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110作品を読んだ感想」への応援コメント

  • 視点の統一、てにおはの使い方、ここぞで入れる比喩表現……そういった表現技法の最低限を差して『理解できる、できない』とするなら、私もこの意見に大賛成です。
    そもそも文章って誰かに何かを伝えるためのツールなわけですから、それができていなければ面白みも何もあったもんじゃないですよねぇ。

    でもランキング上位の作品でもこのあたりに違和感を覚えるものがあったりして、なんだかなぁ……なんて思っちゃうことも少なくないですね。このあたりは各々の価値観で何を優先するか、ということなのでしょうか。

    ところで私、111作目のレビューのコメントでレビュー作品の募集を継続しているか伺った者なのですが、今読み返したらこの記事で名言されてましたね……! 大変失礼いたしました!

    どこで依頼させていただくのが正しいのかわからないのでこちらに寄せさせていただきますが、もしよろしければ以下の作品の批評をお願いできますでしょうか?
    『偽聖女と断罪されて婚約破棄の上国外追放された私は、何故か隣国の王女様に溺愛されています。』
    https://kakuyomu.jp/works/16818093078373122440

    初めて挑戦した長編かつファンタジー作品なので、今後のためにもどのような見え方、読まれ方になるのかを伺えればと……!

    よろしくお願いいたします!

    作者からの返信

    ひっちゃん様、コメントありがとうございます。

    >>文章って誰かに何かを伝えるためのツール
    本当に仰る通りですね。
    読み手に伝える為には、伝わるように書く努力が必要だと思います。無意識にそれが出来ていらっしゃる方もいるとは思いますが……。

    (カクヨムに限らず)ランキングは当てにはならないですねぇ。
    個人的にはですが、サイト内での評価は6割が「運」、3割が「セルフマーケティング」、「作品の実力」は1割以下だと思っています。
    私は穿った見方をしてしまうので、異論もあるとは思いますがね。

    本批評へのご参加、お待ちしておりましたっ。
    ご依頼はどこからでも大丈夫ですよ。私に伝わればオッケーなので。
    御作を目次に追加いたしましたのでご確認ください。

    それでは批評待ちの作品がまだありますので少々お待たせする事にはなりますが、どうか気長にお待ちくださいませ。

  • 仰有りたいこと、わかります。
    私の場合ですが「書き手が読み手を意識して作品作りに取り組む」事を心がけています。

    まず、エンタメテクストとして作品を投稿したのならば、作品は誰のためにあるかというと半分は「読み手のためにある」ものと考えます。

    話が若干それますが、私は読み手が作者の意図するところを正しく解釈することが読み手の務めではなく、読み手がテクストを通して自身と作品の間でのコミュニケーション的対話をすることそれ自体が既に正しいと考えております。

    純文学作品の場合は言葉そのものの楽しみ味わい、エンタメ的テクストの場合は(己の嗜好や経験と擦り合わせつつ)作品への没入感があるか等を読み手としては期待してページを開くわけです。

    したがって書き手としては、自分のセイヘキを200%塗り込め、かつ読み手が書き手の存在を忘れてしまうような作品を作りたいと思っています。

    手を抜いた誤字脱字誤用誤謬、書き手に都合のいい展開、視点ブレは読み手をシラケさせ、作品をエンタメテクストからただの書き手のお気持ち作文に変えてしまう。
    特に感想や批評を求めるのならば、最低限読み手のための作品に整え、読める形にしてからお出しするのが時間と労力いう対価を払ってくれる読み手へ対する礼儀だと思います。

    そうそこなんですよね……三鞘様の企画にエントリーするなら先ず読み手への礼を……尽くして(フェードアウト)

    作者からの返信

    続セ廻さまっ、コメントありがとうございますっ。
    私の言いたい事を汲み取って頂き、更に先取りのような解説に感銘を受けましたっ!

    特に「自身と作品の間でのコミュニケーション的対話をする」、この言葉はまさしくその通りですね。
    コミュニケーションの事を「会話のキャッチボール」なんて言いますが、「理解させようという気が見えない作品」は大暴投をしているんですよね。
    なのに一部の作者は「どこに投げようが自由だ」のような事を言っています。
    これではコミュニケーションは成立しません。

    「誰でもキャッチできるように」なんて言いませんが、「狙った相手にはキャッチできるように」書く努力が必要だと思いますね。
    極端な考えかも知れませんが「あらゆる主張はその後だ」とすら考えています。

    相手(読者)が対面に立ってくれたら(読んでくれたら)、ちゃんと相手に向かってボールを投げる(理解できる文章を書く)。少なくとも、その為の努力をする。
    それが続セ廻さまの仰るように、読み手に対する礼儀だと思いますね。

  • うさオーナーですこんにちは‼️
    まあ、個人的な考えとしては「本は読者が読んでどう思うかで作品の完成とする」ですかなあ。
    面白いと思う物がその人にとって面白い作品、ただそれだけですねえ。

    普遍とかは考えずにただ読んで面白い、それがその人にとって面白い話。

    多数の人が読んでそれが面白いと思う人が多ければ世間的に人気の面白い話。

    ニッチなものが好きな人がニッチな話を読んで面白いと思えばそういう面白さ。

    作者さんのこうしたいああしたいが読者さんや様々な関係者の方々とマッチしたらとても嬉しい。

    逆に意図しない方向にも行きます(実写とかの某事件とかですな)

    ただ、本というか読書は基本一人でその世界に入るものです。そこで何を思うかはその読んだ人次第。読者ありきですよ。
    もちろん話がないと思う事もできないですが、作者としては「こういうこと書くんだァァァワカレヨオオオオ」って主張を受け入れさせようとか、そういうのは考えずに「こういうこと」を淡々と書いて、で、最終的に判断するのは読者ですね。

    なので、三鞘様が「おい……(ꊞдꊞ)」となる作品があられたとしてもそれは全く悪いことでは無いです。読者としての判断ですから。

    まあ、作者さんの書きたい意図とマッチしなかっただけだと思ってその旨を明記しておけば別の方には刺さるかもしれません。

    ま、これはうさオーナー個人の考えなんで他にも色んな価値観がありますでしょうがご参考までに❣️

    ✿追記✿

    返信拝見しました❣️
    なるほど……私は最終的な判断は読み手が下すべき、との見解を示しましたが、三鞘様が仰ってたのはその「前の段階」のお話だったのですね。私は「最終地点」としての視点の相違があったことを明記し、ちょっと見解の方を。
    たしかに。書き手としてはできるうる限り、作品に対して真摯であるべきですね。それは読んでくださる読者さんに対して失礼にならないように。そして自分自身に対しても。

    人に対して真摯で在れる方は何事においても真摯である、と思います。無論その逆も。

    そして残念なことに、真摯で在れるのも才能がいるのです。真摯であろうとする信念を持てるか、持ち続けられる気力、心、必死さ。
    残念ながら全員が全員そうではなく、むしろ途中で投げ出される方が多いと思われます。

    だからこそ、最後までもがける方が。お話を書き続けて苦しみつつももがける方が「才能のあるひと握り」の書き手になるのかと。
    結構キツイと思います。砂利の中から砂金探すようなものですから。
    だからこそ、そういう方は見つけたら離してはいけないものだと思うのです。

    縁は巡る、が持論なのですが、途切れることはあるかと思います。でももしかしたらその「努力出来なかった」方が巡り巡って何かの縁で「もがける」ひと握りに入るかもしれません。

    まあ、のんびり待ってみましょうや。
    大多数の方が努力ができず途切れたままなら途切れたまま。そういうご縁もありますし。
    しかし、三鞘様のお言葉やお力で、その中から1人でもそういう努力できるご縁が巡ったら私としてはそれはほんとに嬉しいことだと思いますなぁ。
    長々とすみません💦

    作者からの返信

    うさオーナー様、コメントありがとうございますっ。

    「読み手」としては、自分の好きな作品を読んで、好きに感想を述べればいいと思うんですよ。
    本編でも書いたように、人によって好みは違いますから普遍的な面白さなんてものはありませんので、他人の評価を気にする必要も無いと思います。

    ただ「書き手」は、それじゃイカンと思うのですよ。
    だって、「読み手」に読んでもらう為に投稿サイトにアップしているんでしょう?
    例えターゲットがニッチだろうと、その層には理解して貰える文章を書く努力が必要だと思うんです。

    私が本批評で「純文学」などを募集しなかったのはその為ですね。
    私は「芸術」や「文学」を全く理解出来ない人なので、面白く感じる事も、良し悪しを判別する事も出来ません。
    これじゃ、批評なんて出来ませんよね。

    なのにそれと同レベルに感じるくらい、理解の出来ない作品もいくつかあったんですよ。
    純文学でも無いのにっ。

    まぁ、そんな愚痴みたいな記事だったんですね。
    皆さんのお目汚しとなってしまったのなら申し訳ないですねぇ。

    編集済

  • 編集済

    その主張は、半分だけ同意できます。
    確かに作品が理解できることは重要です。読者にとってアクセスしやすく、共感を呼ぶものであれば、より広く受け入れられやすいです。しかし、難解な要素があるこで、読者にとっての学びや発見が増し、深い感銘を与えることもあります。

    例えば、ゲーテの「ファウスト」やミルトンの「失楽園」などは、難解で、全ての読者が完全に理解するのは難しいです。しかし、その複雑さや深遠さこそが、作品の魅力にもなっています。

    単なるストーリーの楽しさだけでなく、哲学的・宗教的な問いかけや人間性の探求を通じて、読者に深い感銘を与えることができます。
    また、理解するための努力や研究が、その作品への愛着や価値を深めることもあります。難解であっても、その分だけ考えさせられる要素も多く、それに挑むことで得られる満足感も大きいでしょう。

    つまり作品の面白さは、読者の理解度と作品の難解さの両方に依存しますし、『何にしても「まずは読者に理解をさせる」。これが「読者に面白いと感じて貰う」為に絶対に必要な条件なのだと私は思います』というのは、少し過言かなと思いました。

    難解さの方が重要と言いたいのではなく、理解も大切です。しかし、その理解できない部分があること自体が、読者にとっての興味や探求心を引き起こす場合もあるということです。過程の中で生じる思索や感情的な反応が重要でもあり、奥深さや多義性が我々読者により豊かな体験を提供することも多いのではないでしょうか。

    もちろん、全く知らない外国語で書かれた作品は「難解」というレベルを超えて、そもそも理解が不可能なため、楽しむことができません。
    それはすでに「難解」ではなく、理解の前提が欠けているという問題であり、議論の余地がないものです。

    つまり、私が述べている「理解」とは、作品の内容や意図をどの程度把握し、感じ取ることができるかという、作品の深さや複雑さに関する話です。それは、単に言語がわかるかどうかとは異なる次元の問題ですよ。

    結局のところ、作品の「面白さ」は一つの要素にのみ依存するものではなく、理解しやすさと難解さのバランス、そしてそれを受け入れる読者の姿勢や経験、知的能力にも大きく左右されるものです。ですので、「理解」が最重要であるという主張は一面では正しいものの、必ずしもそれが前提の要件ではないと言えるでしょう。
    長文となってしまった事をお詫びします。申し訳ございません。


    ※追記
    返信ありがとうございます。
    確かに、難解な作品であっても、それが読者にとって「理解できる」、「理解できそう」だからこそ面白いというのは、非常に納得のいく見解です。
    『ファウスト』や『失楽園』も名作として広く認められているのも、多くの読者がその意図やテーマを理解し、共感することができるからです。私はこれを否定するつもりはありません。何度も言いますが、理解は重要ですよ。そして、誰も理解できないような作品が、素晴らしいなんて一言も言ってませんし、思ってもいません。
    例えば森鴎外翻訳の『ファウスト』なんて、難解すぎて、私は読んでいられませんから。その理解が大切というのは良くわかります。

    私が言いたいのは上記のような作品は、たとえ一度では理解しきれない部分があっても、その謎めいた部分が探求心を刺激し、新たな発見があるということです。つまり、小説をはじめとした創作物の楽しみは、必ずしも全てを完璧に理解することにあるわけではなく、むしろ理解できない部分を含めて、その作品が持つ意味や広がりを感じ取り、そこから自分なりに考えを巡らせることにあるのです。
    その過程が読者にとっての学びや発見をもたらし、作品の持つ普遍的な価値や美しさを味わうことできるのだと思います。
    右か左か、100か0か、天使か悪魔か、理解か不理解の二元論の話ではないんです。そのバランスも重要だよねと述べているのです。
    ようするに、小説というのは理解できない部分も含めて楽しめるよ、そういう楽しみ方もアリだよということです。

    最後に、反論をしたつもりはなかったのですが、ご不快な思いをさせてしまったのなら、申し訳ないです。私は反論というよりも、小説や文学の楽しみ方の一つを、提案したつもりでコメントを書きました。
    レスバみたいになるのは嫌なのでこれ以上は書き込みません。
    私も三鞘ボルコム様の批評を含めご意見には、考えさせられる事も多いので感謝しています。ありがとうございます。

    作者からの返信

    柿うさ様、コメントありがとうございます。
    ひとまずは半分だけでも賛同を頂けた事に感謝を申し上げます。


    ただ少し誤解があるように感じるのですが、私は「難解な作品」を否定してはいませんよ?
    仰る通り「難解な作品」は作者の意図などを読み解く事、それ自体に「面白さ」があると思います。

    しかしながら柿うさ様の持論を拝見しても、私の「理解が、面白いと感じる前提だ」という考えは変わりません。
    なぜなら「難解な作品」も、「理解が出来る」から、もしくは「理解が出来そう」だから、「面白い」と感じるのだと思うからです。

    喩えを読んで疑問に感じたのですが、柿うさ様は『ファウスト』や『失楽園』を読んで「理解が出来なかったけど面白かった」と感じたのでしょうか?

    もしそうであるなら「理解よりも優先すべき事がある」という理屈も理解が出来るのですが……。たぶん違いますよね?
    きっと、柿うさ様は「難解な作品でも理解が出来る、出来そうだから面白いと感じた」のだと思います。
    (見当違いでしたら申し訳ありません)

    私はあちこちで言っていますが、数年前まではラノベすら読んでいなかったので上記の2作は未読ですが、「誰にも理解が出来ないような作品」なのでしょうか?
    そんな作品が、私ですらタイトルを知っているほど名を残す名作となっているのでしょうか?

    やはり「理解は、面白さの前提」だと思います。
    「難解な純文学」と「子供向けの児童文学」では読者層が違いますよね?
    ただターゲットが違う、それだけの事かと思います。


    反論に反論を重ねてしまい、失礼を致しました。
    ですが、こういった意見を頂けるのは歓迎です。
    私自身の考えを纏めたり、新たな発見がある場合もありますので。


  • 編集済

    こちらこそ、ノベルチキンレースに参加させていただきありがとうございます!他作品の紹介まで!頭が下がる思いです。

    おっしゃる通りだと思います。私も、より理解されやすいように、難読漢字やマイナーなことわざなどは控えています。
    どれだけ理解されるかが作品にとって最も重要だと思います。伝わらなければ、なんにも意味が無いのですから。

    作者からの返信

    いえいえ、こちらこそ何度でも感謝を述べさせてもらいますっ。
    2つの企画に参加して頂いた事も、コメントを頂いた事も嬉しく思います。
    本当にありがとうございますっ。
    (それに作品の紹介は、『ノベルチキンレース』の宣伝のついでですので……)


    雑談へのご賛同もありがとうございますっ。

    >>伝わらなければ、なんにも意味が無い
    本当にその通りだと思いますね。
    もちろん頑張って書いても出来ない場合もありますが、「読者に理解してもらおう」と努力して書く事が一番大事だと私は思いますね。