真尋さんは、もう疲れてしまった顔をしていたので、杉ちゃんたちは、真尋さんの家に帰ることにした。そういうわけで先程乗っていたタクシーに乗り、二人は真尋さんの自宅のある小さなアパートに戻った。真尋さんがありがとうございましたと言って、アパートの玄関ドアを開けようとすると、鍵をかけたはずなのに開いていた。あれ、なんだろうと思って、真尋さんがドアを開けてみると、

「おかえり、真尋。大家さんに頼んで、鍵を開けてもらったのよ。今日から、お母さんも近くに引っ越してきたから、また色々手伝ってあげるからね。」

と、ちょっと色っぽい雰囲気のある女性が、真尋さんを出迎えた。なるほど、売春婦という言葉がよく似合う感じの顔つきをしている。でも、なんだか息子の真尋さんのほうが、より女性的に見えてしまうような、そんな雰囲気も漂わせていた。

「ていうことは、お前さんが、真尋さんの、」

杉ちゃんがいいかけると、

「ええ。真尋の母親で、古郡睦子です。」

と女性は言った。

「はああ、なんか思ったより強そうな女性だな。なんか売春してたって言うから、もっと線が細くて弱っちいのかと思ってたよ。それで、大家さんに鍵まで借りて何のようなの?」

杉ちゃんがそうきくと、

「きっと真尋が結婚したと言っても絶対二人では暮らして行けないで、必ず誰かが手伝わないと行けないと思っていたから、こちらに来たのよ。大丈夫、吉原のソープランドと似たような店はこっちにもあるわ。」

と、睦子さんは言った。

「そうか。僕たち、真尋さんと、新しい家政婦さんを雇おうと思って、斡旋所に相談に行ったばかりなのだが、けんもほろろに断られて帰ってきたところなんだ。まあ、新しいやつが来るまでの間、ここでやらせてもらおうか。」

杉ちゃんがそう言うと、睦子さんはやっぱりそうだったのねという顔をした。それと同時に真尋さんがちょっとつらそうな顔になったので、睦子さんは直ぐに真尋さんを背中に背負って、真尋さんを寝室まで運んでいってしまった。その動きが手早くて、本当になれた手付きであったので、杉ちゃんが思わず、

「すげえ肝っ玉母さんだな。」

と言ってしまったほどである。それと同時に、杉ちゃんのスマートフォンがなった。電話をよこしたのはジョチさんだ。多分、家政婦斡旋所で、うまくいったかどうか心配だったのだろう。

「ああ、連絡もよこさずすまんね。真尋さんの新しい家政婦さんは見つからなかったよ。まあ、過去に前例が無いんだって。でも、真尋さんのお母さんである、古郡睦子さんという方が、来てくれてね。なんだかすごい肝っ玉母さんって感じだよ。だからしばらくは彼女に手伝ってもらってさ。それで、なんとかしてもらうことにしよう。」

杉ちゃんがそう言うと、ジョチさんは、

「そうですか。わざわざお母様が来てくださるとは。そうですね。真尋さんには、手を貸してくれる人が必要ですし、とりあえず、真尋さんのお母様が来てくださったというのでしたら、手伝ってもらいましょうか。」

と言った。その日は、睦子さんに真尋さんをよろしくお願いしますと言って、杉ちゃんは製鉄所に帰っていった。

それから数日後のことである。製鉄所に、真尋さんの妻になった、加藤美里、いや、今は古郡美里さんになっている女性が尋ねてきた。美里さんは、すっかり落ち込んだ様子で、応接室へ入り、杉ちゃんたちにこんな事を話し始めた。

「私、やっぱり、真尋のことが好きですが、今回は無理だったのでしょうか。」

いきなりこんな事を言うので、杉ちゃんたちはびっくりする。

「なんで?お前さんは絶対にお前さんのお母ちゃんを超えてやるんだって、宣言してたじゃないか。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうなんですけど、うちの母が、あまりにも、うるさく言うものですから。折角真尋のお母さんも来てくれて話し合うのにいい機会だと私は思ったんですが、うちの母は、真尋のお母さんへの偏見が取れないみたいで。」

と、美里さんは言った。

「はあ、それは、なんでかな?真尋さんのお母さんは、何も悪いことはしてないぜ。」

杉ちゃんが言うと、

「そうですよね。あたしも、そう思ってます。だけど、うちの母は、まだ、真尋のお母さんの事を売春婦で悪人だというイメージが取れないみたいで。それでは行けないって私は何度も言い聞かせているんですけど、年を取ると、頑固になるっていうのか、、、。」

と、美里さんは、がっかりした顔をした。

「結局私は、母の言う通りにするしかできないんですかね。母は確かに、加藤クリーニングを大企業にした女傑だって言うのはわかるんですけど、でも、あたしにしてみれば、あたしが欲しいものをみんな持っていってしまう人で。あたし、進学先も、仕事先も一応母の言う通りにはしましたけど、でも、あたしの結婚相手も母の言う通りにしなければ行けないなんて、ちょっと情けないですよね。」

「まあまあ、そういう変な冗談はやめろ。それより、お前さんは本当はどうなの?真尋さんと一緒に暮らしたいわけ?」

杉ちゃんがそう言うと美里さんは、ハイと小さな声で言った。

「そうか。まあ真尋さんは、あれだけ辛そうな顔してると、誰かの手助けなしでは生きていけないだろうからね。それで、新しい家政婦さんが見つかるまでお母様に来てもらっているのも仕方ないよね。」

「はい。そうなんです。最近気候の変化が激しいからか、真尋も具合が良くなくて、ずっと寝たままなんですが、家の母ときたら、それが許せないみたいで。家にお金を入れない旦那なんていやねとか、そういう嫌がらせをすることもあるんです。」

美里さんは恥ずかしそうに言った。

「家にお金を入れない旦那ですか。まあ確かに、そういう男性を嫌がる女性もいますけどね。だけど、ちょっとやりすぎなのではないかと僕も思いますけどね。」

ジョチさんがそう言うと、

「はい。きっと母は、父の事を思い出しているんだと思います。」

と、美里さんは言った。

「父は、学校の先生だったんですが、ほとんど生徒のことばかりで、本当に家の事は構わないで仕事ばっかりしていましたから。それで母は父と離婚しました。そのあと一人で、加藤クリーニングを立ち上げたんですが、それも父には負けたくないと言うか、父と同じくらい知名度が欲しかったからそうしたんだってあたしは思っているんです。」

「はあ、なるほどねえ。まあ、どうにもならないこともあるなあ。もう一度現実に戻るが、真尋さんはこれからも誰かの援助を受けないと生活できないだろうし、そうなると、駆け落ちも難しいよね。うーん、これは困った問題だねえ、、、。」

杉ちゃんは腕組みをして考え込んだ。

それと同時に。製鉄所の玄関の戸がガラッと開いた。だれかと思ってジョチさんが玄関に行ってみると、一人の立派なスーツ姿の女性が立っていた。

「加藤美里の母の、加藤理恵です!」

女性ははっきりとした口調でいった。

「はあ、それが何のようでここへ来たんだよ。」

杉ちゃんが言うと、

「はい。こちらに加藤美里が来ていますよね。あの子は、きっと売春婦の息子にたぶらかされて、無理やり連れ去られたと思うので、連れて帰る日を待っておりましたがやっと叶いました。あの子を連れ戻しに参りました。」

と、加藤理恵さんは言った。

「そうか。でも美里さんは、古郡真尋さんが好きなんだよ。」

杉ちゃんが急いでそう言うと、

「でもじゃありませんわ。美里は、あの息子と売春婦に騙されているんです。あの二人は、きっと碌な人間じゃありません。あの男も、中学校までしか行ってないといいますし、あの女だって、容姿しか取り柄がなくて、それで売春を繰り返したそうですから。きっと、美里を騙して、家の財産を持って行くために、美里を選んだのよ!そうでなければうちと接点を持つことは無いでしょう!」

加藤理恵さんはそういった。なんだか彼女も直ぐに激しやすいところがあるなと杉ちゃんもジョチさんも思ってしまった。そういうところはやっぱり親子である。非常によく似ているなと思われた。

「まあ確かにそうだけどさあ。美里さんは、本当に真尋さんを愛しているから真尋さんと接点を持っているとは考えられないかな?」

杉ちゃんは理恵さんに言った。でも、大企業を経営していて、何円もお金を持っている理恵さんは、そういうことは考えられないようであった。

「いいえ、あの男が家へ入社してきたのは、それしか考えられません。確かに法律で、障害者を雇わなければならないことは知っていますが、でも、まさか家の娘と結婚するだなんて、考えられませんわ!他に何の接点があるというのです!」

「そうですが、美里さんは、もうちゃんとご自身の意思があり、お母様とは別の世界に行っても不思議はないのです。それは、認めてあげないと、お母様もお母様としての役目をしていないことになりますよ。」

と、ジョチさんがそういった。

「本来、娘さんが愛する人を見つけたというのであれば、うんと喜んであげること、思いっきり応援してあげることが通例じゃないんですか?そして娘さんが生活しやすいように、援助してあげることも必要なんじゃないんですか?」

ジョチさんもそう言うが、理恵さんは表情を変えなかった。

「お母さんあたし、もう帰りますね。」

美里さんがそういい出した。

「あたし、もう帰りますよ。だって真尋はあたしが帰るのを待っているんだろうし、それに真尋のお母さんも、一生懸命真尋の世話をしてくれているし。お母さんが言うほど、真尋のお母さんは変な人じゃないわよ。それよりも強くて頼りになって優しい存在だわ。だから、ごめんなさい、今日は帰らせてもらいますね。」

美里さんは、緊張しきった様子でやっとそこまで言い切ると、よいしょと椅子から立ち上がった。それと同時に、美里さんのスマートフォンがなった。

「もしもし、ああ、お母さん。ええ、あたし直ぐ帰ります。それより真尋は大丈夫ですか?」

美里さんは涙を少しこぼしながら、そう言っている。電話の奥で真尋さんのお母さんである、古郡睦子さんが、

「ええ、今お医者さんに来てもらって、手当してもらっているか大丈夫よ。真尋も、あなたのことをかなり心配しているみたい。だから早く帰ってきてって、ずっと口走ってたわ。」

と言っているのが聞こえてくる。

「そうですか。わかりました。ごめんなさい、あたしが、早く新しい家政婦さんを見つけられたらいいのですけど、どうしても見つからなくて、お母様にはご迷惑かけっぱなしで。」

美里さんはとうとう涙をこぼして泣き出してしまった。理恵さんは、そんなふうに一生懸命感情を処理しようとしている娘の顔を見て、

「本当に、この子は、こんな人と結婚なんかして、幸せになれるのかしら。」

と疑い深そうに言った。

「いや、なれるよ!」

と杉ちゃんが、直ぐに理恵さんに言った。

「こいつは、お前さんに止められないで、自分の意志で愛する人を見つけるのが、一番の幸せだと思うからさ。こいつがそう言ってたんだ。お母さんに何でも取られてしまうのでは、本当に欲しいものは手に入らないってさ!」

ジョチさんは、美里さんに、早く真尋さんのところに帰るように言った。美里さんは涙を拭くこともなく、失礼しますと言って製鉄所を出ていった。理恵さんは、驚きと不安を隠せないような顔で、その後姿を見つめていたのであった。

春といえば出会いの季節である。でもどこかでは別れの季節でもあると、人が言うことがある。今はその季節なのかもしれない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

接点 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る