雨宮兄弟の骨董事件簿3《幕間特別公開》

幕間 踊る宝石①



 ハロウィンの南瓜カボチヤを一個、片付け忘れていた。

 は酒棚のウィスキーボトルに紛れたジャコランタンを取り除いて、左右の瓶の間隔を詰めた。

 まだ窮屈に感じるのは、店長が飾った木箱の所為せいである。実家からもらった古い酒で、ブロック状の葡萄果汁を水に溶かして発酵させるワインの素らしい。

 白い塗料で塗られた箱にかすれた英字がプリントされている。本物かは怪しいが、少なくとも箱は後から作ったのだろう。底に雑貨店の値札シールが貼ってあるのは掃除の時に確認済みだった。

 日が暮れて、薄暗くなり始めた店内にあかりをともす。

 天井からり下がるペンダントライトの光は仄かなキャンドル色で、ちゆうぼうの三分の一の照度に抑えられている。バーカウンターは若干明るい電球色だ。各テーブルにキャンドルグラス、壁側にはスタンドライトを置いて、隣の席の客はよく見えないが、同席者とは開かれていながら個室の様な空間を共有出来る。

 フロアを囲む全開口窓は入り口のフランス窓とデザインを合わせて、足元が木製の枠で隠されているから、姿勢を崩しても外からの視線を気にしなくていい。ガラス自体もうつすらスモークが掛かっているから、目を凝らさなければ通行人と客の目が合う事はないだろう。

 帰路に立ち寄る、昼と夜の間に開かれた店。

 バール・サイドウェイズ。

 吊り下げ式のワイングラスホルダーにクリスタルのグラスを磨いて収める。ランチ営業の間は様々な柄のマグカップが飾られているから、時間帯を変えて来店した客が最も雰囲気の変化を感じる場所はカウンターではないだろうか。

 一通りの開店準備を終えて、ビールサーバーの管に曇りを見付ける。紙きんき取ると、黒く染めたばかりのマッシュヘアがもうマロンブラウンまで色落ちしているのが見えた。但し、不機嫌そうな顔は無愛想なだけで別段、憂えてもいない。

 否、懸案はある。

 波止は掃除を終えて手を消毒する同僚を見た。

 ダークブラウンにシルバーのインナーカラーを入れ、毛先を緩やかに巻いた髪は、前髪の一筋まで整えられている。白いオーバーサイズのセーターとすその広がったベルボトムのデニムはシンプルだが、高いヒールと薬指に花をあしらった付け爪は仕事に差し支えないのだろうか。

 そんな華やかなふうぼうだから、ライブグッズのストラップも首から下げるスマートフォンも彼女の私物と誤解を受けやすい。決済時に分かる、注文や決済に使用する店の備品だ。透明ケースの背面に鹿じかのステッカーが挟まれており、『鹿』と名前が書かれていた。本名か愛称かは波止も知らない。

「店長。お店開けていーい?」

 鹿乃が厨房に呼びかけると、上品な女性の声で「いつでも」と返ってくる。鹿乃が入り口のかぎを外してアレカヤシの鉢植えを照らす洋燈ランプに明かりを入れると、程なくして客が一人、二人と扉を開いた。

 夜の開店直後は料理の注文が多い。専ら店長が忙しい時間帯だ。

 波止が人数分のドリンクを作り終えて、手持ちにグラスを磨いていると、鹿乃の表情がパッと輝いた。常連客が入ってくるところだった。

なぎさん、いらっしゃい」

「こんばんは、鹿乃さん」

 鹿乃がお遊戯会で看板を飾るわしゃわしゃの紙の花だとしたら、常連客の彼女は折り紙で折った百合ゆりの様な人だ。花にも女性にも詳しくない波止の感覚なので、にセンスがないのは御容赦頂きたい。

 シンプルなスーツにかかとの低い革靴、チタンフレームの眼鏡は機能性に重きを置き、長い黒髪を後頭部で結っている。

 黒川凪。

 初めはやけに姿勢の良い人だと思ったが、後に偶然、藤見署の捜査三課で刑事をしていると聞いて、客に無関心な波止でも合点がいったのを覚えている。

「テーブルもカウンターも空いてるよ」

 鹿乃が両手を広げてみせると、黒川が一瞬だけ迷う間を作る。

 どちらでも良いならば。

 波止はコースターをカウンター席の真ん中に置いた。

「どうぞ」

「失礼します」

 黒川は客らしからぬ丁重さを携えて、足元のかごかばんを入れ、スツールに腰かけた。

 鹿乃がろんな目で波止の方を見ている。だが、彼女の数少ない美徳のひとつは気分依存で仕事に手を抜かない事だ。

「今週のピックアップは! あったかひえひえ~」

 波止が考え抜いたスタイリッシュなカクテルリストを、間の抜けた表現で説明するのには内心で異議を申し立てたい。

 黒川も首を傾げている。

「カクテルですか?」

「そそ。モーツァルトチョコフロートは、モーツァルトリキュール入りのチョコレートシェイクにバニラアイスを浮かべた冷たいカクテル。ジンジャーホットホワイトは生姜しようがをメインにスパイスを利かせたホットワイン」

美味おいしそうですね」

 以前はクラシックな酒しか注文しなかった黒川が、近頃は新しい酒に挑戦するようになった。客が何を飲もうが波止に関係ないが、メニューの考案し甲斐がいはある。

「では、ジンジャーホットホワイトと、食事にボンゴレと生ハムアボカドサラダをお願いします」

「はーい。あったかジンジャー、ボンゴレ、ハムカドよろォ」

 鹿乃が注文をコールするのを見計らったかのように、テーブル席の客が彼女を呼ぶ。

「ただ今伺いまーす。凪さん、ごゆっくり」

「どうも」

 軽く会釈を返す黒川に、鹿乃は指ハートとウィンクを決めてフロアに下りた。

 波止は白ワインを温めている間に生姜をり下ろし、はちみつとシナモンスティックを準備した。ポットで仕上げてガラスのティーカップに注ぐと、湯気とジンジャーのそうりような香りが立つ。

「お待たせしました」

「ありがとう」

 黒川はティーカップのきやしやとつに指を通して、引き締まった頰をかすかに緩めた。

 パスタもサラダも提供にさほど時間はかからない。客足が増えれば波止の仕事も切れ間がなくなる。波止が次に彼女と接する事が出来たのは、食後のアイリッシュコーヒーを提供した時だった。

「あの」

 滅多に口を開かない波止が話しかけたので意外に思われたのだろう。黒川はアーモンドを取り落としそうになって、危うく小皿に置き直した。

「何でしょう?」

 黒川の雰囲気もまた、世間話に不似合いな硬さがある。どの道、波止は愉快な話題から本題に移せるほどじようぜつではないから同じ事だ。

「踊る宝石を見た事はありますか?」

 下手は下手でも唐突過ぎた。

 皿を片付ける途中で通りかかった鹿乃が、足を止めて細いまゆひそめた。

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