幕間 踊る宝石②



 波止が調べたにわか知識によると、捜査三課は窃盗事件を扱う部署らしい。捜査過程でしような物品について見聞きする機会も多いだろう。

 噂でも良い。

 波止の質問に、黒川は浮かない顔で謝った。

「申し訳ないが」

「そうですか」

 会話はそこで終わるはずだったが、目撃された以上、そうは問屋が卸さなかった。

「おいこら、ハト。お客さんに個人的に近付くのはノットだからね」

「カノさんにだけは言われたくないです」

 散々、黒川に個人的な話を振っているではないか。波止が言い返すと、織り込み済みとばかりに鹿乃が変顔をする。

「あたしはお客にナンパされる事はあってもした事はないですぅ」

「俺もナンパをした訳ではないです」

「じゃあ、何よ」

 鹿乃がけんごしに迫る。波止は店内を確認した。

 ディナータイムを過ぎた店内は照明もより落ち着いて、常連客がのんびりと酒をたしなんでいる。注文はティラミスを最後に止まっており、次から次へと酒をあおる客が来るような店でもない。

 黒川のグラスにはアイリッシュコーヒーがなみなみと残っている。

 それも織り込み済みだと言いたげな鹿乃のしたり顔が面倒くさい。

 波止は目を伏せ、ボソボソ声で答えた。

「探してます。どうしても必要で」

 好奇心おうせいな鹿乃だから、波止は根掘り葉掘りかれる事を予測していたが、彼女は意外にもすんなり納得してあごに人差し指を当てた。

「んー、だったら」

 そして、その指をあらぬ方へ向ける。

「専門家に訊けば?」

 カウンター席の端に、男性客が一人で座っている。

 高級なブランドのセミオーダースーツと、最近気に入りらしいツーブロックの黒髪。よく商談相手を連れて来る常連客で、今日のように同行者を見送った後、ノートに何やら記録をまとめている事が多い。

 絵画を扱う美術商らしく、絵画には一家言あるのだろうが、宝石はどうだろうか。こだわりのネクタイピンと三連の指輪には大きな宝石が輝いている。

「む?」

 三人で見てしまえば気付かれるのもむなしだ。

 商談相手に『よし』と名乗っているのを聞いた事がある──男性客はふんぞり返ってスーツの襟を正した。

「私に不満でも? 善良な客だぞ」

 被害妄想というより過剰防衛に近い。

 美好は以前、鹿乃相手に詐欺まがいの商談を持ちかけた。からくりを見抜かれて捨て台詞ぜりふと共に去った数日後、何食わぬ顔で来店して常連客風を吹かせたのだから肝が据わっている。厚顔は商才の一種なのかもしれない。

「何もー? どうぞごゆっくり」

 鹿乃が素っ気なくあしらうと、美好は「待て待て」とギムレットのグラスを手に距離を詰めてきた。

「少しばかりエアコンの送風に乗って微かに届いただけで、耳をそばだてていた訳ではないが、私の力が必要なのではないかね? 踊る宝石、とか」

 全神経を聴覚に集中させなければ到底、聞こえる距離でも音量でもなかったが、地獄耳も商才に必要なのだろうか。

 美好がやけに白い歯をのぞかせてニヤニヤ笑う。

「彼女にせがまれたかね。イケメンの君だ、いるんだろ? 隠さなくていいさ」

「…………」

 デリカシーとプライバシーのバグった人類は、社交的か社交下手かの両極端である。

「過度にせんさくして他人の人生を娯楽コンテンツ消費するのは控えるべきでは? 趣味が悪い」

 黒川がアイリッシュコーヒーにまぶたを閉じて、静かに諭す。

「仲よくもないのに恋バナ強要してはしゃぐ大人ダルぅ」

 鹿乃の美好に対して当たりが強い態度は、店長と美好本人も容認していた。

「何だね。警察だって動機を探るし、ニュースでも報道して大勢が見るだろう」

「警察は捜査、一般人が犯罪の動機を知りたがるのは、我が身に起こり得る事か否かを判断して対策を講じる為の集合知構築と考えます。個人情報を探るのが悪趣味だと言いました」

「自衛で被害者にも非があったなどとごうまんとうをするかねえ」

「行き場のない不運を受け入れられない人間は、非のありを明確にして心のバランスを取りたがります」

「馬鹿な野次馬の無責任な好奇心でしかない連中もいるさ」

「成程。あなたはどれに属しますか?」

「私は当然! あー……」

 黒川に議論を煮詰められて、美好が立ち位置の確立を迫られる。彼はギムレットで唇を湿らせて、鼻息を荒くした。

「背景を分析して策を講じる為だ。販売相手を知らずに見立ては出来ん」

 筋の通った美好の言い分に、鹿乃と黒川がいつたん、反感の刀を収めた。

 波止は考えた。タダより高いものはない。手の内を隠した所為せいで、見当外れな想像を事実の様に語られても困る。

「……、……そうです」

 思わず吐いてしまった波止のためいきに、美好が身構える。

 彼女も時々、そういうぐさをした。

「クリスマスに踊る宝石が欲しいと言われました」

 声に出した途端に、こうとうけいな話をしている自覚が迫って恥ずかしくなった。


    *


 今年は三度目のクリスマスになる。

 彼女、ゆいと知り合ったのは三年より前、波止が大学の友人に誘われて行ったバーベキューで居合わせた。

 その時は肉の味が薄くて、別のテーブルから塩を取ってくれたのが彼女だったかもしれない、くらいのうろ覚えだ。別人だった可能性もある。

 三年後期の授業で再会して顔と名前がようやく一致。学食であいさつをするようになり、四年の夏、就活とレポートで徹夜続きの時にメロンパンをもらってほだされ、不意打ちの様に波止から告白した。

 思い付きみたいに付き合い始めた割に仲良くやれていると思う。

 卒業後、波止は居酒屋でのバイト経験を元にバール・サイドウェイズに採用された。結菜は商社に就職し、互いに行き来していたマンションをひとつに纏めて少し広い部屋を借りたのが昨年のことである。

 結菜は察しが良く、協調性が高い。波止の友人とも程々に親しく接し、波止が忙しい時期は干渉せず折半の家事を多めにこなしてくれる。

 時々、感情が不安定になる事もあったが、いわく「気圧の所為」だそうだ。

 先週末も、大遅刻して襲来した台風で気圧が大幅に下がっていた。

 波止が友人とオンラインゲームをしていると、結菜がミルクを電子レンジに入れて、待ち時間に言った。

「踊る宝石って知ってる?」

「知らない」

 波止は宝石どころかシルバーの装飾品にも詳しくなかった。ゲームが終盤に近付き、友人から飲みに誘われたので返事を書きながら話をつないでおく。

「欲しいの?」

 波止に答えるみたいに、電子レンジがワンフレーズのメロディを奏でる。

 結菜がマグカップを二つ取り出して、ティーハニーを溶かした方を波止の前に置いた。

「うん。クリスマスまでには決めようかな」

「? そうなんだ。ミルクありがと」

 結菜が微笑み返して、テーブルに置いてあったスマートフォンを手に取る。

 手が触れて明るくなった画面に表示されたのは一時停止中の動画のタイトルだ。

『安全でコスパ最強の一人暮らし。部屋を探すコツ七選』

 ゲーム内で波止のキャラクターがヘッドショットをらった。


    *


 二人にたしなめられた手前、好奇心を隠そうとするもだだ漏れの美好と、人を窘めた手前、好奇心を隠さなければいけないがらした目がわざとらしい鹿乃と、生真面目に話を聞く黒川が三者三様にうなずく。

 結菜が引っ越しを考えている事は伏せて良かったと思う。話せば興趣のじきだ。

 波止は顔面を平常心で塗り固めて、塩漬けのオリーブをピックに刺した。

「まあ、普段はあれが欲しいこれが欲しいって言わない人なので、探してみようかと思ったまでです」

「それは君、竹取物語だね」

 美好がちようしようれんびんをシェイクしたような口調で言う。三人の視線が集まると、彼は気持ち良さそうにギムレットを飲み干した。

「教えてあげよう。宝石には魔力が宿ると大昔からまことしやかにささやかれるが、あれは満更、たらではない。例えば、持ち主をいやすヒールジュエリーだ」

さんくさいんですけど」

 ひんしゆくを表した鹿乃を、黒川がまあまあとなだめる。

 美好がふんぞり返ってせきばらいをする。

「実在する以上、君にも文句は言えないぞ。その宝石は人から人へと渡り歩いているという。一人を癒すとまた次の人へ、善意という名の船に乗って必要とする人を巡る航海を続けているそうだ」

「結局、噂じゃん」

「火のない所に煙は立たないのだよ。幸運が訪れるという触れ込みの中には創作者やディーラーの作り話もあるが、不幸が降りかかるなんてのはねつぞうするだけ損だろう」

「物好きが買うかも」

「買いたたかれるのがオチだね」

 美好が鼻でわらって鹿乃の反論を退けた。

「凪さぁん」

「うむ。それらの迷信が彼の彼女とどう関係するのでしょうか?」

 黒川が迷信と断じたのは、鹿乃に泣き付かれたからではなさそうだ。彼女の認知する世界には魔法も奇跡も存在しないのだろう。

 美好も黒川の真剣な顔に圧倒されて、二言三言、意味のない言葉を唱えて態勢を立て直した。

「詰まるところ、要するにだね、踊る宝石もくだんたぐいの代物だよ」

「は?」

 波止は特定の種類の宝石に付けられた異名だと思っていた。あるいは宝石言葉か、特殊な加工を施してあるのでも良い。

「音楽をかけると踊り出すジュエリーが存在する。私はどの国の誰が持っているかまでは知らんがね。陽気な霊が取りいているという話だ」

 世界に唯一、固有の宝石となると話が違う。

 バール・サイドウェイズは良い店で、店長も待遇も申し分ないが、伝説級の宝飾品を買える額は一生働いても稼げない。

 黒川が押し黙る。美好が波止の手元を指差して、その指を自分の方へ向ける。

 波止は美好の前に新しいコースターを置き、ドライマティーニを載せた。浅い脚付きグラスを手に取って美好がかぶりを振る。

「残念だが、竹取物語だよ、君」

 求婚者に無理難題を吹っかけて、生命をも脅かすかぐや姫。

「いや、別れてって普通に言われれば、普通に別れるんですけど」

「馬鹿みたい」

 鹿乃が腹の底からあきれた声を吐き出して、寄りかかっていたバーカウンターから身体を起こす。彼女はテーブル席で会計を求める客を見付けると、話に一切の未練もなくフロアに下りた。

「そうか」

 いつの間に心変わりしたのだろう。思い返してみても契機きつかけが思い当たらない。

 冷静に考える波止の胸で、鼓動だけが五月蠅うるさく鳴っていた。

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