第一話 女神のカメオ⑨



 車窓を流れる景色がレトロな街並みから近代的なビル群に変わる。

 ひとのない通りはもやが立ち込めて、車間が開くと前を走る車のナンバーも見えない。


 匡士が雨宮こつとう店で得た情報を署に持ち帰った後、事態は急速に動いた。

「お前の話が本当なら大掛かりな捜査になる」

 黒川が何度も念を押したが、匡士は意見を曲げる気はなかった。

「これを見て下さい」

 匡士はミーティングルームのテーブルに藤見近辺の地図を広げた。あらかじめ、該当のポイントを赤いマジックペンで丸く囲んで、せんで日付を貼り付けてある。

「一週間前、確認出来た中で初めに女神のカメオが持ち込まれたアンティークショップです。彫刻にシャープさがなく、側面からガラスが見えており、値段も付けられませんでした」

 匡士は続けて市外の赤丸を指差した。

「翌日がこの店、その次の日はここ。最新が昨日、七軒目です」

「雨宮骨董店」

 黒川が苦虫をつぶしたように顔をゆがめて赤丸を二重にした。

「同日、被害者、戸波家から盗難届を受理しました」

「所有者に確認したところ、金庫のうち抽斗ひきだしに保管していた為、紛失が発覚したのは昨日ですが、少なくとも一ヵ月は取り出していなかったそうです」

 同僚の捜査員が左手を挙げて報告を加える。別の捜査員が骨董店を時系列順にホワイトボードに写して、リストの上に盗まれた可能性のある時期を書き入れる。

 黒川が人差し指で眼鏡を押し上げ、ホワイトボードをにらんだ。

「つまり、戸波家のカメオは一週間より以前に盗まれていて、窃盗犯は偽物を本物と偽って売り付けようとしたがことごとく失敗した、と」

「部分的には同意です」

「同意に部分も全文もあるか」

 いらたしげに先をかされても、匡士に慌てる可愛げがあったのは新卒一年目までである。匡士はトランプを配るように、写真を束から一枚ずつテーブルに並べた。

「各店舗の防犯カメラから印刷した画像です。映りは不鮮明ですが、持ち込んだ客の人相がバラバラな事が分かります。一様に『鑑定』の依頼のみで『買い取り』を求めませんでした」

「偽物のガラクタだったからでは?」

「自分もそう言いましたが──」

「言った?」

 黒川が聞きとがめてサイドの後れ毛を耳に掛ける。匡士はせきばらいして言い直した。

「思いましたが、六軒目で対応をしたのは引退した先代で、老眼と物忘れが進行しており、破格の提示をしました。しかし、依頼人は買い取りを断っています」

「……よく聞き出せたな。言うなれば、店のけんに関わる失敗を」

「はは。日頃の行いですかねえ」

 乾いた笑いにもなる。人徳があるのは匡士ではない。

 黒川が下唇に親指を当てて輪郭を潰す。

「窃盗事件に便乗した愉快犯か。腕自慢が高値を競ってコンテストでもしているとすれば話が通らんでもない。だが、持ち主が気付く前に盗難を知る必要がある」

「盗まれた事実に加えて、実物の写真も不可欠では?」

「いや、モチーフの絵画があるのだろう」

「それにしても、悪趣味なコンテストの主催者は窃盗犯本人、あるいは窃盗の事実と現物の情報を持つ人物に限られる」

「やはり、戸波家に近い人間ではないでしょうか」

 捜査員らと黒川が意見を交わす。

 匡士はメモをスクロールして該当箇所を読み返し、頭に入れてから口を挟んだ。

「カメオの浮き彫りは一点ずつ手で彫刻を施されます。同一の絵画をモチーフにしたとしても、サイズや位置がずれる。して、髪の一本まで等しくはなり得ません」

「それを競うのでは?」

「彫れないんです」

 先輩の捜査員が不思議そうにする。匡士も昼まではそちら側の認識だった。

「カメオは宝石、貝殻、ぞうなどにモチーフを彫刻して、主に円盤のフレームにめて作られます。本体の状態が最も肝要です。貝殻であれば宝石より柔らかいですから、ヒビやラインが入ったり、みつな細工ほど欠けたりするそうで、フレームの金の含有量や刻印を元に時代と価値を見極める手がかりとします」

ひるあんどんの兄貴の受け売りだな」

おつしやる通りで」

 友人への憎まれ口は聞かなかった事にしておく。

「鑑定に持ち込まれたカメオは、ガラスにのう鍍金めつきの様に貼り付けて作られていました。ガラスに深い彫刻は出来ません。用いられる手法は鋳造のみです」

「鋳造というと、型を取って素材を流し込む……」

「はい」

 匡士は黒川にうなずき返した。

「ガラスでカメオを作るには鋳型を作る本体、要は実物を使わなければなりません」

 ミーティングルームにいた全捜査員が次の動きに備えて立ち上がった。


 捜査会議から一夜、捜査令状が出るまでに情報の裏取りと地固めに走り回り、朝日を迎えに行く準備を整えた。

 まぶたを閉じると眼球に涙がみる感覚がしたが、眠気は影も形もない。目の奥が熱いのは防犯カメラの映像を長時間、見続けた所為せいだ。

 酷使したあって、映像は尋ね人のしつしつかりととらえていた。

 硬質なビルの林を過ぎてモダンな倉庫街に差し掛かる。

 助手席で書類を読みふけっていた黒川が、座席から背を起こし、長い髪を結い直した。

「気を引き締めなさい。一人残らずマークします」

「了解です」

 三台の車が一棟の倉庫の入り口を放射状に囲む。

 黒川を先頭に捜査員が逃走路を固める。

 間もなく港に日の出が訪れる。潮の香りが身体にみ過ぎて、日常がすぐ隣にある事に、匡士の神経が奇妙な据わり方をした。

 ビーッ。

 搬入口の横に作り付けられた緑の扉。すぐ横のブザーを黒川が押すと、ベルと電子音の中間の様な音が倉庫の外まで聞こえた。

「はいはい、今開けるよー」

 ハスキーな声がだらしなくこたえる。

「早く着いても時間潰してから来るのがマナーじゃないの。全く」

 早朝の静けさは控えた声量の独り言も包み隠そうとしない。

 うちかぎが解かれて、扉が外へ押し開かれた。

「誰……」

 細いまゆを寄せた顔は瞼が甘く、欠伸あくびを飲み込んで小鼻がひく付く。ベリーショートの髪は寝癖の他にもこめかみの高さに段差があり、襟足の髪が方々へねている。の整った肌と目立たないのどぼとけながそでのカットソーと黒いカーゴパンツに白い粉末状のほこりが付着している。

 彼が捜査員と車に視線を走らせる間に、黒川が捜査令状を広げた。

くらもちろうさんですね」

「え、分かりません」

 等閑なおざりに白を切って、泳ぐ目が後ろに控える匡士を捉える。匡士は黒川の横から捜査令状の対象者欄を読み上げた。

「通称。スパイダー、夢彩@今日から月収一千万円、アザレア、のしもち、Rima」

 最後の名を呼びながら目線を上げると、彼のどうこうが引き絞られて黒目が澄む。

 その顔を見て匡士も確信した。

 彼こそが衿朱を連れて雨宮こつとう店を訪れたセーラー服の高校生だ。

「あなたには窃盗、及び偽造品の売買に関与した疑いが掛けられています。こちらは家宅捜索の令状です。御確認を」

 黒川が捜査令状を突き付ける。

 りまは旋毛つむじの寝癖をぐしで倒して、顔を斜め下に背けた。

「何かの間違いでは? ぼくは夜間勤務の倉庫番です」

「捜査令状を拒む事は──」

「ぼくはアルバイトの一人です」

 黒川が力で押し切ろうとするも、りまは後ろ手で扉を閉めて譲らない。黒川が眼鏡のレンズの内側から横目で匡士を睨んだ。彼を容疑者に挙げたのは匡士だが、だからと言って彼にまつわる不機嫌まで責任は取れない。

 匡士は言葉を選ぶ声とためいきを複合させて「あー」と低く息を吐いた。

「こちらの倉庫は昔、ガラスの浮き玉を作る工房だったそうですね。プラスチック製が主流になって工房は閉鎖、倉庫として売却されましたが機材は残っているとか」

「知りませんよ」

ちなみに、今月に入ってからの電気使用量です」

 匡士は電力会社から取り寄せた明細を提示した。三週間前から使用量が跳ね上がっており、冷蔵でもない倉庫にはそぐわない数値に及んでいる。

「よく分かりませんが、話から察するに何かの偽造品がここで作られていると?」

 りまがアハハと笑って上を向いた。

「こんな倉庫で何が作れると言うんです。素人のきゆうごしらえなんざ誰の目も欺けません」

「あなたが素人か否かを今ここで明らかにする事は出来ません。けど、プロの目を惑わせられるかどうか確かめる最も簡単な方法を、あなたは実行しましたよね」

 戸波家からオリジナルを盗んで型を取る。砂や粘土に押し付けて立体的に転写する方法が一般的だが、替えの利かない貴重なアンティークだ。スキャナでデータに起こして、3Dプリンタで鋳型を製作したかもしれない。

 ガラスで本体を作り、瑪瑙の鍍金と金細工のフレームで仕上げる。

 試作品第一号の完成に先駆けて、りまはSNSを使ってアルバイトを雇った。

 仕事内容は『宝飾品をアンティークショップに持ち込んで、鑑定結果を知らせる』事。QRコードで解錠するコインロッカーを使えば、受け渡しトラブルもない。──これは駅構内の防犯カメラでりまの姿を複数回見付けた事から後付けで言える推測だ。

 鑑定結果を踏まえて、次の試作品は精度を上げる。

 価値が付かなかったにもかかわらずあんしたアルバイトがいたと陽人から聞いたが、その人物はおそらく頼まれた仕事が犯罪に関連すると勘付いたのだろう。だから、売り物にならなかった事に胸をで下ろしたと考えれば合点が行く。

 試行錯誤がくり返されて六回目。遂に、試作品は高評価を得た。

「プロが認める完成度になったとしらせを受けて、大いに喜んだでしょうね。その鑑定士が老衰で引退した先代とも知らずに」

「何だって……?」

 りまの表情がようやく真剣味を帯び始める。

「半分、思い出の中で暮らしていて、ごっこ遊びをしてしまうそうです」

 匡士がわざとそらとぼけて言うと、りまの額に血管が青く浮かんだ。

 売却に値すると踏んだ彼は新たにアルバイトを雇った。七人目はそれまでと主旨が異なる。六人はがんさくの出来栄えを測るお遣いだが、七人目、衿朱は自分の代理を務めるスケープゴートだ。

 雨宮骨董店を訪れた衿朱は明確はつきり「買って」と意思表示をしている。

 古物売買は記録が残る。ねつぞうした身の上話で衿朱の同情を引き、しりみしてみせて彼女に売らせれば、後から発覚しても捜査線上に浮かぶのは上田衿朱の名だけ。自分は安全に金だけ受け取る、なんと卑しくざかしい計画だろう。

「口を滑らせないように見張ろうとした? 金額交渉に口を出したかった? 理由はこれから聞くが、変装をしても最新の画像解析は同一人物の判定が出来るらしい」

「噓だ!」

 汽笛の音があさもやこもる。大気が動き出して風を生む。

 何処かの扉が開いて慌ただしく走り去る複数の足音と制止する声がみ合う。段ボール箱をぎ倒す振動が地面を揺らすようだ。裏口に配備された人員と空箱が功を奏したのだろう。

 黒川が改めて捜査令状を広げて、りまに突き付けた。

「入らせて頂きます」

「後少しだったのに……っ」

 りまが身を翻して倉庫内に駆け込む。匡士は黒川と共に彼の後を追った。

 高い天井にき出しのはりが張り渡されている。だだっ広い倉庫は幾つかのエリアに分けられて、奥の方に機械やパソコン、シャッターの前に二台の車とバイク、手前側にアウトドアテーブルと椅子を置いた休憩スペースがある。

 りまは休憩スペースに隣接した事務机の前に立っていた。

 机の上を黒いトレイが占領しており、高窓から差し込み始めた光をキラキラと反射している。匡士が目を凝らすと、女神のカメオが大量に並んでいるではないか。

 りまはトレイにこぶしを突き立てたかと思うと、高らかに笑い出した。

「好きなだけ荒らしなよ、刑事さん」

 彼は笑い声を響かせながら、ヘリノックスのチェアワンに腰を沈める。

「やってくれたな」

 黒川が女神のカメオを一望して頭を抱えた。匡士は首を傾げた。

 機材に偽造品、おそらくデータ関連も揃っている。これだけの数を作っていたのは驚きだが、既に販路を確保していたなら聞き出す事で再発防止の手も打てるだろう。

「残らず押収して、連行するだけでは?」

「キキ。お前はこの数を見て何も思わないのか?」

「特には」

「鈍い奴は気楽だな」

 黒川は落胆をあらわにして、机の端に手を突いた。

「奴は最後のわるきでこの中に『何か』を混ぜ込んだ」

 何か。

「まさか真作オリジナル?」

 思い至って、匡士の血の気が一気に引く。黒川のあきれた顔に文句も言えない。

「この中に本物がなければ彼奴きやつはただのコピー屋。あれば住居侵入の上で美術品を盗んだ窃盗犯。とんだ嫌がらせをしてくれたものだ」

 途方もない時間を奪われる。

 確定した未来に、匡士の徹夜明けの身体が重力を倍増させた。

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