第2話 半額シールはもう待たない
どうやら夢ではなかったようだ。朝起きてシャワーを浴びたとき、死神に言われたことを思い出した。星型のあざができていたのは右足だった。流しっぱなしのシャワーを浴びながら、熊田はそのあざをこすってみた。何かで書いたようなものではなかった。まるで入れ墨のようだ。とにかくこすって消えるようなものではないことは確かだった。
その日は仕事だったが仕事に行く気力はなかった。上長とチームメンバーに「急に具合が悪くなった」とメールをして、熊田は久しぶりに有給休暇を取った。少しして上長から返ってきた返信には、安静にして無理をするな、様子を見て病院に行けと書かれていた。もっとドライな返信を予想していた熊田は、思わぬ労いの言葉にひどく慰められた。
食欲はなかった。ベッドに仰向けに寝転がり、死神に言われた言葉を何度も反芻した。65歳で死ぬ。あと10年で死ぬ。本当だろうか。本当だとしたらなんて残酷なのだろうか。俺はこれまで我慢を続けてきた。ビールが好きだが発泡酒で我慢してきた。発泡酒もずいぶん美味くなった、なんて言って自分をごまかしてきたが、飲めるならビールが飲みたかった。
旅行にも行きたかった。自転車を担いで電車に乗ることを輪行という。輪行をして、日本各地を走りたかった。
カメラというか、写真もやってみたかった。熊田はときどき空を眺めるのが趣味だった。刻々と形を変える雲を眺めているのが好きなのだ。夕日に燃える真っ赤な雲をスマホで撮影してみるのだが、のっぺりとしていて、満足のいく写真が撮れたことはなかった。所詮は腕なのだろうが、良いカメラで撮ったらどうなのだろうと夢想していた。
仕事が好きなのも事実だった。だからそれらの「お楽しみ」は後でいいと思っていた。仕事を終えて、65歳から始まる第二の人生。それを夢見て頑張ってきたのに、俺は65歳で死ぬのか。なぜだ! と怒りと悲しみが同時に押し寄せてきた。やっぱり夢だったのではないかと足の裏を見ると、やはりそこには星型のあざがあった。
ちくしょう! ちくしょう! 俺はなんのために我慢をしてきたんだ! ちくしょう! こんなことなら、もっとやりたいことをやっておけばよかった。「いつか」なんかのために我慢してきたのは無駄だったのだ。ちくしょう! と、ゲンコツで布団をめちゃくちゃに叩いた。そして急に起き出し、机に向かった。預金通帳を取り出し、残高を10で割って、1年に使える金額を割り出した。
熊田は急に冷静になった。熊田はこれまで自分の中にあった漠然とした不安の正体に気づいた。
「自分がいつまで生きてしまうのかわからない」という不安。言ってしまえばお金の不安だ。働けなくなったとき、お金に困るんじゃないか。そのためには少しでも多く残しておいたほうがいい。
そうだよ。あと10年で死ぬなら、いつかのために金を残さなくたっていいじゃないか。持てる金を死ぬまでに使い切ることができるじゃないか。
熊田は死神の言葉を思い出していた。
「どうぞ悔いのない人生を」
理由はわからないが、あの死神は俺に後悔のない人生を歩ませるために来たのかもしれない。いつかのために我慢して、我慢が報われない人生のなんと虚しいことか。
熊田はつい先ほどまでとは打って変わって晴れ晴れしい気持ちになっていた。かつてこれほどすっきりとした気持ちになったことはないのではないかと思われた。自分がいつ死ぬかわかった。そしてそれまでに10年もある。死神は寿命は決まっているものだと言っていた。つまりその10年の間、俺は死ぬような事故や病気はしないということだ。
目の周りは一度流した涙が乾いて、すこしヒリヒリしていた。急に腹が空いてきた。冷蔵庫にしまっておいたご飯を取り出しレンジに入れようとしたが、次の瞬間思い直し、ご飯を冷蔵庫に戻した。
「駅前のレストランで何かうまいものを食べよう。ついでにビールも飲もう」
それから熊田は少しずつ変わっていった。
まずお惣菜の半額セールを待たなくなった。なんなら熊田はお惣菜が半額になるタイミングを待つように残業していた。スーパーが夜10時で閉まるから、半額シールが貼られるのはおよそ9時半。そこに間に合うように……いや、間を繋ぐように働いていたのだ。それをやめた。
今では遅くとも7時には会社を出る。もちろん仕事をきちんと終わらせてからだ。同僚は熊田の変化を少し訝しんだ。チームメンバーの坂下は「熊田さん、ペットでも飼いはじめたんですか?」などと聞いてきた。
「そうじゃないんだ。今まで無駄な残業が多かったって反省して、効率化を試してるんだ」と熊田は誤魔化した。同時に「ペットか。今のアパートでは無理だけど、引っ越して猫と暮らすのもいいな」と思った。しかし「あと10年で死ぬのに猫や犬はダメだな」と思い直した。
熊田は8時台のスーパーで買い物をする喜びを知ってしまった。お惣菜が選び放題なのだ。これまでは売れ残りの、つまり不人気なお惣菜を買うしかなかった。半額とはいえ、それを喜んで買っていた自分がいまさらながら滑稽に思えた。選ぶ種類が多いということは、なんと楽しいことだろう。
その日は揚げナスのみぞれ餡かけと鶏肉の照り焼きを買った。揚げナスのみぞれ餡は最近のお気に入りだ。しかも鶏肉の照り焼きは20%引きだった。ドのつく倹約はやめにしたが、安いに越したことはない。ビールはいまだに飲み慣れた発泡酒だった。土曜と日曜だけ、あれこれ好みの味を探してビールを飲み比べするのが楽しみになっていた。
それから自転車を新調した。かれこれ15年。調子が悪くなる度に直して乗ってきた自転車と別れるのは、「まだ乗れるのに……」と、どこか罪のように思えた。しかしいつも修理をお願いしていた自転車屋に持っていくと、「こんなに大切に乗ってもらった自転車はなかなかないですよ。大したお金は払えませんがうちで下取りしますから。メンテナンスして、中古自転車として販売できますよ。こいつは幸せもんですよ」と言われ、不覚にも涙を流してしまった。新しい自転車も15年前と同じく、その自転車屋で調達してもらった。国産のスポーツタイプの自転車で10万円だった。
熊田は輪行を始めてみるつもりだった。自転車を荷物として担いで公共交通で移動するわけだが、それには自転車は軽い方がいい。熊田が決めた基準は10㎏以下だった。世の中には8㎏を切るような軽い自転車もあるが、価格を聞いてびっくりした。車が買える値段ではないか。さすがにそこまでハメを外す気にはなれなかった。将来の不安がなくなっても、ちょうどよい、心に負担のかからないお金の使い方がある。
新しい自転車は快適だった。何しろ軽い。先代の自転車と比べて車体重量が6㎏近く軽いのだが、こんなに違うものかと驚いた。ただ走るのが楽しくて、これまで車で移動するものと考えていた20㎞や30㎞も、普通に走れるようになっていた。
カメラも買った。持ち運びを考えると一眼レフは選択肢に上がらなかった。デジタルカメラは搭載しているセンサーサイズで「格」が変わる。サイズが大きいほど綺麗な写真が撮れるのだろうが、その分カメラ本体のサイズも大きくなるし、重くなる。なんとも選ぶのが難しい。
そこでまず持ち運ぶのにストレスのかからない重量を基準にし、そのなかでセンサーサイズが大きいものを探した。なるべく軽く、なるべく大きくだ。
そしてセンサーサイズが1型で、本体重量がおよそ200gのものを選んだ。自転車で軽さは正義だと学んだ。価格は10万円もしたが、おそらくこれが自分にはベストだ。熊田は価格というのはそれが持つ価値の表れであるという、当たり前のことを改めて理解した。
休日、自宅から20㎞先の河川まで自転車を走らせる。適当な土手に腰を降ろし、目の前に広がる景色を眺める。川は空間が開けていて空を眺めるのに絶好の場所だ。今日は快晴。春の空の青は淡い。熊田は土手に寝ぞべり天空を見上げ、何もない空間に向けてシャッターを切った。熊田のカメラにはそんな写真ばかりが収まっていた。
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