一ノ章 屋根裏の来訪者②


    ***


 オーケリエルム家は、主であるイサベレ・オーケリエルムが、父親の代から続く小売業を独自の方法で──有り体に言えばあくどいコネを使って販路を独占したり、高額転売したりといった犯罪すれすれの詐欺紛いの方法で──発展させてほぼ一代で財を成した、このヒェリ・バーリ有数の豪商である。

 イサベレの父親は気弱で心優しく、貧しい者にはただで商品を分け与えてしまうような、およそ商売人には向かない気質だった。そのため一人娘のイサベレが子どもの頃は、家はとても貧しく、彼女はいつもひもじい思いをして育った。父親が苦労の末に亡くなり──その頃には母親はとうに愛想を尽かして逃げていた──、イサベレが家業を継ぐ頃には、貧しさへの憎しみとふくしゆう心を糧に生きるような娘になっていた。

 その頃は見目麗しかったイサベレは、アーレンバリ軍部のエリート軍人に見初められ、結婚した。

 しかしエリートというのは上辺だけで、実際は自分の外見の良さを武器にしてばくや女遊びを繰り返し、しょっちゅう営倉送りになっているような男だった。イサベレは彼の顔と地位以外は正直どうでもよかったのだが、新婚にして三十人を超える他所よその女と浮気をされ、しかもその女たちが軒並みイサベレよりも器量が悪かったことが判明したとき、プライドをずたずたにされてしまった。「このあたしという至高の女を差し置いて」という憤りはみるみるうちに憎しみに変わり、イサベレは夫に離婚を突きつけた。リディアがまだ腹にいる頃だった。

 しかしイサベレがヒェリ・バーリの実家に戻ってくるまでの間に、商売を任せていた責任者が多額の財産を持ち逃げしていた。幸い盗まれた分は商売ですぐにまた取り返せたが、問題はその後だった。

 イサベレのもとに、元夫がよその女とその夫だか何だかとの痴情のもつれの末に刺されて死んだというしらせが届いたのだ。

 しくもそれは、腹を痛めてリディアを産み落とした直後のことだった。

 自分がこんなにも痛くて大変な思いをして、美しさまでをも犠牲にして子どもを出産したというのに、元夫はまたしても器量の悪い女のためにすったもんだして、命まで落としていたというのか。

 この自分を差し置いて。

 イサベレは、自分が産み落とした赤子を、憎しみの塊としか認識できなかった。

 長女のヨセフィンは、イサベレに似てとても美しい。が、イサベレからすれば少し惜しいと常々感じていた。もう少し父親に似て鼻がつんと上を向いていて、顔があともう少し丸みを帯びていれば完璧なのに、と。

 ──赤子は、かつてイサベレがヨセフィンに対して足りないと思っていた父親の要素を、くっきりと備えていたのである。

 ただでさえそれだけでもイサベレが赤子を憎むべき理由は十分だったのに、まだ追い打ちが待ち構えていた。

 赤子の背中には、何か植物の種子のような形の、気味の悪い大きなあざが浮いていたのだ。

 成長とともに消える気配もなく、それどころか年々濃く、大きく、更に醜くなっていく。芋虫がうような、あるいは不意に見つけた虫の卵の塊におぞ立つような類いの、生理的な醜さだ。

 嫌悪感は憎しみと合わさって、もうイサベレ自身にもどうしようもないほど、炎のように燃え上がってしまった。

 そしてそれは、成長とともに外見だけではなく気性までもがイサベレに似たヨセフィンにも飛び火した。

(あの娘に、少しでも幸せな瞬間があってたまるものか。あたしたちの手で不幸のどん底にたたき落としてやるんだ)

 それがこの母娘の、今に至るまでの──リディアへ向けた共通の意志である。


 リディアは、鏡で己の姿を見たことがない。

 家の恥だと言われ、幼い頃からずっと屋敷の中に隠され続けていたために、屋敷を囲む塀の外に一歩も出たこともない。

 街の人々は、きっと隣の家の人であっても、まさかオーケリエルム家に娘がヨセフィンの他にもう一人いるだなんて思いもよらないだろう。子どもの頃、やむを得ず顔を合わせることのあった他人──例えば注文した食料品を届けにくる商人や、郵便配達員などには、リディアは慈悲深い女主人の哀れみによって雇ってもらっている哀れな孤児だと思われていた。当のイサベレが彼らにそう説明していたからだ。そして彼らと会話をする必要があるときには、必ず顔が隠れるほどの大きな布を頭からかぶるように命じられていた。

 それは十七歳の今になっても、変わっていない。

 リディアは手を伸ばし、己の背中に触れた。ここに、屋敷の主である母娘が最も顔をしかめる、醜さのあかしであるがあるらしい。リディアからはもちろん、見えない。だから自分の背中がどうなっているのかは知らない。

 子どもの頃に一度、もしかしたら焼けただれていたりするのかと思い、屋根裏部屋の窓ガラスに映して見てみようとしたことがあるのだが、角度の問題なのか窓ガラスの汚れのせいなのか、よくわからなかった。試してみたのはその一度きりだ。

 くじいた手首の痛みに耐えながら、イサベレに命じられた数々の雑用、昼食やお茶の支度を終え、屋根裏部屋に戻ってきたのは夕方になってからだった。ようやく一息つけたと思っても、またすぐに夕食の支度のために階下へ下りなければならない。

 窓辺の鉢植えの傍に椅子を引っぱってきて、腰を下ろす。

 くだんのレモンピールのケーキは、灰だらけになった表面を削ってみたら中は無事だったので、きんに包んで持ってきてある。だがそれを食べる気力はなかった。疲弊すると食欲がなくなってしまうのはいつものことだ。

 思い切り息を吸い込み、花と緑の芳香をぐ。

 風のない部屋の中で、植物たちがリディアを心配するかのように鉢の中で少し揺れたかに見えた。無論、錯覚だけれど。

「大丈夫よ、アイノ。わたしは大丈夫」

 それは花に対してというよりは、自分自身に対しての慰めの言葉だった。

 リディアは腕を伸ばし、小さな書き物机の上に置いていた本を手に取った。とても古い本だが、リディアの手に渡るまでは長い間誰にも一度も開かれなかったのだろう、時を超えたように状態はさほど悪くない。

 それは薬草に関する図録だった。

 実はこういう本が、この屋根裏部屋には何冊もある。どれもリディアが子どもの頃、まだこの屋敷の使用人になる前に、この部屋に閉じ込められていたときの退屈しのぎに隅々まで掃除していた際に見つけたものだ。恐らくはこの屋敷の前の持ち主が、屋根裏部屋の戸棚に本をしまっていたことを忘れたまま越していったのだろう。最初は絵を眺めているだけだったが、リディアが使用人として働き始めた頃、出入りの商人が気まぐれに読み聞かせをしてくれた。そのお陰でリディアは文字を覚えることができたし、生きるのに必要な様々な知識をこれらの書物から得ることができたのだった。

 また深呼吸する。今度は植物の芳香に混じって、古い紙とインクのいい匂いがする。

 ここにある書物の中には、植物学全般を体系的に網羅したものもあれば、薬学のほうに寄った内容が解説されたものもある。リディアは幼い頃から後者のほうが、読んでいてより面白いと感じていた。どの植物のどの部位にどんな効能があり、どう加工するとどんな効果があるのか。それらがまるで魔法のように感じられたからだ。

 あたかも『聖獣』が使うと言われている、おとぎばなしに登場する不思議な力であるような。

 それ以来リディアは、庭からこっそり拝借したり、出入りの商人から分けてもらったりした植物の種を鉢に植えては、屋根裏部屋で育てているのだった。

 初めは日々の労働や空腹、怪我のつらさを紛らわせるために始めたことだったけれど、今では植物たちの存在そのものがリディアの心の慰めになっている。

 戸棚にはアーレンバリ共和国の歴史に関する本も数多くある。リディアが暮らすここ、都市国家ヒェリ・バーリの成り立ちに関する本もだ。

 千五百年前、一頭の聖獣が少年聖者にアーレンバリを建国させたという伝説。ヒェリ・バーリはその聖獣をまつるためにつくられた街で、丘の上の神殿の傍にある屋敷では、今でもまだその聖獣が生きて、人間のように暮らしているらしい。

 外の世界を知らないリディアにとっては途方もない話だ。あまりにも自分の人生とは交わらない、ただのお伽噺。

 屋敷の塀の外では、ヒェリ・バーリの人々は日々その聖獣ファフニールに感謝しながら平和に暮らしているらしい。週末には神殿に礼拝に行って、ろうそくを供える。月に一度行なわれる大礼拝の日には、広場に屋台が出ておいしい食べ物が売られたり、のみの市が行なわれ、ヒェリ・バーリ中の人々が集まって楽しく過ごす。そして年に一度行なわれる、少年聖者が聖獣ファフニールから夢でお告げを受けたとされる日のお祭りには、アーレンバリや外国からも観光客がやってくるという。

 だが聖獣ファフニールのために集まってくる人々のうち、未婚の若い娘たちやその親たちに限っては、ただ単に礼拝をしたり、お祭りを楽しんだりするのが目的ではないそうだ。

 聖獣ファフニールはどうやら、千五百年もの間、自分のただ一人の花嫁を探し続けているらしいのだ。

 聖獣ファフニールはそれはそれは見目麗しく、およそ人間ではありえない美しさ──らしい。

 しかも神殿の頂点に立つ、他国で言えば王侯貴族のようなものだ。

 美しい容姿の上に金と権力まで持っている男性とあっては、自分の、あるいは自分の娘の結婚相手にと望む人々が殺到するのも当然だった。神殿や屋敷には毎日多くの献上品が届くそうだし、驚いたことにアーレンバリからヒェリ・バーリへわざわざ移住してくる者もいるらしい。聖獣ファフニールが街中を散策していることもあるから、結婚はできなくてもせめて一生の記念に一目会えるように、と。最近では目的が結婚ではなく遭遇のほうであるという例も少なくないそうである。

 人の顔かたちの美醜がわからないリディアには、もし聖獣ファフニールに街中で偶然出くわしてもわからないかもしれないな、と思う。それはあまりに不敬だから、外に出ることができなくてよかったかも、とも。

(何にしても、わたしには遠い世界の話ね)

 リディアは曇った窓の外を見やる。世界は今日もかすみ、はる彼方かなたにある。

 このまま、この身体に残された生きる力のようなものが尽きてしまうその日まで、自分の世界はこの屋敷の敷地内だけだ。

 ──せめて、と思う。

(誰かの役に……奥様やお嬢様だけじゃなく、誰かの役に立つことができたら)

 そうしたら、自分がここに生きていていいという許しのようなものを、自分の人生にも得られるのかもしれないのだけれど。

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